アジア逃避行 |
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バンコクで友人の結婚式に出席 |
2004年2月11日〜15日 |
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1. 成田からバンコクへ 2. パタヤへの寄り道 3. ニューハーフショー 4. パタヤ2日目 5. パタヤ3日目、そしバンコクへ 6. そして結婚式 7. おまけ |
友人が結婚することになった。相手は日本に留学していたタイ人の女性だ。結婚式もバンコク、日本の両方でやると言う。出席の打診があった時、「もちろんいきますよ!」とか軽いのりで言っていたら、本当に招待された。友人の上司、同僚、クライアント、あわせて4名でタイに行くことになった。男4人でタイに行くと言ったら、妻から「そりゃ疑惑を通り越して確信だわ」とか言われたが、そこは大事な結婚式である。準備万端整えて向かうことにした。 タイ式の結婚式は、儀式のストーリーがあって、主な出席者には役柄が割り付けられる。友人からは「式の時は、2列目の左側です。砂糖キビの鉢植えを持って歩いてください」と言われた。一体何が起きるのか分からないが、とてもエキサイティングなことだ。 しかし、下の写真を見ると、一体何しに行っていたのかわからない。周囲からの大いなる誤解を招いても当然の旅であった。 |
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1. 成田からバンコクへ |
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![]() HKIAでトランジット待ち |
バンコクへのフライトは香港経由のキャセイで、フライトの5日前に
香港ではトランジットのため、約2時間待ちとなった。特にすることもなく、ショップ巡りをする。HKIAは新空港になって初めての訪問だが、成田に比べてきれいな空港で、居心地が良い。香港からバンコクまでは約2時間、夕方のドンムアンに降り立った。結婚式を目前に控えた友人夫妻が空港まで迎えにきてくれたが、今回は友人が気をきかせて(きかせずぎて)、14日の式の前日まではパタヤで観光というスケジュールになっている。挨拶もそこそこに、今後のスケジュールの確認をしただけで、友人の手配してくれたワンボックスに乗り、パタヤに向かった。 |
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2. パタヤへの寄り道 |
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パタヤのマリオットリゾートにチェックイン。ドライバーはロビーで待っていて、これからシーフードレストランに行くという。友人の完璧なコーディネートで、既に予約もされているらしい。レストランは、ウォーキングストリートというパタヤで一番の繁華街の中にあり、パタヤ湾を眺めながら食事ができるという。早速、途中までは車で行き、後はディスコやゴーゴーバーのひしめく繁華街を歩いて店に向かう。店に到着すると、一番良い海側の席を確保してあると言われ席についた。確かに夕暮れ時ならば夕焼けの海を眺めながら食事のできる良い席だと思うが、夜の海を見ていても面白くない。完璧のコーディネートもここまでか、とか言いながら、料理とシンハ・ビールを堪能した。 |
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夜のパタヤ湾 | 早速シーフードレストランへ | 今朝の成田での出来事を肴にディナー。左側の人物が「5分前の男」 |
3. ニューハーフショー |
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さらに、パタヤ名物のニューハーフショーも予約済みだという。恐るべきコーディネート力である。早速ニューハーフショーの店に向かった。ショー自体は、美しくはあるが無難な内容で、退屈はしなかったが特に面白いとも思わなかった。問題はその後である。ショーが終わり、ホールを出ていくと、外には先ほどまでステージで踊っていたままのおかまダンサーズが待ち構えている。記念撮影できるらしい。早速皆で1人づつ記念撮影をしたのだが、同行者の1人が、チップを払わずにばっくれた。追ってくるおかま、逃げる我々。・・・逃げ遅れた1人がおかま2人に拉致され、そのままお持ち帰りされそうな状態になった。結局、チップを余分に支払って一件落着。・・・「なんで逃げた!」と言いながらも「いやあ、腕力といい、骨格といい、やっぱり男だった」との感想には一同大笑い。 |
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ニューハーフショーのグランドフィナーレ。とても「法的には男」とは思えない。圧巻 | ショーの後は、外でダンサー達と記念撮影するのだが、 | チップの100バーツを払わないと、とんでもないことになる |
4. パタヤ2日目 |
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友人のコーディネートはまだまだ続く。2日目はパタヤ沖にある、ラン島で観光らしい。朝10時にガイドがホテルのフロントに迎えに来た。そのままビーチに向かい、待っていたスピードボートに乗って、ラン島を目指した。途中でパラセイリングのポンツーンに寄った。デッキに上がったとたん数人のスタッフにハーネスを付けられ、気がついたら、同行者の一人が上空に浮かんでいた。心の準備もなく空を飛ぶというのは恐ろしい。さらに、射撃レーンにも行き、ゲリラやらガンマンを気取って撃ちまくってきた。お昼はビーチサイドのレストランでシーフードを食べ、そのままビーチサイドでビールを飲みながら、のんびりする。 |
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気を取り直して迎えた、翌日の朝のマリオットリゾート |
我々を待っていたスピードボート |
爆走するスピードボート。乗り心地はかなり悪い |
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ラン島では、こんなことやら |
あんなことで |
ビーチを満喫してきた |
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3日目までは、さすがにコーディネートされていなかった。午後2時に向かえの車が来るまでの間は、自由行動だ。早速、テンソウのチャーターを交渉し即席のパタヤ市内観光ツアーを組むことにした。交渉は難航したが、テンソウは1時間ほどかけてパタヤ市内を一周してくれた。 2時過ぎに、バンコクからの迎えが来た。パタヤの休日はこれでおしまい。 |
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テンソウのお兄さんとチャーターを交渉。ちゃんと価格表が貼ってあるのに、ふっかけてくる。 |
隣で、お姉さんが別のテンソウに乗ろうとしていたので、値段を聞いてみた。安い。お姉さんいわく「観光客は倍の値段」だという。恐るべし、微笑みの国タイランド。 |
なんとか交渉成立し、快走するテンソウ |
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ようやくバンコク市内へ | バンコクのトゥクトゥク。ここでもぼったくり多し | バンコクの夕日。空気が汚いので、映えない |
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これまでの3日間で、なんのためにタイまで来ているのか分からなくなっていた。バンコク市内に到着し、式の前日にご両親との会食と翌日の式次第の打ち合わせをして、やっと今回の旅の目的を思い出した。 説明によると、今回の結婚式は、入場の儀式、婚礼の儀式、祝福の儀式の3パートで執り行われるとのこと。これでも相当簡素化したらしく、本格的なタイの結婚式は1日では終わらないらしい。入場の儀式は、私自身が役割をおおせつかっていた関係で写真は取れなかったが、隣の村の花嫁をもらいに花婿とその親族が、幾多の試練を乗り越えて、隣村までたどり着く、というストーリーになっている。途中、山賊などに遭遇すると、次々に貢物を配って難を乗り越えていくのだが、最後の方で本当に現金を配っているのには驚いた。で、一番最後に花嫁の両親に会って、財産目録を渡す、という趣向。 |
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婚礼の儀式。花嫁の両親に「お嬢さんを下さい」というくだり。タイ人と結婚するためには土下座が必要らしい |
お水かけというタイの結婚式ならではの祝福の儀式。花嫁花婿よりも年長の人だけが両人の手に水をかけることができる。 |
最近は西洋風の結婚式も増えているとか。これは披露宴でのケーキ入刀 |
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結婚式、披露宴が終わった後に、同行者3名と、チャオプラヤクルーズに出かけた。トゥクトゥクをつかまえ、3人乗りのところを強引に4人で乗り、船着場まで行ってもらった。トゥクトゥクの4人乗りは相当怖い。後ろの3人がけシートに座れば問題はないのだが、運転席と後部シートの間の鉄板の上に1人が乗ることになった。後程、座った人にちなんで「部長席」と命名されたその場所は、横座りな上に、体を支えるものは、トゥクトゥクの手すり1本のみ、という状況であったため、コーナーのたびに大きく体が振られ、振り落とされそうになる。彼は、トゥクトゥクのすぐ後ろを追走する大型トラックにいつ轢かれてもおかしくない危険な状況だと主張し、しきりに悲鳴を上げていたが、ほかの3人はそんなことにはおかまいなく、街中の疾走を楽しんだ。 船着場に着いて、早速、適当に来た船に乗ってみた。なんと、対岸に渡る渡し舟だった。仕方ないので、元の船着場に戻るべく、そのまま船に乗っていたのだが、なんと同行者の2名が下船しており、我々に手を振っているではないか。船はすでに岸壁から離れようとしている。大声で船長に戻れ戻れと英語で言ったのだが、船長の風貌からと反応から、これは英語を全く理解できないか客の言うことに全く耳をかさないかどちらかだということだけが理解できた。これは絶対絶命だ、あの二人とは今生の別れになるかもしれないと思っていたら、突然、船は戻りはじめた。「良かった。人は見かけで判断してはいけない」、などと思ったのだが実はそういうわけではなく、船着場にとてもかわいい女子高生4,5名がやってきたのでその子達を乗せるために戻ったのであった。大体、下船した2名もその子たちにつられて、降りてしまったらしい。国籍を問わず若い女の子のオーラは絶大であることを実感したが、同時に、国籍を問わずおやじは若い女に弱いということも証明された。 元の船着場に戻り、チャオプラヤ川を上流に向かって行く船を捜したが、別の船着場まで行かないとダメだということが分かった。ほうぼうで道を尋ねながら10分ほど歩いて、別の大きな船着場に到着した。案内所で、「一番上流に行きたいのだが」と言って、どの船に乗ればよいか聞いてみた。丁度今着いた船らしい。チケットも買わずにその船に飛び乗った。地図も持っておらず本当にどこに行くのか分からない。船内でチケット売りの女の子が近寄ってきた、と思ったら私の前は素通りしていった。この後、船を3回乗り継いだが、毎回同じパターンで、4回目に乗船するまで1回8バーツの料金を払わさせてもらえなかった。 とにかく、日が暮れるまで、ひたすら上流に向かって、船に乗った。夕方6時を過ぎると、船の上から、あちこちの公園でエアロビのような体操を、大音響の音楽と共にやっている光景を見かけた。同行者の1人が、どうしても一緒に踊りたいという。名前も場所も分からない船着場で下船し、近くの公園に行った。100人以上が前にいるインストラクターに合わせて、一生懸命踊っている。と思ったら、同行者の一人は、もう一緒に踊っていた。おそるべし、タイの国民体操である。1時間近く踊った後に、船着場に戻った。船着場の明かりは消えており、係員も乗船客もいない。もしや、終電ならぬ終船を逃したか?と思ったが、場所も地名も分からない言葉も通じない場所でむやみに歩き回るのは危険だ、ということになりまずは船着場で待って様子をみよう、ということになった。不安と焦りの30分が経過したころ、上流から船がやってきた。本日最終の船で、たまたま予定時刻より遅れての到着だった。 船は元来た船着場まで戻った。帰りの船から、その船着場の近くにオリエンタル・ホテルが見えていたので、早速行ってみようということになった。後で気付いたのだが、この日は2月14日のバレンタインデーである。バンブー・バーもベランダもカップル客で一杯であったが、この状況に臆することもなく、なんとかバーのカウンターを確保し、名物のカクテルにありついた。バンブーバーでは「5分前の男」「タイ国民体操の男」「部長席の男」そして私は「砂糖キビの男」とそれぞれのミドルネームができたことを喜び合った。今回の旅の反省会はこうして厳粛に行われたのであった。以下に反省会の要点を記載する。 新郎の上司であるS氏:「おかまにチップを払わなかった男」「タイ国民体操の男」 新郎の同僚であるG氏:「5分前の男」「手ぶらでパタヤ」「パタヤで買った服しかなかった男」「現地人」 新郎のクライアント先のU氏:「おかまに拉致された男」「部長席の男」 私:「無賃乗船の男」「砂糖キビの男」 ともあれ、友人の用意周到なコーディネートの後に続いた無計画でいいかげんな私と同行者達の旅は無事に終わった。 |
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