次なる指示を貰うために、001の部屋へと足を運んだおれは、いつものように、最近の首尾を説明した。
「そういえば、この間、あの御仁、笑ったよ。随分正気に戻ってるんじゃないかね。」
「004ハ、昔カラ正気ダヨ。」
その返答は、おれの想像とはまるで違う物で、おれは戸惑いつつ目の前の揺りかごに寝ている赤ん坊を見遣った。
「正気じゃないって話じゃなかったのかね?」
「ソウジャナイ。彼ハ、ズット正気ナンダ。タダ、ソレガ強クアラワレナイダケサ。自分ノ上ニ同ジ重サノ物ガ乗ッテイテ、身動キヲ取ルノガ大変ナノト同ジサ。」
流石に頭のきれる人間は違うな、と思うだけの、わかりやすい説明が提示され、おれは了解の証に頷いた。
考える事も、話す事も、何もかもが大変だから、億劫になって投げ出してしまうしかないだけだという事ならば、その重しを放り投げてもらうしかないわけだ。
「考エガマトマラナイ理由ガ分カッテイルンダ。キット、薬ヲ飲ムノヲヤメルハズサ。」
「あれか…」
彼が、毎日毎日、カリカリと噛み砕いている物。一糸乱れぬその音は、小気味良い程なのだが、与えられている理由を考えると、どうしてあんなに素直に口に運ぶのかと不思議になる物だ。
「彼ハ、諦メガ早インダヨ。食ベナケレバ、別ノ方法デ与エラレルノハ分カッテイルカラ、諦メテ自分デ食ベル。彼ハ、コノ状況ニハ向イテル性格ダネ。」
こちらの思考を読んだらしいその言葉を聞いて、諦めの悪そうな002の顔を思い出した。彼ならば、何をされても反抗を続ける事だろうと思う。そしてきっと、彼は彼に都合のよい状況を作り上げる事だろう。羨ましい程の性質を持っている。
「002ハ、アレデイインダヨ。003モ、モウ少シダケ、諦メテクレタラ、楽ニナルト思ウンダケレド。」
改造されてしまったものはどうしようもないと、それならばこれでなんとかやっていくさ。と前向きに思考できればそれは素晴らしい事だが、諦めて放り出すだけというのは少し問題ではないだろうか。004の現状を考えると、そういった部分がないわけではないように思う。もちろん、おれを含めたサイボーグたちの中にそれが見えない事はないのだが。
「003ハ、見エテシマウ事ト、聞コエテシマウ事ニ、罪悪感ヲ感ジテイルンダ。ソンナ事、考エナクテモイイノニ。」
幾分落ち込んだような声に、彼があの少女を大切に思っている事が伺い知れて、僅かに心が穏やかになる。明確な仲間としての認識がそこにあり、そしてそれは、家族に対する思いのように暖かい。この施設の中には、そんな暖かさは滅多な事で感じられないからこそ、それを守ってやりたいとも思う。
001の言う事は尤もな事で、ここにいるのは彼女を勝手に改造した人間たちなのだから、その人間の事まで気づかってやる事はないと思いもする。だけれど彼女は、そうして切り捨ててしまう事ができない、優しい性格なのだろう。いつも明るく笑っている姿を見ていれば、その性格は作り物ではない事がわかるほどだ。
「お前さんの心配事は減らないねぇ。」
こんなに幼い子どもなのに。彼が様々な提案をし、何かを語る度にそう思う。
「心配ハ、イラナイヨ。僕ハ今ノ自分ハ嫌イジャナイカラネ。ソレヨリ、モウスグ僕ハ眠ッテシマウ。ソノ間ノコトハ頼ンダヨ。」
「心配御無用。お任せあれ。」
15日眠り続け、15日起き続ける子ども。彼の脳に加えられた改造が、彼にどんな影響を与えているのかは、彼自身にも、科学者たちにもわかっていない事らしい。最も早く作られ、最も未知数な部分を抱える彼は、最も幼く、一人では生きていく事ができない赤ん坊だ。
このアンバランスな状況は、彼等第一世代の特徴ではないだろうかと、最初は思った。多分、科学者たちは、その人間に適合した改造などということを考えもしなかったのだろう。そこで起きた不都合を、第2期の改造計画では考慮の対象にしたのではないかと思う。自分の事を考えると、特にそう思った。
「彼等ダッテ、馬鹿ジャナイカラネ。」
笑う001の声は、そこで小さな寝息に変わっていった。
「お前さんが起きる頃には、また少し変わっていると言えるようにしておくよ。」
001が眠りについてから暫く後、002から004が薬を飲まなくなったと聞かされた。彼は相変わらず、おれの話を聞いても何も言わないが、聞きながら何かを考えているらしい事は見て取れるようになった。
そして、001不在の間の情報収集のため、ねずみに化けて施設内をうろついていたおれは、彼に関して科学者たちが議論する姿を何度か見るようになった。
内容は、004の訓練結果に関してが殆どで、その結果があまりにばらついているとかで、どこかに不具合があるのではないか。というものだった。ただ、これまでとは考えられない程の好成績があがっている事もあり、下手に手を加えるのはどうか。と言う意見もあるようだ。次に会ったら、一応耳に入れておいてやらねばならないだろうと思った。
そんな事を考えながら、食堂へ向かっていた途中、射撃訓練場の前で、二人分の叫び声を聞いた。
「うわぁっっ!!」
「わぁっ!!」
聞き慣れた声と、随分久方ぶりに聞いた声に驚き、その部屋の扉を開けると、部屋の隅の方で頭を抱えて床にしゃがみ込んでいる茶色の頭と、床に転がったスーパーガンを固まって見つめている銀色の頭を見つけた。
「何してるんだ。お前さんたち。」
声をかけると、彼等はそろそろとこちらを振り返り、揃って困ったような表情を浮かべた。
「004が、スーパーガンで射撃訓練をしたいって言うからさ。」
「……外ししたのか?お前さんが?」
歩く弾丸貯蔵庫とまで言われる彼は、右手のマシンガンで敵を倒す事が基本攻撃体系だ。彼の目はターゲットアイと呼ばれるように、照準機の役割を果たし、マシンガンとマイクロミサイルはそれに連動して動くという話だ。改造前は、右手でスーパーガンを撃っていたという話も聞いた事だし、まさか、彼が的を外すとは思えなかった。
「……マシンガンから弾丸が発射して……それが跳弾して……」
あまりの事に驚いて、頭抱えてしゃがみ込んでいたわけか。と、説明をくれた002から視線を004へ移すと、彼はやっと床に転がったスーパーガンを拾い上げていた。
「怪我は?004。」
「問題ない。」
心配そうに問いかけた002に、彼は静かに答えを返した。
彼の体に仕込まれている爆薬を考えて、彼の体は005と張る程に頑丈にできているそうだ。防護服と合わせれば、まず傷がつく事はないらしい。それでも、思わず確認してしまうのが、人間というものだろう。
「何が起きたんだ?」
科学者たちが言うように、彼に不具合でもあるのかと心配になって問いかけると、彼は戸惑いつつも答えを返した。
「……マシンガンのトリガーのイメージがスーパーガンのトリガーを引くのと同じで、右手で撃とうとしていたから、マシンガンの方が優先されたらしい。」
彼の体の動かし方に関しては、当人以外にはよくわからない事の方が多い。特に、武器の制御に関しては、001も理解できない事だそうだ。
「とりあえず、左手で撃つ事にする。」
おれの前で004がこんなに長く自分の前で話すのは、これが初めてだった。もしかして、話せなかったのでも話すのが億劫だったのでもなく、話したくなかった。というのが彼の正直な気持ちだったのではないかと思う程、それはぎこちなさなど感じないものだった。
「そうかい。」
「あんたは何を?」
問いかけを向けられるのは、これが初めての事だ。彼が、おれに自分から声をかけるなんて事はいつになったら実現するのかと思っていただけに、これは驚いた。
「食事にでも行こうかと思ってね。」
「昼飯?」
002が不思議そうに問いかけてきた。それは、今が夕飯には早く、昼食には遅い時間だったからだろう。
「ああ、訓練だとかで時間がなくてな。全く、こちらの事を考えもしないのだからいかんな。」
「あんたまだ、出来たてだもんな。仕方ないさ。」
002のその言葉は、自分達が歩んできた道を、変わらずに歩んでいるおれに対する激励のようなものが含まれているようだった。彼は、自分の置かれている立場を、驚く程に容認しているのだと思うと、どうにも不思議だった。彼も、改造直後は自分の事を悩んだりしたのだろうか。
「その内、彼等も飽きる。」
続けて寄越された言葉も、中々に苦いものだったが、言った当人はあまりそれに気付いていないようだった。どうも彼は、自分の事を物扱いしている部分が強いようだと、こんな時には思う。
「そうなる事を期待しているよ。」
そう答えて手をあげて退室を示すと、彼等は黙って自分達の訓練へと向き直った。
廊下に出てから、004に科学者たちの話をし損ねたと気付いたが、まぁ、それはいつでもよかろうと頭の端へ追いやった。
004がスーパーガンで射撃訓練を始めたと言うのは、おれにとっては最大の驚きだった。彼はてっきり、自分の改造を快くは思っていないと思っていただけに、まさか、戦闘のための訓練を始めるなどとは、想像の外だったのだ。
確かに、左手のナイフは、あまり戦闘中に役には立たないだろう。だが、右手のマシンガンで十分ではないかとも思うのだが、当人にしてみると、何か別の考えがあるのかもしれない。その辺の気持ちの変化は、とてもおれには想像のできない事だが。
「…まぁ……なるようになるさ…」
自分の行く先を彼が決めたというのならば、きっと彼もそこへ辿り着く事だろう。少なくとも、さっきまで目の前にいた彼からは、その意志の強さを感じる事ができたし、あの傍について回っているもう一人がいれば、それはきっと、難しい事ではないだろう。
おれの人生も崩れたかと思ったが、これもなかなかいいものかと、今は思う。
007のパート完結。
彼は、どっちかというと、裏方さんで、見守り型の人のイメージ。なので、彼自身の事を語るよりも、彼の周りの人の事を語らせてしまうお話に……
とりあえず、ハインリヒと意思疎通ができるようになって終わり。彼は、返す答えを持たないから、黙ってただけ。でもそんな事は、口に出さなくちゃわからないけど、口に出す事じゃないのだな。