庇護者



『やぁ、004。』
 声をかけると、彼はやっとこちらに気付いたように表情をわずかに動かした。
『今日も、実験か?』
『そうみたい。君は、もう大丈夫なのかい?』
 ここ数日の間、彼はこの実験を免除されていたことを、僕は知っている。と言うより、ここへ彼が来ない間も、僕の実験が続いていただけなのだけど。
『ああ。とりあえずは。』
 彼は、自分の事に頓着しないように思っていたが、それなりに自分の事をわかっているらしいと、その返答で知れた。今の彼は、倒れないだけで、大丈夫だと言い切れる程万全の状態だとは思えなかった。 
『あまり、無理はしない方がいいよ。』
『俺が休もうとしたって、休めないんだ。仕方ないさ。』
 言われるままに動かなくてはならないのが、ここでの僕らの決まりで、確かにそれは彼の言う通りなのだけれど、彼はずっと眠り続けることでそれに抵抗することはできるはずだ。
『少し、気になることもあるからな…』
 彼が、この実験に関して、どこか協力的に見えると、007が言っていたことを思い出した。もとより、彼が組織に反抗的だったことなんて殆どないのだが、それとはまた違った様子が見えるとか、そんなことを言っていたはずだ。
『じゃぁ、気をつけてね。』
 声をかければ、彼は軽く手を振って奥の扉を潜っていった。
『004、何かあったら、僕を呼んで。』
『ああ。』
 姿は見えなくても、声は届く。僕は、その彼の様子に、なんとも言い難い不安を感じた。何か、良くないことが起こるようなそんな気がした。
 
 
 
 
「一時休眠。」
 指示に従って、彼は目を閉じた。体に繋がれたケーブルから伝えられる情報が、脳の一時休眠の完了を示すまで、科学者たちは彼の様子をただ黙って眺めていた。
「接続切替。疑似ボディ起動。」
 ケーブルの繋がる先に用意された、不格好な鉄の塊に、起動を示す赤いランプが点る。
「休眠解除。」
 その声と共に、赤いランプが緑色に色を変えた。
「接続完了。実験を開始する。」
 その声に続き、科学者たちは慌ただしく動き始め、何処へ向けてと言うでもなく、指示が出される。
「右旋回、後、前方マーカー、ロック。」
 ケーブルの先の鉄の固まりが、ぎこちなく足を動かしボディに開けられた銃眼から青いポイントマーカーへ赤色のレーザーが照射された。
「後方マーカー、ロック。」
 背面の銃眼が開き、同じようにレーザーが照射された。
「左方3番マーカーより6番マーカーまで一斉マーク。」
 動き続ける鉄の固まりに注目し続ける科学者たちの後ろで、台の上に横たわった彼の瞼が微かに動き、制御されているはずのない指が微かに曲がった。
 
 
 
『生体脳の存在が、人間性の証明になるか?』
 彼は、そう言った。
『まさか、本気でそんな話を信じているのか?』
 信じたいと思う。
『ならば、お前は、脳細胞に人間性を認めるか?』
 一つの細胞が最小の生命を形作ることもある。
『人間とは何か?』
 血と肉で構成された体を持つ生命。
『獣との違いは?』
 理性の存在。
『理性のないものは人間たりえないか?』
 理性がなくとも人間として存在することは可能だ。
『ならば、人間である証明は何か。』
 人であると認識されること。
『では問う。お前のその器は、人間として認識されるものか?』
 その器?
『その、鉄の塊。』
 鉄の塊に、人間性を見い出す者は少ない。
『それを見て、人間と認識する者があるか?』
 人を象っている限り、人間と認識する者はあるだろう。
『お前のその器が、人を象っていると?』
 この体は、俺の形を残している。
『その、何処が?』
 何処が?
『その、お前が動かしている、鉄の器だ。』
 俺の体は…
『鉄の箱に、鉄の足。お前のその体は、どんな形をしている?』
 箱?
『目を開けて認識しろ。お前は何者か。』
 俺は、何者か。
 
 
 
「左旋回。……?」
 科学者が訝し気にその動きを見た。ぎこちなく、鉄の塊は彼等を振り返った。
『……俺の体……?』
 彼は、そこにある自分の体を見た。何故それが、自分に見えるのかがわからなかった。自分の動かしている体は、あそこに横たわっている体の筈だった。
 だが、それは何故かそこにある。
『……これは……?』
 意識が納まっているのは、違和感なく動かしているのは、必死に慣らしたあの体の筈だった。それなのにどうして、自分はそれを外から眺めていられる?
「何が起きている!」
 科学者の声も、いつもと変わらず聞こえる。視界はいつもと違い、どこか薄暗く、暗視モードの視界によく似ていた。
『お前は、脳細胞に人間性を認めるか?』
『……細胞に、人間性は宿らない……』
『ならば、何に人間性を認める?』
『………人間の証…?』
『お前のその器を見て、それを人間と認める人間がいるか?』
 ぐるりと目を動かし、壁のモニターを見る。
 そこに映るのは、不格好な鉄の塊。
 それは、現在自分と認識している体。
『……これが…人間…?』
『脳細胞が存在するから人間だと言うのならば、その器にお前の脳を載せれば、お前は自分を人間だと叫ぶか?』
『…………これは……』
『たとえお前がそれを主張したとしても、誰がそれを認めるか?』
『……誰が……』
 ぼんやりと浮かんだ赤茶色のイメージは、そのまま闇に溶けた。
『お前は、何者か?』
『……俺は……』
『人間とは何か?何が人を人間とするか?』
「…………ハ……ハハ…」
 聞こえるはずのない声が、そこから漏れた。
 
 
 
 
 突然、けたたましい哄笑が響き渡った。
『004!?』
 施設内のスピーカーから、気の狂ったような笑いが響き渡り、それと同時に、僕の中に滅茶滅茶に乱れたイメージが流れ込んでくる。
 それは、声と言うよりも文字の洪水で、それが誰のものかは考えるまでもないものだった。この施設内に、僕の中へ逆流する程のイメージを送り込める者は、彼以外には存在しない。
 彼の意識は、僕の介入を許容する代わりに、その境目の認識を弱めているのだ。
「切断しろ!崩壊する!」
 科学者たちの悲鳴のような叫びと、彼の笑い声を流し続けるスピーカーにつられるように、足音が幾つも近付いてくるのが聞こえる。
『001!何が起きてるんだ!』
 割り込んでくる言葉に答えを返すよりも、彼からのイメージの流入を切り離すのが先決だった。僕は、彼の意識に介入し、彼の意識を探った。
『004!』
『人が、人と認識されるに必要なものは何か?』
 彼の声によく似た、それでも聞いたことがない冷たい声が聞こえた。
『004…?』
『お前の答えは何処に存在する?』
 ブツリ、と彼の意識が途切れ、暗闇が満ちた。
 それと同時に笑い声は消え、辺りに元通りの静寂が満ちた。
『……001?』
『強制終了だよ。』
 暴走寸前に掛けられるそれを経験したことがあるのは、彼だけだ。僕らは、暴走しても周りを巻き込む可能性が低い為に、自然停止するまで放り置かれる事の方が多い。それだけ、不具合を起こし易い事なのだ。だから、余程の事がない限り、その手段が取られる事はないはずだった。
 それにしても、先程の声は何だったのだろう。彼から流れ込んだイメージの中を探り、同じ問い掛けを見つけ出す。彼は、あの実験の間、ずっとあの声を聞いていたのだろうか。
 未だに、自分の存在に疑問を持っている?
「今日の実験は中止だ。」
 準備を行なっていた科学者がそう言い、僕は彼等の手によって篭に乗せられ、実験室から押し出された。
 彼のメンテナンスを行なう為に、新しい実験に手を掛けている場合ではなくなったのだろう。
「001、何が起きたんだ?」
 押し出された廊下に、たった一人で立っていた002の問い掛けに、僕は出てきた部屋の中を探った。
『わからない。……実験は、変わった様子は見えないし。』
「……004は、無事なのか?」
 もしかして、彼は発狂したんじゃないかと、002が心配しているのはわかった。僕だって、それが心配だった。
 あの笑い方は、確かに正気の人間のものではなかった。だけれど、彼の中で聞いた声は、間違いなく正気だった。
『無事だと思うけれど…意識はまだ戻ってない。』
 姿は見える。だけれど、彼の場合、重要なのは、意識の有無だ。あの器は、彼の無事を保証するものではないから。
「……壊れちまったのか……?」
 遂に、壊れたか。と、彼は言いたかったのだろう。今までずっと、それを心配し続けてきたからだ。無理矢理、彼に一つの意識を埋め込んだ。彼がそれによって立っている事を、僕らはよく知っている。
 だからこそ、先程の言葉は、驚異だった。もしかしたら、彼は、また元に戻ってしまうかもしれない。
『彼が戻ってこなくちゃ、わからない。』
 人間であると認識させる為に撒いた種。それは、彼の中で芽を出したけれど、今それは、枯れようとしているのかもしれない。
 人が脳によって制御される故に、脳の存在で人間性を認めさせた。
 でも、人が人であるという事は、そんなに簡単な話ではない。
「……何時…?」
 彼の問いに、僕は答える言葉を持たなかった。
 
 
 
 
 彼が戻ってきたのは、意外に早く、それから5時間後の事だった。
「004!」
 じっとそこで彼を待っていた002は、その姿を見てそう呼び掛けたものの、彼に近付く事を戸惑った。
 それ程、彼は穏やかで、もしかしたら、新たな投薬を受けたのではないかと思ったのだ。
「どうした?そんなところで。」
 だけれど、彼は不思議そうに首を傾げて僕らを見返し、手を振って扉を潜っていった時と、変わらなかった。
「……だって……あんた…」
 その様子に安心したのか、002は彼に駆け寄った。彼のこの懐き方も、なんだか不思議だな。と思う。002が、004を自分を守ってくれる人だと思っているわけでもないだろうけれど、もしかしたら、彼を守ろうと思っているのかもしれないけど、なんだかとても懐いているのはずっと変わらない。
「ああ…心配させたか?」
 悪かったな。と、彼は言い、ちらりと出てきた扉を見やると歩き始めた。004も、002が傍に寄るのは滅多な事で拒否しない。彼が、002を守るべきものだと思ってるのは知っている。と言うより、彼にとっては、僕らは皆、守るべきものだ。
『大丈夫なのかい?』
「問題ない。」
 どこか、さっぱりしたような表情で彼はそう言い、僕はそれがよくわからなくて、002と共に彼を追った。
『何があったんだい?』
「……疑問が、解けただけだ。」
 彼はそう言って、右手を見やった。彼がただの人ではないとはっきり示す彼の右手。
『疑問?』
「……声が、聞こえてたんだ。……実験の間、ずっと。」
「声?」
「もう少しで、答えに届きそうで、今日やっと、見つけた。」
 彼は晴れやかな表情でそう言った。のぞき見た彼の中も、迷いすら見当たらず、あの混乱したイメージなど欠片も存在しなかった。
『……そう。』
 彼は、自分を嫌っている。僕は、それをよく知っている。でも彼は、深い深いところで、自分を認めたがっている。本当は、自分を好きになりたいのだ。
 僕は、当然自分が好きだ。002もそうだろう。でも彼は、そう思う自分が嫌いなのだ。とてもひねくれているけれど、本質的に彼は素直だ。
 そして彼は大人で、これまで生きてきた年月の中に、彼の強みがある。
 叩き潰されても、叩き潰されても、彼は這い上がってくる。そして、その度に強くなるのだ。彼の中に通った一筋の決意は、その度に強くなり、彼を強くする。
 僕は、自分が強いと思っている。だけれど、本当のところ、彼のように、自分を追い詰めて追い詰めて、そこに絶対の真実を見つける事はまだできない。僕はまだその衝撃の反らし方を知らないから。
『その答えは、僕に教えてはくれないの?』
『これは、お前の役には立たないだろうよ。』
『…何故?』
 彼は、何を見つけたんだろう。彼の中に、僕が踏み込めない領域が増えているのに気付いて、僕は戸惑った。そこに、彼ではない彼の声を聞いたような気がする。
『俺とお前が、違う人間だからだ。』
 僕らの会話を聞けない002が、不思議そうな顔で僕を見ている。その彼の中にも、僕が踏み込めない領域がある。それが、僕らが違う人間である証だ。
『……僕らは…人間だよね?』
 彼はさっき、自分を人間だと言った事にやっと気付いて、僕はそう問い掛けた。
『ああ。人間だ。』
 彼は楽しそうに笑い、僕は戸惑った。
「誰かが、そう言う限り、俺たちは人間だ。」
「人間に決まってんだろ?」
 002は、今更何を言うのか、と言いたそうな表情で僕を見た。多分、僕らの中で、誰よりも自分を認めている彼は、やはり、僕よりもずっと大人で、僕よりも多くの事を知っているのだろう。
『人間である証って何かな?』
『脳味噌があるって事じゃなかったのか?』
 笑う彼の声を聞いて、僕は彼がそれを切り捨ててしまったのだと思った。
『……そうだったね。』
 僕の撒いた種は、彼の中で枯れたのかもしれないけれど、もしかしたら、花を咲かせたのかもしれない。



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