これが来るなら、他の誰かを。と言ったはずなのに、その日姿を見せたのは、赤茶の髪の彼だった。
『004が来てくれると思ってたんだけどな。』
思わず言ってしまうと、彼は口元を歪めた。
「それが寝てるみたいだから、来てやったんじゃねぇか。」
彼の『みたい』という言葉が気になって、それを問い返せば、彼は傍までやってきて僕の体を抱き上げた。
「呼んでも出てこないから。」
『確かめてみればいいだろう?入れない部屋じゃないんだから。』
昔は、それぞれの部屋を行き来する事もできなかったのだけれど、今では僕らに対する締め付けは相当弛んでいる。僕にこうしてサイボーグ仲間がミルクを運んでくるのも、時間を飛んでからの事だ。
以前は、それは003にだけ許されていた事だった。それでも、この部屋へ出入りするのは、あまり歓迎されていない事らしく、彼等はこうして食事を運ぶのだと言う理由がなくては、ここを訪れる事は少ないけれど。
そんなわけもあって、002が004の部屋を訪れるのは、僕の部屋を訪れるよりも簡単な事のはずだ。それに、僕らの部屋には鍵をかけるという事が許されていないから、住人の機嫌を損ねる事に頓着しなければ、無断で足を踏み入れるという事もできないわけじゃない。だから、寝ているのかどうかをドアを開けて確かめる事くらいはできるはずなのだ。
「寝てるの見るの嫌なんだよ。」
『どうして?』
「…………………壊れた人形みたいだから。」
小さな声で返った答えは、昔、聞かされた事のある言葉と同じだった。
『自分も人形と同じなのかと思うから…』
彼女は、小さな声でそう言って、僕の体を抱き締めた。あの頃は、誰もが不安定で、自分が何であるのかがわからなくて戸惑っていた。
体の中に組み込まれた機械仕掛けと、元のままの生身の部分。形が変わらないからと、自分が人間だと思い込もうとしても、研究者たちはそのようには扱わない。
人間でも、人形でも、機械でもなく、僕らは実験用の試作品に過ぎず、彼等は僕らが持っている人間の部分を、さ程重要視はしなかった。僕らの人間性は、彼等には最もどうでもいい事だったのだ。
『003も、君が寝ているのを見てそう言ったよ。』
でも、002が思い出すのは、本当に壊れて動かなくなった004の姿だろう。僕らの中で、002だけが見た、壊れたサイボーグの姿だ。
それがもし、僕や003だったとしたら、引き起こされた光景はまた違うものになっていただろう。飛び散ったのは、機械仕掛けの部品ではなくて、血や肉だったかもしれない。
でも、実際にそれが起きたのは彼で、飛び散ったのは金属部品でしかなく、彼の体は設計通りに彼の脳を守る為に休眠状態へ移行した。それを見た002が、彼が完全に壊れたと思ったとしても、おかしくはなかっただろうし、それが彼の記憶に焼き付いてしまった事も、仕方がなかっただろうと思う。
『眠っていると穏やかに見えるなんて、人間だけに許されている事ね。って。』
「………お前は、寝てる時は穏やかに見えるよ。」
002は苦笑を浮かべてそう言った。
『そうかな?』
「安心するよ。人間なんだと思ってさ。」
『……君や彼が人形のように眠るのは、それが必要だからさ。』
まるで自分たちサイボーグを人間だと信じていないように聞こえて、僕はそう言っていた。
僕らは、間違いなく人間なのだと、彼にもきちんと理解しておいてほしいのだ。せっかく、004を説得出来たと言うのに、それを願った人間が、本心ではそれを信じていないなんて、お話にならない。
「必要?」
『そうさ。君だって、最初は壊れた人形みたいに眠っていたよ。ぴくりとも動かないし、体は弛緩し切ってるように見えるし。多分、003だってそんなに変わらなかっただろうと思うよ。』
流石に、女性の寝姿を覗くような失礼なまねはできないから、確証はない。僕は赤ん坊だけれど、やっぱり、そういうのはわきまえる事だと思う。僕の隣で彼女が眠ってしまったならば、それを眺める事は許されると思うけれど、自分の部屋で眠っている姿を覗き見するなんて、恥ずべき行動だ。
「そうなのか?」
今の004は、まさにその状態だ。彼は、最初の起動の時からずっと、眠る時は本当に動きもしない。一度、床で眠っている彼を見て、研究員が大騒ぎした事もあるくらいだ。彼の主席開発者がいれば、そんな騒ぎにはならなかっただろうが、あの時は彼の寝入り方が突然だった事もあって、騒ぎが大きくなったのだ。
『君のその足のジェットエンジンだって、君の意志で作動しているだろう?制御に失敗すれば、君は天井に頭をぶつけなくちゃならないかもしれない。それを防ぐ為にも、君の脳は、緊張状態に置かれていたわけだよ。それに慣れて、適度に気が抜けるようになった今は、わりとごろごろ動いて眠っているけれどね。』
「……そっか…」
『004は、体中に武器が埋め込まれているし、あの体は殆どが機械仕掛けだから、脳に掛かる負担は君の比じゃない。それなのに僕らは旧型だから、起動当初は少し手を加えただけの元のままの脳でそれを制御していた。今ついている補助人工脳も実はあまり性能が良くない。彼にとって、起きて動いている事自体が、とんでもない重労働なのさ。』
「だから、あんなに長い時間、寝てるのか……」
002は、こう見えてバカじゃない。当人に言ったら怒るだろうけど、言われた事の先を推測する事もできるし、人の心の動きには意外に敏感だ。賢そうに見えて、人の心の動きに意外と鈍感な004とは好対照だ。まぁ、004はそれ以外に関しては002の上を行くけれど。
『そういう事だね。…それに、最近の実験が、少しばかり、負担が大きいみたいだ。』
僕も今、新しい実験を行っているのだけれど、彼も似たような実験を受けている。
僕は、テレパシーに依るロボットの遠隔制御。彼は、脳に直接コードを接続した状態でのロボットの制御の実験をしている。
どうやら、僕ら人型のサイボーグ以外にも、様々な形のサイボーグを作ろうという計画があるらしい。僕が操るロボットは、人の形をしてはいるが、その大きさは5、6メートルというところだし、004の制御するロボットは、大形の箱に10本以上の足が付いているような形だ。
004が実験対象に選ばれたのは、彼の体の殆どが機械で出来ている為、コードなどを接続する為の再改造が必要なかったからという理由もあるだろうけれど、一番大きいのは、彼が脳で機械の動きを制御することに慣れているからだろう。
ただ、元からある自分の体と同じ形の機械仕掛けの体を動かすのと、まるで形の違うものを動かすのでは難易度が違うらしく、実験の結果は芳しくなく、彼が疲れたような様子でいるのは知っていた。
「…今日なんて、飯に出て来た以外、ずっと部屋に隠ってる。大丈夫なのか?」
『あまり大丈夫じゃないから、実験も休みにしたって事だと思うけれどね…』
休めばなんとかなると思われているのならば、それは安心材料だ。もちろん、彼等だって、今になって004を失うのは痛い事だろうから、大事に扱っていると言えるのかもしれない。
僕らの命も健康も、すべて彼等が握っているという事。
そう、僕らには、根本的な部分にも、自由はないのだ。
ミルクを貰う赤ん坊その2。
赤ん坊部分を掘り下げようとしていたはずなのに、相変わらず、違う人たち掘り下がってます。イワン、好きなんだけどなぁ。
なんというか、このイワンは、偽者のような気がします……(2002.7.10)