初見



 初めて見た彼は、酷く緩慢な動きで、必死にその指を動かしていた。
 指一本動かすために、あんなに必死になっている人を見たのは初めてだったし、明らかに自分と同じ立場であろう人を見るのも、本当に久しぶりの事だった。
 だから、わざと自分の存在を知らせたくて、脇に置かれていた椅子を蹴倒した。
 彼は、その音に驚いたようにしばらく動きを止め、そして、ゆっくりと体ごと振り向いた。
「………」
 振り返った彼の目は、驚く事にごくごく薄い色で、光を受けて不思議な色で揺らいでいた。
「……あ…」
 相手が何も言わない事にどうしていいのかわからず、戸惑っている自分が情けなくなって、大股で彼の前まで歩み寄ると、上から彼を見下ろした。
「……あんた、誰?」
 問いかけに答えは返らず、彼は視線を自分の手に戻してしまう。
「答えろよ。」
 肩を掴んで自分の方へ顔を向け直させ、俺は彼の目の色が薄いのではなく、目の上にレンズのようなものが付けられているのだと気付いた。そして、それが光を反射するせいで、彼の本当の目の色がわからないのだという事と、その目が青い事にも気付いた。
「俺は」
 何と名乗るべきかと、そこで言葉が止まった。ジェット・リンクと伝えるべきなのか、ここで呼ばれているように、002と名乗るべきなのか。
 自分を番号で分類する人間には怒りすら感じる。それなのに、自分をその番号で名乗るというのか。だが、己の名前を名乗る事にも戸惑いを感じた。この名前は、自分が自分である証のようなものだ。番号を付けられて生きている自分にとって、多分、たった一つ許された自分だけのもの。それを、おいそれと教えていいものだろうか?この、どこの誰とも知らないものに。
「何をしている。002。」
 咎める声が背後から掛けられ、振り返ればそこには、この施設の研究員が立っていた。
「お前はこれから試験を受ける事になっているはずだぞ。」
「わかってるよ。」
 研究員の中にも、こちらに当たりの柔らかな者もいれば、やたらと上段に構えている者もいる。口答えをして腹を立てられ、殴られても痛くもないが、部屋に閉じ込められたりするのは堪える。
 おとなしくそこを立ち去ろうとして、肩を掴んでいた彼に目を向けた時、彼の左目が、不思議な動きをした事に気付いた。それは、カメラが対象物へ焦点を合わせるような、なんとも不思議な動きだった。
 ぎょっとしてそのままそこを離れ、自分が出て来るのを待ち構えていた研究員に問いかける。
「あれは、何?」
 あれは、誰。と問いかけるべきだったのかもしれない。でも、彼は人というよりも、機械のように見えたのだ。だから思わず、そう問いかけていた。
「被験体だ。」
 未だに番号すら振られていないらしい事はそれで知れた。俺が002という番号を付けられたのは、俺に付けられた物が拒否反応を起こす事なく定着したおかげだ。彼はまだ、それには至っていないという事。
「拒絶反応でも出てるのか?」
 酷く緩慢な動きと、言葉すら発しなかった事、そして、あの左目の動き。
「まさか!あれは、珍しい適合体だ。」
 大仰に驚いてみせた研究員は、目を輝かせてそう言った。これが、自分をこんな体にした人間の一人かと思うと、なんとも複雑な気持ちにさせられたが、では、あれは自分と同じように番号を振られるかもしれないのだな、と思った。
「そ……」
 それは、彼にとっていい事なのか悪い事なのか、何とも言えずに俺は口を噤んだ。
 
 
 次に彼を見た時、彼はゆっくりと歩いていた。初めて会った時と同じリハビリ室で、相変わらずぎこちない動きでつたい歩きをしている姿は、人と言うよりも、機械人形のようだった。まるで、人の動きをトレースして動いているようで、足を持ち上げては動きを止めて、ゆっくりと踵から足を下ろす。ほんの数メートル歩く間に、どれだけの時間がかかるのだろうかと、部屋の入り口に立ってそれを眺めていると、後ろから背中を叩かれた。
「こんなところで何をしてる?」
 研究員ではなく、施設の警備員である彼は、俺に何故か当たりが柔らかい。わざわざ暇つぶしにと雑誌など差し入れたりしてくれるが、一体それが何故なのかは、考えた事はなかった。
「あれか?」
 ひょい、とリハビリ室の中を覗いた彼は、顔を歪めた。
「4号型の被験体だな。」
「4号?」
 一目でそれと判断したのはきっと、彼の髪が銀色という、ここには珍しい色をしているせいか、あれ程ぎこちなく動く者が他にはいないからだろう。
「戦闘力重視型とか聞いた。」
 研究員は、こんなに簡単に情報を差し出してくれる事はないが、警備員は情報を出し惜しみする事がない。彼等にとって、被験体だの試作品だのと言われる俺たちは、研究員よりも自分達に近い存在だと言う意識があるようだ。
「………ふぅん…」
 あんなにぎこちない動きで、一体どんな戦闘ができるのだろうか。と思う俺の視線の先で、彼はゆっくりとではあったが、滑らかな動きをするようになっていった。
「彼の内部構造は、他とは違うらしい。この間、研究員が唾飛ばして語ってたよ。彼は、機械仕掛けの全ての制御を、その脳で行うのです。とかって。」
「………普通、そうだろ?」
「だよな?」
 人が動くのは、脳がその動きを指示しているためだ。俺たちサイボーグも、脳だけは元々の体と同じものを使っていると言う。そう考えて、腹が立った。何の不自由もない体を、勝手に改造されて、それで君たちの脳は確実に君たちの元から持っているものだと言われても、笑ってありがとうなんて言えるものでもない。
「何をしている。」
 ふいに後ろからかかった声は、居丈高で人の神経を逆なでするに十分なものだった。そして、俺はこの声の主が好きではない。性能試験だなんだと言って、無茶ばかりさせるのは、この声の指示だ。
「別に。」
 そう答えてその場を離れようとした時、彼がリハビリ室の中へ目をやり、驚きと喜びと心配の入り交じった表情を浮かべるのを見て、俺は呆然と、彼が慌てたように被験体である男の元へ駆け寄るのを見ていた。
「無理をしてはいけない。もっとゆっくり動けるようになればいいんだよ。あまり無理をして、拒否反応が出たらどうするんだい?」
 彼にかける声は驚く程柔らかく、俺に向ける声とはまるで違っていた。それを聞き、歩く練習をしていた彼は、戸惑うように顔をそちらへ向けると、ゆっくりと頷いた。
「それじゃ、部屋へ戻ろう。」
 そう言って彼は電動椅子を彼の元へ運び、彼がそれに座るのを手助けし、満足そうな笑みを浮かべた。それは、子の成長を見る親のものなどではなく、間違いようもなく、自分の作品に対する製作者のものだと思うものだった。だが、彼はそれを見る事なく、自分の手を見遣り、ゆっくりとそれを動かしていた。
「言葉は、わかるんだ…」
「ロボットって言っても、信じるよな。」
 ロボットとサイボーグの違いは、全て機械仕掛けであるかそうでないかということだ。命令で動くか、自分で思考して動くか、というのは、実はそれ程はっきりした違いとして認められるものではない。もちろん、自分で思考し動くロボットは、珍しいものではあるが。
 入り口でそれを眺めているのも馬鹿らしく、俺はその場を離れ、自分に与えられている部屋へ足を向けた。
 
 
 その次に彼を見た時、彼は驚く程滑らかに、あのぎこちなさなど欠片も感じさせない動きで走り、手にした銃で標的を撃ち抜いていた。
「………」
 戦闘型だと言われていたのはその通りだと、その動きを見て思った。一瞬の躊躇いもなく、確実に標的であるロボットを倒していく。どれも全て同じ位置を撃ち抜かれるその正確さには、恐ろしさを感じた。
「何で……」
 呟いた俺の声を聞いたのか、彼は笑って俺を見た。
「彼の目は、照準機と同じ役目を持っているのだよ。それに合わせて彼は腕を動かし、銃を撃つ。あの目と腕は連動しているわけだ。」
 その言葉を聞き、俺は彼の左目の動きを思い出した。あれは、俺を認識していたという事なのだろう。そして、あの左目は完全に作り物だという事。
「どうやら、目の方は問題ないようだな。2期に移行する。」
 その言葉は、俺ではなく、反対側で彼と同じように目を輝かせて自分達の作品を見ていた、他の研究者たちに向けられたものだった。
「2期?」
「彼は、あんなもので終わりはしないという事だよ。002。」
 それでは、彼はあれで完成ではなく、俺が、お仲間である番号を受け取ったサイボーグに会うのは、もっと先になったという事だ。
 次に彼を見る時、彼はどんな姿をしているのだろうと、ぼんやり考えた。
 画面に映る彼は、相変わらず機械人形のように表情を変える事なく、自分の他に動くもののない岩場で、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「……あいつ、意志はあるの?」
「どうしようかと思っているところさ。」
 己の意志を持っているせいで、こうしてあれこれ首を突っ込む自分を、ここの研究員たちが快く思っていない事は知っている。彼等にとって、自分達の研究対象であるものが、まるで対等なもののように口を聞くなんて事は許しがたい事なのかもしれないとも思うが、それでも自分の意志がある限り、思うままに動く事をやめるわけにはいかないと思う。
 だが、彼は、多分、自分の意志を限界まで押さえ込まれているのだろう。だから、何を見ても表情を変えず、声を聞いても反応をしない。いつもどこを見ているかわからない目をして、ぼんやりとしている。
「少なくとも暫くは、君のようにしてやる事はできないね。」
 その声の直後、画面に映る彼が、ふと何かに気付いたように顔を動かした。
「何だ?」
 その動きを訝しむ研究者たちとは違い、俺は、一瞬だけ彼が人らしい表情を浮かべたのを、見逃さなかった。彼は、ほんの僅かに、口元に笑みを浮かべていた。一瞬、彼の周りを吹き抜けた風に反応して。
「お邪魔さん。」
 そう言い置いてそこを離れる。
 この研究所の中には、風が吹かない。試験だ訓練だと外に出たその時だけ、俺たちは風を感じる事を許される。せねばならない事は不愉快だが、空を飛ぶ時に感じる風と、外にいるのだと言うその実感だけは、俺はとても嬉しく思っていた。
 彼も同じように思うのならば、彼は人形ではないと、そう思った。



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