プランツ



 その家は、家と呼んではいけないような広さを持っていた。と言うよりも、彼はそれを家とは呼びたくなかった。少なくとも、彼の意識にある家という物は、門から玄関までを車で何十分もかけて移動するものではなく、もっと慎ましやかな物だったから。
「場違いきわまりない。ってやつだよな…」
 突然、いるはずがないと思っていた身内というものの使いがやってきて、祖父が死んで遺産が残されました、と告げられた。明日の飯の種すら持たなかった彼は、即答で遺産相続の書類にサインをした。
 そして今日、その遺産だという家に、初めて足を運んだという彼は、持ってる服の中では一番まともなものを着ていたが、玄関で待ち構えている人物の方が、余程自分よりも良い服を着ていると思った。
「ようこそおいで下さいました、ジェット様。私執事のグレート・ブリテンと申します。」
「よろしく。」
 歳のせいではないだろうが、見事な禿頭のその人物は、車から降りて来たジェットを見ても、顔色一つ変えずに穏やかに対応をしてみせた。多分彼にしても、これからのこの家の主人になろうという人間が、革のジャケットを羽織って現われるとは思わなかった事だろうに、これがプロというものかと、ジェットは執事に感心した。
「まずは、邸内を御案内する事から初めてよろしいでしょうか?」
「ああ。適当によろしく。」
 こういう邸宅に住んでいる人間のするべき事と言うのもさっぱりわからないし、これだけ広い家ならば、中を案内してもらっておかなければ、迷子になりそうな気にもなる。
「しかし、でかい家を建てたもんだな。」
 孫が狭苦しい小さなアパートの一室で暮らしていたとは、驚く程だ。多分、ここにあるどの部屋も、自分の家よりも広いだろうとジェットは思い玄関ホールでぐるりと辺りを見回した。
「これが、大旦那様のお楽しみでして。」
 執事はそう言って笑い、ジェットは彼の後に続いて階段へ足を向けた。
「その大旦那様ってのが、俺のじいさんてことなんだよな?」
「はい。大旦那様は、ジェット様にお会いになる事をそれは楽しみにしておられたのですが、このような事になりまして、残念でございます。」
 執事はそう言って小さく息をつき、ジェットは気の無い様子でそれに頷くのみだった。
「ところで、俺の親父って人はいねぇの?」
「5年前に、お亡くなりに。」
 よくよく、自分は身内に縁がない人間なのだなと、ジェットは思った。ジェットの母も、8年に死んでしまっている。彼女はジェットの父親の事など一言も言わず、ジェットは家の前に捨てられていたのだと言っていた程の人物だった。ジェットは、それが本当なのか嘘なのかも知らない。彼女の髪の色も目の色も、自分と同じ色ではあったけれど、そのどちらもさほど珍しいものでもないのだ。自分は母の産んだ子供だと、周りの誰もが言ったからこそ信じているが、本当のところはわかっていない。もちろん、たとえ拾い子だとしても、自分が彼女の息子である事は間違いの無い事だけれど。
「そう。」
 だからこそ、祖父の遺産が自分へ転がってきたのだと、それを聞いてやっと、ジェットは理解した。



 あらかた家の中を案内された後、書斎だと言う部屋へ通されて、ジェットはこの家で働く人々の事や、自分に残された遺産の事などを詳しく説明された。
「プランツドール?」
 最後になって出てきたその説明に、ジェットは首を傾げた。
「御存じですか?」
「噂だけな。」
 生きた人形とも呼ばれるそれは、少女の形をした綺麗な人形だ。ミルクと人の愛情で生きるという話で、その維持費がなかなか馬鹿にならないものらしく、『貴族の嗜み』などと言われている。だが、ジェットに言わせれば、『金持ちの道楽』というもので、名人の作った物となれば、持ち主すら選ぶという話には、呆れ返ったものだった。
 その人形を、祖父が持っていたと言うのは驚きだった。
「選ばれたのか?じいさんは。」
 問いかけると、執事は少し表情を曇らせて、首を横に振った。
「じゃ、どうして。」
 話に依れば、プランツドールは、自分が選んだ持ち主からしか餌であるミルクも受け取らず、更に、その対象からの愛情がなければ状態が荒れるという話だ。選ばれてもいない人間が持ち帰ってどうこうできる品ではないはずなのだ。
「………そちらから、外をご覧頂けますか?」
 大きくとられた窓を手で示されて、ジェットは頷いて椅子から立ち上がると、そこへ近付いた。
「……あんなとこ、あったっけ?」
 書斎の下に当たる位置に、テラスが作られていた。そこには、テーブルセットが置かれていて、小さな少女がそこに座っているのが見えた。
「あれが、プランツドールです。」
 隣へやってきた執事がそう言い、ジェットは執事へ目をやった。
「そして、あれが、人形の世話係。」
 言われて視線を元に戻すと、ジェットよりも幾らか年上と思われる人物が、盆を持って姿を見せた。
「あの部屋は、大旦那様以外は入る事を許されておりませんでしたから、ご案内できなかったのです。後程お一人でおいで下さい。」
 説明を聞きながら眺めている階下のテラスでは世話係の運んできたカップを人形が受け取り、それを口に運んでいた。
「……あれが、本当の持ち主。ってこと?」
 金色の髪の人形を世話しているのは、銀色の髪の人間だった。遠目で見る限り、なかなか育ちの良い人間のように見える。
「大旦那様も、何度も店に足を運んでいらしたのですが、なかなか目を開ける人形がなく。そこへ彼が現われたんです。ウィンドウから店の中を覗いていましてね。珍しいものですから、前を通れば見るものです。そうしましたら、その人形が目を開けまして。」
「その人間ごと買ってきた。ってわけ。」
「まぁ、そういう事です。」
 人形の世話をして金が貰えるのなら、いい仕事だ。とジェットは思い、窓辺から机へ戻った。
「じいさんは、なんで、そんなに人形が欲しかったんだ?」
 書類を眺めて、ジェットはその人形の代価を見て目を剥いた。
「これほどの屋敷を持つようになりますと、お客さまもおいでになりますし、同じ程度の方のお宅へも参ります。そこで、何か他にはないものをとお考えになったわけです。」
「持ち主選ぶ人形があれば、目玉になるな。」
 金持ちの見栄で、ジェットの何年分かの収入と同じだけの額が払えるものかと、半ば呆れてため息をつきジェットはため息まじりにそれを脇に追いやった。
「それで、その目玉を見せるおもてなしってのは、まだやってんの?」
「これまでは、大旦那様もご不在でしたから控えておりましたが、ジェット様のお披露目もかねて近々行おうかと思います。よろしいですか?」
 気が向かなかったが、この家のこれからを考えればそうした方がいいのだろうかと、ジェットはとりあえず頷いた。
「……で、俺は普段何してればいいの?」
「その辺りは、追々決まって来る事でしょう。とりあえず、プランツにお会いになっては如何ですか?」
 執事はそう言って書類を片付け、ジェットは頷いて椅子を立ち上がった。
「階段を2階に降りまして、廊下の一番奥の部屋になります。」
「ありがと。」
 そう返して、ジェットは部屋を出た。絨毯の敷かれた長い廊下をてくてく歩き、階段を降りてまた、長い廊下を歩く。そうして辿り着いたその部屋のドアを開けると、燦々と太陽の光の降り注ぐ部屋の中で、真っ白のドレスを着た人形が、大切に髪を櫛で梳かれていた。
 ドアの音に気付いて、人形と世話係がジェットに目を向け、不思議そうな表情を浮かべた。
「今日から、ここに来た、ジェット・リンクって言うんだけど。」
「ああ。これは、わざわざおいで頂きまして。」
 ジェットの言葉を聞いて、世話係は合点がいったとばかりに頷き、だが、にこりともせずにそう言って軽く頭を下げた。
「今、お邪魔しても大丈夫かな?」
「どうぞ。」
 人形の髪を梳いていたブラシを置いてそう言うと、彼は部屋の中のソファセットを手で示した。
「それが、プランツドールなんだよな?」
「はい。綺羅と呼んでやって下さい。」
 彼の口から自分の名前が出ると、人形は嬉しそうに笑って、ソファへ足を向ける彼の手を握ってそちらへ歩いてくる。その姿は、人形と言うよりも、人間の子供としか思えず、彼等は世話係と人形と言うよりは、親子のようだとジェットは思った。
「綺羅。変わった名前だけど。」
「大旦那様の名付けです。」
「……ふぅん…」
 彼がソファに座ると、人形はその隣に腰を下ろして不思議そうにジェットを眺めた。
「で、あんたの名前は?」
「失礼致しました。アルベルト・ハインリヒと申します。」
 人形の世話係は、やはりにこりとも笑わずにそう答え、ジェットは、よほどこの人物の方が、笑わない人形のようだと思った。取り立てて綺麗な顔をしているわけでもないけれど、ありふれた顔とも言い難い作りをしている。銀の髪も、ごく薄い色の目も。金髪碧眼のはっきりした色合いを持つ人形の横にいると、更に作り物くさく見えるのが不思議だった。
「よろしくな。」
 ジェットがそう言って笑うと、彼は驚いたように表情を変え、それから微かに笑みを浮かべた。
「こちらこそ、よろしくお願い致します。」
 それまでの人形じみた表情とは打って変わったその様子に、ジェットは驚き、呆然とそれを眺めた。噂に聞く、プランツドールにはまる人間と言うのは、能面が笑った時に、最も衝撃を受けるそうだ。それはきっと今の自分と同じ状態に違いないと、ジェットは思った。
「………参りました……」
「はい?」
 不思議そうに首を傾げる世話係の前で、ジェットは頭を抱えてうなり声をもらした。自分は、男を眺めて楽しむ趣味なんて、持ち合わせていなかったはずだった。泣かせた女は数知れず、男の恨みも背負ってきたが、よもや、こんな事になるなんてと、泣きたくなった。
「大丈夫か?」
 うーうーと唸るジェットを心配したのか、彼はそれまでの口調とは、明らかに違う問い掛けを発した。ジェットはそんな事にすら喜ぶ自分が、洒落にならない状況に陥ったのだと、認めずにはいられなかった。
 ジェット・リンク十八歳。生まれて始めて、男に恋心を抱きました。しかも、自分よりもずっと年上であろう、無愛想な人間に。
「旦那様?」
「俺の事は、ジェット。って呼んで。」
 なんとか顔を上げてそう言ったジェットは、彼の隣で不思議そうにしている人形を見て、小さく息をついた。

 人形の部屋を出た後、他の使用人達とも顔合わせをし、夜になってジェットはやっと一人になることができた。
「にしても、馬鹿でかいベッドだよなぁ……」
 旦那様が使っていた部屋だ。とかいう話で、ジェットの暮らしていた部屋の2倍は軽いだろう広さを持った部屋には、ジェットが3人は眠れそうな馬鹿でかい天蓋付きのベッドが置かれていて、部屋の一角にはカウンターバーらしき物もセットされていた。
「馬鹿にしてるって言うか…」
 見た事もない旦那様が、この部屋でどうやって過ごしていたかは知らないが、そこらの特に美人でも何でもない女を孕ませて逃げたと考えれば、その辺の想像はあまり考えたくない方向へ進んでいく。
「………はぁ…」
 ため息を一つついて、座っていたベッドから立ち上がって窓へ寄る。
 昼間の自分の陥った状況は、新たな場所へ来た緊張と不安から来る気の迷いではないかと思ったが、ぼんやりしていれば、足は窓辺に寄り、窓の下に見えるはずの彼を探していることに、ジェットは打ちのめされていた。
「参った……」
 別に、手を握りたいとか抱き締めたいとか、そういう事は思わないけれど、もう一度笑ってくれないかなぁとは思う。人形と一緒にこんなところに連れてこられた彼にしてみれば、その遺産を引き継いだ自分だって、あまり有難くない人間だと思っているのではないかと、そんな事を思う。だから、笑いもしなかったのではないだろうか。
「助けて、母さん。」
 泣きたい気持ちで、豪快だった母を思い出す。多分彼女がここにいたら、指をさして大笑いしてくれたに違いないと思う。いっそ、大ばか者だと笑われたいような気分だった。
「……寝よう……」
 広い部屋も落ち着かないし、自分の現状も落ち着かないのだけれど、これはもう、寝るしかない。これが本当に気の迷いならば、その内消えてなくなるだろうと、諦める他に手はなかった。



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