カツン、と音を立てて床に転がった物を目で追って、それに手を伸ばした。
「………」
ずっと前に用意された指輪だ。結局、誰の指にもはめられないまま、それは役目を果たす事なく意味のない物に成り果てたのに、何故だが今でも、ここにある。
「……アルベルト?」
名前を呼ばれてそちらを振り返れば、腕を引かれてそこへ倒れ込んだ。
「それ何?」
手に持っている物に気付いたらしい彼は、腕を持ち上げてそれを確かめる。
「これ、そんなに大事な物?」
「………どうかな…」
多分彼が考えているような、特別な意味はこれにはないのだけれど、自分の過去が関わっているとなれば、まるで必要のない物とも言い切れない。言ってしまえば、その程度の物なのだけれど。
「恋人にあげたやつ?」
「違うよ。これは彼女が買った物。」
それを考えたのは彼女だった。
もし、二人が夫婦でなくては共にいられないと言うのならば、せめてこんな物でも着けていれば、少しは説得力を持つかもしれないと。そして、その証明に役立たない身分証などは、持たなかった。
「思い出の品?」
「……………そうかもな。」
そんな物を用意したって、自分達は夫婦になる気なんてなかったのだ。なりたかったら、とうの昔にそうしている。結婚しないのかと、せっつかれていたような状況だったのだから。
だからこれは、自分達が憶病者だった証だ。
「………なんか、あんまり良い物じゃないみたいだ。」
彼は、時々とても聡いから、平静を装っている俺を、あっさり見切ってしまう。本当に、有り難くない。
「それ見て時々考え事してるからさ、ちょっと、嫉妬してたんだけど。」
言われて吹き出してしまえば、彼は膨れて不機嫌そうな顔でのしかかってくる。
「辛そうな顔してたじゃねぇか。だから、彼女の事思い出してるのかと思ったんだ。」
「思い出してたのは確かだが、嫉妬するような内容じゃないと思うぞ。」
嫉妬するなら彼女の方だ。
彼は時々聡いけど、普段はとても鈍いから、きっと考え付きもしないのだろうけれど。
「じゃぁ、何考えてるんだよ。」
ごまかしは許さないぞ。と言いた気に、彼は膨れっ面のままで問いかける。
「生きてる俺は、幸せだな。って事。」
腕を伸ばして彼の頭を抱き込んでそう答えると、彼は不服そうにもがいた。だけれど、彼には残念な事に、彼の力では俺の腕を振り払う事ができない。こういう時、自分は得だな。と思う。
「嫌味?」
仕方なく諦めたように動きを止めた彼は、更に不機嫌そうに問い返して来た。
「本気だ。」
生きてる限り、変化は訪れる。
俺たちがあの場所から逃げ出したのは、何の為だったか。
人類の為に悪の組織と戦う為?
馬鹿を言うものじゃない。俺たちが逃げ出したのは、自由になる為だ。
兵器にされたのが不服で、兵器として生きなくてもいい為に、逃げ出したのだ。
俺たちはまだ、その手先から完全に逃げ切ったとは言えないし、それ以外の者に出会う事もあるけれど、それは兵器として戦っているのとは違う。これは、あの場所にいた俺たちにとって、大きな変化だ。
「………」
「死んだ彼女には、もう何も起きない。ずっと自分が嫌いで、ずっと誰かに怯えていて、ずっとそれから逃げ続けている。そんな事すら彼女にはもうないんだ。死んでしまったから。」
だから、あれを見て感じるのは罪悪感だ。
生きている俺は、自分より嫌いな者ができて、自分が少し許せるようになった。誰かの傍にいて、それを自分に向けておこうと思う事も時々あるし、離れていかれて悲しいと思う事もある。
そういう変化は、俺が生きているから起きる事で、最近俺は、それを嬉しいと思うようになった。
だから、死んでしまった彼女に罪悪感を感じる。そんな事を言ったら、彼はそんな必要なんてないと、いつもの調子で言い切ってくれるのだろうけれど。
「……彼女が好きだったんだろう?」
「ああ。」
肯定して彼を抱き込んでいた腕を緩めれば、彼は顔をあげて俺の顔を覗き込んできた。
「………幸せそうな顔……」
不服そうな顔をして彼は呟き、ため息をついた。
「あんたは俺には難しいよ。」
そう言って、彼は俺の前髪を掻きあげて、眉間に唇を押し付けて来た。
「もっかい、してもいい?」
問い掛けてはいるけれど、それは宣言と同じ事で、俺は苦笑して彼の眉間を指で押してやる。
「お前だって、俺には難しいよ。」
どこまで気付いていて、どこまで気付いていないのか、少しも読めない。
もう少し、お互いきちんと話をするべきかもしれないけれど、今はまだそこまでは思い切れない。その程度には、俺はまだ自分が嫌いだから。
「じゃ、お互い様だね。」
彼は笑ってそう言った。
嘗て、君は僕の一番大切な人だった。
生きている僕はもう、君の好きな僕ではないかもしれないけれど、
僕は、今の僕が、意外に好きなんだと思う。
それは、今僕が一番大切だと思う彼が、君の好きな僕を変えてしまったからだと知ったら、
君は、僕と彼に、嫉妬してくれるだろうか。
現在の私にできる、精一杯のアダルトチックなお話。まだ、ハインリヒは喘がせられません…
そして、実は私、アルヒル好きじゃないんです…という、叫び。
いやさ、嫌いってわけじゃないんだけど、私、24の人だから、ヒルダより、ジェットの方が、ハインリヒには重要な人であってほしいんですよ。
ハインリヒが呟いてる内容は、当サイトのどの話にも、根底に流れている部分。救済の家でも、夢幻でも、ハインリヒの現在に、ヒルダの存在は最上ではないってこと。ハインリヒには仲間の方が大切で、その中でもジェットは更に特別。でもそれはもう、『仲間の一人だから』って事じゃぁない。きっかけは、そうであったとしても。(2002.11.9)