夢の跡



 目を開けて、自分が驚く程長い時間眠っていた事に気付き、彼は小さくため息をついて頭を振った。
 昨夜、仕事を終えて帰宅したのが夜の10時だった。疲れが酷く、そのままベッドに倒れ混むようにして眠りにつき、今が朝の10時だ。それなのに、12時間も眠っていたにしては、頭がはっきりしない。眠り過ぎだというのとも違う。体を動かそうとするのが酷く億劫だった。
 今日が休みでよかったと、彼はぼんやり思いつつもう一度目を閉じた。自分にとって、眠りたいという欲求は堪えるべきものではないのだと、彼はよく聞かされていた。







「もう、それほど多くの驚異は残っていないだろう。君が望むならば、その腕を作り替える事ができるが、どうだね?」
 ブラックゴーストを倒し、様々な敵と戦い、それがふと途切れた頃だった。ギルモアは、ドイツに帰ろうとするハインリヒに、そう問い掛けた。
 彼は、見るからに只人ではない形をしているその腕を、随分気にしていてくれたのだろう。以前、ピュンマの体を銀の鱗状にした頃の彼とはまるで違う言葉だった。あの時、フランソワーズに諌められたのが、彼にとっても随分堪えた事だったのかもしれない。
「せめて、胸部の核爆弾だけでも取り除かんかね?」
 腕を作り替えるという事は、自分の武器が一つ減るという心もとない部分と、仲間たちにとっても、戦力が幾らか減少するという、マイナス面が存在する事は間違いがない。
 確かに、外界からの侵略も、潜伏しているであろうブラックゴーストの生き残り達の攻撃も、何故だかぱたりとやんでいる。だが、これで終わったと決まったわけではない。むしろ、こういう時こそ、辺りに気を配っていなければならないはずだと、ハインリヒは思っていた。
 だが、胸部の爆弾を外す事は、問題ないだろうと考える。自爆装置と言われているが、周りを巻き込まずにはいられないのが一番のネックであるそれは、うっかり起動するものではないが、自分がこの体の制御を失った時に、どう動くのかがわからないものだった。普通に社会生活を送っている中で、例えば自己などに巻き込まれてそれが爆発するような事があれば、周りに与える被害は甚大なものになりかねない。
「どうだね?」
「では、核爆弾だけは、取り外して下さい。腕は、このままで。………新しい腕に慣れるのに、時間が掛かるのは面倒ですから。」
 表情を歪めたギルモアを見て、それらしい理由を付け足せば、彼は暫く何ごとか考え、ゆっくりと頷いた。
「明日にでも、手術を行おう。それでいいかね?」
「はい。」
 頷いて、ギルモアにすら本心を語らない自分を、ハインリヒは少し後ろめたく思った。
 ただ、この腕を無くしたくないだけの事なのだ。







 手術後、取り立てて何かが変わったとは思わない状況ではあったが、ドイツへ帰る準備をしている最中、頼まれてイワンの元にミルクを持って訪れると、彼は少し驚いたようにそれを指摘した。
『腕も、取り替えるのかと思っていたよ。』
「腕は、これがいいんだ。……心許ない気分になってな。」
 ギルモアには言わない事を、イワンに漏らすのは、言わなくても通じてしまうからなのか、彼とギルモアに違いを感じているからなのかと思いつつ、彼を抱き上げてほ乳瓶を差し出す。
『それがなくなった事で、君の脳に掛かる負担は幾らか減ってはいるけれど、気をつけてよ。君は起きてるだけで命を削ってるようなものなんだからね。』
 以前に、戦闘中、誰が一番その脳に負荷を掛けているか、という話をした事があった。その時出た答えは、フランソワーズであろう。というものだった。彼女は、体の改造は少ない。だが、その能力を使う為に、脳に手が加えられ、更に、それが大きな負荷を掛けているのだと言う。彼女がその時々でしか能力を使わないのは、その負荷に堪えきれずに倒れる事がないように。という配慮もあるのだと聞かされた。
 だが、平時において一番負荷を掛けているのは、ハインリヒだろうとも言われたのだ。体の殆どが機械仕掛けである為に、それを制御する為に一日中、脳は緊張状態でいるのだと言われた。自分ではまるで意識していなかった事を指摘され、ハインリヒは戸惑ったのを覚えていた。
「命を削るって言われてもな…」
 代わりの効く部品だらけのサイボーグになっている事を思うと、どうにも、その言葉には実感が湧かなかった。
『僕らは確かに、腕を取り替えたり、足を取り替えたりすれば、幾らでも元のように動けるようになる。でも、僕らの生身の部分は、その限りじゃない。』
「……脳は、老化してるって事か。」
『そういう事。大体、僕らは冷凍睡眠なんてものを受けているからね。そこでどんな変化が起きてるかは更にわからない。だから、体の出すどんな信号も見逃しちゃいけないんだよ。君がよく眠るのだって、脳がそれを必要だと訴えているのだと思っていい。』
 生身の部分は、ほぼそれ一つである自分にとって、お前の命を削ると言われる事は違和感を感じても、脳が老化を起こして動けなくなるかもしれない。と言われれば、なんとなく納得できる気分になった。
「気をつけるよ。」
『君がいないと、荒れるのがいるから、充分、自分の事は大事にしてよね。それが、仲間のためにもなるんだからさ。』
 イワンの言葉に、心当たりの一人を思い浮かべて、ハインリヒは小さく頷いた。







「………4時…?」
 夕方なのか、明け方なのか、時計の示す時間だけでは判断がつかず、窓の外の様子を眺めて彼はやっと体を起こした。
 最近、体か疲れやすい事は、彼も気付いていた。だが、彼の場合、普通の人間が疲れやすいとか、疲れがたまっているとか言うのとは少し違う。
 彼の体の部品は滅多な事で壊れもしない。彼の仕事道具であるトラックに当てられたところで、傷一つできないだろう。だが、その頑丈な体を動かすべく指示を出す脳は人のものと殆ど変わらない。正確に言うのならば違うのだろうが、彼の脳は80年の時間を生きている事になる。そんな老化した脳で制御するには、この体の仕組みは色々と面倒な作りをしている。だから、疲れていると感じるのだ。
 正しくは、疲れているのは『脳』だということになるのだそうだ。以前、それがお前のものだから、お前はまだ人であると言われた、たった一つ、本物の自分の生身の部分。
「…時間が、ねぇか……」
 ある程度の覚悟はしていた。自分がそれ程長くは生きていられないだろうという事も、いずれそういう時が来るのだという事も。以前の知り合いが、パラパラとこの世を去っていくのを見れば、覚悟もできようというものだ。その彼等の元を訪れて、『彼の孫か』と問われるのは、また複雑なものだったが。
 彼は小さくため息をつくと、ベッド脇の電話に手を伸ばした。







「ハインリヒ?なんだ、久しぶりじゃないか。」
 団らんの途中でかかってきた電話に、皆が注目していたところで、それを受けた彼の口から出た名前に、彼等は首を傾げつつその様子を見守った。
「こっちに?ちょっと待てよ。今、替わる。」
 彼は電話の向こうの彼にそう言うと、受話器をそこへ下ろし、ソファに座っていたギルモア博士に声をかけた。
「ハインリヒが、メンテついでに、暫くこっちに厄介になれないか、って言ってるんですが、博士のご都合は?」
 どこかへ働きに出ているわけでもないギルモアだが、色々と顔が広い為に、その知り合い達から声を掛けられて出かける事がままある。長く日本を離れているハインリヒは、日本へ来る時は必ず先に都合を確かめる電話をかけてくるのが常だった。アメリカにいるジェットなどは、突然やって来て待ちぼうけを喰らっている事も有るのだが、その辺りが性格の違いと言うものなのだろう。
「メンテナンスには早いような気がするがのぅ。」
 ギルモアはそう呟き、ソファを立ち上がり、グレートと入れ代わりに受話器を手に取った。
「そう言えば、確かに早いよね。2カ月前に来たばかりだ。」
 ジョーがカレンダーに目をやりながらそう言い、フランソワーズもそれに頷いた。
 ハインリヒは、年に2回、休暇の時期に日本を訪れてメンテナンスを受けるようにしていた。今年も、8月にここを訪れたばかりで、その時は特に不調も訴えていないはずだったのだ。
「暫くこっちに、って事は、サイボーグだって事で何かあったんじゃないか?」
 グレートのその言葉に、フランソワーズとジョーは表情を曇らせ、それもあるかとその意見を受け入れた。
 彼等がバラバラになる時、ギルモアはハインリヒの体から、武器としての機能を減らし、人の形に近付ける事を提案した。だが、ハインリヒは、胸部に埋め込まれた小型核爆弾を取り外す以外の改造は受け入れなかったのだ。そのため、彼の右手は未だに鋼色のマシンガンのままで、彼は常に手袋をして生活をしていると聞いている。
「……やっぱり、難しいのかな…」
 サイボーグなんてものは、未だにSF小説か、漫画の中に出てくるだけの存在だ。義手、義足はあるが、彼の右手のような形をしたものはまず見ない。
「これまでうまくいってたんだから、そうとも限らないとは思うけれど……」







 彼が自分の体の不調に気付いたのは、日本を離れてから、十年程経った頃だった。
 ドイツでの新しい暮らしにも慣れ、仕事仲間との信頼関係も出来あがり、収入はそれ程多いわけではなかったが、一人で暮らすには充分なだけのもので、不満もなく日々穏やかに暮らしていた。
 そんな中で、その転機がやって来たことを、彼は、来るべき時が来たのだと心を決め、仕事をやめ、家を引払って、日本へ移ってきた。
 その頃、ギルモア博士は海辺の小さな家から少し離れた場所へ、大きめの家を建てた頃で、ジョーやフランソワーズはもちろんの事、グレートまでもがそこで暮らしていた。そこへ一人居候が増えたところで誰も気にせず、むしろ、離れていた彼が戻って来た事を喜んで迎え入れた。
 彼は、最近、体の調子があまりよくないと彼等に告げたが、それがどの程度のものかをはっきりと口にはせず、ドイツの家を引払って来た事も、黙っていた。余計な心配をかけたくないと思っていたのだ。
 彼が日本へ来ていると言う話を聞いて、アメリカから飛んで来た人物も加わり、ギルモア邸は、賑やかな日々を迎える事になったのだった。







 ギルモア邸では、夕食後、揃ってお茶を飲みながら、テレビを見て雑談を交わすのが日課だった。
「最近さ、同性愛の話って多くないか?」
「ドラマとか、よく使ってるよね。」
「不思議よね。このドラマなんて、女の子が見るんでしょう?」
 しみじみと交わす彼等の言葉を聞きながら、ハインリヒも同意するように頷いた。
 ハインリヒの周りでは、同性愛などというものは、悪事の権化のように言われていたものだし、少なくとも、女性の為に作られたような話の中に、男同士の同性愛がどうの、というのはなかったと思う。
 別に、ハインリヒは個人の性癖についてどうこう言うつもりはないし、好きなら男でも女でもいいんじゃないか。と、最近では思うようにもなった。でも、それを取り上げてあれこれ物語にするのはどうにもピンと来ない。
「アメリカは、こういうのあるの?」
「ゲイだって言い切ってる奴らは知ってるけど、こういうのはないと思う。偏見とか差別は根強くあるし。」
 ジェットがジョーの質問に答え、そのままハインリヒへ質問を流す。
「ドイツは?」
「……ガキの頃、下の住人を見掛けないって話したら、『彼はホモだって、ゲシュタポに連れてかれた。』って言われた事はある。」
 何気なく返ったその答えが、あまりに遠くの話のように感じて、同席者たちは瞬きと沈黙を持ってそれを迎え、ハインリヒはその反応に、苦笑を浮かべた。
「60年前の話じゃ古いな。」
 こう見えて、この家で最年長である彼のその言葉に、彼等はしみじみと、彼の生きて来た時代というものを感じてしまった。彼等にとって、戦争は遠い日の話だ。学校の授業で習っても、そこに実感は存在しない。でも、ハインリヒにとっては、戦争は現実なのだということ。
「その頃って、同性愛者だってだけで捕まるのか?」
「濡れ衣着せるのに一番よく使うネタだと聞かされた。実際、下の住人は、まさかそんな嫌疑が掛かるとは思わないような女好きだったって皆言ったからな。」
「………そんな噂をばらまかれては、帰るに帰れんというところか。」
 帰るに帰れないのじゃなく、帰らせない為に作った話だ。彼は二度と家には帰ってこなかったし、その家には、暫く経ってから、別の家族が引っ越してきた。彼がナチスに反対するような発言を繰り返していたのは皆知っていたから、誰かが密告したのだとか、なまじ金を持っていたのがいけなかったのだとか、大人達が話すのを、幼い彼は黙って聞いていたものだ。
「戦争中だからな。」
 体制に逆らうものは、容赦なく切り捨てられる。彼が育って来たのは、そういう世界の中だった。




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