不公平な世界



 世界は、不公平に出来ている。
 
 今更そんな事に気付いたわけではないけれど、最近は、しみじみとそう思う。
 生まれ育った村を離れて、海路で次第に変わっていく陸の風景を見ていた時も、そう思った。船を降りた港町でもそう思った。溢れんばかりの木々の緑と、色とりどりの花々。そこは、出てきた村とは、まるで世界が違っていた。
 不公平な世界だと、初めて立ったその土地でそう思った。この土地を知らずにいたら、こんな不公平には気付かなかったと、そう思った。
 世界の不公平と言えば、身分がある事だけだと思っていた。王にも領主にもなれない家に産まれた人々は、皆平等なのだと思っていた。少なくとも、産まれた村の人々は、皆同じ程度の生活をしていて、そこには不公平感なんてなかった。だから、世界中で誰もが同じように暮らしていると思っていたのだ。
 それなのに。世界は、不公平に作られていると、知らされてしまった。
「………なんで、かな……」
 聞いた事しかなかった物。聞いた事もなかった物。見た事もなかった物。そんな物が溢れ返っていた。薄い色素の人々の中で、自分だけが浮いているような気がした。事実、浮いていたと思う。頭からフードを被って、俯いて歩くのが癖になった。そうしていれば、少しは紛れ込めるのかと思っていた。
 不公平だとは思ったけれど、それが自分に有利に働く事ももちろんあった。身に着けていた物が、思いのほか高い値で買い取られた時が、その殆どだった。手慰みに彫った木の人形が、珍しいと言われて、金になった時、自分は遠いところへ来たのだと思った。それは、村の子どもでも彫れる物で、年に一度のお祭りの日に、神様へ御供えする物だった。綺麗に彫る事ができれば、願いごとが聞き届けられるのだと言われていて、子どもから大人まで、皆が小さなそれを一つずつ彫ったものだ。村が懐かしくて彫りためたそれが、今何処でどうなっているのか、知る由もないが、そのおかげで、ここまで来られたのは確かな事だった。
「……………なんで……」
 世界を作った神様は、俺たちを残しておく気はなかったのだろうか。だから、あんなに貧しい土地に、俺たちは追いやられたのだろうか。
 
 世界は、不公平に出来ている。
 
 
 
 
 
「またおいで下さい。」
 客の後ろ姿に声をかけて、イルカは小さくため息をついた。手元に残された硬貨は、イルカが産まれた村では、滅多に取り引きされる事のないような物だった。たった一つの物が売れるだけで、これだけの金額が動く店。イルカが触れた事もないような、柔らかな布で出来た服を着た人々が、静かにやってくる店。一番近い町からでも随分と離れているのに、客は必ず毎日やってくる。イルカがあの村で一生働いたとしても、この家が稼ぎ出す一月分の金を得る事が出来るだろうかと、そう思う程に大金が動く。でも、それを動かす人々は、それを大金だとは思っていないのだろう。もともとの価値が違うのだと、最近やっとそれに慣れてきたが、この店に立つようになってすぐの頃は、緊張の毎日だった。
 ため息を一つついて、手元の硬貨を箱の中へ移動させる。
「…1000リーグも、結構ですって言えるんだもんなぁ……」
 銀貨を一枚、箱の中から取り出して、別の箱へ移し変える。釣りはいらないと言ってくれた客から受け取った余剰分は、別の箱へ納めるように言われている。イルカがここへ来てから、もうすぐ一月になるが、余剰分だけで1万程になる。イルカが一生持つ事がないだろうと思っていた金貨が沢山入った箱を見ても、もうそれがお金なのだとは思えなかった。近くの村から来たらしい泥で汚れた靴を履いた農夫すら、高額銀貨を持ってやってくる。イルカの村で取り引きされるのは、低額銀貨が殆どだった。ここは、違う世界なのだと、イルカはしみじみ思った。
「どうしたの?元気ないね。」
 ひょい、と姿を現わした人が、明るくそう問いかけてきて、イルカは首を振った。
「今、太っ腹な人がいて。」
「ああ……そう言えば最近は、金貨にも慣れてきたね。」
「………俺のじゃないから、まぁ。」
 そう。イルカに対して支払われたのならば、驚いてとても落ち着いてはいられなかったと思うが、落ち着いてよく考えれば、受け取った金はイルカの物ではなく、この店の持ち主の物なのだ。そう思い至った時、やっとイルカはそれを金だと思って慌てる事がなくなったのだ。
「お買い物に持たせた時、凄かったもんね。」
「………だって、初めてだったんですよ……」
 一枚だって持たないかもしれないと思っていたそれを、何十枚と持たされたら、驚くに決まっている。確かに、買いに行かされたものは、銀貨で支払ったとしたら、どれほどの枚数を持たされなくてはならないか、考えたらうんざりするような額だったのだ。物凄く複雑な気持ちで、その袋を持って使いに出たが、気が気でなかった。
「イルカの産まれたところは、お金はあんまり必要なかった?」
「……田舎だったから。」
 困ったら、隣の誰かがそれ自体を分けてくれるような世界だったから、本当に金銭が必要であったかどうかというのは、とても微妙だった。
「そっか……」
 この国の村ならば、たとえ田舎でも、そんな事はないのだろうと、イルカは知っている。でも、イルカの産まれた国は、ずっとずっと貧しかったから、その中の村なんて、もっともっと貧しかった。
 イルカの産まれた国を、垓紫(がいし)と言う。国土の真ん中を高い山が区切り、南と北とで微妙に違いがあると言われているのは、昔は二つの国だったからだと言う。国王の暮らす王都があるのは北の区域で、南は北よりも貧しかった。イルカの産まれたのは、その南の東の果ての小さな村だった。領主の住む街は比較的近かった為、イルカは領主の顔と名前は知っているが、国王の名前も顔も知らないで生きてきた。イルカの生まれた村は、そんな程度の小さな村だったのだ。イルカは、村人の名前を顔を知っていて、時折近くの街道を通る領主の馬車の見分けがつけられればそれでいい生活を送っていた。一生、そんな生活を送ると思っていた。そこを出る事になるまでは。
「そういう所だってあるよね…」
 この店がある国を、凱華(がいか)と言う。垓紫国の南の地区と領土を隣り合わせている国だが、垓紫と比べては失礼だと思わずにいられない程、国土は豊かで文化も発展していると、イルカは思う。
 着ている服の一つをとっても、家に置かれたものの一つにしても、何もかもが、違っていた。搾取される民が、世界中何処でも同じ生活をしているのだと思っていたイルカは、それに驚き、羨ましく思うより先に、恨めしく思った。薬一つ買えず、死んでいく人間なんて、きっとこの国にはいないのだろうとそう思ったら、この国に産まれた人々が恨めしくなった。世界は、不公平に作られているんだと、そう思った。
「これ、薬の補充ね。そろそろ、帰ってくるかと思ったんだけど、様子ないねぇ。」
 紙の包みを台の上へ置かれ、イルカは頷いてそれを棚へ仕舞い込む。
「帰ってくるって、誰ですか?」
「もう一人の薬師だよ。」
「……センカさんの、お弟子さんですか?」
 凱華のセンカと言えば、大陸中に名を轟かす高名な薬師である、レカントの一番弟子と言われている。イルカがそれを知ったのは、この店に雇われる事が決まってからの事だった。産まれた村で、薬師として生活していたイルカにとって、その名は雲の上の人の物だった。その人の名を、当人に向かって呼び掛ける事ができるなんて事は、考えた事もない事だった。
「違うよ。まぁ、随分世話はしてやったけど。」
「採取に1カ月以上かけるなんて、遠くまで行っているんですね。」
 薬師と言って思い浮かべるのは、薬草を煎じて薬にする姿だと思うが、実際の薬師の仕事は、薬材の採取から始まる。動物を狩る事もあるし、薬草を探しに出る事もある。栽培できる薬草は、家の近くで栽培するが、そうできない物は、取りに行くしか方法はない。だから、大体において、薬師が店を作る場合は、二人以上で組む事が多く、そこへ弟子が入って継がれていく事が多い。一人が採取に出掛け、一人が薬を調合する。そして、そこに店番が一人入るのが、通常の体系だった。店番には、調合をする程の知識は必要ないが、薬師が店に出ていない場合は、彼らが薬を出す事が要求されるため、薬師の見習いや、修行を行った事のある者が入る事が多かった。
 因みに、薬屋と薬師は別のものとなり、薬屋は薬師から薬を仕入れるただの人で、簡単に区分けされた薬を用意してくれるだけで、事細かに注文を聞いてくれる事を求めるのならば、薬師の店へ行くのが普通だった。更に、小さな村などにいる薬師は、医者の代わりとしても使われる。薬師に求められる技は、かなり大きいものなのである。
「あれは、採取の旅が好きなんだよ。多分。ここにいると、お客さんの対応しなくちゃならないでしょう?だからさ、俺が調剤に掛かろうとすると、ふらっと、出ていっちゃうんだよね。」
「……人が嫌いだから、こんな森の中に、店を構えているんですか?」
 イルカは、ずっと疑問に思っていた質問を、センカに向けた。
 薬師は、村や町にも、必ず一人はいる。それほどに重要視されているわけだが、それだけに、そこから離れた場所にいる事は、あまりない。薬が急に必要になった時、それが遠くては命に関わるかもしれない。という意味もあるのだ。森の中まで、薬を買いに来る近隣の人々は大変だと、イルカは思っていたのだ。
「そう。一人立ちの時にね、森で隠居するとか言い出して、それじゃ、薬師になった意味がないでしょうって、俺が一緒に店を開く事になったわけ。」
「薬師って、人嫌いじゃなれないって、聞いた事あるんですけど、そういうものでもないんですね。」
 客の話をよく聞く事から始まるために、人の話を聞くのが苦手な人は向かないといわれている。同様に、人から話を引き出せない人間も、薬師には不向きだと言われていた。
「……あれはね、薬師の道が一番近くにあったものだから、それを選んだのね。それで、薬師になれてから、その事実に気付いたっていう、お馬鹿な子なんだよ。」
 そう言って笑う顔を見ながら、イルカも笑みを漏らす。
 センカが、旅に出ているその人の話をする時は、いつもどこか楽しそうだった。兄か親か、といった表情で、その人がしでかした事やら、話した事などを、よく教えてくれた。
「ちょっと変わってるけど、気にしないで、仲良くやってやってね。」
 そう言いおいて、センカは調剤室へと戻っていった。
 
 イルカが、そのもう一人の薬師と出会うのは、もう少し、先の話となる。

 
 
 
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