不公平な世界



 サスケが凱華に来てから1週間程経ち、そろそろ帰らねばならないと言うサスケに、センカは薬草庫から山のような量の薬草を箱に詰めた。
「直接、君たちの村には役に立たないかもしれないけど、やっぱり、暗夜草は持って行ってね。」
 そう言ってその瓶を5本用意したセンカに、イルカとサスケは目を見開いてそれを眺めた。
「うちは、庭でも採れるからね。」
 サスケが、自分達が採った物だからと言って、凱華ではとても手の出ない物を持ってきた事を、センカはずっと気にしていた。
 自分達にできる精一杯を示してくれた彼等の為に、自分もできる限りの事をしなくては、彼等に失礼ではないかと思ったのだ。1週間の間に、カカシは近場の採取場所まで馬を走らせ、センカは処理の途中で置かれていた薬草を整え、持ち帰る間に劣化しない事を心掛けた保存をした。
「……他にも、向こうにない薬草とかあるみたいなんだけど、その辺の説明とか種とかも入ってるし、気をつけて扱ってくれるように伝えてね。」
「有り難うございます。」
 サスケは、差し出された箱を受け取り、それをじっと見つめて頭を下げた。
「じゃ、行くか。」
 帰りは送っても構わないだろうと言って、イルカはサスケを送る為に馬車を用意していた。荷物もあるし、なかなか話し辛い事もあるようだと見て取っての事だった。
「気をつけてね。」
「はい。行ってきますね。」
「お世話になりました。」
 カカシが店番でそこにいない事で、穏やかなやり取りになった別れの挨拶をすませ、サスケは馬車の荷台に乗った。
「二日くらいで戻れると思います。」
「ゆっくりしておいで。こっちは大丈夫だから。」
「…はい。」
 センカの気遣いに頷き、イルカは御者台に上がり、サスケが荷物をきちんと藁の間へ納めたのを確認し、手綱を揺らした。





「帰ったら、承認されるのか?」
「……多分、まだ。………師匠が、俺はまだまだだって。」
「そうか…」
 あの店へ行った時と同じように、背中合わせで互いの気配を探りながら会話を交わす。
「師匠が、アカシさんが生きてたら、って言った事があるんだ。それって、イルカのお母さんだろう。」
「ああ。」
「呪術師だったのに、黒檸にいなかったって聞いた。」
「騒動の頃の話さ。垓紫の中を回って、情報を集める仕事をしてた。」
「イルカもそこに?」
 イルカがあの村へ来たのは、サスケが4才になった頃だった。戻ってきたのは、彼と数人の人々で、イルカの両親はいなかった事を、サスケは覚えている。
「ああ。」
「……お父さんが、守人だった?」
 躊躇うように間を開けた問い掛けに、イルカは苦笑を浮かべてそれを肯定した。
「前に、師匠が、イルカは俺の守人になってくれるだろうって言ってた。イルカのお父さんは凄い腕の守人だったって聞いたから、俺、楽しみにしてたんだ。」
「……俺だって、お前の守人になるつもりだったよ。……こんな事になるまではさ。」
 呪術師には、守人と呼ばれる、身辺警護をする人間がつく。それは、呪術師の制約に関する事で、どうしても必要なものだった。
 呪術師は、武器を持って戦う事が許されない。更に、武器によって負った傷が、その力を弱めると言われている。その為、なくてはならないと言われている呪術師は、数人の警護を受ける。そして、その中でも、絶えず傍を離れない者を、『守人』と呼ぶ。
 男女である場合は、伴侶となる事が多いが、同性同志の事もある。絶えず傍にいなくてはならない為、育った村の中で選ばれる事が多く、幼い頃から親しくしている者である事が普通だった。
 サスケが育つ間、村には守人になれる技のある者がいなかった。呪術師などの職業も、師について修行するが、守人も、師について修行する事になる。だが、基本的に、守人は血統で継がれる事が多い。
 その為、呪術師の家と守人の家は近く、呪術師の候補者が産まれれば、守人の候補者もその傍で生活をするようになる。
 それが、サスケにはいなかった。師の守人がいた事で、サスケの身に危険が及ぶ事はなかったが、後々、どうするのかという疑問は絶えずついて回っていた。他に、守人の血統がなかったわけではなかったが、サスケ程の素質を持った者につく守人ならば、彼等ではならないと言うのが、村人やその守人達の意見でもあったのだ。
 そこへ、イルカが帰ってきた。師であるはずの父親はいなかったが、イルカは完全に守人の技を受け継いでいた。直ぐさま、イルカはサスケの守人となると決められ、保護者がいなかった事を理由に、呪術師の家の隣にその時暮らしていた薬師の家へ入る事になった。
 イルカは、守人としての修行を行ないつつ、薬師としての修行にも励んだ。守人として、呪術師を守る必要が、随分減るだろうと言うのが、その頃の皆の見方だったのだ。
 以来、イルカは薬師に認められ、サスケは呪術師の修行を積んでいる。
 そこへ、あの事件が起きたのだ。村びとにとって、サスケはもちろんだが、イルカもなくてはならない存在だった。その事は、領主ももちろん充分に理解していた。だが、危険性が薄れた事を理由に、他の血統から選んでも問題ないだろうという事に落ち着いたのだ。
 そして、イルカは村を去った。村の人々の嘆きの理由は、そういった事もあったのだ。
「俺が、呪術師に認められた時、守人は、イルカでなくては嫌だと言ったら、イルカの国外追放は解かれるのか?」
 強張ったような声で問いかけられ、イルカは言葉を失った。
 サスケが、自分に懐いてくれていた事を、イルカはよく知っていた。
 はじめて会った日から、サスケはイルカの何が気に入ったのか、暇を見つけてはイルカの元を訪れるようになり、イルカの言う事ならば、たとえしぶしぶであっても、言う事を聞かない事はなかった。
 そんな彼が、自分のした事を知った時、領主に嘆願まで出してくれた事を、イルカは師に聞かされた。それが嬉しくもあり、自分のした事の大きさを、恐れもした。
 今でも、彼の事や村の事は、イルカの中で最も大切なものであり、最大の関心事だった。
「守人なら、シカマルがいるだろう?仲良くしてたじゃないか。」
「………でも俺は、イルカだと思ってたんだ。」
 サスケにとって、イルカが守人としてあって、更にその周りにいる護衛として、彼がつく事は当然だろうと思っている事だった。シカマルも、そう言っていたのだ。それが、急に変わった事に戸惑ったのは、サスケだけではなかった。
「どうなんだ?」
「……お前が呪術師になった後なら、可能かもしれないな。」
 多分、サスケは、領主の言葉すら、退ける事ができる事になるだろうと、イルカは思っている。それ程の素質なのだ。その呪術師が、誰かでなくてはならないと言ったのならば、多分、全てはそれに従うはずだ。
「でもな、俺は、今の生活が、気に入ってるよ。」
「…………」
「こっちにいれば、村に薬草も送ってやれる。色んな事も勉強できる。」
 心残りの方が多い。戻ってやりたいとも思う。だけれど、彼は、自分の傍にいることで、何か間違いを犯すのではないかと言うような気もした。曲げてはならない事がある事を、知らなくてはならないと思った。
 そして何より、自分が、ここにいたい気持ちも強かった。
 知識が手に入るからとか、見た事もない者に触れられるからとか、そう言う事ももちろんあるけれど、何よりも、イルカにとってあの家は、自分の暮らした村よりも、穏やかでいられる場所になっているからだ。
 センカは、無条件で優しく、穏やかで、惜しみなく知識を分け与えてくれる、素晴らしい師だ。
 カカシは、不器用に優しく、他の誰かにならば冷たく接する姿も見せるのに、自分にそんな姿を見せた事がない。本当に、自分の事を考えてくれるのがわかる。
 両親と共にいた頃、自分は、両親にとって、2番目に大切な者だった。両親には互いが一番大切な者で、イルカはその次だった。それが辛かったわけではない。自分がどんなに大切にされていたかを、イルカはよくわかっている。
 でも、自分を一番に見てくれる人が傍にいてくれたらいいと思っていた。
 ここに来て、多分、彼は、自分を一番大事にしてくれる人だと思った。出会いは最悪だったけれど、今の彼は、多分、自分にとって、なくてはならない人だと思う。
「…それに、俺は、カカシさんの傍にいたんだ。」
「…………あんな凶相持ちの傍にいたら、人生最悪だぞ。」
 返った言葉は、その選択を責めるもののようにも聞けたが、それでもその声は、それを認めるような響きを持っていた。
「でも、自分の意志を曲げる事を強要されるのが、一番悪い事だって、師匠が言ってた。」
 だから、イルカがそう言うのなら、自分はもう太刀打ちできないのだと、サスケが言っている事を理解して、イルカは小さく頷いた。
「俺が怒られるんだから、村に手紙書いて説明してくれよ。……連れて帰ってこいって、言われてたんだ。」
 サスケはそう言って、イルカは腕を後ろへ回して、そこにあるサスケの頭を撫でた。
「お前はいつも、俺のわがままを聞いてくれるね。」
「………イルカは、俺のわがままを聞いてくれた事もないのにな。」
 その言葉を聞いて、イルカは苦笑を浮かべてその頭を掻き回した。
「送っていく間なら、何でも聞いてやるよ。」
 その言葉に、直ぐさま返る言葉はなく、イルカは手を引き戻そうとして、それを引き止められて首を傾げた。
「次の街で手袋を買って、これを俺にくれ。」
「………わかった。」
「……シカマルが、イルカの鉄芯を1本貰いたいって。」
「うん。」
 あの村へ帰る事よりも、あの家に留まる事を選んだけれど、自分にとって一番大切な場所はどこかと言われたら、あの村だと言い続けたいと、イルカは思った。
「皆に、よろしくな。」
 自分はもう二度とあの村に戻る事はないだろうけれど。<

 
 
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(2003.2.12)




影形の里へ