自分は何になるんだろうと、目標は上忍だと言い切る遊び仲間を見て思った。
 上忍というものが何者で、忍者というのが何なのか、はっきり言えば全くわかっていなかったのだけれど、とりあえず、上忍は目標じゃないというのはわかった。
 自分の目標は両親で、忍者でもなければ上忍でもなかった。両親は忍者で、父親は上忍ではあったけれども。
 でも、両親に並ぶには、忍者にならなくてはならないという事も、その時に理解をした。
 
 
「俺、忍者になる。」
 珍しく3人揃った食卓で、そう決意を告げると、両親は息子の言葉を確認するようにじっとその表情を見つめた。
「どうしたの?突然。」
「今日、ミズキたちと話してたんだ。大人になったら何になるかって。」
「……忍者になってどうするんだ?」
 父親の問いかけに、ぐっと拳を握ってイルカは答える。たった一つの明解な理由。
「父ちゃんと母ちゃんと任務するんだよ。」
 待っているのは嫌だから。一人でいる事が恐いわけじゃない。待っている事しかできない事が嫌なのだ。
 もっと傍にいたい。
 忍者になれば、こうして置いていかれている事なんてなくなるのじゃないかと、そう思うから、だから忍者になりたい。そして、忍者になるのならば、目標は両親だと思う。
 家へ帰ってくる道すがら考えた。どうして両親が目標なんだろうという事。
 長い間、イルカの世界の中には人が僅かしかいなかった。
 両親と、両親の不在の時に時々やってきてくれる、父の部下の若い忍者が二人。イルカの世界は家の中から目に入るだけしかなくて、その中で目標になる人間なんて、それっきりしかなかったという事。
 外へ出るようになってから、世界は広がって人も増えたけれど、友達は目標にはならず、両親よりもすごいと思える人と会う事はなかった。
 だから、目標は両親。自分にとって、一番高いところにいる人たち。
「……そう……」
 母は少し気乗りしなさそうな表情を浮かべていたが、父は笑ってイルカの頭を撫でた。
「じゃ、明日から、父さんと訓練するか?」
「うん!」
 やった、と笑みを浮かべて拳を握る息子を、母が戸惑いと共に眺めている事を、イルカは気付かなかった。
 それよりも、父親に認めてもらえた事の方が嬉しかったのだ。親に反対されてまで、なりたいという程の決意は、まだこの時点でイルカにあるわけもなかった。
「俺も、父ちゃんみたいになれるかな?」
「そうだなぁ……まぁ、イルカでも頑張れば中忍にはなれるから。」
 そう言った父親の言葉に母は反論を口にせず、イルカはこっくりと頷いた。
 別に、中忍だから上忍とともに任務に出られないわけでもないのならば、それでいいと思った。母は中忍だし、上忍と一緒に仕事ができないのだとしても、中忍の母ならば、一緒に仕事ができるかもしれない。
「ミズキ君は、忍者になりたいのか?」
「目標は上忍だ。って言ってた。アカデミーに入れてくれって頼むって。」
「そうか……」
 父が何かを考えるように机の上を指でトントンと叩くのを見ながら、イルカは食事を再開した。父が考え事をしている時に邪魔をしてはいけないとは、イルカが母に教えられた事だった。
「母ちゃん、俺はアカデミーに入れる?」
 父に声をかけられないのならば、問いかけを向ける相手は母しかいない。できるだけ父の邪魔にならないように、小さな声で問いかける。
「まだイルカには早いから、もう少し大きくなってからね。」
「どれくらいになったら入れる?」
「7つか8つくらいかしらね…」
 それでは、まだずっと先の事だと、イルカはため息をつく。
 イルカはもうすぐ5歳になるが、8歳に入学となれば、まだ長い時間を過ごさなくてはいけない。しばらくは、アカデミーに入学する事も出来ないと言うのならば、忍者になれるのはいつだろうと不安になる。
 少なくともそれまでの間は、両親の帰りを待っているだけでなくてはいけないのだ。明日にも忍者になれると思っていたわけじゃないけれど、そんなに先の事だとも思っていなかった。
「もしかしたら、それまでに他のものになりたくなるかもしれないし、焦らなくても大丈夫よ。」
 その答えを聞いて、父が小さくため息をついた事にイルカは気付かず、それでも眉を寄せて母を見た。
「母ちゃんは、俺が忍者になるのは嫌?」
「……イルカがなりたいならいいのよ。でも、イルカはまだ小さいから、もっとゆっくり決めてもいいと思うわ。」
 母の答えを聞いてイルカはこくりと頷いた。
「もしかしたら、おにぎり屋さんになりたくなるかもしれないもんね。」
 忍者の次になりたいかもしれないものをあげると、父が吹出すように笑い、イルカはぷくりと頬を膨らませてそちらを見やる。
「イルカ、そんなにおにぎり好きか?」
「…………好き。」
 イルカは、茶碗に入ったご飯よりも、おにぎりの方が好きだった。大きくて、三角のおにぎりが一番好きだ。中に何も入ってなくても、それだけで美味しい気がする。
「父さんは、カレー屋になりたかったなぁ…」
 そのしみじみした言葉に、今度は母が吹出すのを見て、二人はそちらへ視線を向けた。
「蒼牙さん、カレー上手だものね。」
 両親が家を留守にする時は、決まって父がカレーを作る。海野家は両親共に料理上手だが、父のカレーは他所で食べるどのカレーよりも美味しいと、イルカは思っていた。
「カレー屋になればよかったのに。」
「ん〜。でもね、一番なりたかったのは、忍者だったんだよ。」
 笑ってそう言って、父はイルカの頭を撫でた。
「いいか、イルカ。人はな、なりたいものにしかなれないんだって、覚えておけよ。」
「………うん…」
 父の言いたい事がよくわからないまま、イルカはぎこちなく頷き、蒼牙はその様子を見て苦笑を浮かべた。






 鳥寄せがうまいと言ったのは、一緒に遊んでいる友達だった。イルカが呼んでそれに応えない鳥は殆どおらず、それをさしてそう言ったのだ。口笛を吹くでなく、声をかけるでもなく、イルカが手をのべればそれはその手へやってくる。
 イルカは、それを嬉しく思った。得意げだったと言うと言い過ぎかもしれないが、友達には出来ない事ができるのは、自慢の一つであるのは間違いなかった。
 木登りが得意だとか、走るのが早いだとか、子どもが持っている得意技の一つとして、イルカは鳥寄せの技を持っていたのだ。
 ただ、友達には言っていなかった得意技が、イルカにはもう一つあった。あまり長続きしない事と、他の誰かが確認できるわけではない事を考えて、話す事ができなかったのだが、もしそれが誰にでもそうとわかる技だったのならば、きっとそれも自慢の一つになっていた事だろう。
 自慢事と言うのは、褒められてこそのもので、笑われたり否定されたりする事は、望むところではないのだ。
「ちょっと、貸してね。」
 友達と別れて家へ向かう間に、地面をぴょんぴょんと飛び跳ねている雀を呼んで、イルカはその頭を指で突ついた。
 すぅっと、視界にもう一つ景色が浮かび、そこには自分の顔が見えた。そして、イルカは雀をそらに放り上げ、それにつられてイルカの視界は空の上から見た風景に切り替わっていく。
 鳥を寄せる事は、多分イルカでなくても得意とする人は多い事だろう。里の中では連絡手段として使われる事もあり、鳥使いと呼ばれるべき人々も存在する。
 だが、彼等の視界を覗ける事は、きっと珍しいだろうとイルカは思う。だから、いつかもっときちんとそれを使う事ができるようになったら、両親に伝えようと思っていた。
 そうしたらきっと、褒めてくれるのではないかと、そんなことを思って。
「あ…」
 ふと気をそらした途端、視界は元のイルカの視界だけに戻ってしまい、イルカは小さくため息をついた。
 技が長続きしないのは、イルカが色々な事を考えては、注意がそれるせいだとわかっている。それでも、一つの事だけに気を払っている事ができる事はできず、今日は特に短かった。
「…だめだ……」
 早く、きちんと伝えたいのに、と思う。そうしたら、両親は自分を自慢に思ってくれるかもしれない。それが、どうにもうまく行かない事が、最近のイルカの一番残念な事だった。
「イルカ。」
 後ろから声がかかり、振り返ると父が立っていた。
「父ちゃん。今日はお仕事だったの?」
「昼から呼ばれてね。」
 今は珍しく、母が家にいた。外地任務に出る事の多い母は、任務が入れば三月でも半年でも家をあけるが、それ以外の時は家で過ごす事になっている。それでも、その家にいる期間と言うのは、長くて連続で一月。という程度の事だったが。
「今日は何して遊んで来たんだ?」
「今日は、鬼ごっこ。俺、最短記録作ったんだよ。」
 鬼ごっこと言うのは、逃げるのが楽しいと言う面もあるが、鬼になった時に、いかに早く相手を捕まえられるか、というのも競い合うべきところだ。
「明日には破られると思うけど。」
 今日は、一番足の早い友達がいなかったため、イルカが勝ったのだが、明日は多分彼がやってくるため、イルカの記録はあっさりと破られる事だろう。
「弱気だな。」
「でも、ホントに早いんだって。」
「そっか。」
「でも俺、木登りは負けないし。」
 ぐっと拳を握ってイルカは言い、蒼牙は息子のその様子を見て笑みを浮かべる。
 家から出さなかった間は、競うべき相手もおらず、闘争本能などと言うものがこの子どもにはあるのだろうかと思っていたが、同じ年の子ども達と遊ぶようになってからは、競う事に楽しみを覚えるようになったらしく、帰ってくる度に、今日は負けた、勝ったと、楽しそうに笑う。
「明日は、遊びに行ってもいい?」
「ちゃんと鍛練終わってからな。」
「うん。」
 父親の言葉を聞いて、イルカはにこりと笑った。

 
 
 
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