「千嘉。」
呼び掛けられ、必死に作業をする子ども達に向けていた視線をそちらへ動かしたセンカは、笑って右手を上げている友人を見つけた。
「蒼牙。随分久しぶりじゃないか?」
笑って問いかけると、彼はニヤリと笑って歩み寄ってきた。
「三日ぶりに陽の当たる所に出てきた。」
笑ってそう答えた友人は、尋問係として働いている上忍であった。滅多な事で、彼に尋問が押し付けられる事はないらしいのだが、回ってきたら、3、4日は家に帰る事ができないのだと、以前に話していた事を、センカは覚えていた。
「お前は?」
「順調、順調。」
笑って答えると、先程まで視線の先にいた子ども達が、不思議そうな顔をして友人を眺めている事に気付いた。
「さぼってんじゃないよ。働く、働く。」
急かせば、しぶしぶといった顔で作業に戻るその姿は、嘗ての自分の姿とも重なり、笑みがこぼれた。
「中忍試験、受けさせるんだって?」
何でもない事のように問いかけられ、センカは一瞬息を飲んだ。
その話は、内々に相談していた事で、決定したわけではないのだ。それが、友人の耳に届いているという事は、それなりの数の人間が、それを知っている事になる。
海野蒼牙の交友関係はそれほど広くはない。そこへ辿り着く為に、どれだけの数の人間を辿ったかは、考えると恐ろしかった。
「もっぱらの噂。ってわけじゃない。火影様に聞いただけだ。」
センカの想像を否定して、蒼牙は笑った。
「……そうか…」
「まぁ、今か今かとてぐすねひいて待ってる奴らは多いと思うけどな。」
センカの担当する下忍は、現在6歳という幼さである。
そして、彼らはアカデミーに入学する事なく下忍となっており、それだけで、里の忍者には注目されている存在だった。その年で中忍試験を受験させると決めても、それに反対するものは少ない事だろうと、センカは思っていた。
「どう思う?」
「お前がいいと思ってるなら、いいんじゃないのか?」
問いかけに返った答えは素っ気無い程で、センカは小さくため息をついた。
「お前の子どもだろ?人の言う事なんて、構ってやるなよ。」
うちの子ども。と言って、センカが紹介する事で、彼の部下である下忍3人は、友人の中ではセンカの子どもという扱いになっているらしい。
4歳児の父親は、父親としては後輩にあたるセンカに、時折子育てのアドバイスをくれていた。
「………」
「お前が、お前の子どもを大事にしないなんて事はないと、俺は知ってる。火影様には火影様の思惑があるだろうが、俺は、それでいいと思うぞ。」
「……そうか…」
うちの子だと言うのなら、お前が全ての責任を持って育ててやらなくては駄目だと、蒼牙は言った。そう言われて、センカは自分の使う言葉の意味を考えた。
自分に連なるものだと宣言するのならば、それなりの扱いをしてやる覚悟が必要なのだと、その時になって気付いた。
彼らが自分の手を離れる迄は、彼らの行動には全て自分が責任を取るのだと、その時腹をくくった。
「お前の子だろう?」
「ああ。」
家族に恵まれていないから、家族が欲しいのだと言ったら、嫁も見つけられない馬鹿は、下忍でも育てていろと言われた。
別に、嫁の来手がないなんて事はないと主張したら、半年後迄に結婚できたら信じてやると言われ、半年後に笑い飛ばされた。
海野蒼牙という男は、センカにとって、かなり特殊な友人だった。
この年になって口にするのはこそばゆいが、所謂『親友』という存在なのであろうと思う。絶対の信頼を置かれている事、絶対の信頼を寄せている事、センカには、蒼牙が一番古い親友だった。
「あいつらなら、やってのけると思うんだ。」
その年で下忍として見事に仕事をやってのけている姿に、周囲からの視線は温かいだけではないが、それ故に、彼らは上に上がろうと必死になっている。
その向上心は、6歳の子どもとは思えない程だが、それぞれが身につけている力も、6歳児のものとは桁違いだった。
「根性ありそうな顔してるもんな。」
怪訝そうに、どこか苛立たしそうに自分を観察する子ども達の目を見て、蒼牙は笑った。
「あの銀の頭、お前が育ててるんだって?」
少し離れた場所で、ちらちらとこちらを伺っている銀色の髪の少年を指差して、蒼牙は問いかけた。
「火影様は、あれに一番注目しているらしいが。」
「………ん〜っと…カカシは、俺と同じだからさ。」
「ああ。」
蒼牙は軽く頷いた。その目には、なんの感情も見えなかった。センカの生まれを聞いた時も、蒼牙は特に表情を変える事はなかった。今回も同じなのだと、センカは笑みを浮かべた。
「戦場育ちか。」
「他の二人は、戦場生まれね。……慣れてる所に、帰してやれって言われた事もあるよ。」
「…馬鹿がいたもんだ。」
吐き捨てるように蒼牙は言い、センカは頷いた。
戦場で産まれたからと言って、戦場に慣れている子どもなんて存在しない。子どもが戦場で生きていたのは、それを守る人間がそこにいたからだ。
それがいなくなったから、連れ帰られた子どももあれば、守ってやれないと言われて突き放された子どももいる。彼らにとって、戦場は安息の地などではない、重苦しい記憶しかない場所なのだ。
「でも、カカシは、帰りたいような様子を見せる事があってね、俺は、それがあまり好きじゃない。」
「………そこしかないと、思ってるってあれか?」
戦場にしか居場所がないと、思い込んでいる人間というのが、里の中にも存在する。
自分は、戦う為にのみ、生きているのだと思っているクチである。
そういう人間は、得てして無茶をして死ぬ事が多い。任務の失敗を招くとして、単独任務を与えられる事はまずない存在だった。
「そう。あの子たちは、友達と遊んだりしないで下忍になってしまったから、任務をしない自分に意味があると思えないってところがあるよ。」
「……うちの息子なんて、呑気に毎日遊び回ってるがな……」
4歳児ならば、きっとそれが普通なのだろう。友達を作って、毎日駆け回って遊びながら、人付き合いを理解する。
だが、センカがそれをせずに育ったように、彼の育てる下忍達も、そんな生活は知らぬままに任務というものを得る事になってしまった。
彼らの幼い心の中に、それがどう影響しているのか、それは、センカにもわからないところだった。
「でも、中忍になれば、少しまた、世界が変わると思うんだ。俺の手を離れるわけだけど、それもいいのかと思う。」
「…そうなっても、育てるのか?」
「………まぁ、ね。」
カカシ一人の面倒だけ見るような事にはならないだろうと、センカは思っている。立場上離れても、傍へ寄る理由は残る。実のところ、センカはそれを狙っていた。一人立ちするに充分な技を持っているが、彼らは一人立ちするには幼すぎるのだ。
「……遊び回ってる息子はどうなの?」
反対に問いかけると、蒼牙は笑うだけで、コメントを控えた。
「蒼牙?」
「…………お役目の方は、問題ないどころの話じゃないみたいだ。」
答えを求めると、暫く間を開けて、小さくそう答えた蒼牙は、どこか悲し気にも見えた。
「自分の親も、こんな風に悩んでたのかと思うと、不思議だよな。」
笑う蒼牙につられるように、センカは自分の担当教官であった上忍を思い浮かべた。
彼にも、センカを中忍に推した時には、こんな葛藤があったのだろうか。同じ立場にならなくては、気付かないものもあるのだと、センカはぼんやり考えた。
二人でぼんやりと子ども達の姿を眺めていると、暫くして彼らはセンカに駆け寄ってきた。
「任務終了です。」
「はい。お疲れさん。」
センカは笑ってそう返し、下忍達の頭を撫でた。
「千嘉、また、うちにも寄れよ。」
そのやり取りを見ていた蒼牙はそう声を掛け、ひらりと手を振ると、里の外れの方へ向かって歩き去っていった。
それを黙って見ていた子ども達は、声が届かない程度に蒼牙が離れると、小さな声でセンカに問いかけた。
「あの人、誰?」
「中忍?」
「どうして、こんな時間にふらふらしてる?」
その問いかけに、彼らが随分と蒼牙を気にしていたらしいと、センカは思わず吹出した。
「あれは、上忍だよ。先生の友人。一仕事終えて、帰るところだったんだよ。」
そう説明して、センカは子ども達をきちんと並ばせると、任務の終了と解散を伝えた。
「明日も遅刻せずに集合するんだよ。」
「はーい。」
二人の子どもは元気良くそう返事をすると、それぞれの家へ向かって駆け出し、同じ家に帰るカカシはその場に留まった。
「じゃ、行くか。」
センカは、カカシを連れて任務の報告を出しに行く事にしていた。先に帰すという手もあったが、一人で家で帰りを待つカカシが、電気をつける事すらしない事に驚いてから、一緒に連れ歩くようになっていた。
「……あの人が先生の名前を呼ぶの、何か違う。」
歩き出して随分の時間が立ってから、カカシはぽつりとそう言った。
「何かって?」
「………響きが温かい気がする。」
その言葉に、センカは驚いて随分下にある頭を見下ろした。
「……あれはね、祝福の言葉だから。」
「え?」
センカの答えに驚いたように、カカシは顔を上げた。
「他の人とはね、呼んでくれる言葉が違うんだ。」
センカはそう言って、理解が及ばずに戸惑っているカカシに笑いかける。
「……?」
「羨ましいだろ?」
問いかけると、カカシは目を見開いてセンカを見つめ、そしてぷいっと、顔を背けた。
センカは、人の感情に、あまり気を払わないカカシが、蒼牙がセンカを呼ぶ言葉の違う事に気付くとは思わなかった。そして、それを羨ましいかと問いかけて、こんな反応が返るとも思っていなかった。
「……友達だから?」
「ただの友達じゃないからだよ。」
答えると、外されていた視線が戻ってきた。
「ただの友達じゃないって?」
「友達の中でも、特別なんだ。」
笑って言えば、カカシはこっくりと頷いた。
「祝福の言葉って、何?」
カカシの問いかけに、センカは子どもの頃に蒼牙が言った言葉を思い出す。
『子どもが産まれる事は、何にも勝る喜びなんだって。どんな悲しい事も消してしまうくらい、嬉しい事なんだって。』
戦場で産まれたから、『戦火』なのだと思い込んでいたセンカに、蒼牙が示した2文字が、センカにとって、どれほどの救いになったのか、彼はきっと知る事はないのだろう。蒼牙がセンカを呼ぶ声を聞いて、センカはこの名前が好きになったのだ。
千の喜び。それに匹敵する程、嬉しい存在。
母が本当にそう考えて名前をつけたのかどうか、センカにはわからないが、選ぶのならば、そちらの方がいいと思った。どうせならば、戦火を運ぶ人間よりも、千の喜びを運ぶ人間になる方がいいと思った。
「蒼牙の言う事は、俺には、すごく嬉しい事だって事だよ。」
そう答えると、カカシは少し不思議そうな顔をして、小さく頷いた。
「カカシもそういう人ができるといいな。」
「………うん。」
少し照れくさそうに笑って、カカシはセンカの先を駆け出した。
「先生、早く。」
振り返って笑うカカシを追い掛けて、センカは駆け出した。
今回のお話、書き直した後のものです。書き直す前のお話はこちら。→■