町の方へ足を向け、子供の声を辿って歩いていくと、イルカは公園に子供がいるのを見つけた。年の頃は、多分自分と同じくらいの子供達で、5人が固まって何やら話している。
「……ぁ……」
何と言って声をかければいいのか、イルカは迷って開きかけた口を噤んだ。その時、ふと一人の少年がイルカに気付き、周りの少年達を小突いてイルカの方へ顔を向けさせた。
「君、誰?」
少年の一人が、笑ってそう問いかけてくるのに、イルカはそちらへ足を踏み出した。
「イルカ。」
「何処に住んでんの?」
また別の少年が問いかけ、イルカは来た道を指差した。
「一緒に遊ぶ?」
「……うん。」
誘われて、イルカは小走りに少年達の輪の中へ入った。
「何して遊ぶの?」
同じ年頃の子供の存在も知らず、一人で遊ぶ以外の遊びを知らないイルカは、少しだけ緊張しながら問いかける。
「かくれんぼ。」
「それ、なぁに?」
「お前、知らないの?」
問いかけると、驚いたように問い返され、イルカはこっくりと頷いた。
「鬼ごっこは?」
「知らない。」
そう答えると、少年達はまた驚いたような顔をし、イルカは顔を赤くして俯いた。当然知っているはずの事を知らないのだという事に気付き、もう仲間に入れてもらえないのじゃないかと、不安になった。
「じゃぁ、イルカは最初、空気な。」
「?」
何を言われたのかわからず、イルカは少年を見る。
「何?」
「鬼にならなくていいって事。」
言って、少年達はじゃんけんをして鬼を決める。
「行くぞ、イルカ!」
負けた少年がしゃがみ込むのを見て、薄い茶色の髪の少年がイルカの手を引く。
「何?」
「あいつに見つからないように、隠れるんだ!」
パッと散っていく少年達に遅れないよう、手を引かれたままイルカは走り出す。
「何処がいいと思う?」
「あそこ、木の上。」
よく繁ったその木の上は、イルカにはとてもいい隠れ場のように見えた。
「じゃ、そうしよう。」
言って、少年は先にイルカが登るようにと足場を作ってくれる。
「大丈夫、木登り得意なんだ。」
イルカはそれに笑ってそう言い、幹にしがみつくとそれを登りはじめる。
イルカの家の周りには高い木が多く、イルカは木登りは得意だった。枝まで手が掛かるところまで進めば、後は登って行くのはそれほど難しい事ではなかった。
「掴まって。」
ある程度まで登った後、枝にまたがって、イルカは下の少年に声をかけ、手を伸ばした。
「ありがと。」
少年は手を伸ばし、イルカはそれを上へと引き上げた。
「俺、ミズキ。あそこの道の先にある雑貨屋が俺の家。」
葉の繁る枝まで上がり、二人は小さな声でそう言葉を交わした。
「イルカの父ちゃん達って、何してる人?」
「忍者。」
イルカはそう答え、ミズキの示す道の向こうに目を向ける。
「町外れの忍者屋敷に住んでんのか!?」
「うん。」
勢い込んだミズキに驚き、イルカはそちらへ視線を向けて頷いた。
自分の暮らす家が、里の外れにある事は知っていたし、この辺りの家とは少し違った作りをしている事も、イルカは知っていた。忍者屋敷と言う程大きな家でもないが、忍者が住んでいる家である事に違いはない。
「すげーな。父ちゃんも母ちゃんも忍者なのか?」
感動したように目を輝かせるミズキを見て、イルカも笑みを浮かべて頷く。両親はイルカの自慢であったし、その両親を褒められれば気分が良い。
「俺さ、忍者になりたいんだ。やっぱり、かっこいいもんな。額当てしてさ、忍者服着たいよな。」
「そうなの?」
「うちは雑貨屋だけどさ、学校に入れば、忍者になれるかもしれないって話だし。俺、忍者アカデミーに入れてくれって言うつもりなんだ。」
ミズキの言葉を聞いて、イルカは自分はどうするんだろうと考えた。
両親と同じようになりたいと思っている。それは、忍者になるという事だと、イルカはこの時初めて気付いた。
でも、イルカは忍者になりたいのではなくて、両親と一緒になりたいのだ。忍者がなんなのか、イルカは実は全く知らない。両親は忍者の仕事の話を家ではしないし、庭に罠を張る父は見た事があるが、あれが忍者の仕事なのか、父親の仕事なのかがわからない。
「忍者って、何する人?」
「任務だよ。里の人の頼みごとを聞くのが仕事。遠くの国に荷物届けたり、偉い人の旅の護衛をしたりとかさ。……イルカ、父ちゃんも母ちゃんも忍者なんだろ?」
何で知らないんだ?と問いかけられ、イルカは首を振った。
「今まで、聞いた事ないんだ。」
「……ふぅん……忍者の仕事は秘密の仕事だって言うからかな。」
ミズキはそう言って、突然現われた少年を眺める。
真っ黒の髪と目をした少年は、頭の上の方で髪を一つに括っていて、ニコニコと笑う。店によく買い物に来る少女と、どこか似ている笑い方だと、ミズキは思う。
少なくとも、一緒に遊ぶ友達は、こんな風に笑ったりしなかった。これも、忍者の子供だからなんだろうかと、ミズキはそんな事を考えた。
ミズキたちのような、普通の家に産まれた子供達にとっても、忍者は憧れの職業である。もしかすると、忍者の子供よりも、それに憧れる度合いは強いかもしれない。
やはり、忍者は里の中でも花形の仕事であるし、その中で上忍なんて事になれば、子供にとってはヒーローみたいなものだ。
もちろん、実際には誰が上忍で、上忍がどんな仕事をするかなんて事は、子供達にはわかりはしない。ただ、とにかくすごい人である。というその事が、彼らには重要な事なのだ。
「やっぱ、忍者になるからには、上忍目指さなくちゃ駄目だよな。」
昔々の忍者の格は、全てその産まれた家によって決められていたという。
中忍の家に産まれれば、中忍までにしかなれず、どんなに力があろうとも、上忍になる事はない。
上忍と言えば、完全に存在を隠されたものであり、そこへ人に知られる中忍が入り込む事になれば、情報がそこで途切れる事になる。それでは、そこに何かがあるという情報が残る。情報を握られたものが、上忍として扱われる事はない。
他国まで名が知れるような忍びは、全て中忍であったと言われていた世の中の事である。
その技も当然、親から子へと受け継がれるものであり、一族の繋がり、里の中の繋がりは、今よりも遥かに強かったと言われている。
それだけに、その格を超える事など、考えようもない事だったのだろう。
だが、それは昔の事。現在では、家にこだわる事なく、力のある者が上へ登り詰める。
上忍と言えども情報を握られる事は避けられず、握られた情報ごと保有者を消す事で秘密を守る事が求められるようになった。
それだけに奪われる命の数も増え、それを避けるため、より強い忍者の育成が求められるようになったのである。
そして、忍者アカデミーは門戸を一般の家に産まれた子供にまで開いた。
より可能性の高い子どもを集めるためには、忍者の子どもだけでは数が足りなかった。任務の危険性により、子どもを二人以上持つ上位忍者の夫婦は少ないのだ。
子どもを成す事なく死んでいく者も少なくはない。その血がそこで絶えるのならば、新しい血を求めるしかないと言うのは、当然の事だった。
だが、流石にそれが里の外まで求められる事はない。忍者になる為に重要な素質を持つ人間は、どうしても里の外では見つからないのが一番の理由だった。
もちろん、外と関わりを持つ事で、守るべき里の情報が流れる事を恐れてという理由もある。一時的に人が出入りする事と、その後、永続的に人が混ざる事とは、意味が違うのだ。隠れ里と呼ばれる以上、必要以上に目立つ事は避けるべき事だった。
「イルカの父ちゃん達は、中忍?上忍?」
「父ちゃんは上忍。」
「ホントか!?やっぱ、かっこいい?」
「……母ちゃんの方が、かっこいいかな……」
「へぇ……あれかな、上忍が上忍だって知れたらまずいだろってやつ?」
夢中になって話し掛けるミズキに、イルカは苦笑を浮かべる。
忍者の子どもであるイルカよりも、ミズキの方がずっとずっと忍者の世界を知っているように思えた。そして、自分がそれから遠ざけられていたのだという事に、イルカは気付かずにはいられなかった。
「……どうだろ……」
両親は、自分が忍者になるのを望んでいないのだろうか?ふと、そんな疑問が頭を過り、イルカは黙った。
それでも、父はイルカの前で忍術の巻物を開くし、母も忍具の手入れを行う事もある。本当に遠ざけたいのならば、そんなことをするとは思えなかった。
「俺も、上忍になって、任務したいなぁ……」
ミズキはそう言って、楽しそうに笑った。
かくれんぼの第一回目が終了した時点で、子供達の興味はイルカと忍者の話に切り替わり、少年達はどんな忍者がかっこいいか、という話題で盛り上がり、陽が傾きかけた頃になると、やっと興奮状態も落ち着き、イルカはまた一緒に遊ぶ事を約束して、その場を離れて家へと足を向けた。
「……忍者かぁ……」
少年達と話している間に、イルカの胸の中にもそれがはっきりと意識されるようになったが、それでも、イルカは忍者になるのだと言い切る事ができなかった。
なんとなく、両親に向かってそれを口にするのは躊躇われるような気がしたのだ。もしかしたら、両親がそれを望んでいないのかもしれないと思うと、更に簡単には口にできない事のような気がした。
ぽつぽつと足を進め、家の近くの木立へ足を踏み入れた時、ふいにざわりと木々が揺れたことに、イルカは気付いて足を止めた。
「イルカ。」
声が掛かり、振り返ると、そこには家にいるはずの父が立っていた。
「……父ちゃん?」
手招かれ、そちらへ足を向けようとしたイルカは、背後にも人の気配がある事に気付き、そちらに目を向けた。
少し離れたところに、数人の気配を感じる。そして、そこには、目の前にいる父もいるような気がしたのだ。
「………」
じっとそこにいる父を見つめ、イルカはその腕が自分を抱き寄せようとするよりも先に、身を翻して走り出した。
いたのは、確かに父だった。それは間違いない事だと、イルカにもわかった。だが、イルカが見つけるべき父は、走る先にあるのだと、何故だかそう思った。
後ろから追い掛けてくる父の腕が、イルカの体を抱き込んだ時、開けた視界の先で、父の腕が人の首を切り裂く姿が、イルカの目に映った。
赤色の虹が、地面と父を汚すのを、イルカは一瞬だけはっきりと見た。すぐに体を抱き込む腕がその視界を覆い、それは見えなくなってしまったが、確かにイルカはそれを見たのだ。
「……父ちゃん……」
家でごろごろと転がっている父とは違っていた。イルカがそれまでに見た事もない、冷たくて鋭い目をした人だった。
あれが、忍者なのだと、イルカは思った。
今さっきまで、少年達が語った、かっこいいヒーローは、そこにはいなかった。イルカに笑いかけて、頭を撫でてくれる父もいなかった。
だけれど、怖くはなかった。あれが、忍者の仕事なんだと、そう思った。
「父ちゃん!」
そこにいた父の足音が遠退いていく事に気付いて、イルカは叫ぶように父を呼んだ。
自分を抱きかかえているのは、間違いなく父だったけれど、それは、イルカが傍にいてほしいと思う父ではなかった。今イルカが傍にいたいのは、遠退いていこうとするその足音の主だけだった。
「父ちゃん!」
叫んでも足音が戻ってこない事に、イルカは涙を溢れさせてその場にしゃがみ込んだ。
「…父ちゃん!……父ちゃん!!」
なんで、あの足音は帰って来ないんだと、イルカは悲しくなって何度も呼んだ。抱きかかえていた腕は解かれて、イルカはしゃがみ込んで泣きじゃくった。
父は、イルカが呼んだのならば、急いでここへ来てくれなくてはいけない。そうして、どうしたのだと聞いて、自分を抱き締めてくれなくてはいけないのだ。
それなのに、どうしてあの足音は帰って来ないのだろう。もう、イルカの事がいらなくなったのかと思うと、悲しくて仕方がなかった。
「……父ちゃん……」
もう一度呼ぶと、すぐそこに父が立っている事に気付き、イルカは顔を上げた。
血まみれの手をした父が、どうすればいいのかわからないような顔をして、イルカに手を伸べようかどうしようかと、迷っている事がわかった。
「どうして、行っちゃうんだよ!」
飛びつくようにしてしがみつくと、びくりと父が震えた事に気付く。
「俺、呼んだじゃん!呼んだら来るって、父ちゃんが言ったんだぞ!」
「……そうだな……」
ぎゅうっとしがみつくと、やっと背中に腕が回された。それでも足りなくて、もっとちゃんと、ぎゅっと抱き締めてくれなくちゃ嫌だと、イルカは思う。
「怖い目にあったら、父ちゃんがぎゅってしてくれるって言った!」
「………うん。言った。」
背中に回された腕が、イルカの体を軽々と抱き上げる。顔の位置が揃って、イルカは父の首に腕を回してしがみついた。
「ごめんな。怖かったか?」
「……怖かった。」
そう答えると、しっかりと抱き締められて、イルカは父の肩に顔を寄せて、目を閉じる。
「もう、俺の事、いらないのかと思った。」
「………父ちゃんは、死んでもずっと、イルカの事が大好きだって、言っただろ?」
家へ足を向ける父に抱かれて、イルカは頷く。
「イルカも、死ぬまで父ちゃんの事大好きだよ。」
だから、いつでも、呼んだらきちんと返事をして。
「うん。」
しがみついてくる子どもを抱き締めながら、蒼牙は安堵の息をついた。
人を殺す姿を見たら、イルカは脅えると思っていた。血で汚れた手で抱き締めたりしたら、嫌がって逃げるだろうと思った。
それなのに、どうして抱き締めてくれないのだと泣いたのだ。血まみれの自分にしがみついて、人を殺した父に脅えるのではなく、その父に捨てられる事に脅えた。
それが、何よりも嬉しかった。それほどに、自分が信頼されているのだと思うと、嬉しかった。息子が愛おしく、自分が誇らしかった。
「ごめんな。」
「うん。」
血の匂いのする父にしがみついて、イルカは安堵の息をついた。