エーテルダンス



「派遣神官が人の手を借りてもいいのか?」
 ティティア迄の道筋を地図で確認して、歩き始めたサンジに、ゾロはそう問いかけた。
「え…」
 どうして俺が派遣神官だなんてわかったんだろうと思ってから、サンジはどう考えても自分がそれに値しないわけがないのだと言うことに思い当たった。
 神殿は青い目と緑の目の子供を集める。中には退魔能力など得られない子供もいるのだが、それでも神官として神殿で仕事をする。この国にあって、青い目で神官でない人間はいないから、旅をするなら派遣神官以外にありえないのだ。
「別に、借りちゃいけねぇって決まりはねぇよ。」
 サンジがそう答えると、ゾロは疑わしげな目を向けた。
「特別なのは神官だけ、ってのが、神殿の言い分じゃなかったか。」
 ゾロの言葉に、サンジはため息をついて頷いた。
「あれはまぁ…金儲けの方便だよな。」
 神殿の神官、巫女と言えば、金の事など考えず、衆生を救うことを考えていると思っている人間は多い。だからこそ、喜捨を行って、神殿の助けをしてくれているのだろう。だが、実際のところ、神殿の上層部はかなりの野心家の集まりだとサンジは思っている。
 神官と巫女は、神に仕え、その力を授けられて特別な力を得たものだ。というのが神殿の言い分だ。神官と巫女には全て悪を祓う力があると言っているが、実際は大半が普通の人間だ。退魔士と違って、神殿の中から出ないのは、結局のところ、実際にその力がないから、と言うのが事実だ。かと言って、それを公表しては誰も神殿を頼らない。国の政治にまで影響を与えることを狙っている神殿としては、金の力は重要だ。それを認めることなどできるわけもない。だからこそ、神殿は本当に魔物と戦う力を持つ退魔士を恐れるのだ。自分達の地位を脅かす者として。
 そして、神官長はこう発言した。
『退魔士の如き、下賤の輩に惑わされることなかれ。悪しき者と戦う力を持つのは、神官のみである。』
 本物は、偽者を責め立てない。という世の中に流布している定説によれば、この発言だけで、神殿は偽者だと言うことになってしまうのだが、人々は特にそれに反応はしなかった。ただ、退魔士がこれに反応を見せなかったことで、世の人々の中に、神殿を疑わしく思うものも出ただろうと、サンジは思っている。
「金、ね…」
 呆れとも諦めともつかない顔でそう呟いたゾロを、サンジはちらりと窺った。
 ゾロが退魔剣士であることを確認していなかったが、それは間違いない事だろう。ならば、ゾロも売られた人間だと言う事だ。金儲けに必死になる者には、思うところがあるだろうと思う。
 大体、神殿は子供を買い集めていることを、表向きには志願だと言っている。人買いはあまり褒められたことではないから、体面を考えての事なのだが、そんな事は誰も信じていない。そういう神殿のやり方も、サンジが最近ひっかかりを感じるところだ。
 因みに、退魔士は自分達がその素質を持つ子供達を買っていることを認めている。彼らの場合、旅をしながら修行を行うことが多い為、人攫いをしているのではないかという噂が立ったためだ。その噂を流したのが神殿ではないかという噂もあるのを知った時は、サンジは神殿の威信ってのはなんだろうかと思ったものだ。
「退魔士は、神官に協力してもあれこれ言われねぇのか?」
「言いがかりをつけられないように気をつけろ。とは言われたかな。」
 自分達が慈善事業家でないことを認めている退魔士は、この辺りの態度がさっぱりしていると、サンジは思う。金さえ払えば、盗賊でも悪党でも護衛するのだと陰口を叩かれているのも、その辺の態度に由来するのだが、彼らの能力が本物であるがために、そんな陰口すらも僻みでしかない。
「そういや、退魔士ってのは、組合に詰めてるんだって聞いてたが、あんなとこで客待ってていいのかよ。」
 実のところ、サンジの差し出した金では、退魔士を雇えて一週間というところだ。ティティアは往復で二週間はかかると思われる。普通の退魔士ならば、あそこで頷くわけはない事から、サンジは一つの予測を立てていた。この男は、退魔士組合からはじき出されたのではないだろうかと。
「別に、組合にあれこれ言われる筋合いはねぇ。」
 ゾロはそう言い捨て、サンジは自分の予測が合っているのかどうか、判断に迷った。
 世の中、職人は皆組合に所属して、自分の能力を保証されてこそ仕事が回されるのだ。もぐりの職人もいるにはいるが、まともな収入を得られることは少ない。どうしても、足元を見られるからだ。
「そんなもんなのか?」
「退魔士にも色々あんだよ。」
 ゾロはそこでお終いだ、と言うようにそう言い放ち、サンジは頷いて質問を引っ込めた。別にもぐりでも何でもいいのだ。剣を持って戦うことのできる人間であるのならば、退魔能力などなくてもいい。そんな事は、サンジがどうにかできる事だ。
「まぁ、お前が働いてくれれば、それでいいけどな。」



 足の速いゾロにつられる様に、三日目にはエミユの町に辿り付き、サンジは宿の支払いをしながら、辺りを見回しているゾロをちらりと見た。
 契約時には財布の保管を主張したゾロだったが、結局それはサンジに渡し、道行の案内も全くしなかった。それどころか、地図を見せて行き先を教えても、さっぱりその通りの方向へ迎えないことが発覚し、これでよく旅の護衛なんて引き受けたものだと思った。それなのに、そう言われたゾロは、あっさりと『護衛が道案内をする理由なんかない』と言い放ち、それもそうかとサンジを思わせるのに成功していた。
「行くぞ。」
 とりあえず、持ち歩く理由のない荷物を部屋へ置こうとサンジはゾロに声を掛け、ゾロは辺りを見回していた視線をサンジに戻し、頷いて後に着いてきた。
「相変わらず、ここは今一つな街だな。」
「そうか? 賑やかでいい街じゃねぇの。」
 活気があるし、愛想のいい店主も多い。宿の主人もなかなか感じのいい人間だった。サンジの目やゾロを見ても、少し驚いた顔をしただけで、とりたてて何か反応を見せるでもなく、好感が持てた。
「……そういう見方もあるな。」
 ゾロのその言い分に、少々引っかかりを感じたが、部屋にたどり着いたために、鍵を出して扉を開けている間に、話はそこで一旦途切れてしまった。
 三日もあれば、相手の性格も少々は読めてくる。ゾロは言葉が少ない人間だったが、とりたてて問題のある人間には見えず、旅の連れとして良い方だった。それでも、どこか噛み合わない部分が存在して、それがどうにももどかしく感じるようになっていた。
「相変わらずって事は、ここには来た事があるのか?」
「ガキの頃に、半年くらいいた事がある。」
 その言葉に、サンジは驚いてゾロを振り返った。
 ゾロが自分の過去を話すのは、これが初めてだ。お互いの現状を見れば、それぞれ何らかの事情で売られたのは言うまでもない事で、それを話し合うことなどなかったが、それでもサンジは神殿の生活などを話したりはしたのだ。ゾロはそれを聞いても、自分の話をすることはなかった。
「退魔士って、旅を続けるんじゃねぇの?」
「年中歩き回ってたら、落ち着いて修行もできねぇだろ。」
 呆れた様にゾロは言い、サンジは小さく頷いた。
 神殿では退魔士の話題なんてもっての外で、その決まりごとなど知る由もないが、世の中の噂では、退魔士というのは国中を旅して修行をし、時には外国にまで出掛けることもあると言うことだった。それが噂に過ぎないのかはわからないが、少なくともゾロはそういう生活はしなかったらしい。と言っても、ゾロが正式に退魔士として登録されているのかも定かではないし、それが普通なのかどうかもわからないが。
「その頃も、こんな感じだったのか?」
「神殿は小さかったな。他はこんなもんだ。」
 街に入って一番目に付いたのは、目抜き通りの突当たりにある神殿だった。首都の本神殿には比べるべくもないが、これまでサンジが見てきた地方神殿のどこよりも綺麗で、そこへ向かう人々も多かった。地方神殿は首都から離れれば離れるだけ、寂れて小さくなる。エミユは首都から程近い上に、周りにそれなりの大きさの街が点在しているのもいいのだろう。本神殿よりも参拝者は多いかもしれない。
「ここ数年の話だけどな。」
「そうなのか?」
 本神殿は、三年前に喜捨の送金額の割合を増やしている。今まで四割で良かったところを、五割にしたのだ。それを機に大きくなる神殿なんてちょっと考え付かない。以前に立ち寄った地方神殿は、どこも困った状況を説明してくれたものだ。
「よっぽど、うまくやってんだな。」
 サンジの言葉を聞いて、ゾロは少し驚いた顔をし、サンジはその理由がわからずに、首を傾げてゾロを見返した。
「…飯食いに行かねぇ?」
 暫く無言で見詰め合ってしまった事に萎えた気分になり、サンジはそう声を掛けた。
「先に行っててくれ。すぐ行く。」
 荷物を降ろし、何かを探していたゾロは、サンジの問いかけでそれを思い出したらしく、そう言ってまた袋の中を探り始めた。
「んじゃ、先に食い始めてるからな。」
 そう言い置いて部屋を出ながら、ゾロとは感覚が違うなと、サンジは思う。やはり、子供の頃から世界中を旅して回っている人間と、神殿で外の事をあまり考えずに生活してきたのとでは、考えることも違ってくるのだろうと思うのだが、どこか、それが情けない事のような気がしてくる。今までの一人旅の間にも時折、心配そうな視線を向けられたことがあったのは、その違いのせいなのかもしれないと思う。何度も何度も、『くれぐれもお気をつけて』と宿の主人に言われていたのに、今回は一度も言われていないのも、気になる事だった。
「なんかね…」
 神殿のことなら何でも知っている。神官の中では、自分は外の事をよく知っている方だと思う。だけれどやはり、外の人間から見たら、頼りなく見えるのかもしれない。
 宿の階段を下りて、ぼんやりとそんな事を考えていたサンジは、勢いよく走り込んで来た子供にぶつかり、その後姿を見送ってから、ふと腰に目をやり、そこに財布が下がっていないことに気付いた。
「マジかよ!」
 あわててその後姿を追いかけて、サンジは自分が気遣われていたのはこういう事かと、やっと合点がいった。



 荷物の整理を終えて、階下に降りたゾロは、そこにいるはずの金色がいないことに首を傾げた。
「金髪の神官、来なかったか?」
 食堂の給仕に声を掛けると、彼は暫く考えてから、ぽん、と手を打って答えをくれた。
「子供を追いかけて、出て行きましたよ。」
「…マジか…」
 街の話をした時から、注意するべきかどうか迷っていたのだが、旅も初めてではないのだからと遠慮するべきではなかったと、ゾロはため息をついた。
 この街は、昔から貧富の差が大きかった。金持ちの豪邸もあれば、スリやかっぱらいで生きている子供も多い。その上前をはねる大人だってもちろんいる。旅人などは格好の餌食で、外から見える場所に財布を下げている馬鹿なんて街の人間にはいない。だけれど、サンジは何の警戒も見せずに財布を腰に下げていたし、狙われて当然なのだ。
 ゾロは宿を出て、通りを見回し、とぼとぼと歩いている金色を見つけてそちらへ駆け寄った。
「怪我は?」
 問いかけると、サンジは驚いたようにゾロを見返し、ゾロはとりあえずそこまでの被害はなかったようだと判断する。
「あのさ…」
「悪かったな。先に気をつけろって言っとくべきだった。」
 先回りされた上に、謝罪までされて、サンジは何事だろうかと思う。スリにあったのはサンジで、それは自分がぼんやりしていたせいだと言うのは、わかりきった事なのだ。
「護衛なんだから、街の事はもっと言っとくべきだった。」
「あ…いや、いいよ。俺が悪いんだし。それより、あんたに払う金どころか、飯も食えねぇし、俺、ちょっと神殿に行って金を借りれねぇか頼んでくるよ。」
 随分気落ちしている様子に、ゾロは少し驚いて、それでもとりあえず頷いて返した。
「時間掛かると思うから、夜までは適当にしててくれ。悪いけど、金とか、後から払うから。」
「わかった。」
 気落ちしているけれど、少し芯ができた気がすると、ゾロは思った。別に情けないと思ったわけではないけれど、やはりどこか不安を感じさせるところはあったのだ。
「じゃ、行ってくるから。」
 結構必死の表情のサンジを見送って、ゾロは小さく息をついて、くるりと背を向けた。帰ってきた時には、もう少ししゃんとしているだろうと、思いながらも、逆にへこんでしまわないかと言う不安もあったが。



「おや、久しぶりじゃないか。」
 サンジと別れてから、ゾロが向かったのは、退魔士協会の看板の掛かる建物だった。そこへ足を踏み入れると、受付のカウンターに座っていた青年がにこやかに迎えてくれた。
「仕事でな。」
「珍しいこともあるもんだ。で、どうした?」
「二万ベリー位出してくれねぇか。」
「二万でいいのか?」
 ゾロの頼みに軽くそう問い返して、青年は足元の棚を開ける。
「一応、依頼人持ちの旅だから。」
「なのに、金が要る?」
 やられた? と笑って問いかけるのに頷いて、差し出された手紙を受け取る。
「どんなぼんやりさんよ。」
「神官。あれだ、ほら…純粋培養ってやつ。」
 神殿から出ずに神殿内のことだけ学ぶ神官や巫女を、剣の師や他の人々がそう呼んでいるのを、ゾロは何度か聞いたことがあった。
 地方神殿に引き取られた子供たちは、神殿のことを学びながら、街の中の学校にも通う為、色々と心構えが出来ているらしいのだが、本神殿に引き取られた子供は、本当に神殿から出ないらしく、外の事など知らないままに育つらしい。
 サンジを見た時、ゾロはこいつはそれに違いないと思った。それ位に、ぼんやりしていたのだ。
「なるほどね。そりゃ、大変だ。」
 笑いながら、棚の中の手金庫を開けるのを視界の端に捕らえつつ、ゾロは手紙に目を通す。
「本物なのか? その神官ってのは。」
「左目隠してるし、本物だろ。派遣神官って事になるんだろうな。」
「それはそれは。」
「こっちの事は、偽者だと思ってるっぽいけどな。」
 最初に会ったときから、どこか疑いを持っているのは感じたところで、別にそれは好きに考えていればいいと思うし、わざわざ、自分は本物ですと言い張るのも嘘っぽいと思って放っているが、そこがやっぱり頭の回りが鈍いな、と思うところでもある。
「…自分は本物でか?」
 少々哀れみを含んだ表情に、ゾロは苦笑して頷き、ここにサンジがいなくて良かったと思った。きっと、わけもわからないで怒ったに違いない。
「で、どこまで行くんだ?」
「ティティア。聖地調査だな。」
「ああ。」
 派遣神官の仕事の半分は、聖地の調査だと言うことを、退魔士は知っている。と言うより、世間の皆は知っている。知られていないと思っているのは神官だけだろう。
「ティティアは誰だ?」
「シュライヤだ。」
 その答えを聞いて、最近会っていないその人物を思い出す。
「腹減って、ふらついてたんじゃねぇの?」
「あいつはまぁ、色々やらかしてくれるよ。あの人は、相変わらず好きに放浪してるしね。」
 読み終わった手紙を返すと、それを受け取って受付の青年はにやりと笑う。
「あいつ、メルティの話つついてきやがった。腹立つ。俺は、どの聖地にも関わった事はないだとよ!」
 退魔剣士になるために着いたその人物は、ゾロが退魔剣士として認定されると同時に、一人で旅に出ていった。そして、時折こうして手紙を書いて寄越すようになったのだが、どれもこれも、どこかに嫌味が混じっているのが腹立たしい事だった。
「あの人は、化け物みたいなもんだからな。」
 手金庫から小額硬貨を取り混ぜて二万ベリーを用意して差し出しながら、彼は笑う。
「ま、気をつけな。」
「おう。じゃな。」
 腰の財布にそれを放り込んで、ゾロはそこを後にした。



 なんとか目的地までたどり着く為の金を手に入れなければと、サンジは通された部屋の中で、少々の緊張と共に、部屋を眺めた。
 サンジが座っているのは、布張りの柔らかな椅子で、テーブルの上には盆の上には果物と飲み物の瓶とグラス。神殿を訪れ、神官長への面会を求めると、すぐさま用意されたものだ。部屋の壁には手の込んだタペストリーが掛けられ、天井から降りているのは、シンプルだが充分な光を得られると思われる、十本は蝋燭が立てられる燭台。本神殿にこれと同じ部屋を求めるならば、それは神官長の部屋になる。それが、面会の控え室として使われていると言うのだから、驚かされる。ゾロが言っていた通り、この神殿はかなりの金を持っているらしい。と言っても、本神殿が質素なのは、外に金をばら撒くからだというのが皆の意見でもあり、ここが自分達の生活のために金を使うだけなのかもしれないが。
 さて、この瓶の中身を確かめてもいいものか、とサンジが思い始めた頃、やっとここへサンジを連れて来た神官が戻ってきた。
「こちらへ。」
 本神殿での生活と変わらず、目深に被ったフードの下から抑えた声がかかり、サンジは黙って頷きその後に従った。
「神官長様は、本来ならば礼拝の時間ではありますが、特別にお会い下さるそうです。」
「お心遣い有難うございます。」
 お互い、心にもないことを口にしているのではないか、と思わせるに充分な、感情を殺した抑えた声での会話は、自室にいる時以外にはそうしなくてはならないという、神殿の規則だが、サンジはこれの理由もさっぱりわからないままだった。
「どうぞ。」
 示された扉を開けて中へ入ったサンジは、その部屋の様子に思わず足を止めた。
「ようこそ、エミユへ。」
 笑みを浮かべた神官長の目は薄い水色で、どこか商人を思わせる表情だとサンジは思った。
「どうぞ、こちらへ。」
 勧められたのは革張りのソファで、そこにはワインと思わしき瓶とグラスが用意されていた。
「失礼いたします。」
 地方神殿とはいえ、神官長は本神殿の神官長の次の地位であり、派遣神官のサンジでもそうそう気安く面会できる相手ではない。その上、自分は今、金を借りに来ているという立場だ。失礼があってはいけないと、サンジは静かにソファに腰を下ろした。
「何か、お困りごとですかな?」
 問いかける神官長の衣装は、光沢のある布で作られていて、サンジはそれが絹であろうと推測し、驚いた。そんなものは、本神殿の神官長でも着ていない。それに、この部屋の調度はどれをとっても、本神殿の物を上回っている。壁のタペストリーも、机も椅子も、祭壇を飾る宝石も金の細工も、それはそれは豪華なものだ。神殿への喜捨が多いと言っても、ここまで揃うものだろうかと、サンジは疑問に感じる。
「実は、大変心苦しいお願いに参ったのですが…」
 サンジがそう切り出すと、神官長は心得たように頷き、そっと布袋を差し出した。
「どうぞ、遠慮なくお納めください。」
 何故、自分の言いたいことがわかるのだ。とサンジは思いながら、その袋の大きさに内心で慄いた。開けて確かめなくては保証はないが、その大きさはサンジが本神殿で資金として受け取ったものの三倍はゆうにある。ティティアまで馬車を使って旅をしても、懐に余裕が出来るに違いない。
「…あの…」
「本神殿の皆様も、時折お立ち寄りになります。どうぞ、遠慮なく。」
 笑みを浮かべる神官長は、何事かを伝えるように視線で訴え、サンジはそれにはたと気付いた。
 この豪華な調度や、神殿の成長は、何事かの不正によるものなのだ。と言うより、間違いなく、本神殿への送金をごまかしているという事だ。
 派遣神官は必ず本神殿に所属し、神殿を訪れることのある神官とは派遣神官を指す。それらが、本神殿に帰った際に、エミユの神殿では不正が行われています、などと証言したとしたら、あっという間に資産の大半は本神殿に接収される。それを防ぐべく、口を噤ませるために金を払っているのだという事だ。
 どうりで、他の派遣神官たちが、あの少ない金で護衛を雇っていたりするわけだと、サンジは納得する。ここでまず金を受け取り、その金で旅をしていたのだろう。そして、あまり交流のない自分には、誰もそれを教えてくれなかったという事だ。
 そして、ゾロがあの時少し呆れたような顔を見せたのは、そんな事にも気付かなかったサンジの事を世間知らずだと呆れたせいだろう。そう思うと、なんとも情けない気持ちになる。
「では、遠慮なく」
 誰もが得ているのならば、自分が得て何が悪いと思う。それに、元から金を借りに来たのだ。遠慮する理由もない。そう思い、サンジはその重みのある袋を引き寄せて、軽く頭を下げた。




「借りてきた。」
「そうか。」
 宿の食堂にいたゾロを見つけ、そのテーブルについてそうサンジが言うと、ゾロは小さく頷いた。
 それだけで、なんとなくこの事態はわかっていたのだろうとサンジは思い、やはりどこか情けない気持ちになった。
「あんたにも、結構金が払えると思う。」
 資金の残りがゾロへの支払いだと言ったのだから、この袋の中身は残ったらゾロの物だ。何となく惜しいような気もするけれど、契約は契約だ。
「最初の資金分以上はいらねぇよ。」
 財布の大きさは会った時と同じに変わり、背負った布袋もどことなく重そうで、ゾロは噂以上に潤沢な神殿なのだなと思った。
「契約は、契約だろ。」
「予想外の事態だろ。別に、金に困ってるわけでもねぇし。」
 その言葉に、サンジは驚いてゾロを見やった。
 退魔剣士だというのに、あの安い金で雇われたのは、それでもないよりましだからという理由だと思っていたのに、あの有るか無しかの金でも問題ない程度に蓄えがあるのだと言うのなら、ゾロがもぐりの退魔剣士だというサンジの評価は、間違っていたと言うことになりかねない。
「…そうなの?」
「多分、お前より金持ってるぜ。」
 ゾロはそう言ってにやりと笑い、サンジはその言葉にむくれて見せる。
 神官には個人の資産がない。神殿で暮らすために金が必要になることはなく、個人で資産を持つ必要がないと言われているからだ。ただ、派遣神官だけは、派遣任務に支給される資金の返還を求められないために、僅かに資産を持つことは出来る。それでも、サンジはこれまでにほんの僅かしか蓄えられていないため、無いも同然なのだ。
「神官には、金なんて必要ないんだよ。」
「じゃ、やっぱり残り全部貰うかな。」
 笑ってゾロがそう言い、サンジは思わず袋を抱え込んだ。
「前言撤回は男らしくねぇぞ。」
 毎回金をせびりになんて行けないのだ。この残りであと数回の派遣任務をこなさなければならないと思えば、ゾロに渡している場合でもない。
「じゃ、諦める。」
 笑ったままでゾロはそう言い、サンジにも食事を勧めた。
 給仕に食事を注文してそれを待つ間、サンジはゾロとこんなに話をしたのはこれが初めてではないかとふと気付いた。これまでは、どことなく取っ付き難かったせいであまり声を掛けたりしなかったが、話してみればごくごく普通の人間で、よっぽど神官たちよりも話が通じると気付けば、気分も軽くなるのすら感じる。
「あ〜、あのオレンジ、貰ってこればよかった。」
 控え室のテーブルの上の果物は、この土地では少し値の張る柑橘類で、いきなりあの場で食べるのには躊躇われる物ではあるけれど、こうして落ち着いていれば、ゆっくり味わうことができるはずの物だったのだ。
「ティティアまで行けば、売ってんだろ。」
 ゾロはそう言い、明日からはもう少し穏やかな旅うが出来そうだと思って、サンジはそれに頷いた。

 
 


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