宿に泊まった次の朝、ゾロはサンジに街を歩くのに安全な荷物の持ち方を教え、サンジはおとなしくそれに従って、身なりを整えなおした。
「余分な金はどこかに預けておいた方がいいと思うがどうする?」
昨日、サンジが受取ってきた金貨の詰まった袋を見て、ゾロは気の利かない奴らだな、と思った。
金貨は高額を取引するには適してはいるが、街で市民が個人的に買い物をするのに必要になることはあまりない。釣りは貰えるが、あまりいい顔をしない小さな店もある。銀行から金を引き出す時でも、普通は小額の硬貨にして渡してもらうものだ。実際に使うと思っていないのかもしれないが、やはり、幾らかは小額の硬貨も混ぜて寄越すべきじゃないかと思うのだ。
「そうだな。」
またスリに取られても嫌だし、余分な金は意外に重い。旅の荷物は軽いに越したことはないし、ある程度はどこかに纏めておいた方がいいのかもしれないと、サンジはそれに同意する。
「でも、神官が銀行に金は預けられねぇだろ。」
個人資産を持っていない事は、神官達の対外的な言い分だ。それが、銀行に金を預けては、神殿にとって良い意味を持つはずがない。
「金貸しに預ける、って手があるが?」
部屋を出て、鍵をくるくると回しながら、ゾロはそう提案をする。
「金貸しに?」
金貸しは金を借りる場所で、預ける場所ではないのではないか? とサンジは首を傾げ、ゾロは軽く頷いた。
「あいつらだって、利息だけで貸す金が出来るわけじゃない。利息は儲けだから、自分達の生活のために減っていくものでもあるだろう。だから、貸すための資金をどこかから調達する必要があるわけだ。」
「なるほど。それで、あまり動かさない金を預けるって事か。」
銀行に金を預けることが出来るのは、それなりに身元が保証される人間に限られる。もちろん、金を預けることが出来るほどに蓄えのある人間は、身元が保証されているに決まっているのだが、後ろ暗い生活をしていて、金を貯め込んでいる人間だっているには違いない。
「一人、紹介できるが、どうする?」
表立って金貸しは金を預かっているわけではないから、突然出掛けていって、金を預けたいと言っても、門前払いを食らうだけだ。
「そうする。」
「ケチだが、利息も乗せてくれるぜ。」
お前の交渉しだいだがな。とゾロは笑い、サンジは頷きつつも、どんな交渉をしろというのかと、内心で首を傾げてその後に続いた。
宿の前の大通りでは、朝食の時間に重なって、露天に人がたかり、それぞれが何かを口に運びながら言葉を交わし、昨日ここへ着いた時とは違う活気に溢れていた。
「ガキは少ないな。」
「朝から露天で飯を食えるようなガキは少ないだろうな。」
「そっか。」
露天で食事をするには金が要る。昨日サンジの財布を盗んだ子供は、あれをそのまま自分の金に出来るとは限らないだろうし、それを朝食につぎ込む事をするかどうかもわからない。もしかしたら、全部を大人に巻き上げられているかもしれない。
「親がいれば、家で飯を食ってるだろし、親もいないで生活してるなら、こんなとこに店開いてるような露天じゃ買わないだろう。」
大通りは美味いけど高い。とゾロは言い、サンジは支払いをする人々の様子を見ながら、露天の物価がどの程度かも知らないのだと気付いた。
「もっと困ってるなら、神殿に行くって手もある。とっ捕まる可能性もあるが、タダ飯が食える。」
大したものが貰えるわけでもねぇけど。と、嘗て貰いに出掛けたことがあるかのような事をゾロは言い、サンジはその横顔を眺める。
昨日、自分が正式な退魔士であるとゾロは認めた。琥珀色の目と、胸元の琥珀の護符はそれを示しているが、まだその能力を試すような場面には出会っていない。だから、その能力の程度はわからないのだが、正式な退魔士でありながら、協会から離れて行動することが許されるとは、どういう事なのだろうかと不思議に思う。
「神殿のことにも詳しいのか?」
「ん? まぁ、動向は窺ってるな。」
ゾロはそう言い、その答えで、神殿に施しを受けに行ったのも、その一環なのだろうと、サンジは理解する。
「退魔士も、神殿が気になるわけか?」
問いかけると、ゾロは呆れたような驚いたような、なんとも不思議な表情を浮かべてサンジを見返してから、頷いた。
ゾロは、そんな顔をすることが多いと、サンジは軽くため息を漏らした。
自分が少し的外れなことを言った時とか、変わった行動をとった時なのだと思う。その表情はサンジを落ち着かない気持ちにさせると共に、ゾロが自分を見ているのか、神官というものを見ているのか、どちらなのかと確かめたくさせるものがある。
自分がこうして、ゾロのことをあれこれと考えているのに、ゾロは自分の事を考えているのか。そうでないのならば、それは酷く悔しい事だと、そんな事を思う。
今話しているのは、退魔士と神官の話だ。だから、ゾロがサンジを神官の代表のように見て話をしていても、それはおかしいことじゃない。だけれどそれが、何故か悔しいのだ。
「商売敵だから?」
笑って問いかけると、ゾロは首を横に振った。
「退魔士は、神殿を商売敵なんて思ったことはない。」
それは、敵にもならないと思っているのではなく、本当に、言葉通りの意味なのだと理解させるように、ゾロはどこか悲しそうな苦笑を浮かべていた。
「……そっか。」
きっと、沢山の決まりの理由を忘れてしまった自分達神官の知らない何かが、そこにはあるのだろうとサンジは思い、小さく頷いて視線を前に向けた。
そんなサンジの様子を見ながら、ゾロは軽く首を振って、よく知る金貸しの店へと足を向ける。
神官は退魔士と違って、個人的な繋がりを神殿内に作らないようになっているのだと聞く。だから、一人の師について修行をし、その歴史を聞いて育つ退魔士と違い、彼らが色々な事を忘れてしまっても、それは仕方のない事なのだ。師はそう話し、他の退魔士たちもそう言ったけれど、ゾロはどこかでそれを信じていないところがあった。だけれどそれは本当の事なのだと、サンジの様子を見てわかった気がした。
それでも自分達は、自分達の役目をきちんと果たさなくてはいけない。神官たちはその理由を知らなくても、その役目を果たしているのだから。
「その金貸しってさ、どんな人?」
「きっつい性格した、若い女。」
ゾロが表情を歪めてそう言うのを聞いて、サンジは何か嫌な記憶でもあるのだろうか、と疑問を感じつつ、先程までの何やら悲しそうな表情が消えたのに、ほっと息を吐いた。
街の大通りから二本ほど道を入った小さな通りに、その店はあった。金貸しの店にありがちの窓の小さな店だったが、後ろ暗い場所というような感じはなく、小窓の内側には品のいい装飾品が並んでいて、それが質草にしても、なかなか良い雰囲気を醸し出していた。
ゾロは気軽にドアを開けて中に入っていき、サンジは慌ててそれを追いかけた。
「あら、いらっしゃい。」
カウンターの中から声を掛けたのは、オレンジ色の髪の歳若い少女だった。ぱっと見て、自分達より一つ二つは年下だろうとサンジは思う。
「こいつが、金を預けたいって。」
ゾロがそう言うと、少女はサンジを値踏みするように眺める。
「あんまり小額でも困るんだけど。」
どれ位なの? と問いかけられて、サンジは荷物を降ろすと、昨日受取った皮袋をカウンターの上に置く。
「あら。」
どん、と音のしたそれで中を予想したのか、少女は少し驚いたような表情を浮かべ、皮袋の口を開けて中を確認する。
「いらっしゃいませ。上得意様。って感じね。」
にっこりと笑って、カウンターの下から皿と紙を取り出して、少女は紙をサンジへ差し出した。
「ここに名前と今日の日付を書いて。これ全部預けるのね?」
「はい。」
「期間は?」
「半分は暫く使わないと思うけれど、後は何とも…」
「じゃ、半分は預かりのみ、もう半分は貸し付け用にするってことでいいかしら?」
「どういう事?」
てきぱきとした対応に、彼女がこの仕事を見事にやりこなしていることを理解し、サンジは疑問を口にする。
「このお金の半分は、うちで運用して、付いた利息からうちの手数料を引いた分を、あなたの取り分にするってこと。あなた名前は? 私はナミ。」
早く書いちゃって。と急かされて、サンジは紙に名前と日付を書き込む。
「サンジ君か。よろしくね。」
にこりと笑ってから、ナミはカウンターの上の皿に、皮袋から取り出した金を数えながら積み上げていく。
「うちは、基本的に一カ月とか半年とかって期間でお金を貸してるの。もちろん、短い期間で返ってくることもあるんだけど、期限を超えることもあるし、貸してる分を返してくれって言われても困るのよね。」
「だから、半分は保管だけ、って事か。」
「保管料はまけておくわ。」
にこりと笑ってナミは言い、それまで取る気だったのかと、サンジはゾロが言った言葉の理由を少し理解した気がした。
「最近、なかなかまとまったお金を用意できる人がいないのよね。」
そう言って、ナミはちらりとゾロへ視線を流し、サンジはその視線の意味を計りきれずに首を傾げ、ゾロはその視線を受けて更に視線をどこかへ飛ばした。
「まとまった金があるといいの?」
「高額を長期間借りてくれれば、利息も多いでしょう。でも、欲しい額を用意できないんじゃ、借りていってはくれないし、そこにつぎ込んで、小額の方を切り捨てちゃったら、生活に困る人も沢山いるから。」
こういう出資者がいると、助かるのよね。と、ナミは金額を数え終えて、サンジに確認させる。
「ぽんとこれだけ出せるって、相変わらずなのね。」
金の出所を理解しているのか、ナミはそう言って軽くため息をつき、四分の一でもくれないかしら。と小さく呟いた。
「あの神殿の事は、有名なの?」
サンジがそう問いかけると、ナミは苦笑を浮かべる。
「他の神殿の事情を知っている人から見ると、すぐにわかる事みたいね。私は、それを人から聞いただけだけど。」
街の人間全てが知っているわけではないにしても、この街の神殿が、街の人間に対して、色々と目に見える施しをしているのは明らからしい。
先程ゾロが朝食を貰えるのだと言ったが、本神殿ではそれは月に一度の事だ。それが毎日あるのならば、その差で何事かを察することはできる。それにすら気付かなかった自分は、やはりどこか甘いのだと、サンジは理解した。
「ここに金額書き込んで。」
指示された通りに紙に金額を書き込んで、サンジは皮袋に戻される金貨と、台帳に挟み込まれる紙を眺める。
「受け取りが必要な時には、うちに来て、欲しい額を言ってくれればいいわ。ただし、代理人の受け取りは駄目。サンジ君がここに来て受け取ること。」
「了解。」
下手に預り証など持っていると、それを失くしたり取られたりした時が厄介だ。特にサンジは神官だから、そんなものを持っている事だって面倒な事になりかねない。自分にはそれが有難いと、サンジは思った。
「手数料と利息は?」
話がそこで纏まりそうになったところで、ゾロが横から問いかけ、サンジはゾロに向けた視線をナミに移動させる。
「こちらにお任せしてくれると、有難いけれど。」
ナミは小さく舌打ちをしてからにこりと笑い、サンジはその舌打ちはなんだったのだろうかと、首を傾げる。
「手数料は利息の四割まで。って言っとかねぇと、七割とか取りやがるぞ。」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。」
別に、金を増やしたくてここへ持ち込んだわけではないから、半分が手数料に取られても構わないという気もするが、七割は流石に釈然としないものがある。
「嫌な奴にしかしないわ。」
「やったんだ…」
悪い事をしている気もない。という様子のナミを見て、人は見かけで判断してはいけないな、とサンジは思った。ナミはぱっと見て、そんな事をしそうな少女には見えない。大体、金貸しで生計を立てているようにも見えないのだから、そんな風に見えなくて当然だが。
「だって、恩着せがましいのよ。腹が立つじゃない。」
ちょっと怒ったような顔でナミは言い、サンジは苦笑を浮かべた。
「で、俺はどうなのかな?」
「サンジ君は、ゾロの紹介だし、四割ね。うちの利息は、小額の方が少なくて、高額だと多いってやり方なの。大体が、小額の借り手だから、あんまり増えないけど。」
「ゾロは?」
「五割。」
人には四割までにしておけ、と言いつつ、自分は半分は差し出しているというのはどういう事かとサンジは驚かされる。ただ、それが、半分差し出しても大して痛くないだけの利息がつく状況にあるのか、騙されてそうなっているのか、どちらかは、その表情からは読み取れなかった。
「それでお願いします。」
少しでも増えた方が有難いのは事実だ。だけれど、今までだってあの少ない額でやりくりできなかったわけではないし、それで構わないと思う。ここには、金を保管してもらっているだけだと思えばいい事だ。
「じゃ、契約締結ね。今後とも、どうぞよろしく。」
ナミはにこりと笑ってそう言って右手を差し出し、サンジは頷いてその手を握った。