エーテルダンス



「これが、ティティアの聖水?」
 結界石の近くに集まっていたのは、十人の旅の一行だった。ティティアの泉に行き、水を貰ってきたのだと言って、ガラスの瓶に入ったそれを見せてくれた。
「見たところは、普通の水だな。」
 ゾロはその瓶の中身を揺らしながらそう言い、それに一行も笑いながら頷く。
「病気が治ったって人もいたよ。実際、自分の体で試したわけじゃないから何とも言えないけど、金を取られるわけでもないしさ、試してみようと思って。」
 一行は、同じ町からやって来ていて、それぞれ家に病人を抱えていると言った。薬を買う金もないなら、買っても薬が効かないなら、その噂に掛けてみようと決めたのだそうだ。
「時間が経って、効き目が薄れちゃまずいからさ、急いでこの道を選んだんだけど、あんた達に会えて安心したよ。」
 そう言って、自分達の食糧を分けてくれた事に、サンジは感謝の言葉を返し、何をしてやったわけでもないのに、一緒にいるだけで安心を得られるほど、神殿を信頼してくれるのだという事に、喜びと申し訳なさを感じる。
「この辺に、魔物が出るって噂でも?」
 ここまで来る間、それらしき形跡もなく、実際魔物などあまり出現しないのかと思い始めていたサンジは、彼らの安心感が本物だと見て取り、そう問いかけた。
「カルダレスの近くで見たって話があってね。」
 目撃情報は相当な不安材料だ。事実にしろ、噂にしろ、与えられる不安感は変わるものではない。
「そうか。」
「ここから先じゃ、見なかったけど。」
 サンジがそう言うと、一行はそれにほっとした表情を見せる。
「この先は、カルダレスまで結界石がないんだよな。」
 結界石の位置を地図で眺めて、サンジはそれに気付く。
「道はできてるから来れるが、心配はあるよ。」
 人は結界石の間を結ぶように進むから、僅かなりでも道らしきものができる。ここまで来た道も、木の枝が掃ってあったりして、それとわかるようになっていたのだ。カルダレスまでにも、そういう道ができているのだろう。
「じゃ、この先の方が、危険地帯なわけか。」
「それでも、出くわしたりはしなかったがね。」
 彼らはそう言って笑い、結界石を囲むようにして眠る準備を始める。
「本当に不寝番を頼んでいいのかい?」
「飯の礼だ。」
 ゾロはそう言って辺りを見回し、その表情がいくらか硬いのに気付いて、サンジもつられて辺りを見る。
「結界張っとくか?」
 結界石には退魔結界の波動を感じるが、その範囲が狭い。身を寄せ合ってぎりぎりというところだろうと、サンジは思う。
「そうだな。」
 ゾロはそう言って頷き、サンジは結界石の前に移動すると、その脇に指先で結界創造の模様を描く。
「お?」
 サンジがそれに力を送る前に、それが淡く光を放ち、サンジは驚いて理由を聞こうとゾロに視線を向け、その先に光る赤い光を見た。
「ゾロ!」
 それを知らせるつもりで叫び、模様の上に手を置き、結界創造の言葉を呟く。辺りに結界陣の光が浮かぶ頃には、ゾロは剣を抜いて走り出していた。
 眠る準備をしていた一行は、驚いたように声を上げ、結界の中心で身を寄せ合うようにして固まる。
「出たのか?」
「わかんねぇ。」
 サンジは実際に魔物の存在を確認していない。本や話に聞いたことがあるだけだ。だから、あの赤い光が本当にそれなのかどうかはわからないが、ゾロは本物の退魔士だ。そのゾロが剣を抜いたのならば、それは魔物だということ。
「とにかく、固まって、陣から出ないように。」
 自分には、ゾロと共に戦う能力はない。だけれど、こうしてここにいる人を守って、ゾロの心配を減らすことはできる。万一、魔物がこちらへ向かってきても、彼らを守ることはできるはずだ。
 地面に着いた手から、結界陣の強化をイメージして力を送り込んだサンジは、結界陣が普段と違う色で光り始めるのに気付いた。
「何だ?」
 結界石の力なのかと、そちらに目をやったサンジは、地中から自分とは違う力の波動を感じ取る。それは、先ほどまで感じていた結界石の波動とも違う強いもので、それが結界陣に影響しているのだとわかる。
「危ねぇ!」
 叫ぶ声に彼らの見ている方へ目をやると、森の中から何かが飛び出してくるのが見えた。
 金色に光る結界陣から、ふわりと光が立ち上り、それを弾き飛ばすのを見て、サンジはその色が薄い琥珀の色と似ていると気付いた。
「あの人は、大丈夫なのか?」
 森の方から、大きな物音が聞こえ、光に弾き飛ばされたそれは、大きな尖った角のような物だと見て取れる。
「大丈夫だから、あんた達はここにいるんだ。」
 退魔能力のない人間は、結界の中でそれを待っているしかない。だけれど、それは安心よりも、不安や罪悪感を呼ぶものだ。
 自分も、彼らを助けて戦うべきではないか。そう思うのが人の常。相手が盗賊のような人間ならば、それも手かもしれない。けれど、今の相手は魔物だ。石をぶつけたくらいでどうにもなるものではないし、そこに割り込んでも、退魔士の仕事が増えるだけ。誰かを守りながら、何かと戦うことは困難だ。だから、守られている人間は、その気持ちと戦う。そういう事なのだと思う。
「あ!」
 森の中から、ゾロが後ろに跳び退って姿を見せた。剣を構え直す前に、森の中から黒くて鋭い爪を持った大きな獣が飛び出してくる。
 赤く光る目と黒色は魔物の証。だけれどそれは、首都の公園で飼われている見世物の虎と同じ姿だと、サンジは思った。
 それはゾロに飛び掛り、前足を振り上げる。ゾロは横に跳び、その攻撃を避けたが、爪が腕を掠め、赤い血が飛ぶのが見えた。
「ゾロ!」
 やばい、と思った時、魔物が咆哮をあげて倒れこんだ。
「何だ?」
 固唾を呑んでそれを見守っていた彼らは、その理由がわからずに声を上げ、ゾロは立ち上がってその腕に手を伸ばし、血に濡れた指先を剣に滑らせる。
 魔物は走り寄る足音に体勢を立て直そうともがいたが、ゾロは跳躍し、体重を乗せて魔物の心臓めがけて剣を突き立てた。
「おぉ!」
 何が起きたのかはわからないものの、魔物の断末魔の咆哮と、びくびくと震える体に、ゾロの勝利を確信して、思わず一同から声が上がる。
 その視線の先で、突き立てた剣の先から琥珀色の炎のような光が魔物の体を包み込み始め、ゾロはそれを確認して剣を引き抜いた。
「俺は、初めてあんなのを見たよ。すげぇもんだな。」
 魔物が他にいないとも限らないというのに、その見事な一撃に感心したように一行は口々にそう言い合い、サンジはそれを聞きながら、ゾロがサンジの怪我についてやけに気にかけていたことを思い出した。
 魔物が倒れたのは、ゾロの血が掛かったから。剣に指を滑らせたのは、血を付けるため。それを魔物の心臓部に直接突き立てる事でその命を奪う。ならば、退魔能力は血に宿っているということだ。
 サンジは彼等に結界を出るなと言い、そこへ近寄った。
「これ…」
 琥珀色の炎は、魔物を焼き尽くすことなく消え、サンジはそこに横たわるものを見て、ゾロに説明を求める。
「魔物ってのは、汚染された獣だ。」
「これ、虎、ってやつだろ?」
「そう。他にも、何だって魔物になる。浄化の進んでいない土地で暮らしているとそうなる。」
 ゾロの説明はサンジには初めて聞く事だった。魔物は魔物として生まれつくと、皆が思っている。
「こいつは、もともと魔物として生まれついたわけじゃないって事?」
「そうだ。退魔能力っていうのは、魔物を殺すものじゃなくて、穢れを浄化するものだ。」
 サンジはゾロの説明を聞きながら、屈みこんで虎の様子を観察する。
「魔物は殺せる。魔物化すると特殊な力を持つが、元が獣だ。速さに慣れれば心臓は狙える。だから、退魔士が魔物を倒すと思われてるが、それが全てというわけじゃない。」
 殺すと、汚れた血が広がって本当はよくない。と、ゾロは続け、サンジは倒れている獣から流れる血が赤いことを見て取る。
 魔物は黒く、赤い目をしていて、その血も黒い。その血を被ると病気になるとも言われていて、魔物と戦わないのは、それを恐れるからだ。
「こいつは、浄化されたって事か。」
 ゾロは頷いてみせ、サンジは立ち上がってゾロの腕の怪我を確認する。
「意外に浅いな。」
 血は既に止まっていて、あまり深い傷でもない。
「そんなに、間抜けじゃねぇよ。」
 ゾロはそう言って、膨れっ面を見せる。どうやら、退魔士にとって、魔物と戦って怪我をするのは不名誉な事らしい。ゾロは怒ったようにサンジに背を向け、結界石のほうへ歩き始める。
「なぁ、あれはどうするんだよ。」
「放っておけ。」
 獣の餌になる。とゾロは言い、サンジはそれを追いかけながら、先程までの戦いの最中のゾロの顔を思い出す。
 ここまでの旅の間、ゾロはのんびりした様子で、怒ったことはあったが、ごく普通のそこらの人間と変わった所は見えなかった。だが、先程の魔物と戦っている時のゾロは、同じ獣のように鋭い目をして、魔物以上に闘気を放っていた。そして、最後の一撃を繰り出した時、笑いに似た表情を浮かべていた。敵を倒す喜びよりも、戦うことに対する喜びのような、そんなものを感じた事が、自分の勘違いなのかどうか、サンジにはわからなかった。終わってしまえば、ゾロはそれまでと何一つ変わらず、その差に戸惑いさえ感じる。
「結界、解いていいぞ。」
 ゾロがそう言うのを聞いて、サンジが呪文を唱えると、派手に輝いていた結界は姿を消し、先程サンジが感じた波動も、それにつれて消えていった。




 魔物と遭遇した次の朝、彼らと別れて何事もなくカルダレスにたどり着くまで半日、サンジはゾロに話しかけることをしなかった。色々と気になる事を考え続けていると、いつの間にかカルダレスの門を潜っていたのだ。
 地図を買うために退魔士協会に立ち寄り、そこで報告が必要だというゾロと別れて、サンジは早々に宿に入った。
「やっぱり。」
 ベッドの上に地図を広げて、サンジはそこに書き込まれている結界石の位置を指で辿る。
 ゾロが、最初の結界石を見つけた時、指で幾つかを辿ったその動きが、どこかで気に掛かっていた。そして、昨日の結界石の波動。ここまでの道、ゾロは地図をサンジに渡さなかったため、サンジは必死に自分が見ていた地図を思い出しながら、頭の中で図を描いていたのだ。
「浄化結界だ。」
 結界石を線で結んでいくと、そこに法則が見える。そこに、ゾロの地図に描かれていた印を加えて、その法則との関係を推測する。更に、神殿の位置を見れば、それは明らかだった。
 退魔士は、血を媒介に退魔能力を発動するのだろう。ゾロがサンジが怪我をした場所まで気にしたのは、派遣神官にも同じ力があると考えているからだと思われる。
 退魔士は死ぬ場所を決められている。その場所に結界石が置かれる。昨日サンジが感じた波動は、そう考えると納得ができる。
 ならば、退魔士は人柱だ。浄化結界を作る為に、そこで死に、その場所を浄化する。完全に結界が構成されるまでに時間が掛かることを考えて、結界石を置いて、その力の発動を抑えているとも考えられる。
 そして、その結界石の描く結界の一部である神殿の配置を考えれば、派遣神官もそれと同じ意味を持っていることがわかる。ゾロが、神殿が増えるのは権力を求めているだけではないと言ったのは、そういう事だろう。
 神殿には、聖人の遺体が安置されている。奇跡を起こした人物に守られているという意味だ。どの神殿にも、同じように聖人の遺体があるが、その人物がどんな奇跡を起こしたのかは、伝えられていない。新しい神殿ができれば、聖人の遺体が必要になる。各神殿間に、差を生み出す事は好まれないから、結界を構成するように神殿を建てれば、そこに聖人が送られる。その聖人が派遣神官だとしたら、派遣神官も退魔士と同じく、人柱だということになる。
「浄化されてない土地…」
 この国には、おとぎ話のような言い伝えがある。
 昔、国王から地位を奪おうとした魔法使いが、それが叶わず処刑される時、この国に呪いをかけたのだという話だ。魔物が出るのは、その呪いのせいだといわれている。
 その魔法使いとやらがいたかどうかは定かではないが、浄化結界を本気で作っていることから見て、何かの理由で、魔法による汚染が起きたということは事実なのだろう。
 そして、ゾロも、自分も、人柱として認められた人間なのだということ。
「役に立つ、たって…」
 そんな話があるだろうか。もしこれに気付かないでいたら、死んでから、なんの同意も得られないまま、どこかの神殿に置かれたということになるのだ。そんな話があるだろうか。少なくとも、説明はされるべきだと思う。
 ゾロは、自分がそういう使われ方をするのを知っている。それでも、ああして魔物と戦って、自分を護衛してくれている。自分の死に場所を知っていて、そこに行くと言う。
 サンジには、そんな潔いことは考えられなかった。自分の想像が事実とは限らないが、それほど間違ってもいないだろうという確信がある。
 本神殿に帰ったら、それを確認しなくてはいけない。故意に自分に隠されているのか、誰も本当に知らないのか。隠されているのなら、それが何故なのかを。



「おう、お帰り。」
 宿の一階の食堂にいたサンジは、戻ってきたゾロに声を掛け、その違和感に首を傾げた。
「どうした?」
 ゾロは不思議そうに首を傾げ、サンジはじっとその顔を見つめて、違和感の正体に気付いた。
「お前、それ!」
 ゾロは、いつも左目を隠していて、琥珀色の右目が見えていた。だが、今サンジの目の前にいるゾロは、右目を隠して、左目を出している。そして、その色は黒。
「人を指差すな。」
 行儀が悪いぞ。と、ゾロはサンジの手を叩き、向かいの椅子に腰を下ろす。
「だって、」
 いつも胸から下げている琥珀の護符も服の中にしまいこんでいて、ぱっと見、それが琥珀の退魔士だとは気付かないなりだ。
「お前だって、そっちの目、色違うだろ。」
 そんなに驚くことかよ。と、ゾロは言い放ち、サンジは思わず左目に手をやる。
「見てねぇから。」
 ゾロは呆れたように苦笑を浮かべ、サンジはほっと息をつく。
「本物、なんだ。」
 昨夜見てゾロの能力はわかっていたが、退魔士にも本物と偽物がいるのだと、サンジは理解する。
 サンジが見た、この街の退魔士協会の受付は、両目とも琥珀色だった。それは、神殿の神官の両目が青いのと同じだという事。彼らには、昨夜ゾロが見せたような退魔能力はない。だけれど、魔物を斬って倒す技術はある。だから、退魔士は護衛として仕事ができる。けれども、人柱にはなりえない。
「お前の左目、隠すような色なのか?」
 退魔士は、元がどの色の目をしていても、能力の発現と共に、黒曜石と琥珀の組み合わせに色が変わる。血肉に浄化能力が現れる時に、諸々の構成が切り替わるらしく、平均して一週間ほどは、それによる痛みに耐えなくてはならない。
 それとは違い、派遣神官の場合は、元々の色にもう一色が加わり、その取り合わせはさまざまらしいと、ゾロは聞いている。
「あんまり、出ねぇらしい。」
 サンジは言って、ため息を漏らした。
 修行の中、頭痛と目の痛みに苦しみ始め、高熱を出して一週間寝込んだ。目覚めた時、派遣神官の長はその色を見て、息を飲んで言葉を失った。
 その時の沈黙の意味が、サンジにはわからない。ただ、他の派遣神官たちの目の色とは明らかに違い、それを見られたくなくて、髪を伸ばし始めた。
「希少価値があるって事じゃねぇの?」
 なんで隠すんだ。と、ゾロは不思議そうに問いかけ、サンジは首を横に振った。
「最初は、白くなったかと思ったんだ。」
 サンジの持っている鏡はあまり映りがよくなく、起き上がれるようになってから、別の鏡でそれを確認し、どう考えていいのか、戸惑った。
「銀なんだよ。多分。」
 銀色の石はないわけではない。けれど、人の目にその色が出るなんて話は聞いた事がなかった。神殿内の派遣神官たちも、複雑そうな顔をしてサンジを見た。そのせいもあって、サンジは派遣神官たちとの距離を置くようになったところもある。
「それって、凄いんじゃねぇか?」
 ゾロはそれを恥じているようなサンジの言い分を聞き、首を傾げた。
 銀は、宝石ではなくて、銀そのものだと考えれば、聖別されているものという意味合いを持つ。
 高貴な家の食器に銀を使うのは、高価であるという意味ではなく、毒を発見するため、とも言われている。毒に触れると、銀が黒く腐食するから、という話だ。近隣国では、悪い物を遠ざけると言って、銀でできた護符を身に着ける習慣も多く、神殿がそれを売っている事もある。銀は、魔物を発見するもの、と考えれば、何も宝石の色でないからと言って、恥じるところなどまるでないはずだ。
 それに、サンジは知らないようだが、現在の派遣神官の長も、片目は銀だったような記憶がある。彼の場合は、もう片方は緑だったはずだが、変わった色をしていると、その時思ったのだ。
「でもさ、ぱっと見て、白いな、って思うのがちょっとね。」
 皆が、びっくりした顔をするんだ。とサンジは言った。
 もしかしたら、派遣神官は長になる者にしか、諸々の事情は伝えられないのだろうか、とゾロは思った。派遣神官の長が、銀の目であることを他の神官たちが知っていたら、サンジがその色を恥じるような状況になったとは思えない。サンジが、自分を卑下する傾向にあるとしても、本気でそれを知られたくないと思っているのは、先程の行動でもわかる。ただ、それならばそれで、サンジにも事情が伝えられていないのもよくわからなくなり、その想像も外れかとゾロは内心でため息をこぼす。
 とにかく、何でもその理由を考えろと、師にうるさく言われ続けたから、ゾロは何か一つものを知れば、それから色々と推測を立てる癖がついた。だけれど、その答えがはっきり示されることは稀だ。
 今回のことも、多分、答えは手に入らないだろうと思うと、考えるだけ無駄なような気もする。けれど、サンジを見ていると、あれこれと気に掛かることが出てくるだから仕方がない。先程も、調度居合わせた同業者と話をして、そんなに誰かを気にするのは珍しいとまで言われてしまった。でも、サンジの不安定さを見ていると、本当に、どうにかしてやりたいと思う。そう言ったら、彼は驚いた顔をして、春だねぇ、などと言った。わけがわからなかったから、師に手紙を残してきたが、あれは一体どんな意味だったのだろうか。
「まぁ、俺らも、両目出してるとぎょっとされるしな。」
 だから、琥珀の退魔士は片目を隠す。身分を隠したいときは黒い方、知らせたい時は琥珀の方と、使い分けるわけだ。ゾロも普段は琥珀の方を隠している。
 今日変えたのは、この先、人目も増えるため、面倒を避けようと思っただけの事だ。この街は、神殿の勢力が強く、退魔士はあまり歓迎されていないのだ。
「違うのわかっちゃうからね。」
 派遣神官は、両目を晒している場合が多いが、あれは自分達の特殊性を誇示しているところもあるためだ。サンジはそれも不思議に感じていて、彼らを遠ざけていたところもある。
「神官だって、人間だからさ。」
 あんまり、人外見るような目で見られたくないね。と、サンジは苦笑を浮かべてそう言った。





 カルダレスからティティアまでは、街道を歩いて二日。サンジは早く首都へ帰りたいと、街道を馬車で進むことに決めた。乗り合いの馬車は、色々と面倒だからと、二人乗りの馬車を拾い、できるだけ急いでティティアへと、サンジは注文をした。
「ティティアの泉って、森の中にあるんだよな。」
「ああ。」
「俺、あの辺を前に通った事があるけど、結構、怖い感じの森だったぜ。」
 魔物に会ったカルダレスの森も、枯れた木の多さや、枝の捩れ方に、何となく息苦しい空気を感じる森だったが、ティティアの方はもっと気味が悪い感じがしたはずだ。
「聖地の近くって、結構、魔物が多い、」
 そう言いかけて、サンジはそれに気付いた。
「聖地って、もしかして、浄化の結果か?」
 汚染された土地に、浄化が行われて、強くそれが働いた結果、聖地と呼ばれる、完全に浄化された場所ができるということだろうかと、サンジは思いついた。
「そういう事。」
 ゾロは苦笑を浮かべて頷き、サンジは自分の怪我をゾロが気にした理由を理解した。
「意図的じゃなく、結界が構成されちまったって事か。」
「そう。魔法の汚染だからな、浄化された場所が勝手に反応して結界ができちまう。」
 浄化が進むことは、本来はいい事なのだが、国を覆う結界を作ろうとしている退魔士にとって、それがあまり増えると、結界が崩れかねないという、不安もある。神殿が聖地調査に乗り出している事や、派遣神官の動向に注意しているのは、彼らがそれに気付いて、聖地をどんどん増やしてしまわないように、という考えがあっての事だ。派遣神官に退魔士の見張りが着くのは、彼らが知らぬところで浄化を行い、それに気付かず、結界ができてしまわないように、という意味がある。それなのに、こうして見張りの着いていない派遣神官がいたというのは、退魔士協会の手落ちだったという事だ。
 最近の予想できない聖地の出現に、サンジが関わっているのは間違いない事だとは、カルダレスの協会でも出た意見だった。
「それで、怒ったんだ。」
 わかれば、怒られる意味もわかる。サンジは苦笑を浮かべて小さく謝る。
「ティティアも、俺のせい?」
「主原因は、お前じゃないから。」
 血が溢れるほどの大怪我をした退魔士がいたのだ。その量があまりに多すぎて、小さな反応点を巻き込んでしまった。彼は多分、その師にかなり笑われ、怒られているものと思われる。聖地出現に関わるというのは、琥珀の退魔士としては、相当の恥なのだ。自分の怪我の手当てや始末もできないほど、大きな怪我をしたという証拠だから。
「それに、俺も作ったことあるし。」
 辺境を旅していた頃、魔物に遭遇したわけではなく、道を踏み外して崖下に落ち、怪我をして気を失ったのがその理由だ。多分、ティティアの同僚も同じ事であったと思われる。こうなるともう、笑われて馬鹿にされても、文句も言えたものではないのだが、腹は立つ。そして本当に恥ずかしい。だから結局、怒るしかないのだ。
「そうなんだ。」
「聖地作った事のない退魔士なんて、ほんの一握りだから、あんま、気にするな。」
 余計な心配をさせたくなくてそう言えば、サンジは苦笑を浮かべて頷き、ゾロはその表情が昨日と比べて明るいことに、ほっと息をついた。




 ティティアに着いたのは、その日の夜遅く、宿に入って、食堂でまず噂を集める。
 実際の聖地出現の理由は、ゾロが肯定したことでわかったが、同時に、それを神殿に報告してはいけないことまで理解できた。ならば、いつも通りに、近隣住民の噂話でも集め、聖水を持ち帰るしか取る手はない。
 ゾロに会う前だったら、気付いたことを全部報告していたかもしれないと、サンジは思う。そしてきっと、それを聞いた神殿は、派遣神官に聖地を作らせたはずだ。
 そう考えて、サンジは首を傾げた。
 神殿を結界の形に増やし、そこに派遣神官を埋めるのならば、神殿は退魔士の狙いも、聖地出現の理由も知っていなくてはおかしい。それなのに、神官長は本当にそれを知らないとしか思えないのだ。それでは、話がおかしくなってくる。
 それでは、神殿の建設を決定しているのは、神官長ではないという事だ。神殿の中には、浄化結界について知る者の作る流れと、単に権力を求める流れがあるという事。ゾロもそう言っていた。
 では、誰が建設地を決定しているのか。そう考えて、浮かんでくるのはたった一人。派遣神官長だ。
 彼は殆どを神殿の外で過ごし、新しい派遣神官が現れると、それに合わせて神殿に帰ってくると言われている。彼が外に出て何をしているか、それを知る者はいないが、神殿から出ない本神殿の神官には、神殿の建設地の候補を上げることなどできるはずがない。
「お前、派遣神官長に会ったことある?」
 向かいで食事をしているゾロにそう問いかけると、ゾロは視線を他所へ飛ばした。
「どこで。」
 そんなでは、答えたも同然だ。と、問いを重ねると、ゾロは困ったように顔を歪め、ため息をついて首を振る。
「もう、俺には全部ばれてるんだぜ?」
「…コリエント。」
 俺は馬鹿だ。とゾロは小さく呟いてテーブルに突っ伏し、サンジはその様子に楽しくなってくる。
 初めて会った時は、あんなに自分とかけ離れているように見えたゾロが、今こうして、自分にやり込められて困っている。しかも、なんだかとても子供っぽくて可愛く見えてくるから不思議だ。
「派遣神官長も、全部知ってる。そうだな?」
 ゾロはテーブルに突っ伏したまま、唸り声を発して、顔を上げずに頷いてみせる。
「今、どこにいるか知ってるか?」
 ゾロはその問いかけに、びくりと肩を震わせ、そのまま固まった。
「ゾロ?」
 答えは。と、突っ伏したままの頭を突付くと、ゾロは首を横に振って、拳を握り締める。どうやら、知っているらしいが、そればかりはどうしても答えられない事らしい。
「俺、会いに行きたいんだけど。」
 そう言えば、ゾロは顔を上げて、ぶるぶると首を横に振った。
「なんで。」
「怒られる。」
「は?」
 その子供みたいな言い分は何なの。とサンジは驚いてゾロの表情をまじまじと見返し、ゾロは大きくため息をついてまた顔を伏せてしまう。
「なぁ、そこまで連れて行ってよ。」
「やだ。」
 頭を突付いても、ゾロはぶるぶると首を振り続け、サンジはため息をもらす。
「じゃ、とりあえず、コリエントでも行こうかな。」
「帰れよ!」
 ゾロはがばりと起き上がって叫び、その真っ赤な顔が物凄く可愛いと、サンジは思う。
「やだ。」
 笑ってそう言えば、ゾロはぐっと言葉に詰まり、項垂れてため息を漏らす。
「俺が一人で行くのは構わないんじゃねぇの?」
 問いかければ、ゾロは顔を上げて首を横に振った。
「カルダレスで、お前付きだって言われたから、どうせ俺も行かなくちゃいけねぇし。」
「俺付き?」
 何の話かと問い返せば、ゾロはまた大きくため息をつき、俺は馬鹿だと呟いた。
 こいつは、隠し事のできない性格なんだなと、サンジはそれを見て思った。でももう、こうなったら何でも全部話してしまった方が、ゾロには楽なんじゃないかという気さえする。
「全部話しちゃえって。絶対、誰にも言わねぇから。」
 ぽんぽん、と頭を撫でれば、ゾロはむっとしたようにその手を払って、困ったように眉を下げる。
「退魔士は、派遣神官の行動を見張ってるんだ。琥珀の退魔士はそういうのしねぇけど、しろって言われたから…」
 別に構わないと思ったのが、馬鹿だった。とゾロは思う。最初はあんなに間抜けだったくせに、物を考え始めたサンジは、意外に勘が良くて、自分は馬鹿だ。サンジはそれを他言しないとは思うが、こんなに簡単に話を聞きだされていては、師に何を言われるか知れたものではない。しかもその師は、今、派遣神官長と行動しているとエミユで読んだ手紙に書いてあった。サンジがそこに行き、自分が付いていったら、どうしたって会わなくてはいけないではないか。
「だけどさ、このまま帰っても、俺は答えを貰えねぇだろ。会いに行くしかねぇし。」
 自分の考えが正しいのか、正しいのならば、何故隠されているのか、それを知らなくては、この先動けない。
「本神殿に帰るまで、お前は、俺の護衛に雇われたんだろ?」
「寄り道するなんて聞いてねぇ。」
「お前が、その可能性を聞かなかっただけだ。」
 サンジはぴしりとそう言い放ち、ゾロはまたテーブルに突っ伏した。
「ゾロ?」
「馬車で街道移動限定。」
 くぐもった声が返り、サンジは緑色のふわふわした頭を撫でてやりながら、やけに浮き立つ心を、抑えられなかった。
「じゃ、明日の朝、早速出発な。」
「泉の調査は?」
「んなもん、適当に報告する。」
 早く休もうぜ。と、サンジは席を立ち、ゾロは慌ててそれを追いかける。
 なんだか上手く丸め込まれてしまったような気がするけれど、サンジといるのは楽しいとも思う。師に会って怒られるのは気が重いけれど、それでもいいかと思えもした。これは一体、どういうことなんだろう。
「で、どこに向かうんだ?」
「ディアント。」
 春だ、ってのは、こういう事なのかな、と、先に階段を上がっていくサンジを見ながら、ゾロは思った。
「楽しみだなぁ。ディアントって、港町じゃねぇか。旨い物ありそうだな。」
「お前、旅行に行くわけじゃねぇんだろ?」
「仕事でもねぇじゃん。」
 サンジはあっさりそう言って部屋のドアを開け、ゾロを先に中へ入れる。
「もう暫く、お前と一緒にいられるってわけだし。って、この先ずっと、お前がいるって事か。」
 そりゃいい。と、サンジが嬉しそうに声を上げるのを聞きながら、サンジも春なのかなと、ゾロは思って頷いた。

 
 


前へ
 

オフラインから転載
2005年にエーテルダンスの2巻目として発行しました。
剣と魔法のファンタジーらしさを求めて、なんとか頑張ってみた戦闘シーンは、今ひとつな感じもありますが…
本では綴じにリボンを使っていて、1巻は金と黒、2巻は銀と青、という二人の目の色イメージになっていました。
2巻になると、サンジの方が頭いい事が発覚します。そして無理無理、サンゾロっぽさを巻末にて追求。必死でした。

(2005.2.13作)
(2010.10.24up)



パラレルTOP  夢追いの海TOP