それは、お母さんの、そのお母さんの、そのお母さんが生まれるよりも、ずっとずっと前の、遠い遠い、昔のこと。
王様の五十回目の誕生のお祝いの日、深い森の中に暮らす、悪い魔法使いが、王様の元を訪れました。
「この五十年、私はあなたにすばらしい贈り物をしようと、毎日研究を続けてきました。」
小さな箱を持って現れたその魔法使いは、王様の前でそう言って、恭しくその箱を差し出しました。
「それには、何が入っているのだね?」
王様は、その魔法使いから、何かよくないものを感じて、すぐには手を出しませんでした。
「どうぞ、お手に取って中をお確かめ下さい。」
魔法使いは立ち上がって、王様に近寄ろうとしましたが、衛兵がそれを押し留めます。
「それ以上、国王陛下に近付かぬよう。」
王様は尊い方ですから、傍に寄ってはいけないのがしきたりです。けれど、魔法使いはそれに怒りました。
「この私の贈り物を、私が国王陛下にお渡しできないとはどういうことか。」
ですが、誰も、自分からの贈り物を、自分で王様に渡したりはしないのです。衛兵は困って王様を見ました。
「仕方ない。」
王様は、せっかくの誕生の祝いの席に、争いごとはいけないと、衛兵に許可を与えました。
魔法使いは笑いを浮かべて、その箱を持って王様の元に寄ると、それを手渡しました。
王様は、その箱を眺め、それがすばらしく美しい細工の施された品だということに驚き、魔法使いに問いかけました。
「これはすばらしい品をいただいた。何か、褒美を取らせることとしよう。何なりと、申すが良い。」
魔法使いは、その言葉を聞くと、にこりと笑いました。
「では、どうぞ、その椅子を私にお譲りください。」
「なんと!」
王様は驚いて声を上げ、衛兵は慌てて王様の傍によると、魔法使いをそこから引き離しました。
王様の座る椅子を譲れというのは、自分を王にしなさいということです。魔法使いは、自分が王様に成り代わろうとしたのです。
「そのようなことができるわけはなかろう。」
「今、陛下はなんなりと、と申されたではありませんか。」
魔法使いはそう言い、王様は自分の言った事を後悔しました。
嘘をつくことはできませんが、王様は神様から祝福を受けて王になったのです。勝手に、それを譲るわけにもいきません。
「この座を譲り渡すわけにはいかぬ。」
王様がそう答えると、魔法使いは怒って手に持った杖を振りました。
「ならば、この国と滅びてしまうがよい!」
魔法使いの叫びと共に、王様の持っていた箱が光を放ちました。
その黒い光を浴びた衛兵達は倒れ、王様もその場に倒れ伏しました。
光が収まった時、そこには魔法使いの姿は見えず、皆はその姿を探して城の中を探し、驚きました。
城の美しかった庭が、まるで姿を変え、木々の緑は黒く変色し、人々は倒れ伏して苦しみの声を上げていました。
王様は、それが先程の光のせいではないかと考え、神に助けを求めて祈りを捧げました。
「神は、祈りを捧げる王様の声を聞き入れ、剣と盾を与えました。」
サンジは目の前で繰り広げられるやり取りを眺めながら、そんな話も聞いた事があるな、とぼんやり思う。
「だから、この国は、大丈夫なのよ。」
にっこりと笑った年老いた女性に、孫と思しき少年が大きく頷く。
「それって、すごい剣なのかな?」
御伽噺のような伝承に、少年は目を輝かせたが、サンジにはあんな時期はなかった。確か、その話を聞いたのは神殿に上がってからの事だ。子供向けの礼拝の時に語られたものではなかったろうか。先日、ゾロに話を聞くまですっかり忘れていた話だ。
「あれ、本当?」
「何言ってんだ。お前、盾じゃねぇか。」
ぼんやりと外を眺めていたゾロが、振り返って呆れたようにそう返し、サンジは驚いてその黒い目を見つめる。
「俺が盾?」
何の話だ、とゾロに視線で説明を求めれば、ゾロはため息混じりに説明を始めた。
「国王に与えられた剣と盾は、黒い光によって生み出された魔物を倒し、その爪から王を守る、二人の若者の姿をしていた。王宮を囲んだ魔物の群れは、剣の力によって消え去ったが、多くの呪いを一度に消し去るまでの力はなかった。」
ゾロはつまらない話でもするような顔をして、小さな声でその説明を続ける。
「最初、剣と盾は国王の傍に控えて、近くから浄化を始めた。だが、辺境にその力が届くには時間が掛かり、その内に、呪いは大地に染込んで、それがそこに暮らすものに影響を与えることがわかってきた。」
それが、先日見たあの魔物の事だと、サンジは理解し、ふと気になることに気付いた。
あの時も、そこに暮らすもの、とゾロは説明した。サンジは何故かそれが動物に限るものと思っていたが、生きているのは動物だけではないはずだ。
「まさか、人間も?」
ゾロは黙って頷いた。
「人間に影響が出ると、国の体制に影響が出る。なんとか、人間だけでも無事に生活を送れるように、人を浄化した土地に集めることになった。その為にはまず、浄化された土地を作らなくてはいけないが、それが作れるのはたった二人。国王は、その人数を増やすことを考え付いた。」
「祈りでも?」
「お前が盾なんだぞ?」
俺は剣。とゾロは言い、サンジはそれに気付く。
「子供か。」
ゾロは笑って頷いた。
「子供を産ませて、それを各地に送り込んだ。これがなかなか上手くいって、とりあえず、大きな街を作る土地の浄化はできた。その調子で、代を重ねていったんだが、ここで困ったことが起きる。」
「力が薄まってきたわけだな。」
それが本当に上手くいったのならば、今こうして、まだ呪いが残っているなんて事はおかしくなる。
「それで、王宮に残っていた剣と盾が、魔法による呪いは魔法で浄化しようと考え付いて、神殿の中に特別な機関を作った。それが、派遣神官の始まりだ。」
「なるほど。」
でもそれじゃ、退魔士がいない。
「退魔士は?」
「剣と盾は明らかに役目が違う。盾は何かを守るためにあって、動く必要があまりないが、剣は動き回らなくてはいけない。だから、剣は盾の傍を離れることになった。それが、退魔士の始まり。」
「…じゃ、なんで今は仲悪いんだよ。」
「剣が離れたのは、派遣神官が神殿の保身に巻き込まれ始めたからだって言われてる。その頃、神殿と王家になんかあったらしいな。」
「で、そのまま盾は神殿に取り込まれたわけか。」
「そういうことなんだろうな。その辺は、やたらに歯切れが悪いんだよ。」
ゾロもそれを不思議に思っているのか、不満そうにそう言い、サンジは小さくため息をつく。神殿では、こんな話すら聞かないのだ。一体どういうことかと思う。
「っても、派遣神官長は退魔士と行動してるから、実際のとこはわからねぇ。」
神殿と退魔士はあまり良い状況ではないが、派遣神官長と退魔士の関係は悪くない。元々、派遣神官は神殿とは違う流れにあるのだから、それを見れば、状況が悪くなっているとは言えないのかもしれない。
「なるほど。」
「ってわけで、今じゃすっかり血が薄れて、そこここで確率のある人間が生まれるけど、なかなか役に立つだけの力が集まらないって事だな。」
「神の使いとか言われて、あちこちで種付けしたってのは、不憫なのか役得なのか…」
神官には妻帯が禁じられているが、派遣神官にその制約はない。それもそういう理由があることならば、わからないではない話だ。
「お前も、その内、子供の十人、二十人作ってこいって言われるんじゃねぇの。」
笑いながらゾロが言い、サンジは冗談じゃないと顔を歪める。普通、そういう事は、ちゃんと想いがあってするものであるはずだ。なんで、そんな事まで指示されなくちゃいけないというのだ。
「お前こそ、どうなんだよ。」
そう話題を振りながら、それが酷く不愉快で、サンジは湧き上がる気持ちに驚いた。
「俺は」
「お前は、俺のだから駄目。」
いきなり何事だ、とゾロは思い、きょとりとサンジを見返す。
「お前は、俺で我慢しとけ。」
サンジが何を言おうとしているのかわからず、ゾロは首を傾げてサンジを見やり、なんだかよくわからないが、本気で不愉快そうな顔をしているのを理解して、仕方がなく頷いてやった。
しかし、サンジで我慢しろとは、どういうことかを追求する気にはならず、視線を元通りに外に向けた。
街道の移動に危険は殆どなく、徒歩の移動でも問題はないが、できる限り早く、サンジに用件を済ませさせれば、帰りも早くなるはずだと、馬車での移動を提案した。サンジはそれに異議は唱えなかったが、乗り合いの馬車となると、こういう話をするのにも少々の気遣いが必要になる。人の話を聞こうとして聞き耳を立てている者がいなかったとしても、聞こえてくる事に興味があれば、思わず聞き入ってしまってもおかしくはない。退魔士と派遣神官の成り立ちくらいならば大した内容ではないが、聖地に関わる内容などはあまり人に聞かれるのは好ましくないから、気をつけなくてはならない。
だけれど、サンジにその気遣いを求めるのは多分無理な話だ。サンジの知らない話をするのだから、その話が人に聞かれていい話かどうかを、サンジが判断できるわけもない。けれど、どうにもゾロは話をはぐらかすのが苦手で、聞かれるとごまかすのに苦労する。最近は、サンジもその様子で自分の聞こうとしていることが、歓迎されていないことを理解してくれるようだが、もう少し上手くやれるようになるといいと、ゾロは常々思っていた。
「退魔士は、退魔士同士で結婚したりするの?」
「退魔士で結婚する人間は少ないと思う。」
少なくとも、ゾロの知る、琥珀の退魔士で結婚して子供を作った人間はいない。妊娠確率が低いとか何とか、小難しい説明を子供の頃に師にされたことがあるような気がする。
「妊娠中も養育中も仕事から離れなくちゃならないとかで、嫌がる女性が多いとか何とか。」
だからこそ、あちこちで買い集めてくるわけで、退魔士同士で結婚して、思うように資質のある子供が集まれば、金も掛からず万々歳だ、とか笑いながら話していた人物を思い出す。
「ふぅん。」
「止められてるわけでもないから、まるでいないわけじゃないだろうが、俺はとりあえずは知らないな。」
「でも、さっきの話でいくと、血が濃くなった方がいいって事になるだろ?」
「だからって、好きでもない相手ってのは、嫌だろう?」
よくわかんねぇけど。とゾロは小さく付け足し、サンジはその辺りの感覚が似通っている事に安心する。
「そうだな。」
そう答えると、ゾロはほっとしたように頷き、そんな顔も可愛いと、サンジはぼんやり思った。