エーテルダンス



「退魔士の給料ってどうなってんの?」
 朝食を食べながら、サンジはそう問いかけた。
 行き先を変更してから、旅に必要な費用はゾロが払っている。勿論、サンジに手持ちの金がなかったからそうなっているだけで、ゾロが支払った金は後からサンジが返す約束になってはいるが、街に立ち寄る度に、ゾロは退魔士協会から金を引き出している。それ程派手に金を使っているわけではないから、受取っている額も多くはないが、協会の受付は何の躊躇いもなく言うままに金を払っている。サンジでなくても、ゾロがどれ程の金を持っているのかは気になる事だとろうと思うのだ。
「自分が契約した金がそのまま入ってくるのと、協会からの依頼を受ければ、手数料を引いた額が入ってくる。」
「手数料は?」
「半額だったかな…」
 あんまり気にしてねぇから。とゾロは言い、サンジはその暢気さに驚かされる。先日のナミとの契約にしてもそうだが、ゾロは金に対して無頓着過ぎないだろうかという気もしてくる。
「新しい退魔士候補が出た時に、それが買えるだけの金は協会にないとまずいし、殆ど自分の手元に金は置かないのが暗黙の了解なんだけどな。」
 子供一人買い取るのに、億単位の金を請求する親もいるという。一人でも多く候補者が欲しい協会としては、それを値切ることも出来ないというのが正直なところだ。子供を買うのは退魔士協会だけではなく、色町からの人買いもいれば、国外からの人買いもいる。それを考えれば、あまり安い金で買えないのが現実だ。
「自分一人生きていけるだけの額と、退魔士育てる分の金があればいいわけだから、実際、自分が稼いだ分を使いきる退魔士はいねぇらしいけど。」
「親に金を送ったりは?」
 ゾロは自分の親や故郷といい関係を続けているらしいから、そういう事もあるのではないかとサンジは考えていたのだが、今の言い分ではそれはないようにも感じる。
 神殿の神官の中には、神殿への喜捨を着服したとして罰を受ける者もいる。その理由で一番多いのは、親への送金だ。子供を売っただけでなく、金をせびる親だっているということなのだ。
「自分の金をどう使おうと文句は言われねぇが、金蔓扱いする親に金を送るような奴はいねぇんじゃないか?」
 ゾロも、村に帰るときには何か物を買って帰ることもあるが、金を持って行く事はない。それが普通になって、依存されることになっても困るからだ。
「そうだな。」
 サンジはそれに同意して、そう言えば、退魔士の依頼料の相場とは幾らなのだろうかと思った。自分は随分小額でゾロを雇っているが、多分、それは破格なのだろうと思う。
「お前を普通に雇おうと思ったら、どれくらい払うのが基本なわけ?」
「普通に?」
 どういう意味か、とゾロは首を傾げた。
「首都の本神殿から、ティティアまで連れて行く額は?」
「ああ…」
 ゾロは少し戸惑うように視線を泳がせ、指先で、トントンとテーブルの上を叩いた。
「ゾロ?」
 ゾロがこうして視線を逸らすのは、自分が理に適わないことをしているという自覚がある時だ。そして、それをあまり追求されたくない時。
 だから、多分、ゾロはここでサンジにおとなしく引いてほしいと思っているのはよく理解できた。けれど、答えがほしいから問いかけたわけで、ここで引いてやることはできなかった。
「…あの額だと、半日位かな…」
「は?」
 サンジは驚いてゾロの顔を覗き込んだ。
「ゾロ?」
 サンジの持っていた額は、確かに退魔士を雇うには心許ない額だったかもしれないが、それでも、普通に護衛を雇うには充分な額ではあったはずだ。幾らなんでも、半日というのは短すぎるだろう。それに、そうならば、あそこでゾロが頷くのは相当おかしなことではないか。
「ただの退魔士だったら、あれで片道分位だけど…」
 ゾロは歯切れ悪くそう言って補足し、顔を上げてサンジと目が合うと、また視線を逸らし、ぼそぼそと説明を加えた。
「依頼料ってのは、俺たちが請求するわけじゃないから、依頼人の気持ちで決まるんだよ。琥珀の退魔士は高いって噂があるから、余程の人間しか雇わないし、そういう人間は雇うと決めたら、金に糸目はつけないし、俺らだって金は要るから、出すと言ってるのを断る理由もないし。」
 ごにょごにょと、尻すぼみにゾロは説明を終え、ため息をついた。
「そうなんだ…」
 それでは、あの場でサンジの依頼を受けてくれたのは、サンジが本物の派遣神官だと気付いて、気に掛けていてくれたからのことで、金の問題ではなかったのかと、サンジは理解する。
 けれど、ゾロはその時は単に見張りのいない派遣神官としてしかサンジを見ていなかったはずで、そこまでした理由は何だったのだろうかという疑問は残る。でも、流石にそれを追求するのはよしてやったほうがいいかと、サンジは次の質問を口にした。
「俺が外に行く時は、お前が着いてくるんだろ? その間、お前が依頼受けて別の所にいたらどうするの?」
「普通は、協会から知らせが行くのと同時に、他の退魔士が合流点まで見張りに着く事になるな。」
「俺が、待ってれば、お前は首都まで帰ってくるわけ?」
「ああ。」
 サンジはその返答を聞いて、次からは、協会まで行って、ゾロを呼んでもらおうと決める。やはり、別の誰かが着いているより、ゾロが最初からいた方がいい。せっかく傍にいられるのなら、少しでも長くいたいし、派遣任務は期間の制限がないのだ。二、三日長引いたところで何があるわけでもない。
「俺が神殿でおとなしくしてる時は、お前は別の誰かの護衛をしてるのか…」
「でも、俺、あんまり仕事しねぇから。」
 ふらふらはしてるけど。とゾロは言う。
「ふらふらって?」
「土地の浄化までいくと色々面倒だけど、汚染された生き物を浄化するのは問題ないから、琥珀の退魔士は、大体、そういうのを浄化して辺境の様子を見たりとかしてる方が多いんだ。退魔士は殺すから、土地の汚染が広がると不味いし、先に浄化して数を減らしておけば、護衛も楽になるし。」
 だけれどそれでは、追々、退魔士の仕事が減ってしまうことになるのではないだろうか。魔物が出る恐れがあるから護衛を用意するわけで、それがなければ護衛を雇う必要はない。そうなれば、金は手に入らず、候補者を買う金が足りなくなるという事になりかねないではないか。
「仕事がなくなるのは、元々の狙いだから、それでいいんだ。」
 サンジの疑問に気付いたのか、ゾロは苦笑してそう言い、サンジは元々彼らが目指しているのが、浄化された魔物のいない世界なのだと言うことを思い出す。
「でも、土地が浄化されないと、魔物はいつまででも生まれてくる可能性はあるわけだから、完全に仕事がなくなることもないんだよな。」
 それに、人柱の数さえ揃えば、一気に浄化ができる。そうなればもう、人買いのようなことをしなくてもいいわけで、金もそれ程必要ではなくなるという事だ。だけれどそれは、その人間が死ぬということになるのかもしれないのだと、サンジはふいに気付いた。
「浄化結界のためには、死ななくちゃならねぇのか?」
「わかんねぇ。怪我した程度の血でも結界はできるわけだから、その程度で足りるのかもしれないし、結界ができるまでに時間が掛かるなら、待ってる間に死ぬかもしれねぇし。」
 琥珀の退魔士も派遣神官も、血肉が浄化能力を持つからこそ、遺体を埋めて、より長い期間の浄化効果を求めるわけだが、生きている人間でそれを行う場合、どこまでのものが必要なのかは、誰も知らない事だ。
「せっかくお前といられるのに、死ぬ時は別の場所か。」
 サンジの呟きを聞いて、ゾロはその表情を窺った。
 自分達が生きている間に、必要なだけの数が揃うとしても、結界の創造が指示されれば、ゾロは自分の持ち場に行かなくてはいけないし、サンジにも同じように行くべき場所が指示されることだろう。
 何も知らないままであったら、サンジがそれを拒否する事もあったかもしれないが、多分、今のサンジにはそれはできないだろうから、結界を作る為に死ななければいけないのならば、サンジの言う通り、死ぬ場所は別の場所だ。
 それは、とても残念なことのような気がすると、ゾロは思った。どうしてそう思うのかはよくわからないけれど、最後までずっと、一緒にいられるわけではないという事が惜しいと思う。
「残念だなぁ。」
 サンジは笑ってそう言ったけれど、その目がどこか悲しそうだと、ゾロは思った。
「……そうだな。」
 こんな事を考えたのは初めてで、こんな事を感じたもの初めてのことだった。


 馬車に乗っている間は、特にするべき事がなくてつまらないと、サンジは思う。
 ゾロは二人でいる時や、大勢が騒がしい場所では話はするが、大勢が静かにしている場所ではあまり喋らない。特に、乗り合いの馬車の中では、話をしようという意志を感じない。隅のほうで静かにしているのが普通だ。
「明日には、着くかな。」
 この旅の目的地であるディアントは、大きな港町で、国外への旅には一番よく使われる場所だ。交易品も山を越えるよりも海を越えて行く事の方が多いらしい。街道を行く馬車も、人を乗せているよりも物を乗せているものの方が多い。
「そうだな。」
 とりあえずの目的がここで果たされたとしたら、この先、自分はどうするのだろうと、サンジは幌の向こうに見える海を眺めて考えた。
 例えば自分達派遣神官が人柱だとしたら。
 死んだ後に自分の遺体がどうされたところで、生きている間のサンジには何の関係もないと言えば、ない。死んだ後に燃やされようが埋められようが飾られようが、そこに自分の意志は存在していないのだから、どうでも良さそうな気がするが、それでもどこかに違和感がある。自分の意志でそれを選ぶのとそうでないのとは、違う事だ。
 神殿の建設地を決めているのが派遣神官長であったとしたら。
 それだって、どうでもいい事だ。金の為に新しい神殿を建てているのではないことはわかったのだ。ただそれが、本神殿の神官長たちとは狙いが違うだけのこと。神殿が国の政治に口出しをしようとしまいと、派遣神官になったサンジにとっては、多分それもどうでもいい事。ただ、その為に、派遣神官の能力や聖地創造に関する事柄が、いいように利用されないように気をつけなくてはいけないと思うようになったのは確かな事。
 自分の目の色には、何かの意味があるのかどうか。
 多分、これが一番気になっている事だが、そんな事を聞いて答えがもらえるものかどうかがわからない事。
 ゾロは、何か思うことがあるらしい。それは、ゾロを見ていればわかる事だけれど、ゾロはそれをサンジに告げることはない。ゾロの中でも想像に過ぎないから、戸惑わせてはいけないと思っているのだろう。ゾロは、そういうところがあると思う。
 予断を口にしてはいけない、というよりも、自分の言葉で誰かがいらない悩みを持たずにすむように、という気遣いに近いと思う。穏やかな顔をしている人間ではないけれど、ゾロはそういうところで気の利く人間に思う。
 だから、この先、自分はゾロとどうして行きたいのかと考える。
 ずっと近くにいればいいと思う。何でだかはわからないがそう思う。神殿でこうして傍に人を置くことがなかったから、なんでもないように傍に居てくれる人間がほしいと思ったという事でもないような気もするし、やはり、人恋しいと思っているだけのような気もする。
 でも多分、今まで生きてきて、傍にいたらいいと思ったのはゾロが初めてだ。自分を評価してほしいと思った人は他にもいるけれど、手を伸ばしたら届く位置にいてほしいと思ったのは、ゾロが初めてだ。
 それなのに、ゾロはいずれは離れなくてはいけない人間なのだ。
 親も要らないし、故郷も要らないと、いらないものばかり増やしてきたのに、ほしいと思ったらそれは駄目だなんて、酷い。
 もし、人柱の数が揃った時、自分が死んでいなかったら、ゾロの傍にいても許されるだろうか。派遣神官は死んでいるから使われるのなら、生きている自分は、ゾロの傍にいてもいいだろうか。それともゾロは、それを嫌がるだろうか。俺を傍には置いてくれないだろうか。
「サンジ、どうした?」
 小さな声で様子を伺われて、首を傾げてゾロを見返すと、視界がぼんやりとしていた。
「具合でも悪いのか?」
 ゾロは心配そうにそう言って、袖の先で俺の顔を拭ってくれる。
「ちょっと、考え事だ。」
 子供にするみたいに、俺の心配をしてくれるゾロは、俺が考えているみたいに、俺の事を考えてくれているんだろうか。俺の傍にいたいと思っていてくれるんだろうか。
「なんか、目的地が近付いてくるって、惜しい気がしてさ。」
 帰って、次に会うまでに時間が空いたら、お前はよそよそしくなってしまったりするんだろうか。
「もっと、お前といたいなって。」
「いるだろ?」
 ゾロはあっさり答え、俺はそれが自分の欲しい答えとは少し違うのがわかったけれど、でもなんだかとても嬉しかった。
「エミユで飯食わせてくれるんだろ?」
 以前の約束を持ち出されて驚いた。
「お前、派遣任務多いみたいだから、度々会うだろ。」
 感傷的になっていた自分が馬鹿かと思うように、ゾロは笑ってそう言い、子供を宥めるように、ぽんぽん、と頭を撫でられて、サンジは苦笑を浮かべる。
「泣くほど、惜しいのか?」
「うん。」
 頷くと、ゾロは驚いたように眼を見開いて、それからぷいとそっぽを向いた。その顔が赤いのに気付いて、一気に嬉しくなる。
「このままずっと、神殿に帰らないでいられねぇかな。って思うんだ。」
 こっち向いてよ。と手を引くと、ゾロはそれを振り払って背中を向ける。けれど、首筋まで赤くなっていて、照れているのだというのはまるわかりだった。
「なんで俺、こんなにお前のこと好きなんだろ。」
 別に何もなかったと思うのに。ただ街で見つけて、一緒に旅をして、お前は俺を怒ったり呆れたりしてただけだ。なのに、俺はどうして、こんなにお前の事が気になるんだろう。
「俺が知るか!」
 キッと睨み付けて言い放つゾロは、それでもまだ真っ赤な顔をしていて、サンジはへらりと笑った。
「一緒の場所で死にたいな…」
 その言葉を聞いたゾロが、表情を消してしまうのを見て、サンジはゾロの手を握る指に力を込めた。
「でもまずは、一緒に生きてないとな。」
 笑ってそう言ったら、ゾロは暫くしてぎこちなく頷いた。
 自分が死ぬ場所を知ってるゾロでも、死に関して何もかも覚悟ができているわけじゃないんだと、それに少しだけ安心した。俺とゾロは、そんなに遠くに立ってるわけじゃないような気がした。

 
 


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