ディアントは、活気に溢れた街だった。とにかく、皆が威勢がいい。商店主も買い物客も、大きな声で会話を繰り広げ、道にはひっきりなしに荷馬車や手押し車が通り、港に停泊している船は、荷を降ろしたり積み込んだりと忙しい。首都にある賑わいとはまた違う賑わいだと、サンジは馬車を降りてそう思った。
「なんか、すげぇ。」
俺は、この国にこんな場所があることも知らないんだ。と、自分の知らない事の多さを知らされるようで、きょろきょろと辺りを見回し、苦笑を浮かべたゾロに腕を引かれて道の端へ寄る。
「あんまり道の真ん中で突っ立ってると、弾き飛ばされるぞ。」
スリやかっぱらいは少ないが、勢い込んでくる手押し車が目の前で止まってくれると思ったら大間違いだ。と、ゾロは笑い、横をすり抜けていった、大荷物を背負った人足を、サンジは呆然と見送った。
「とりあえず、協会に顔出すか。」
移動さえしていなければ、目指す人間がどこにいるのかはすぐにわかる事だ。ここまでに通った街の協会支部で手紙を出して様子を聞いているから、わざと逃げることはないと思うが、流石にその手紙で宿泊先の宿の名前までは教えてはもらえなかった。
「見たことのない物が多いな。」
ゾロの後を追いかけながら、サンジは街の人々の服装も、首都で見るものとは少し違う事に気付いた。首都は山間部にあり、ここは海に面した港だから、気候も違うだろうから、それは当然の事だが、こうして目にしてやっと、それを想像するというのは、自分がいかに狭い範囲のものしか見ていなかったかという証明だと、サンジは思った。
「魚が多い。」
露天の売り物も、焼いた魚がどんと置かれていたり、叩いて揚げたような物も並んでいる。どれも、食欲を誘う匂いを辺りに振りまいて、俺を買えと主張している。
「美味いぞ。あの揚げたやつはよく食った。」
揚げたてのが最高なんだ。とゾロは笑い、その様子を見て、退魔士は本当に国中を旅するのだと理解できた。
ここまでのどの街でも、ゾロはその町の特徴をよく知っていて、安いけどいい宿とか、美味い食べ物とかを教えてくれた。旅の最初に、サンジの無知を呆れていたゾロは既にいなくて、知らないものは知れば良いのだと言うかのようだった。
「じゃ、後で食おうぜ。けど、安いよな。」
首都で魚は高級品だ。湖の魚でも、随分距離を運ばなくてはならないのだから、海の魚が高くなるのも道理だから、サンジはあまり魚を料理したことはない。
「自分達で海に出て魚を獲ってそれを売ってるから、安いんだとさ。」
露天は商売っ気のない人も多いし。とゾロは言い、サンジも既に見慣れた、退魔士協会の看板の掛かった建物のドアを開けた。
ドアを開けたゾロの後に続いて中に入ったサンジは、そこにいる二人連れを見て、思わず固まった。
目の覚めるような赤い髪の片腕の男。
黒髪と琥珀色の目の、恐ろしく大きな剣を背負った男。
「おう。来たか。」
サンジに見覚えのある、赤い髪の男が、軽い口調でそう言って片手を挙げると、ゾロはバタバタとその傍へ寄って、スカスカの片袖を握った。
「なに、あんた。これ。それも!」
人を指差すのは行儀が悪い、と前に言った当人が、目の前の男の左眼を指差して叫んでいるのを、サンジはぼんやりと眺めていた。
左の瞼の上には三本の傷跡が残り、その瞼は閉じられたままだが、それは、サンジにとっては、記憶のある通りの姿だ。
あの日、自分の眼を見て驚きの表情を浮かべた、派遣神官の長だ。
「落ち着け、ロロノア。」
隣でそう声を掛けたのが、多分、ゾロが会いたくないと言っていた、彼の師だろう。声を掛けられて、ゾロははっとしたように握っていた片袖を離した。
「お前に会うの、十年ぶり位だもんなぁ。」
見ない間にでかくなりやがって。と彼は笑い、それから、固まっているサンジに目を向けた。
「久しぶりだな。」
「はい。」
何を言うべきかもわからなければ、どういう態度をとればいいのかもわからず、サンジはそこへ近寄った。
「ベックマンは?」
「今、奥で報告書類を書いてるとこ。そろそろお前達が来るってミホークの奴が言うからさ、ここで待とうかと思ってな。」
「そっか。」
お前も、報告を出して来いと指示を受けて、ゾロは受付へ歩いて行き、サンジはぼんやりとその後姿を視線で追いかけた。
「派遣神官の仕事について、疑問でも?」
問いかけられて、サンジは派遣神官長を振り返り、首を縦に振った。
「神殿の聖人は、派遣神官ですか?」
「ああ、そうだ。」
答えはあっという間に返り、サンジは戸惑って彼を見返した。
「何故、それを知らされていないんですか?」
「神官は誰でも、神殿の地下に埋葬される。どこかに移動させられるだけの事だろう。」
「そうだけど。」
「どこに埋められて、どこで土に同化したって、大した問題じゃないだろう。という話だ。」
苦笑を浮かべた彼の傍から黒い男は離れ、ゾロの方へ歩いていき、サンジは彼の座っていた椅子を勧められてそこへ腰を下ろした。
「最初は、生きてる間に、地下で殺されたらしいが、流石にそれは不憫だって話になったんだろうな。俺の二代前辺りで、死んでから移送されることになったらしい。」
彼はため息を漏らし、サンジはぼんやりとゾロの姿を眺めていた。
「神官長の左目の色は?」
「お前と同じ。」
「その前の神官長も?」
「盾は、両目とも銀色だったらしいって話だな。」
剣は金色だったらしいけど。と彼は言い、サンジはゾロを眺めながら、小さく息をついた。
「何も知らせないのは、逃がさないためだ。昔は生きてる間に殺されるんだ。知ったら逃げるだろう。それがずっと続いてるわけだな。」
「気付いたら、教える?」
「全部知ってるのは派遣神官長だけだ。聞きに来なくちゃ教えられない。」
お前は来たし、俺も行ったけど。と彼は言い、笑った。
「俺が生きてる間に、結界が完成することってあるのか?」
師となにやら話しているゾロを見ながらそう問いかければ、隣でこちらを窺う気配が見えて、目線を動かせば、彼は苦笑を浮かべて見せた。
「神殿の受け持ちは、退魔士の半分以下だ。数だけ言えば、もう充分足りてる。だが、神殿を建てるのは簡単じゃない。その間に朽ちて土に同化しちまえば、次がいる事になる。」
神殿は、退魔士の結界石と同じ力を持つが、仕掛けが大きくなれば造るのに必要な金も時間も大きくなる。そればかりはどうにもならない。
「そんなに、気に入ったか?」
「よくわかんねぇけど。」
「俺も、生きてる間に済ましちまいてぇよ。」
苦笑を浮かべて、彼は空の片袖を振った。
「退魔士も、そう思ってる。新しい子供買う度に、本物になればいいと思ったり、違えばいいと思ったり、するんだとさ。」
派遣神官は、あとは神殿建設の問題だけだが、琥珀の退魔士はまだ数が足りない。琥珀の退魔士としての能力を身に付けるということは、いずれどこかで一人で死ななくてはいけないということ。それを知っている人間が、それを知らない子供を買って育てる。
「退魔士を見てると、痛々しいなぁと思うこともあるし、羨ましいと思うこともあるよ。派遣神官はそうやって苦しむのが嫌で、師弟関係は持たない事にしたらしいけど、あの繋がりは、やっぱり、特別な感じするからな。」
視線の先で、その師弟は真剣に何かを語っているかと思えば、ゾロが怒っているようでもあり、師匠の方がからかっているようでもある。その姿は、明らかに自分の傍にいるゾロとは違い、特別、という言い分は理解できる。
「俺の知ってるガキも、今、修行中だ。あいつの判定が出るまでに、他で数が揃っちまえばいいと思う事もあるよ。身勝手な言い分だけどな。」
よそ者の俺がそうなのに、あいつらはそれに耐えるんだなぁと、彼は言い、俺もまだまだだと笑った。
結局、明確な答えは手に入らなかったけれど、自分のこの先に負わなくてはいけない事が存在するのは理解した。
派遣神官長についていたのは、弟子を連れた琥珀の退魔士だった。落ち着きのない子供だったけれど、派遣神官長にも随分懐いていて、自分もいつか、ああしてゾロの弟子と三人で旅をするのだろうかと、ぼんやり思った。
「退魔士が死ぬ時って、決まってるのか?」
宿を取って、あとはもう眠るばかり、という状況になってから、サンジはそう問いかけた。
もし、彼等に明確な期限があるのだとしたら、それを知っておきたいと思う。それがもし、サンジが普通に生きていられる程度の頃ならば、その時には傍にいたいと思う。一人で死なせたくない。
「そろそろかな、と思ったら、行けばいい。」
「そろそろ?」
なんて適当な言い分だ、と首を傾げると、ゾロは苦笑した。
「もう、旅を続けるのは厳しいとか、この怪我だとあんまりもたないと思うとか、まぁ、死んでもいいかと思ったら、死にに行くんだって話しだ。」
誰も運んではくれないから、自力でたどり着かなくてはいけないし、あまりのんびりはしていられないだろうけれど。とゾロは言う。
「ずっと若いうちに死ぬ人もいるし、孫がいてもおかしくないくらいの歳まで生きてる人もいるし、それくらいの自由はある。」
本当は、急がなくてはいけないのだろうけれど、何十年か急いだところで、まだ、人数は揃っていないのだ。人生諦めても勿体無い。
「ふぅん…」
「お前が、派遣神官長になるの見てみたいし。」
なったからと言って、何が変わるわけでもないらしいけれど、本神殿に帰らなくてよくなるのは、なんとなく気楽だ。
「じゃぁさ、結界石って、誰が埋めるの?」
先程、退魔士協会で色々と話を聞けた。サンジが次の派遣神官長だと聞いたら、彼らは親切に退魔士のことを教えてくれたのだ。まるで、彼らの一員になったような、温かな空気を感じられて、驚いたほどだ。
「持ってる人間が埋める。」
そう言って、ゾロは袋を持ってサンジの傍へやってくると、その口を開けて見せた。
「これ?」
「これは、ミホークの上に乗せる結界石。」
ミホークというのは、ゾロの師匠の名前で、見るからに、只者ではない雰囲気を持っていた人物の事だ。
「俺のは、ミホークが持ってる。ミホークが死んだ時に、俺に弟子がいたら、そっちに渡る。」
俺は、これをミホークの師匠を埋めに行った時に貰ったと、ゾロは穏やかな顔をして言った。
「でも、一緒にいないだろ?」
「わかるんだって話だ。」
ミホークもそうだった。とゾロは言い、サンジは首を傾げる。
「子供見つける時も、なんとなくわかるんだって言うからな。」
見つけるべくして見つけたから、死ぬのもわかるとでも言うのだろうか。でも、子供は見つけられただけではないか。
「近くにいると、なんとなくわかるんだ。死んだ時は、結構な衝撃なんだって言ってた。」
こういうのも、派遣神官長の言っていた、特別の一端だろうかと、サンジは思う。何か、通じ合っている気配があるのだ。師弟関係を結ぶというのは、ああいうものなのかと、僅かながらに羨ましく思う空気だ。サンジだって、神殿の仕事を教わった師がいるが、多分、それよりももっと強い何かがあるのだと思う。
「でも、辛いな。」
師か弟子が死んだ姿を見なくてはいけないのに、傍についていることはできないなんて。
「でも、自分の師匠が、満足して死んだ顔ってのは、誇らしいって、ミホークは言ってたな。」
俺はガキだったから、その時はあんまりよくわからなかったけど。とゾロは言い、袋の口をしっかりと括ると、そっと袋の中へ仕舞い込む。
「そっか。」
「だから、あんまり考えるなって言われた。」
吹っ切れたように笑ったゾロを見て、サンジは首を傾げる。
「この間、お前とこの話した時さ、初めて、一人で死ぬのは嫌だって思って。お前が、一緒に死にたいとか言うから、余計になんか不安になって。」
ゾロも、同じように思っているのだと気付いて、サンジはゾロの手を握り締める。
「そんな事を考える間は、死にに行かないんだから、考えるだけ無駄だってさ。」
そんな事よりも、無駄に怪我をせず、浄化ができる方法でも考える方が、ずっとお前の役に立つのだから、できの悪い脳味噌を、無駄な思考に割り当てている暇はないと言われた。
そう言いながら、両の耳を引っ張られたから、一応これは元気付けようとしていてくれるのだと理解して、ゾロはおとなしくそれに従う事にした。
そんな何十年か先の事を不安に思うより、自分が護衛としてうまく立ち回れず、サンジに怪我をさせたりしないようにと、鍛錬に励んだほうが良いに決まっている。何せ、サンジはいずれ派遣神官長になる人間だ。代替わりはまだ先の事になるのだろうが、それまで無事でいなくてはならない。そうとは知らなかったとは言え、サンジの護衛を引き受けたのは自分なのだから、それは大切な役目なのだと、ゾロは思う。
どうやら、最近の自分は、慣れない状況に混乱していたらしいと、師と話して思った。今までにも、護衛の依頼を受けたことはあるが、こんな状況になったことはなかった。師はそれを驚いていたようだったけれど、色々な事を経験するのは良い事だと笑った。師が笑う顔を見るのは随分久しぶりのことで、それは驚くに値することであったけれども。
「死んでからは傍にいられないだろうけど、死んでからのことなんて、意識がないんだからどうだっていい事だよな。」
ゾロは笑い、サンジはそれに頷く。
「まぁ、俺はお前より先に死ぬ気はないけどな。」
派遣神官長の役目が自分に回る前に終わるか、自分が終わらせるかした後ならば、墓守のように、傍についてやってもいいと思う。自分が死ぬ時には、結界を崩さないためにもどこか神殿へ戻らなくてはならないだろうが、その程度の感傷に浸ってもいいだろう。
わけがわからないが、こんなに気に掛かる人間が現れたのだ。自分から離れていこうなんて思わないし、離れて行かせる気もない。
「お前は、一生、死ぬまで俺の護衛だ。」
元々、剣と盾は一対だったのだ。お互い片方しか色を継げない程度だが、それでも紛れもなく剣と盾だ。共に歩くのに、これ程合ったものはないはずだ。
「一人にして泣かれても困るからな。」
ゾロは笑ってそう言い放ち、その表情を見て、この顔が一番好きだなと、サンジは思った。
オフラインから転載
(2005.6.2発行)
(2014.1.23再録)