不思議な生き物



 「なんで、そっちに座るの?」
 珍しく祖父のいない二人きりの夕食を終えて、部屋に戻っていたゾロは、居間へ降りてくると、ソファで新聞を読んでいた俺向いに腰を下ろした。
 元々、ゾロはあんまり人にくっついているような人間ではないけれど、反対側のソファに座って、同じ新聞を覗き込んでくるなんて事はなかった。今までなら、何も違和感なく、隣へ座っていたのに。
 もしかして、俺との距離が計り難くなっているのだろうか。と思って、俺は空いている隣を叩いて、ここへ来いと示す。
「やだ。」
 俺の意図は伝わったのに、ゾロはあっさりそれを拒否し、テーブルの上に開いた新聞を、反対側から読みはじめる。
「ゾロ、俺の隣に座るの嫌なの?」
 照れてるなら、赤くなってくれたりしないかな。なんて事を俺は期待した。
 俺にとっては、ゾロは高校生になった今でも小さな子供の頃と変わらなく可愛いと思う存在で、今だって、ゾロさえ嫌がらなければ、膝の上に乗せて抱き締めていたいくらいなんだけれど、中学生の頃にそれをやったら、真っ赤になって照れた挙げ句に怒りだして、裏拳で強かに顔面を殴られた。以来、なかなか傍に寄ってきてくれないのも、俺にとってはかなり悲しい事だ。
 だけど、バレンタインの告白を、ゾロは否定したりしなかった。だったら、もうちょっと素直に、傍に寄ってきてくれればいいのにと思う。
 だって、俺達は、もう単なる兄弟ではないということだろう。
 俺はゾロが愛しくて、ゾロも俺の事が好きなのだから。
 問いかけを聞いてから暫く、ゾロは不思議そうな顔をして俺を見つめ、それからひょい、とテーブルの一角を指で示した。
「煙草、臭いから嫌だ。」
 顔を顰めて、本当に嫌なんだと示すようにゾロは答えを返し、サンジは最近、煙草臭くて嫌だ、とまで付け加えてくれて、俺はショックのあまり、砕けてなくなるかと思った。
 ゾロは、煙草が嫌いだ。俺が煙草を吸いはじめるとどこかへ消えてしまうから、俺はこれまであまり居間で煙草を吸ったりしなかった。ゾロと一緒にいられる時間を、自分で減らしてしまうのが嫌だったからだ。
 そう心掛けていたから、考えもしなかったのだけれど、片付けの最中にゾロが電話を受けて部屋へ上がっていってしまったのを見て、煙草に火をつけていた事を思い出した。
 色々考えているうちに、無意識で次の煙草に火をつけてしまうから、ゾロが言うように、染み付いた匂いでなく、真新しい煙草の匂いが鼻につくのかもしれない。
「……片付けるよ。」
 そう言って灰皿を持って立ち上がれば、ゾロはちょっと嬉しそうに笑って、さっき俺が示した場所へ移動してくる。それを見ていれば、照れて離れてるなんて思った自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
 この2週間、ずっと考えていたのだけれど、やっぱりこれは、俺の不安が適中しているという事だろう。
「サンジ、俺、コーヒー飲みたい。」
「はい、はい。」
 ゾロは今までと全く変わらず、俺がキッチンへ向かったのを確認してそう声を掛けてくる。
 そこには兄弟間の甘え以外のものは見えず、ちらりと伺えば、ゾロは新聞を捲って、テレビのリモコンに手を伸ばしていた。
 やっぱり、あの可愛い可愛い弟には、俺の告白など、通じてはいないのだ。
 あの日のゾロは、久方ぶりに出した熱にうかされていただけに違いない。
 下手をすると、俺の言った事も、自分のした事も、忘れているのかもしれない。
 その考えは、なんだかとても妥当な気がして、俺はキッチンのシンクの前で、小さくため息を漏らした。
 
 
 
 バレンタインデーのあの日、ゾロにチョコを食べさせてあげながら、俺はかなり浮かれていた。
 だって、ずっと言わずにいた事を、ゾロに伝える事ができて、ゾロは美味しそうに俺の作ったチョコを食べてくれたんだから、俺が浮かれるのも無理はないだろう。
 しかも、自分の手で食べるんじゃなくて、俺に食べさせてって、口開けておねだりしてくれたんだから、俺はもう、天を舞うようないい気分だったのだ。
 なんて可愛い、俺のゾロ。
 抱き締めてもいいかなぁ、なんて思っていたら、ゾロはあっさり、『寝る』と言って、ベッドに横になってしまった。
 かなり本気で、俺はそれは据え膳だろうかと考えた。考えたけど、ゾロはそのまま俺に背を向けてしまい、しかも、あっさりと、寝息をたて始めた。
「…………ゾロ?」
 さっきのは、俺の告白に対する、可愛いゾロなりのお返事じゃなかったの? という気持ちを込めて名前を呼んでも、ゾロはとうに夢の中。この寝つきの良さは恐ろしい程で、俺が起こせる確率はかなり低い。
「………」
 俺が、さっき、かなりびくびくしながら、告白した言葉の意味を、わかってくれてるんだろうかと、俺はゾロの様子を伺い、小さくため息をついて立ち上がった。
 ぱかりと口を開けて、口にチョコを放り込まれるのを待っている姿は、とても可愛かった。チョコを持った指に食い付いてきたりしたら、その先何してもいいのか!と、思って当然だと思う。
 結構本気で、どうやって押し倒したら、ゾロは逃げないだろうかとかまで考えた。必死にその妄想を実行に移す事は堪えたけれど、そんなの、遠く銀河系の外まで放り投げてしまおうかって気にもなった。ゾロが病人じゃなかったら、俺の理性はブラックホールの中だったと思う。
 それなのに、当のゾロは、あっさり眠ってしまって、俺の考えた事なんて気付きもしなかったようだ。
「……どういうことなの…」
 バレンタインデーにチョコをあげたのは、今日が初めてだ。本当は、毎年あげたかったけれど、いつか来る日に、特別な物であると思わせる為にも、必死に堪えていたのだ。
 まぁ、代わりに、母さんからの依頼を受けて、ジジイがチョコケーキを焼いていたから、俺が対抗して作る事もなかったんだけど。
 それにしたって、これはちょっと、ないんじゃないの? と思った。
 眠ってしまったゾロを、これ以上眺めていても仕方がなくて、空になった小鍋を載せたトレイを持って、部屋を出た。このまま居座ったら、寝ているゾロに何をするか、自分でもちょっと、恐ろしい事になりそうな気がしたから。

 
 
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