「どうしたらいいと思う!?」
必死の形相で問いかける幼馴染みに、呆れてため息をつき、くいなは答えを返した。
「好きにしたらいいでしょう。」
「好きにって!?」
未だかつて、ゾロがこんなに取り乱している姿は見た事がないと、くいなは思った。
ゾロは、小さな頃、あまり表情がない子供だった。道場に来始めた時は、言葉もあまり口にしなかったし、笑ったり怒ったりするのもとても控えめで、くいなも父もそれを心配したものだ。それでも、半年もした頃には、ゾロはよくしゃべるようになったし、声をあげて笑ったり、顔を真っ赤にして叫んだりするようになって、父と二人でよかったと話した事もあった。
ゾロは最近まで知らなかったらしいけれど、くいなも道場主であるくいなの父親も、ゾロに片親しかいない理由を知っていたし、いる方の片親が、あまり子供に構う人ではない事も知っていた。父が何度かゾロの家を訪れても、ゾロの母親には一度も会えなかったからだ。
それでも、ゾロは母親をとても大事に思っているのを知っていた。時々来るという、ゾロが『おじさん』と呼ぶ人が、ゾロの父親だという事だって、くいなは想像がついていた。
ゾロは、その『おじさん』が来る日は、お母さんの機嫌がいいから、おじさんは好きだと言っていた。お母さんが優しいととても嬉しいと。
その『おじさん』が父親だと知った時だって、ゾロはこんなに取り乱していなかった。あの時ゾロが気にしていたのは、新しいお母さんが辛くないだろうかとか、おじいさんが不愉快じゃないかとかいう事で、血縁者だとわかった父親と兄の事では、あまり悩んでいる様子は見えなかった。
それでも、やはりあの兄の事は、それなりに気になるのだなと、くいなは自分をじっと見つめる幼馴染みを眺めて思った。
「ゾロがしたいようにすればいいのよ。」
「……そんなの、いきなり言われたって…」
考えた事もねぇ。と、ゾロは小さく呟いた。
「考えた事も。ねぇ…」
あの人も可哀想だわ。と、くいなが小さく呟くと、ゾロは首を傾げた。
「可哀想?」
「10年もずーっと我慢して、いいお兄ちゃんやって、弟は全然そんな兄の苦労も知らないのに、その幼馴染みには当たられて。」
「……くいな?」
何を言っているのか、と顔中で疑問を問いかけるゾロに、くいなはため息を重ねた。
「ゾロは、バレンタインデーにチョコを貰わないでしょ?」
「サンジがうるさいからな。」
そんな理由で、誰とも付き合わずに、チョコすら貰わずにいたら、あの兄だって期待するだろう。それは、当然の事だと思う。
今年なんて、風邪で寝込んでいるゾロにチョコを届けに行ったら、酷く取り乱していたから、くいなは、にっこり笑って、楽しみにしているはずだから、ゾロに渡して下さいね、なんて言ってしまった。
顔を青くする姿が楽しかったのだ。
ゾロは全然、くいなからのチョコなんて楽しみにしてないし、他の誰からの物だって、楽しみになんかしていないのを、くいなは知っているけれど、彼は知らなかったのだなと、家へ帰る道すがら考えた程だ。
「でも、私には貰うじゃない。」
「だって、昔っから、くいなには貰ってただろ。」
「毎年ちゃんと一つだけね。」
「お母さんからも貰ってる。」
「家族は数の外よ。」
「くいなは、家族みたいなもんだろ。」
そう、ゾロはくいなのことを家族だと思っている。小さい頃はよく泊まりにきたし、夕食も殆ど毎日一緒に食べた。ずっと小さい頃は、一緒にお風呂にだって入ったものだ。
「ゾロはそう思ってるだろうけど、サンジさんは違うんじゃない?」
前に、父が家を留守にするからと、ゾロに泊まりに来てもらった事がある。その時、女の子と二人っきりなんてと、サンジがついてきたのだ。あれは、くいなが心配だったんじゃなくて、ゾロが心配だったことくらい、くいなだって気付いた。だからちょっと、意地悪をしたのだ。
「ゾロ、久しぶりに、一緒にお風呂入ろうか?」
居間で見ていたテレビも面白くなくなってきて、くいなはゾロにそう声を掛けた。
「……ああ。」
「くいなちゃん、ゾロだってもう、子供じゃないんだから、そんな。」
ゾロの肯定を、サンジの声がかき消して、ゾロはそれを聞いて不思議そうにサンジを見た。
「ゾロも、くいなちゃんは女の子なんだってわかってる?」
「………う…ん…」
ゾロはかなり不本意そうに頷き、くいなを見て首を傾げた。
ゾロにとって、くいなは女じゃなくて、幼馴染みの親友で、サンジの意見に違和感を感じたが、考えてみれば、サンジの言う通りでもあって、高校生にもなって、一緒に風呂もないだろうとは思った。
「なんだ、残念。」
くいながそう言えば、サンジは半ば青ざめてくいなを見返した。
「じゃ、俺と入る?」
本気とは思えない、どこかぎこちなく震えた声でサンジはそう提案した。大事な弟を、幼馴染みにすら渡す気はないのかと、くいなは少し呆れも感じた程だった。
「ダメだ。」
びしり、と横からゾロに止められて、サンジは驚いてゾロへ視線を動かす。
「ゾロ?」
「お前はダメだ。」
くいなが危ない。とゾロは言い、サンジは自分はどうなんだと、腹の中で叫びをあげた。
「見張ってる。」
ゾロは言って、サンジを牽制するように立ち上がり、その鼻先へ指を突き付けた。
「くいなが風呂から出るまで、この部屋から動くなよ。」
ゾロの態度を戸惑うように見返すサンジを見て、くいなは少し楽しい気分になった。
ゾロの変なところは、自分にとってのくいなが『女』ではないのに、くいなが『女』と認識されるべきだとはわかっているところだ。だからサンジは、ゾロにとってくいなが大事な存在だと思ったのだろう。言葉をなくして、二人が戻ってくるまで、その部屋で呆然と天井を見上げていた。
「……別に、ゾロが自分の事、同じように好きじゃないって知っても、サンジさんは、ゾロの事好きだと思うよ。」
「でも、そんなの期待して、好きじゃないなんて言うのは、卑怯だろう。」
サンジは大事な家族で、そういう意味で好きで、特別に好きとか、そういうのは違うと思う。
けれど、他に特別に好きな人がいるかと言われたら、いないのは間違いなくて、好きな人の一番最初にあがるのは、多分サンジなんだとは思う。でもそれは、一番好きだっていうのとはちょっと違う。
「好きなのは、好きなら、そう言えばいいんじゃない?」
「勘違いしたら困るだろ。」
「ゾロも一緒に勘違いしたらいいじゃない。」
そう言うと、ゾロは不思議そうな顔をして、くいなを見た。
「俺も?」
「そう。ゾロも、サンジさんが好きなんだって、勘違いすればいいのよ。だって、サンジさんが不機嫌になるから、誰からもチョコを貰わないようになったんでしょ? サンジさんはチョコくれないのに、我慢したんだったら、ゾロだって、サンジさんが好きなのよ。」
「………?」
眉間にしわを寄せて、ゾロが必死に言われた事を噛み砕いているのがわかって、くいなはおかしくなった。
ゾロは気付いてないだろうし、くいなだって今言って気付いた事だけど、少なくともそれは、全く脈がないって事じゃない証拠だろう。
「とっておきの秘密も教えてあげるわ。」
「秘密?」
ゾロは更に怪訝そうな顔でくいなを見返し、くいなはそれが楽しくなって頷いた。
今日のゾロは、頭の中が混乱しているのか、疑いもなくくいなの言葉に反応するのがおかしい。小さな頃は、本当になんでも信じたけれど、あの家に行ってからは、なかなかくいなの言い分を信じなくなったのに、まるで小さな子供に戻ったようだ。
「サンジさんね、ゾロがあの家に行く1年前くらいから、ゾロの事知ってたよ。夜に、ゾロがうちから帰るの、ずっと待ってたの。」
「は?」
「ストーカーか、犯罪者かも。って思ってたけど、半年ずーっと、お迎えに来てたのよ。」
一度も声は掛けてなかったけど。とくいなは言い、ゾロがぽかんとした顔で自分を見返す顔に笑ってしまった。
「お父さんが声かけたら、逃げちゃったんだけど、ゾロの事、心配だったんだと思うよ。」
皆が帰っていくのを見送ってから、ゾロはくいなと父と夕食を食べてから家に帰るようにしていた。子供が一人で帰るには少し遅い時間だったけれど、塾に通う子供達も同じくらいに夜道を歩いているし、ゾロが送っていく事を拒否したから、走って10分くらいの道のりを、ゾロは毎日一人で帰っていたのだ。
それでもやはり心配で、父は少しの間、ゾロの様子を見送っていた。だから、毎日ゾロの帰る時間に合わせて姿を見せる、その青年に気付いたのだ。
「………」
ゾロはそれを聞くと、小さくうめき声をもらし、立ち上がった。
「ゾロ?」
「帰る。」
「……もういいの?」
「いい。」
答えたゾロの顔は赤く染まっていて、なんだかそれが楽しくて仕方がなくなる。
「私は、幼馴染みがホモでも構わないよ。」
「………構った方がいいと思うけどな…」
呆れたようにゾロは言い、くいなはひらひらと手を振った。