長い船旅を終え、本拠地のある街へ戻った彼らは、初めてそこを訪れる三人の様子をそっと見守った。
「うわぁ…」
船から降り桟橋を渡って、人の行きかう町並みを眺めながら、思わずという声を漏らした三人は、同時に言葉を継いだ。
「人間がいっぱい。」
それかよ。と四人は声に出さず突っ込みを入れ、それでも本当にそれに驚いている様子に笑みを漏らす。
「ルフィたちの家はどこなの?」
ナミは行き交う人々の服装や、建ち並ぶ大きな建物に目を奪われながら、後ろに立つ船長に問い掛けた。
「俺たちの家はもっと向こうだ。」
ルフィは言って立ち尽くす三人を追い抜いて歩き始める。
「こんなに人間がいるなんて知らなかったわ。」
ルフィの後に続いて歩きながら、ナミは道行く人の服を眺め、自分の着ている服を見る。
島を出て船に乗ってから、ナミはロビンの服を借りて着ていた。島に立ち寄った際に服を買ってみたりもしていたが、この街の人々の服装は多彩で、自分も着てみたいと思うもので溢れている。そして、その中には自分の生まれた島の人々が着ていたような、ごくごく簡素な物はなく、ナミは自分の知っていた世界が本当に小さかったのだと実感する。
「今まで立ち寄った街は、ここまでではなかったものね。」
ロビンはそんなナミの様子を微笑ましく思いながら、並んで歩き出す。
「俺が昔いた街も、もっと小さかったぞ。」
チョッパーが言い、隣に立つゾロも人並みを眺めてぼんやりとしている。
「チョッパーは昔街にいたんだったな。」
ウソップが小さなチョッパーの帽子をぽんぽんと叩いて促し、二人は揃って歩き始める。
「行くぞ。ゾロ。」
最後に船を降りてきたサンジが、抱えていた荷物の半分を差し出して声を掛ける。
「何?」
反射的に受取りながら、その中身がわからずに問い掛け、ゾロは歩き出すサンジを追いかける。
「残ってた食料。置いとくわけにいかないだろ。」
船の食糧を管理するのは、料理人であるサンジの仕事である。ゾロが船に乗ってから、食糧が足りなくなったという事態を見たことはなく、それをウソップが褒めているのを聞いてからは、何となくサンジが凄いのだということは理解した。
「船を降りても、サンジが料理をするのか?」
最初に会ってからと変わって、今のゾロを形作るのはサンジだ。船に乗った最初の頃はチョッパーの傍で子供の姿をしていることが多かったが、今ではサンジと並んで変わらない姿でいることが多い。それでも、性質は変わるものではないらしく、どこか子供っぽい反応を返すことがあることを、サンジが可笑しく思うことも度々だった。
「ここにいる間は、好きなもの作ってやれるぜ。」
金が続いてる間だけだけどな。と言いながら、サンジが誇らしげにするのを見て、ゾロはなんとなく可笑しくなる。
料理はサンジの仕事だが、そうでなくてもサンジは料理をするだろうと思える程に、サンジが料理を好きだというのが見て取れる。それはもしかしたら、自分が木々の世話をせずにはいられないのと同じことなのかもしれないとゾロは思う。
この街は、街路樹が綺麗に整えられていて、とても穏やかな気配に包まれている。これまでに立ち寄った街の中には、土地の力では保てないほどの木々が植えられ、それでいて何の管理もされていないという場所もあった。けれどここは無理なく、とてもよく手入れもされている。きっと、有能な管理人がいるのだろうとゾロは思う。
「ここの木はすごくいい。」
ゾロが満足気にそう言うのを聞いて、サンジは街の名物を思い出す。
「街の外れの高台に、この街のシンボルって言われてる木があるんだ。この辺がまだ荒地だった頃からあるって話で、それ一本だけが枯れなかったって話があるんだぜ。」
街では、その木には守り神がいるのだと言われていて、信仰に近い意識で街の人々はそれを見ている。
そう聞いて、ゾロは自分と同じ気配がないかと辺りを探り、それが感じられないことを確かめる。
「お前みたいのがいるのか?」
「ここからじゃわからない。」
長く生きている木であること、人々の意識が常に向いていることなどは、自分のような守護者を産む条件ではあるけれど、そこまで人の意識はその木へは向いていないようにゾロは感じる。
「後から見に行こうかな。」
「じゃ、案内してやるよ。」
サンジは何かれと世話をしてくれる。その事をゾロは嬉しく思うのだが、そんな様子をロビンとナミが面白そうに眺めている意味は、よくわからなかった。
「それにあやかって、枝を接木するんだとかって、持って帰る奴らもいるらしいけど、枯れない木なんてあるのか?」
サンジは常々その話は疑わしいと思っていたのだが、それでもその木が手入れをされている様子もないのに枯れないのは事実なのだ。勿論、自分達街の人間に見つからないように誰かが管理しているということも、ないわけではないと思う。
「土地の力と木の必要としてる力が同等なら、人が世話をしなくても枯れることはないが、ここで枯れないからってその木が枯れない木だって事じゃない。」
ゾロの生まれた森も、ナミの一族が来るまでは人は住んでいなかった為、人の手で整えられることはなかった。それでもそこに自生した木々は土地の力で枯れる事もなく育ち、森になった。
森を作る条件が整っていれば森はできるし、そこまでの力がなければ木立ちで終わる。木を育てる力がなければ草地で留まり、その力すらなければ砂と土のみになるだけの事だ。木々の世話をすることを当然だと思った人間達は、人の手を加えなければ森を維持することが出来ないと思っているふしはあるが、人が踏み入って手を加えるからこそ、人の手で整える必要が出てくるのだと、ゾロは思っている。
「そういうものか。」
「砂漠に自然に森はできない。作りたいなら人間が時間をかけて整える必要がある。その土地にあった木や草を選んで、枯れないように手を掛けて土地を整えて、そうやって時間をかけてやれば、そこはもう砂漠じゃない。」
もう一つ、とても手早い手段があるが、今それを語ることは無意味だとゾロは思う。
その上、それはとても簡単で、それでいて長い間影響の出ることだ。自分の言葉で、サンジが危険を負うのは嫌だと思う。
「人間は、そういう能力を持ってる。」
ゾロが言うのを聞いて、サンジはそれがどこか悲しそうな事に気付いた。
人間はそうして環境を変えることが出来る。それは、良い方向に向くだけのことではない。そういう事なのだろうと思い、サンジはあの森の中で木々を思いやっていたゾロを思い出す。
「ここも、昔は荒地だったらしいからな。」
今では街路樹も植えられ、整えられた街になっているが、それも人の作った物なのだ。
「人間は凄いと思う。」
けれど、島に残った二人を思い出すと、ゾロは苦しくなる。
ゾロが生まれたあの島は、嵐で遭難した船が辿り着くことはあったが、殆ど人の訪れはなく、それでいて嵐から助かった人々の歓喜の感情は大きかった。
森が育ち、人の祈りが積もって、ゾロはあの森に生まれた。それが本来、自分達守護者が生まれる理由だ。
今あの島に暮らす一族は、初めは守護者のいる森の程近くに暮らしていたらしい。一族の中には守護者を見ることのできる人間がいた。彼等はある時その土地を追われ、守護者を連れてそこを離れた。それが、ゾロとくいなが先生と呼ぶ守護者だ。以前に聞いた話では、彼はその一族の中の女性と離れがたくて、着いていったのだということだった。
彼らは暮らすに易い土地を求めて旅をし、行く先々で森を作り、それを見つけた者に攻め込まれて土地を追われ、を繰り返した後、人の踏み入っていない森へと辿り着いた。そこに、くいながいたのだと言う。
くいなが言うには、そこは神の住む森だと呼ばれ、近隣の村々から大切にされていた場所だったらしい。暫くの間、上手く隠れ暮らしていた彼らだったが、そこに入り込んだ人間がいると知った近隣の村人達との間に争いが起き、彼等はまた土地を追われた。くいなは先生の傍にいたいと同道し、彼等は新たな土地を探し、遭難の末に島に辿り着いたのだ。
ゾロはその時初めて、髪の黒くなった守護者を見た。
守護者は生まれた森や木と繋がっている。そこに生まれよと世界樹の主に言われてこの世界に現れる為だ。
彼は地下世界で世界樹の世話をしていて、この世界から流れ込む力が実を結んで生まれた守護者を、人の力を人へ返す為に、より力を注いだ場所へ送り込む事を仕事にしている。
守護者が生まれた時の髪の色は緑だが、生まれた森や木が枯れるとその証に髪の色が黒く変わる。力を返すべき人間がそこにはもういないという意味でもあり、その土地を自分が守れなかったという意味でもある。だが、髪が黒く変わったからと言って、何が変わるわけでもない。ただこの世界における自分の拠り所がなくなったという事は、自分の中に穴が開いてしまったかのような感覚があると二人は話していた。だからこそ、自分達がいれば枯れる事のなかった森を離れさせた者達の傍を離れることなど考えられないとも。
人間は自分の好きなように土地を変える。そういう力を持っている。それを良い悪いと評することはゾロには出来ない。けれど、自分を変えた人間の傍を離れられないと言う二人を思うと、、ゾロはなんと言っていいかわからなくなる。そして、自分が自分の生まれた土地を離れている事も、よくわからない。
あの島には二人がいて、人々は住処を追われないように今度こそひっそりと暮らしているから、あの森が枯れる日が来るのは余程のことがなければないと思う。でも、そうだとしても自分はどうして彼等についてきてしまったのだろうとも思う。
「ゾロ、大丈夫か?」
問い掛けられ、心配そうに様子を伺ってくるサンジを見て、ゾロは戸惑う。
自分の気持ちを言い当てられ、外へ行こうと誘われて、それに頷いてしまったのは、あの二人が彼等から離れないのと同じ事なのだろうか。
「なんでもない。」
サンジはどうして、自分に手を差し出したのだろう。
「そうか?」
無理するなよ。と言って、サンジはゾロの空いた手を引いて歩き始める。
こうして手を引かれて歩くのも慣れた。人の気配を追えた筈なのに、島を離れて大勢の人間の中に入ると、遠くの気配が追えなくなり、ゾロはよく皆とはぐれた。それから、サンジはゾロの手を引いて歩くようになった。ゾロを探しに来るのもサンジだ。それを嬉しいと思うのが、自分がついてきた理由だろうと思う。けれど、それがどういうことなのかはわからなかった。