ルフィたちの本拠地は、港から幾らか離れた広場に面した建物の一階にあった。
「建物全部が一つの家じゃないのね。」
ナミは家の中を眺めて言い、チョッパーは家中を歩き回り、ゾロはテラスの鉢植えに足を向ける。
「建物一つ自分の物にしてるのなんて、相当金持ちだぜ。」
それに俺らは、一年の半分くらいはここにはいないからな。とウソップが説明し、サンジは全員分の飲み物を運んでくる。
「鉢植えは誰が見ててくれるんだ?」
長く留守にしていた割には、どれもあまり弱っていないことを見て取って、ゾロは問い掛ける。
この建物は通りの反対側に庭があり、そこに植えられた木々もよく手入れがされている。水の力の弱い土地にしては、多くの木が植えられているのに、弱った様子があまり見られない。
「庭師のじいさんがいるんだ。庭の世話のついでに、うちの鉢植えも見てくれてる。」
「その人、病気でもしてるか?」
庭の整い方を見ると、日々様子を見ていた様子を感じるのだが、少し弱っているのは、この十日前後は世話をしていないからだと思う。
「年寄りだから、何の心配もないって感じではないだろうけど…どうかしたか?」
ウソップはゾロの質問の意図を感じながらも、そう問い返すほかにはなく、日々庭を見に来てくれていた庭師の姿を思い出す。
「手入れが止まってる。」
枯れるほどじゃないけど。とゾロは答えて、テラスから庭へ下りて行った。
「…なんか、ああいうのを見ると、やっぱりゾロは人間とは違うって思うな。」
さっきは人が沢山いると驚いていたが、どの街に行っても、ゾロがいるのはいつだって木の傍だ。街の事を話すときでも、どんな木があったとかそんな事が多い。普段は殆どそんな事を忘れているが、そんな様子を見ると、やはり実感するのだ。
「人間なんて見えてないような時もあるものね。」
と言っても、嫌っているような様子は見えないのだが、無残に荒らされた森などを見た時は、暫く落ち込んでいることもあった。その様子を見て、彼等はこの庭のことを思い出したりもしたものだ。
「リドのこと、後で聞いてくるよ。」
「おう。病気だったら、見舞いに行かなくちゃな。」
船旅から帰ると、庭の手入れに来ている彼にその話を語って聞かせるのが常だった。それを楽しく聞いてくれる人がいてこそ、旅をする甲斐もあるというものだ。そして彼は、不在にしていた間にこの街であったこと、この庭であったことを教えてくれる。その時間がどんなに楽しみだったかと思う。
「庭師ってなんだ?」
一通り部屋を見て回って戻ってきたチョッパーは、サンジの用意した冷たいお茶を手に取って問いかける。
船に乗ってから、知らない言葉を聞くことが増えた。島に来た以前は人間に捕らえられていたチョッパーだが、それだけに普通の生活についての知識はない。サンジの作る沢山の料理も、ロビンの語る歴史も、ウソップの話す冒険の話も、どれもこれも、チョッパーの胸をときめかせるものだった。
「木を切ったり水をやったりな。そういうのを仕事にしてる人の事だ。」
「じゃぁ、ゾロも庭師になったらいいな。」
ゾロほど上手に木を育てる者なんていないと、チョッパーは信じている。初めてゾロに会った時の驚きを今でも覚えている。ゾロと名前をつけたのはチョッパーだ。その名前を聞いて、ゾロは笑った。だから、今のゾロはチョッパーよりずっと大人のように見えるけれど、本当は自分の方がゾロより大人なんだと、チョッパーは思っている。森で見つけた小鳥に名前をつけて親代わりの気持ちになるのと同じように、チョッパーはゾロの事を自分の子供のように思っているから、そんなゾロを誇らしく思うのだ。
「そりゃ、似合いの仕事だな。」
サンジはその意見に同意する。きっとどんな木も喜んで育つだろう。ただ、美しい庭と言うものが、木にとって最適なものであるかは判断し難く、本当にその仕事がゾロに向いているかは難しいところだとも思うのだが。
「リドに会ったら、話が合うんじゃないか?」
「その人は、どんな人なの?」
ナミは興味津々の様子で問い掛け、サンジは庭に降りたゾロの姿を眺める。
ゾロが船に来てここへ帰るまでの間、ゾロはゆっくりとこの生活に慣れて、ナミやチョッパーの傍にいるよりも、サンジの傍に来るようになった。それはサンジにとっては嬉しいことで、日々、ゾロを愛しく思うようになったけれど、ゾロが自分をどう思っているかは、まだよくわからなかった。
ゾロを傍に置いておきたいと思う。ゾロと会った時のように、小さな子供を守ってやろうと思う気持ちとは、自分の気持ちが変わってきている自覚がある。
最初、街ではぐれるゾロの手を引いて歩いた時は、幼い子供を守る気分だった。けれど、はぐれたゾロを探し当てて、自分を見たゾロが嬉しそうに笑ってみせるのを見る度に、ゾロを愛しく思う気持ちが変わってきたのだ。
誰にもその役を譲りたくない。ゾロの手を握って歩くのは、自分だけでありたい。その独占欲がどこから出るかなんて事は、考える必要もないほど明確だった。
けれど、人ではないというゾロが、どうして自分の誘いに乗って島を出てくれたのか、いつまでこうしていてくれるのか、そんな話をしたことはない。もし、ゾロの口から期限を切るような言葉を聞いたとしたら、自分はそれを認められるだろうか。
ゾロがどこへも行けないように、あの島の人間達よりも酷く、動けないゾロを自分が想像してどこかへ閉じ込めてしまわないと言い切れるだろうか。
「サンジ、水はどこだ?」
ゾロが振り返って尋ねるのを見て、サンジはそこへ足を向ける。
ゾロは子供と変わらない。限られた人間しかいない島の中で、親しくしていたのはチョッパーだ。そんな彼に、自分の独占欲など通じるのだろうかと思い、サンジは苦笑する。
「どうした?」
不思議そうにゾロが首を傾げて問い掛ける。
最近、どこまでがゾロ自身の行動で、どこからが自分達の影響なんだろうと考える。
「サンジ?」
「大丈夫。」
安心させるように微笑んで、水道の場所を示してやれば、ゾロは戸惑った表情を浮かべながらも頷いてそちらへ歩いていった。
庭の木を眺めながら、ゾロはそこにある人間の気配を感じ取る。
森の木々を世話して過ごしてきたゾロには、人間の作る庭や街路樹の整え方の良さがわからない。大きくならないように切り揃えられたり、太い枝を根元から切ってしまったり。それが人間の為にある植物の姿なのだとはわかるようになったけれど、やはり寂しさを感じることもある。
けれど、この庭の木々にはそんな寂しさのざわめきがない。
小さく纏まるように枝を切られているけれど、細やかに世話をされて、愛されているのが木々にもわかるのだ。だから、本当に綺麗に花を咲かせる。自分の仲間を増やすためではなく、その人に見せるために。
それを、飼い慣らされていると感じないでもない。けれど、ここで仲間を増やすことは無理な話であろうし、ならば人を喜ばせるのだって木々の役目として間違ってはいないのかもしれない。
だから、ここの木はゾロが近寄っても助けを求めたり、枝を伸ばしてほしいと頼まない。今の状態に満足している。けれど、その人が来ないことを心配している。ずっとそればかり言うから、ゾロはそれを叶えてやらなければと思ったのだ。
じっと気配を探り、一つ大きな存在を見つける。少し離れた場所にあるそれは人間ではないけれど、そこにも同じ気配は根付いていた。
意識をそこへ繋ぎ、ゾロは空間をジャンプする。
「これか…」
宙に浮いたゾロの足下にあるのは、大きな一本の木だった。視線を動かせば先程までいた街並みが見える。その景色で、この木が昨日サンジの言っていた丘にある枯れない木だろうわかった。
ふわりと風に乗って地面に降り、ゾロはそっとその幹に手を触れる。傍に立つだけよりも、こうして触れた方が彼らの言い分はよく聞こえるのだ。
サンジは誰も手入れしていないと言っていたけれど、間違いなく人の手の加わっているのがわかる。そしてそれは、あの庭の手入れをしていた人間と同じだ。
丘の先は低木しか見当たらない荒地だ。この木がそこと街とを区切っているようにも見えるが、これはこの木が枯れてしまわないようにと日々ここへ通っている人がいた為だ。そして、ここも庭と同じようにここ最近の手入れが行われていない。
「そんなに心配か?」
この木に神がいると言われていると言っていたが、今ここに守護者は感じない。けれど、世界樹の気配がとても近いから、もうすぐここに新しい守護者が生まれてくるのだと思う。
けれど、そこまでここに心を注いでいた人が今ここにいないというのならば、少し体調を崩していると言うようなものではないのかもしれないとも思う。
この木に心を残してその人が死んだとしたら、世界樹に流れ込む力は大きい。この木はその人の力で神のいる木になるだろう。それをこの木が喜ぶかはわからないけれど。
「人は、ずっと短い間しか生きないんだって。」
長く生きない木もあるけれど、でも充分に力を得て育つ木々は、人間よりも長生きだ。この木も守護者が生まれればずっと長く生きるだろう。沢山の人間を見送ることになるに違いない。
「…すぐに、いなくなるんだって。」
先生の大切だった人も、ずっと前に死んでしまったのだと聞いた。とても悲しかったと言っていた。
サンジも、いつか自分を残して死んでしまうのだろう。ナミやチョッパーも大人になって、そうして死んでしまうのだ。その間、自分はずっとこのままだ。姿を変えることは出来る。けれど自分は人間のような成長をしない。色々な事を覚えることは出来るけれど、背が伸びるとか、力が強くなるとか、そういう変化はない。そして、生まれてきた守護者は消えることはない。だから、本当の意味で、人が死ぬことに対して感じる感情は理解できない。
いつもいつも、人間を見送るだけだと先生は言っていた。傍にいたいと思った人が死んでしまっても、自分はそれを眺めているしかできないと。
いつか自分は一人残される。その時まであの森が残っていたら、一人であそこへ帰っていく事になるのだろう。少なくとも今のところ、この街に残っていようと思う何かがあるわけではない。
サンジに手を引かれて歩くと、自分の中になにか柔らかくて暖かいものが流れ込んでくる。それは幸せだと感じるもので、それがとても好きだ。だけれど、そう思う度に、先生の言葉が思い浮かぶ。
人間は、すぐにいなくなってしまうんだと。
ずっと傍にいたいと思う。できるだけ長く傍にいたいと思う。サンジがそう思っていてくれるのも知っている。けれど、いつか自分が置いていかれるのだと考えるのは辛い事だ。
「それでも、傍にいたいよな。」
人間は、木々の声を聞くのが苦手だ。動物の言葉よりもずっと僅かしか感じない。それでもこの木が伝えるように、それを感じ取れる人間もいるのだとしたら、言葉も話せる自分が、サンジと話をして理解し合おうとしないのは、逃げているだけだと言われてもおかしくない。自分が思っていることをちゃんと伝える事から始めようと、ゾロは思った。
「まずは、その人を探さなくちゃな。」
自分達が枯れるとしても、あの人を助けたいのだと言う彼らの願いを叶えるべきなのかどうか、見極めるためには会わなくてはならないだろう。よりよい手段を見つけるために。