世界樹の下



「帰ってきたら来てないって言うからさ、吃驚したよ。」
 アパートの管理人から、庭師のリドが体調を崩して入院していると聞き、皆で見舞いに来たのだが、思いの外、調子が悪そうだとウソップは思った。
 こんな事なら、こんな大人数で見舞うのは避けるべきだったろうか、と思う反面、嬉しそうな顔を見せる彼を見ていると、全員で来たのはよかったのかもしれないとも思う。
「俺も、まさか入院なんて事になるとは、思ってもなくてなぁ。」
 ベッドに体を起こした彼の腕は随分細かった。あの家に来ていた彼は、こんなに細い腕だったろうかと戸惑わずにはいられない。
「で、その子らが新しいお仲間かい?」
 問い掛けられて、ルフィが自慢げに頷く。
「あともう一人いるんだけどな。どこかに出掛けちまってさ。」
 ナミとチョッパー。とごくごく簡単に紹介をされた二人はぺこりと頭を下げ、彼は目を細めて二人を眺めて頷いた。
「賑やかになっていい事だな。」
 そう言ってから、今度の旅はどうだったのかと問い掛けられ、ウソップはいつものように旅を語り始める。時には嘘も散りばめて、2メートルの波は倍の高さの波になり、敵の数は3倍に。そして彼の島は穏やかな人々の暮らす島に変わる。そんなウソップの話を全部信じているのかどうなのか、彼は声を上げて笑い、ルフィやナミも話に加わった時、天井近くの景色が歪んだ。
「ん?」
 全員がそれを見上げた先に、緑色の生き物が現れた。
 ゾロか、と思ったウソップは、それでもそこにいる者にそう呼びかけるのを躊躇った。
 緑色の長い髪らしき部分は、ふわふわと長く揺らめいた陽炎のようにも見え、真っ白の体を覆っている。顔は人形のように表情がなく、金色の目はガラス玉のようで意志を感じられない。色合いはゾロではあるけれど、そのどこにも彼らしさを見出すことは出来なかった。
「ゾロ、どうしたんだ?」
 戸惑う彼らを他所にチョッパーが声を掛けると、それは彼らのよく知る子供の姿に作りかえられた。
「…ゾロ?」
 ふわりと浮いていたゾロはゆらゆらと降りてきて、サンジの髪を撫でると、更に姿を変えた。
「その人は?」
 リドの問い掛けに、ルフィが明るく新しい仲間だとゾロを紹介する。そんな様子を見ながら、サンジは考える。
 先程見た姿が、ゾロの本来の形なのだろう。それが、チョッパーに名前を呼ばれただけで姿を変え、求めるように自分に触れた。
 ゾロは自分の意志で姿を変えない。けれど、自分のなりたい姿を求めて手を伸ばすことはする。だから、自分の傍にいてくれるのも、ゾロがそれを求めていてくれるからだと思っていた自分に間違いはないとサンジは思う。けれど、本当に、ゾロは人間とはまるで違う生き物なのだと目の前に突きつけられたようで、言葉にし難い気持ちが湧き上がる。。
「サンジ?」
 問い掛けるように名前を呼ばれ、笑みを浮かべて返事をすれば、ゾロは不思議そうな顔で覗き込んでくる。
「なんか、変だぞ?」
 ぐるぐるしてる。と言われ、サンジは苦笑する。
「さっきの見て、ちょっと吃驚したんだ。」
 正直に言えば、ゾロは理解したようで大きく頷く。
「チョッパーにはわかったんだな。」
 皆戸惑っていたのに。と言えば、チョッパーは当然だという顔をして頷く。
「ゾロを初めて見つけたのは俺だからな。」
「名前を付けてくれたのもチョッパーだもんな。」
 ゾロの言葉にチョッパーは頷き、それではゾロの姿を作ったのはチョッパーだったのかとサンジは驚く。
 これまでの話を聞いて、ゾロを作っていたのはナミだと思っていたのだが、チョッパーが名前をつけてゾロの最初の形を作り、それにナミの意志が働いてゾロの姿は変わったという事らしい。だが、それではサンジが見た今ここにいるゾロの姿は誰が作ったのかという疑問が残る。ゾロは自分で自分の姿を変えないのだ。そしてナミとチョッパー以外にゾロの姿を変えようとする人間はいないはずで、チョッパーの好むゾロは何時だって子供だ。先程もゾロは子供の姿だった。
 先生とくいなという仲間なのか、と思ってサンジは胸の中がちりちりするのを感じる。
 ゾロの望むようにゾロの姿を変えてやれるゾロと同じ存在。それに自分は太刀打ちできるだろうか。ゾロがサンジの手を求めるのは、サンジがそのゾロをより強くイメージできるからだけなのかもしれないのに。
「お前さんは、人じゃないんだね。」
 ふいに、それまで黙ってゾロを見つめていたリドが声を掛け、ゾロはそちらを見やる。
「綺麗な緑色だ。」
 若葉の色だね。と穏やかに微笑む彼に、ゾロはそっと近づく。
「庭の木と、丘の木が心配をしていた。今日も来ないが大丈夫かって。」
「え?」
「花が咲く頃には来てくれるだろうかって。」
 その言葉を聞いて、彼は窓の外へ視線を動かす。
「花が?」
 戸惑う響きにゾロは首を傾げ、ウソップはゾロに向き直る。
「丘の木に花が咲くのか?」
「咲くぞ?」
 対してゾロは何故それが聞き返されるのかわからず首を傾げ、彼らの戸惑う表情を見てふと気付く。
「初めての開花か。」
 植物の中には、環境が整うまで花を咲かせないものや、元々何年かに一度しか花を咲かせないものなどがいる。物によっては、何十年かに一度しか花を咲かせない上に、咲いたら枯れるなどという極限を選んでいるものもいる。花を咲かせるというのは自分の命を継ぐものを作るという事だから、次代を育てるために養分になるために枯れることもおかしくはない。人間だって、度々誰かに心惹かれるものもいれば、一生に一度しか相手を求めない者もいると言う。それと同じ事だ。
 そうして、あの木は花を咲かせる準備を整え終わったのだ。
「……咲くのか。」
 リドの視線は窓の外、そこからは見えない丘の木へ向けられている。
「何時頃だろう?」
 問い掛けられ、ゾロは戸惑う。
 ゾロはこれまで、こんなに近くで年老いた人間を見た事がない。けれど、目の前の人物から、強い覇気を感じ取ることが出来ない。それは、枯れていこうとする植物とよく似た気配だった。
「もう少し先だ。」
「わしはそれを見られるかな。」
 問い掛けられ、ゾロはウソップに視線を向ける。こういう時、どういう答えを返せばいいのか、ゾロにはわからない。けれど、この答えが目の前の男に与える影響は小さなものではないとはわかるのだ。
「あの木が花を咲かすまでは、生きていたいと思っとったんだよ。」
 間に合うだろうかね。と彼が呟いた時、病院の看護婦が面会時間の終了を告げに来た。後ろ髪を引かれながら彼等は病室を出た。
「俺は、あの木に会ってくるから。」
 ゾロはそう言って、引き止める間もなくその場から姿を消し、彼等は小さく溜息をついた。
「リド、もう長くないのかしら?」
 ナミの一族は長生きをする人間は多くないが、死の間際の人間の様子というのはそれほど違わないような気がすると、ナミは思う。
「気も弱くなってるんだよ。きっと。」
 チョッパーは彼の穏やかだけれど消えそうな笑みを思い浮かべて思う。診察をしたわけではないから本当のところどうなのかはわからないが、自分が死ぬかも知れないと気付いてしまった、諦めのようなものが見えるように思うのだ。
 けれど、そういう気持ちを消し去るのは難しいことなのだとも、チョッパーは知っていた。そして、それを克服した人を知っている。その経験と比べるのならば、丘の木が花を咲かせるという事は、彼への手助けになるのではないかと思った。
「旅に出るまでは元気だったのにな。」
 ウソップはそう言って、廊下の窓から見える、遠い丘の上の木に目をやった。





 木の上をふわふわと漂いながら、ゾロはこれからどうしようかと考えた。
 彼に花を見せてやるには、彼をここへ連れてくる必要がある。いくらなんでも、遠い病院の窓から遠目に色づいた木が見えた程度では、花を見たことにはならないだろうから、これは一番の条件だ。
 けれど、彼が病院から連れ出しても大丈夫なようには見えなかった。抱えて来るにしろ、ジャンプするにしろ、体力が持たないのでは意味がない。
 ゾロは木々の守護者だから、木の成長に手を貸すことは出来るが、人間については手出しのしようがない。彼の命を延ばす手段はゾロにはないのだ。そして、彼の本当の命の期限がゾロにはわからない。もし、明日にもよくなるのならば、何もしなくてもいい。けれど、明日にもいけなくなるのならば、今日今から行動しなければならない。それをどう判断していいか、ゾロにはわからなかった。
「どうしようね。」
 彼がもし、命を引き換えにしてでもそれを見たいと願ったら?
「それで死ぬとは限らないしね。」
 チョッパーの恩人は、花の咲く姿を見て病気を克服したのだと言っていた。よくわからないが、気持ち一つで揺らぐ病気もあるのだということだろうとゾロは理解していた。
「うん。賭けだけどね。」
 ゾロの役目だけを考えれば、彼の死は考慮の外の事だ。けれど、そうなった時、ルフィたちが悲しむのは見たくはない。その引き金が自分であるのは嫌だと思う。そう思う程には、ゾロにとってルフィたちは特別な存在になっている。結局は彼のためにしていることではないのかもしれないけれど、それがゾロの正直な気持ちだった。
「夢を、繋ごうか。」
 本当は、昼に花を咲かせる木ではあるけれど、それが一番、彼に負担のない方法だ。
「綺麗な姿を、見てもらおう。」
 ざわざわと枝葉を鳴らし、答える姿に、ゾロは笑みを浮かべた。

 
 


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