世界樹の下



「おかえり。」
 庭にふわりと現れた姿に、サンジはベンチから声を掛けた。
「ただいま。」
 ゾロは笑って応え、サンジの隣へ移動する。
「休憩か?」
 問い掛ければ、サンジは煙草を示して見せる。船の上でも、誰もいない船尾甲板などで煙草を吸っていたが、ここでもどうやらそうらしいと、ゾロは笑う。
「あの木も、じいさんが世話をしてたんだな。」
 誰も世話をしていないなんて話をしていたのに、ごく身近にその役を果たしていた人がいると言う。そして、その人が、最も美しい姿を見ないままに死んでしまうかもしれないと言う。そんな不条理が通っていいのかと、サンジは悲しみとも憤りともつかない感情に揺らがされていた。
 暫く黙って煙草をふかしていたサンジはそう言ってゾロを見る。
「もし、じいさんのために花を咲かせてくれって言ったら、できるのか?」
 以前、ナミの一族の話が出た時に、ゾロがそんな話をしていた事を思い出し、サンジは問い掛ける。もしかのうならば、せめて花を見せてやりたい。
「できるよ。」
 その答えにサンジはそれを願おうとし、ゾロが目で訴えるのを見て取って先を待つ。
「その為には、特別な力が必要なんだ。」
 安易にそんな提案をしないでくれと訴えているのがわかり、サンジは口を噤んだ。
「時間の流れを変えるには、大きな力が必要になる。その力は、土地から得るか、それを願った人間から得るかのどちらかだ。俺たちは人間よりも土地の力を守ることを優先するから、選択肢は一つだけだ。」
「俺から力を得るって事?」
 問い掛ければゾロは頷く。その表情が暗いのを見て、サンジはこれは本当に簡単な話ではないのだと理解する。ナミの一族の話を聞いた時も、何代も続く負担なのだとか話していたような記憶がある。
「どうやって?」
「暗示をかける。」
 ゾロは言って、苦笑を浮かべる。
「今すぐ死んでしまえって、暗示をかける。」
「え?」
 それだけか、とサンジは戸惑う。暗示なんてものは効くか効かないかは不確定なものだ。それが有効だとは思わない。
「世界樹の主は、人間が生きるのに必要な力の量を決めてるんだ。だから、その人が死ねば、その余りが浮くだろう。それを、使った力の代わりだと換算して、全部戻るまで、それに関わった人間から取り戻そうとする。」
 世界樹の主、というものが何なのかサンジにはわからなかったが、何か特別な存在なのであろうとは理解する。
「それ、効くのか?」
 もし効かないのならば、願ってしまえと思う者もいるだろう。先にこの条件を聞かされるかどうかはわからないが。
「半々だって話だ。ナミの一族は続いてるだろう?」
 人数は随分少なかったが、確かに一族は続いている。完全に効くのならば、彼らが存在していることがおかしくなる。
 けれど、人間に対して強い影響を与えられない守護者には、その程度の暗示で精一杯なのだ。
「反応は二つあるんだって話だ。」
 これは、先生から聞かされた話で、ゾロは今までに一度もその暗示をかけたことがないから確証はないのだが、嘘ではないと思う。
「一つは、本当にすぐ死んでしまう事。もう一つが、命を継ごうとする事。」
 まぁ要するに、子作りに励むってことな。とゾロは軽く説明を加える。
「子作り?」
 死ぬこととはまるで違う反応ではないかとサンジは驚き、先程苦笑を浮かべたゾロの顔を思い出す。
「普通、生き物は自分の次を作る事に必死なんだ。だから、明日死ぬかもしれない。って不安に襲われて、子供を作ろうとするんじゃないか。って先生は言ってた。」
 そう説明されればそういうのも有りかもしれないとサンジは思う。今のところ、サンジは自分の子供を作ることに必要性を感じないが、ゾロと自分の子供が生まれたら、などという恐ろしく実現性のない妄想を提示されたら、可愛い子が生まれてくるといいなんて事を想像するのは容易い。
「俺は、どっちも嫌だ。」
 俯いてどこか寂しそうな表情で、ぽつり、とゾロが呟いた言葉を聞き取って、サンジはその意味を考え、顔を赤くする。
 ゾロが先程サンジの言葉を止めたのは、その願いがサンジのこの先を狂わせるかもしれないからではなく、サンジが死ぬのも、どこかの女の元に走るのも嫌だからだとゾロは言ったのだ。
「俺だって、嫌だよ。」
 こんなにゾロの事を考えているのに、それも忘れて女の元に走るなんて冗談じゃない。リドのことは悲しい事だと思うけれど、それでゾロをなくすような事になるのならば、やっぱり自分を取る。だって仕方ないだろう。自分が好きなのはゾロなのだから。
「俺は、ゾロとずっと一緒にいたいんだから。」
 人ではないゾロと自分が今と変わらず、ずっと傍にいられる確率がどれほどあるのかはわからない。けれど、出来る限り、傍にいられる限りは、傍にいたい。ゾロを他の誰にも渡したくはない。本当は、あの可愛らしいチョッパーにだって、嫉妬めいた感情を抱くことがあるなんて事は、絶対に口に出せない事だけれど。
「俺も、サンジとずっと一緒にいたい。」
 人間がすぐに死んでしまうのだとしても、何れサンジが自分を置いて死んでしまうのだとしても、それまでは傍にいたい。一番傍にいてほしい。
「そっか。」
 嬉しそうに笑うサンジの赤い顔が珍しく、それがとても嬉しくて、ゾロは照れたように笑う。
「それに、あの木はお前が願い事をしなくても大丈夫だから。」
 彼に会ってよかったとゾロは思う。言葉が通じなくても、種族が違っても、心を通わせることは難しいことじゃないのだと思えた。
 本当に互いに相手のことを考えていたら、それは絶対に難しいことなんかじゃないのだ。そう思えたら、とても嬉しかった。自分だって、ちゃんとサンジと向き合えば大丈夫だと思ったのだ。
「いつか、お前は俺を置いて死ぬんだろうけど、それまでは、一緒にいられたらいいと思う。」
 その間ずっと、俺がお前の一番だったらいい。とゾロは言い、サンジは何と答えて良いのかわからず、ゾロの手をぎゅっと握り、その額にキスをする。
「俺は、お前を独り占めしたくてさ、いつか酷いことをするんじゃないかとか思ったりしたよ。」
 サンジは苦笑を浮かべ、ゾロはサンジの言わんとすることを感じ取って笑う。
「俺は確かに触った人間に影響は受けるけど、それに沿って姿を変えるかどうかは、俺の意志なんだぞ。」
 だから、本当の事を言えば、小さな子供の姿でいる事だって、それ程嫌だったわけではないのだ。
 それは、自分に名前を付けて自我を与えてくれたチョッパーが思い浮かべた姿であって、自分を閉じ込めるために彼らが作ったものではないから。ただ、彼らがそれを願う理由が自分には苦痛であっただけの事だ。
「そうなのか?」
「お前は、強引に突っ込んでくるけどさ、それは今はお前と波長が合ってるからの事で、そうすると誰かに触って変えなくちゃいけないんだけど、それを選ぶのは俺だし。」
 俺は、ちゃんと自分で考えているんだから。とゾロは言う。
「まぁ、お前が俺に触ってあれこれ考えれば、なかなか簡単に拒否は出来ないだろうけど。」
 俺のこれは、人間と関わるための擬態だからさ。とゾロは言い、サンジは先程のゾロの姿を思い出す。
「さっきのが、お前の本当の姿なのか?」
「さぁ。」
 ゾロには、どんな形をしていてもそれは全部擬態のように感じるのだ。世界樹の主の姿を似せているのだとは思うが、自分の姿を見たことはないから、似ているのかどうかもわからない。ただ、人の思い描く形に似せた方が動きやすいと言うだけで、ゾロの核は何の変化もない。
「だからなんだ、お前が俺に何かしようとしても、それで変わる俺は、全部お前の想像力のせいだから。」
 いきなり突きつけられた言葉に、サンジは驚いてゾロを見やる。
「だから、お前が他の女と子作りしても、まぁ、見ない振りはする。」
 それは、俺とお前はセックスができないので、その欲求を解消するためのお付き合いは黙認してあげましょう。という事でしょうか。とサンジは考え、ちょっと情けない気分になった。
 確かにそれは大事な事だと思うけれど、そこへ直結させられると、これはこれで何だか不本意な気もする。勿論、色々したいなぁと思うところはあるけれども、それは半ば妄想のようなもので、したくないわけは絶対にないけれど、絶対したいというわけでもないような気もしないでもない。
「俺の想像力か…」
 エロエロなゾロを想像したら、物凄いものが見れるのかな、とふと考えたサンジの手を、ゾロは物凄い勢いで振り払って立ち上がって間を取る。
「アホか!」
 いきなり何を考えるんだお前は。とゾロは真っ赤になって怒り、サンジはその反応に吹き出した。
「だって、そんなこと言われたら、想像するだろう?」
 それは虚しい事かもしれないけれど、想像してしまうのは仕方ない事だろう。
「猫耳とかさ、見れるって事?」
 おいでおいで、と手を伸ばせば、ゾロはぴしりとその手を払い、変態、馬鹿、と罵倒する。
「なんか、それはそれで楽しみかも。」
 だって、俺は枯れたじいさんではなく、若気の至りという言葉の似合うお年頃なのだ。とサンジは思う。
「大好きだよ。ゾロ。」
 そんな言葉で騙されるものか。と思うのに、じっと自分を見ている目を見ると、何故だか足がそちらへ寄っていこうとするのだ。
「いつかお前が人間に愛想をつかして、あの森に帰っちまう迄は、俺の傍を離れないで。」
 伸ばされた手を取って、ゾロは黙って頷く。
 人はいつか変わるのだと聞かされた。良い方にも、悪い方にも。
 だから、悪いことばかり心配していても仕方がない。あの時先生が言いたかったのは、そういう事なんだとゾロは思った。
 


 
 
 とても珍しいものを見せてやる。とゾロが皆に言ったのは、リドが穏やかな死を迎えた日から三日後の事だった。
 丘の木は花を散らし始め、リドの棺の中には沢山の花を敷き詰めたのを思い起こさせた頃の事だ。
 そんな日の夜遅く、満月の月の光の下、彼等は街を抜けて丘へ向かった。
「ゾロ?」
 この先にはあの木があるだけだと気付いて、一体何があるのかと彼等は戸惑い始める。
「これは、とても大事なことなんだ。」
 ゾロは言って、丘の上の木を見つめる。
 それには木も守護者も力を持たない。ただ、人だけが持っている力が必要なのだ。そして、あの木の願いをかなえられるのは、彼らだけだとゾロは思う。
 ゆっくりと歩いていた彼等は、月が木の上に上がる頃にやっとその場へ辿り着いた。
「あ…」
 月光の下で薄青色に咲き誇る花の中に、ぼんやりと緑色の陽炎が浮かんでいるのが見えた。
 それが何であるかは、すぐにわかった。今ここで、木に守護者が生まれようとしているのだ。そして、チョッパーがそれに名前を付けたように、それにはまだ名前がない。
 ゾロが自分達をここへ連れてきた意味がわかった。と皆が思った。確かにこれはとても珍しいこと。けれど、大事なのはそれではない。
 この木が、これから先もここで美しい花を咲かせられるように。それは、自分達だけが望んでいることではないのだとわかった。

「リド」

 陽炎が揺らぎ、それを喜ぶように、花が風に舞った。

 誰だって、自分の傍にいてくれる誰かが欲しいのだと、隣で笑うゾロを見てサンジは思った。

 
 


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オフラインから転載

(2006.11.22発行)
(2014.1.23再録)



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