「ねぇ、アルベルト」
「ん?」
冷蔵庫から取り出した水のボトルを口に運んでいたアルベルトは、呼びかけられてまだベッドの上にいるジェットを見る。
「俺の身内が、アルベルトの事を脅してたってことだよね」
「ん?」
ベッドの端に腰を下ろして、アルベルトはその言葉を吟味する。
「まぁ、そうなるか」
お互い見知らぬ身内ではあるが、血縁である事は間違いないらしい。
「まぁ、俺はお前の伴侶になったんだから、俺の身内が俺を脅してたって事でもあるか」
まさかあの場に顔見知りがいるとはお互い思いもよらなかっただろう。アルベルトもあの男も、互いに知らぬ振りで反応を見せる事はなかった。けれど、アルベルトはその男の顔をしっかりと覚えているし、相手もこちらを覚えていた事はわかった。互いに相手を凝視している事も。
あの場でアルベルトが行動を間違えれば、あの家は危険に晒され、アルベルトが身を隠していた意味はなくなる。ジェットに覚え込ませておいた言葉を聞き、アルベルトはその言葉が自分からの言葉だとわかるように、ジェットに声を掛けた。
あれであの男は更にそこに一つの契約が提示された事を理解したはずだ。アルベルトは一連の爆弾テロの首謀者に繋がる人間を知った。男はアルベルトが現在身を隠している場所を知った。アルベルトが行動するより先にあの家を攻撃すれば、男は身の安全を確保出来るかもしれない。だが、これまでになかった個人宅をテロの対象とすれば、その関係者が洗われる。その際、ここに派手な車が何台も止まった事は周囲の人間から証言されるだろう。そこから彼らに疑いが向けられるのは、好まないに違いない。
そして、今現在、爆弾テロは止んでいる。彼らがその手段を切り捨てたのだと考えれば、この事実はお互いの口止めを以て闇に葬ってしまうのが一番いい。男がそう考えるのをアルベルトは期待した。そして、男は事を了解したと指を振って示した。
「……そっか」
その事について、アルベルトが気にしていない事を理解して、ジェットは大きく息を吐く。
「気にしてたのか?」
「俺にはどうしようもなかった事だけど、ちょっと複雑だった」
当時、ジェットは自分の身内がいるとは知らなかったし、彼らに働きかけられるような存在でもなかったのだから、何ができたわけでもない。けれど、遠いとは言え自分と血の繋がりのある人間のした事だ。アルベルトに申し訳ないと思う事は止められない。
「お前が気に病む事じゃねぇよ」
ボトルを置いてアルベルトは寝そべったままのジェットの上にどかりと腰を下ろす。
「いい景色」
「俺こそ、こんな面倒な人間選んじまっていいのか、って思うぞ」
別に今更手放してやらないけど。アルベルトは言ってジェットの顔を覗き込む。
「俺は、アルベルトじゃないとだめなんだよ」
なんだかすっかり人が変わってしまったようなアルベルトは、憑き物が落ちたような顔をしている。ジェットはそれが嬉しい。
昨日までのどこか闇を背負ったような彼も好きだけれど、ここにいるアルベルトもとても魅力的だ。
きっと彼は元々はこんな人だったに違いない。何もなく、普通に生きてきたら、こんな風に飄々と世の中を渡って、自分とは会う事もなかったのかもしれない。それでも、何かの偶然であの日のように彼とすれ違ったら、自分はきっと目を引かれて彼を忘れないだろうと思う。
「お前も、難儀な人間だな」
「俺は、皆が思ってるより、ずっと面倒な人間だよ」
ジェットは言って、アルベルトを引き寄せて胸に抱き込む。
「欲しいものは、全部欲しいんだ。できるだけ大事にしたい。一つも誰かに譲りたくない」
「ふぅん」
「アルベルトだけだよ、こんなに俺と一緒にいてくれるの」
いっつも、一月が限界なんだよ。ジェットの言葉に、アルベルトはくすりと笑う。
「強欲なのはお互い様だからじゃねぇのか?」
自分も同じようなものだとアルベルトは思う。ジェットを手放すべきなのだとわかっていたって、結局は全くその気はなかった。でも、別にそれでいいかと思う。
今はとにかく心が晴れて、世界が違う色に見えるという言葉の意味が分かる程だ。
自分がしてきた事も忘れてはいないし、守りたいと思った彼女の事も忘れてはいない。けれど、今目の前にいる自分より年下で、頼りになるようなならないような、けれどとても魅力的な男を自分の物にしておくのが一番重要な事だと思う。
沢山の人を殺しておいて、何を身勝手に自分だけ、と囁くものがあるのも事実だ。でも、元より自分はこういう強欲な人間だったからこそ、10年も脅しに屈して生きてきたのだ。そこから脅しと人殺しが消えただけ、今の自分はまともに違いない。
「うん。アルベルトが強欲だから、俺は凄く嬉しい」
お金が欲しいとか、綺麗な服が欲しいとか、美味しい物が食べたいとか、アルベルトはそんな事は全く言わない。部屋の中はとてもシンプルで、ジェットが物を持ち込んで多少マシになったけれど、ここに来て暫くは、ベッドと机位しかないままだった。
でも、アルベルトはジェットが彼に向ける全ての事を際限なく欲しがる。言葉や行動や気持ち。視線の一つ、触れる指先、他の誰よりも自分を優先しろと言葉にする事なく求める。ジェットはアルベルトに求められる以前にそれを与えたくて仕方がないから、とにかく受け取ってくれる事を歓んでいるけれど、よくよく考えればこれは相当な強欲ではないだろうか。
だけど、それがいい。
「俺は幸せ者だ」
金なんかなくたって、大きな家なんてなくたって、幸せは幸せだ。ジェットはしみじみそう思う。きっと、あの大きな家を捨てていった父も、母と共に歩む事に何よりの意味を認めたのに違いない。幸せの形は人それぞれだ。きっと、自分の幸せとアルベルトの幸せも違うのだろう。けれど、こうして一緒にいて、違う形でも幸せを感じられるなら、それでいいじゃないかと思うのだった。
まだ家の住人が7人だった頃のお話。ジェットとハインリヒの馴れ初め話。
ハインリヒがジェットによって変わっていくのが好きです。過去は過去、今は今。そういう感じで。
久方ぶりに自分の過去作品を読み返して、好きな物を詰め込んであるなと感じた救済の家シリーズ。書いてて楽しかったのでそっとUP。
(2014.1.1)