家族



父親の部屋から戻ってきたジェットとアルベルトを迎えて、彼らは食堂に移動した。
「お食事がお済みになりましたら、ご親族の皆様にご挨拶を是非」
「ご親族がいるのかね?」
「大旦那様の弟様のお子様方、ということになります」
「ふぅん」
グレートの質問に返った言葉に、ジェットは何事か思案するように小さく声を漏らし、彼らは不思議そうにその様子を伺う。
先程から、ジェットとアルベルトの手に嵌められている指輪の事には気付いていたが、今ここでそれを話題にするのはあまりよくないかと口をつぐみながら、この事態はどう転ぶのかと半ば興味本位で彼らはその様を眺めていた。
彼らがこれまでに食べた事もないような豪華な食事は、彼らがこれまで掛けた事がない程ゆっくりと時間をもって進み、食卓の話題に相応しいのかどうかもわからずのんびり最近の日々のあれこれを話しながら彼らはそれを乗り越えた。
正直、もう飽きた。ここに来た7人全てがそう思っていた事は、この家の使用人達に伝わったかどうかは定かではない。
そして、遂にご親族様との対面の段となり、ジェットはアルベルトを隣に連れてサロンと言われる部屋に入った。
「ジェット様とご友人の皆様です」
そこに待ち受けていたのは、5人程の人々で、彼らは一様に仕立ての良いスーツやドレスを身に纏い、表面上は穏やかな笑みを浮かべていた。対するこちらは一般市民の普段着で、その間に大きな川か高い壁があるようだと彼らは思う。
「ああ、すみません。こっちはご友人じゃなくて、俺の伴侶です」
サラリと投げつけられた言葉に、その場にいた全員がジェットに注目した。それは隣に立っていて、伴侶と紹介されたアルベルトも同様だった。
「なんで、アルベルトまで驚いてるの」
「いや、今言うとか思わなくて」
お前、恐ろしいな。とアルベルトは返し、ジェットはそうかなと首を傾げる。
「ジェット様?」
「というわけなので、俺は遺産相続の条件を飲めません」
家令の男は呆然と自分の連れてきた青年を見るしかなく、それでは一体何故今日ここにいるのかと問い掛ける事もできずに言葉を失っている。なんだか、凄く胸がすっとした。とは家に帰ってからフランソワーズが言った言葉だが、グレートやアルベルトも、ざまぁみろ、と思ったものだ。
「では、君は相続放棄をするという事でいいね?」
ご親族様の一人は身を乗り出すようにしてそう問い掛ける。
「ええ、構いません。ご覧の通り、俺の伴侶は男なので、俺に今後子供ができる事もありませんから、あなた方は安心してくださって結構です」
そのジェットの受け答えに、家族達は一体ジェットはどうしてしまったのかと驚き口を挟む事もできず、ただそのやり取りを見ているばかりだった。
「……そうかね」
「ええ。ですが、万が一が起きるのではないかと不安にもなるでしょうね」
彼らはジェットの言葉に含まれる何事かを読み取ったように、笑みを深くする。
「それについては、あなた方の行動如何であると、申し上げておきます。俺は二度とこの家に出入りする事はありませんから、どうぞ、増えた分の遺産を大切にご使用下さい」
相続放棄の書類にサインをします。とジェットは家令に告げ、アルベルトを見てくすりと笑う。
「上出来だ」
小さな声で彼がそう言ったのを聞いて、後ろで見ていたご友人達は先程のらしくないジェットがアルベルトの入れ知恵かと納得する。先程の言葉がアルベルトの口から出てくると考えれば、全く違和感はない。
「ありがと」
そっと触れ合う指先にご親族樣方の目が釘付けになっているのを笑いを堪えながら眺めて、彼らはこの一連の儀式をやり過ごす事に成功した。
ジェットのサインで全ての事は終り、家まで送ると言う家令の言葉を断って、庭を歩いて帰らせてもらうと答えて、5人は軽い足取りで自分たちとは全く縁のないであろう世界に背を向ける。
「さっきのは、一体どういう事アルか?」
屋敷の扉を出て暫く歩いてから、張々湖が不思議そうにアルベルトに問い掛けると、彼はくすりと笑う。
「万一、ジェットの子供だって言う奴が金をせびりにくるかもしれないのを恐れているのなら、これを誰にも漏らしたりしないから、お前らが受け取るジェットの相続分だった遺産の何割かをそっと差し出せよ。って事だ」
「はぁ!?」
その言葉を告げたジェットまでが声を上げてアルベルトを見て、アルベルトは声を上げて笑う。
「俺が10年も脅されてたのが、こんなとこで役に立つとは思わなかったな」
彼が自分の過去をこんな風に笑って口にするのは初めてで、彼らは先を歩くアルベルトの後ろ姿に何も言えずに驚いて付き従うしかない。
「あんた、そんなの言わなかったじゃないか!」
ジェットはやっと自分が言わされた事の意味を知ったのか、今しがた出てきた屋敷を振り返って青くなっている。
「ああいうのは、相手が勝手に思い込む事が重要なんだよ。お前は俺がさっき言った事なんか一言も言ってないんだから、あいつらが何してきたって、その理由なんか知らないふりして、親族から援助金が送られてきましたって顔してればいいんだ」
そう言って、屋敷を振り返ったアルベルトは酷く冷たい目をしてその屋敷を見て笑った。
それに気付いたのは同じ方を見ていたジェットではなく、彼らを見ていた他の家族達だ。
「お互い、これっきりにしようじゃねぇか」
小さく溢れた声を聞き取ったのはグレートで、彼はつられるように屋敷を振り返り、一つの窓に人影のある事を確認する。
「ハインリヒ、お前さん…」
まさか、あの場に彼を脅していた相手がいたのかと気付き、グレートは彼を見やる。
「幾ら振り込まれてくるだろうな!」
その視線に気付かない振りでハインリヒは明るい声でそう言って門に向って歩き出し、駆け寄ってきたジェットの額をぴしりと指先で弾く。
「アルベルト、あんな事言って、逆恨みされたりしたらどうするんだよ」
額を押さえてそれでもジェットはそう言い、アルベルトは笑って首を振る。
「これで、俺もお前も、晴れて自由の身だ。あいつらは馬鹿じゃねぇから、何もしやしないさ」
清々した!と腕を伸ばして伸びをするアルベルトに、ジェットもその言葉に含まれる意味を理解したのか、再度屋敷を振り返り、それからハッと気付いたようにアルベルトの手を取って家族達に相対する。
「俺、アルベルトと結婚したから!」
「聞いたよ」
ため息混じりにグレートが返事をすると、ジェットは照れたように笑い、お先に悪いな!と言い放つ。
「しかし、本当に乗ってくるかねぇ」
グレートはぽつりと呟き、フランソワーズはちょっと思案するように首を傾げる。
「手切れ金と口止め料が元々手に入るはずじゃなかったお金で済むなら、払うんじゃないのかしら」
「なるほど。1億、2億は払われると思ってもいいものかな」
「この先20年位は払い込まれてくるんじゃねぇか?」
億単位で金を振り込んだら怪しまれる事くらいわかってんだろ。アルベルトはそう言い、ジェットに手を取られたまま軽い足取りで歩いて行く。
「ハインリヒ、どれがそうなんだ?」
それまでずっと黙っていたジェロニモが躊躇いがちに口を挟み、フランソワーズは彼女とアルベルトの監視役でもある警察官の表情をちらりと伺う。
「そりゃ言わねぇって約束だからな」
アルベルトはちらりと彼を振り返って、さらりと返す。それだけで、確実にそこに相手がいた事はわかるものの、アルベルトにはそれを告げる気がないという事もわかってしまう。
「悪いな」
俺は、俺とジェットの安全の方が大事なんだよ。とアルベルトは言い、ジェロニモは小さく溜息を漏らして頷いた。
「何も聞かなかった事にしておく」
爆破テロが実は特定の企業を狙ったものだったのではないかというのは、実は前々からある話なのだ。あの中にそれに関わっていた者がいたとしてもおかしいとは言い切れないかもしれない。そもそも、アルベルトに依る告白があったものの、事件についての捜査は殆ど進んでいない。どこからか圧力がかかっているのではないかと言う噂もあった程だ。
ジェロニモはその噂が噂ではなかったと理解するしかなく、と言ってそれを告発する事であの家に被害が及ぶかもしれない事を考えれば、アルベルトの言い分を受け入れる他に術はない。
「それで、ジェットはハインリヒの部屋に引っ越すのかね?」
「ん? 今のままでいいよ」
生活自体変らねぇもんな。とジェットは言い、そうだなとアルベルトも返す。
並んで歩く彼らの背中は楽しそうで、その後ろを歩く彼らはまぁいいかと思う。
彼らが想像していたよりも、ジェットはきちんとものを考える性格で、彼らが想像していたよりも、ハインリヒは強かだった。
彼らはお互いが至上の存在だと考えていて、その為になら何を手放しても後悔はしないし、何をする事もしない事も躊躇わないということが示されただけの事だ。それはもしかしたら全く褒められる事ではないのかもしれないが、それでも自分の幸せを求めるその姿を見ていると、それを非難する事はできなくなってしまう。
「それで、そのジェットに払い込まれるお金って言うのは、私たちにも恩恵があるんでしょうね?」
なんだかその幸せそうな様子が気に障って、フランソワーズはその背中に問い掛ける。
「ビルの改装でもする? 新しい車?」
ジェットは笑い、何か美味しいものを皆で食べよう!と声を上げた。



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