砕破



朝早く、まだ誰も起きてこない時間に起き出して、新聞を読むのが彼の日課だった。それを知った同居人たちから、年寄りくさいと笑われながらも、身に染み付いたその習慣は、消えてなくなるものではなかった。
『教会で自爆テロ。死傷者50人』
 新聞の1面を賑わすその見出しに、頭を振ってため息をつき、目元にかかった銀色の髪をかきあげると、彼は注意深くその記事を読み進めていった。
 テロ活動と爆弾が、切っても切り離せないものであるのは、今も昔も変わらない。
 自分の命と共に、他人の命まで巻き込む自爆テロ。自分の身は安全圏に置き、他人の命だけを奪う爆弾テロ。何時になっても、それが消えてなくなる事はない。消えたかと思えば、思い出したように事件が起きる。それが一番手軽で、与える衝撃が高いと思うからなのだろうかと、ぼんやり彼は考えた。
 一つ息をついて新聞をテーブルへ置き、テレビのスイッチを入れる。早朝でも、これだけ話題になる事件ならば、ニュースになっている事だろうと思っての行動は、期待通りの結果を迎える。
 テレビ画面の中の事件現場は、遠く離れた場所であるように、現実味を帯びない。それでも、その荒れ果てた教会の様子には、痛ましさを感じる事はできた。
「……死にたけりゃ、一人で死ねよ。」
 命がけの行動が人の心を打つのは、こんな時じゃなくてもいいと、そう思う。
 苦い笑みを浮かべ、彼は小さく息をついた。





 その家には、男女あわせて8人の人間が住んでいた。住人たちは大雑把に、そこを『家』と呼んでいたが、それは10の部屋がある5階建てのアパートメントの形をとっている。
 彼等は自室としてそれぞれ一つの部屋を持ち、開いているうちの一つの部屋を団欒の場として利用している。と言っても、団欒の場で楽しい話題ばかりが交わされるわけではなかったが。
 誰よりも早く起き新聞を読む彼の後に、その部屋へ下りて来るのは、この家で朝食の用意を引き受けている少女だった。
 この家で唯一の女性である彼女は、朝食の用意以外の家事には手を出さないが、それはそれが彼女の分担だからに他ならない。
 それを引き受けた時の彼女の言い分は、『昼食と夕食の準備と比べたら、朝食が一番簡単じゃない。』というものだった。その上、彼女は作るだけで片付けをしない。その綺麗な顔に見愡れる程の笑みを浮かべて、『手が荒れたら大変。』と彼女は言ったのだ。
 今日も今日とて、自室からその部屋へ下りてきた彼女は、いつもとは違い、テレビを見ている後ろ姿に声をかけた。
「おはよう、ハインリヒ。何かあったの?」
 声を掛けられた彼は、顔をそちらへ向けて微かに笑みを浮かべる。
「ああ、おはよう。フランソワーズ。…自爆テロだよ。」
「……物騒な世の中よね……どこで?」
 ひょい、とハインリヒの背後のテレビ画面を見遣り、フランソワーズは問いかけた。
 ハインリヒは、火薬を扱う仕事を正業にしているためか、何かにつけて、彼は火薬、爆薬の関わる事件に気を配っていた。
「教会だ。」
 苦笑を浮かべ、彼はテレビのスイッチを切った。そして、テーブルの上の新聞を取り、読まなかった記事へ目を通しはじめた。
 その様子を見て、彼がそれ以上の会話を望んでいない事を理解し、フランソワーズはキッチンへ足を向けた。
 
 
 
 その部屋に、この朝、顔を揃えたのは、7人だった。住人の一人は、仕事の都合で、ここ数日家を開けている。
「ジェット、ポットを取ってくれないか。」
「ん。」
 長い髪を個性的に跳ね上げた青年が、近くに置かれたポットを取り、右側に座っている青年へ差し出す。
「ジェット、今日の予定は?」
「グレートが一度戻りたいらしいから、交替で一日開ける。」
 フランソワーズの問いかけに、彼はそう答え、ひょい、と手を伸ばし、トーストを取った。
「ピュンマは今日も研究室よね。」
 ジェットの右に座っている黒い肌の青年は、知人の科学者の助手として働いている。この家でたぶん一番の博学であろうとは、住人の誰もが認めるところだ。
「ハインリヒは?」
「打ち合わせで午前中は出ている。」
「足は?」
 隣に座っていたジェットが問いかけ、ハインリヒは思案するように黙った。
 この家で、特にこれと言う正業についていないジェットは、住人たちが出かける度にその足代わりに車を運転するのが常だった。特に、地下鉄などを使うのを好まないハインリヒは、それを頼む事が多かったのだ。だが、今日はその足が他に出てしまうのでは、それを使う事はできない。
「運転していくかな…」
 車はこの家に2台用意されており、持ち主はそれぞれにあるのだが、あいている時は、住人たちは自由にそれを使うようにしていた。
 普段はジェットに運転を任せているハインリヒだが、車の運転はできるのだ。車さえあいていれば、それで出かける事ができる。
「じゃ、ついでに俺を送っていってくれよ。」
 ジェットの頼みにハインリヒが頷いた時、部屋の隅に置かれた電話が音をあげた。
 一番近くに座っていた少年が立ち上がり、受話器をとって対応するのを、彼等は声を抑えて眺めていた。
「ハインリヒ、急用だって。」
 呼ばれたその名前に、彼等は表情を固くし、ジェットは電話を替わった少年を手招いた。
「ジョー、用意をしろ。今日は、お前がアシスタントだ。」
「え?」
 何事かと首を傾げる少年を、せき立てるようにして、ジェットはのんびりとしていた空気が消え去ったその部屋から追い出しにかかる。
「ジェット、アシスタントって、僕はまだ何も…君が行った方が…」
 ジョーがこの家に来てから、まだ日も浅く、その間、ハインリヒの急用についていくのがジェット以外だったところを、彼は見た事がなかった。
「いいから、とにかく急いで出かける支度だ。俺は、今日は別口の仕事があるんだ。」
「ジョーも、いろんな仕事を覚えないとダメよ。」
 フランソワーズにも言われ、その場の全員がそれに同意しているのを見て取ると、ジョーはまだ殆ど終わっていなかった朝食を名残惜し気に見た後、その部屋を出ていった。
 ジョーが部屋を出る頃には、ハインリヒは電話を置き、書き取ったメモを手に残っている住人たちに目を向ける。
「教会に時限爆弾らしきものが置かれているそうだ。行ってくる。」
 何の気負いもなく、あっさりとした言葉に、他の住人たちも苦笑を浮かべ、部屋を出ていく背中を見送る。
「……相変わらずなようで……」
 普段は発破師として働く彼は、副業として、爆弾解体の仕事を請け負っており、その腕には、定評がある人物だった。



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