選択



 その日、そこにあるものを一番最初に見つけたのは、誰よりも先に新聞を取りに下りてくるハインリヒだった。
 モニターで外を確認した彼は、玄関まで続く4段程度の階段の一番上に置かれた篭に気付き、そっとドアを開けてそれを確認した。
「……赤ん坊?」
 篭の中には、白い産着にくるまれた薄い色の髪の赤ん坊が眠っていた。ハインリヒはその横を通り過ぎ、階段を下りて道まで出ると、辺りの様子を伺った。
 新聞配達が来る前ならば、不振に思って呼び鈴を鳴らした事だろう。だが、そうでないという事は、それよりも後に置かれたという事だ。それでも、ハインリヒは新聞の配達時間からあまり間をあけずにここへ下りてくる。もしかしたら、これを置いていった人間がいるのではないかと思ったのだ。
 だが、人の姿は遠景にも見当たらず、ハインリヒは困りつつも篭を抱え上げて家の中へ戻った。警察へ通報するにしても、まさか玄関の前に放り出しておくわけにはいかない。赤ん坊は、誰かが世話をしてやらなくては、生きてはいけない生き物なのだから。
 玄関を入ったハインリヒは、入り口の右側の部屋のドアの呼び鈴を鳴らした。この部屋に住んでいるのが、管理人のジェロニモである。退官した警察官だという話を聞いてはいるが、自分よりも若く見える事から、何か訳あってこの家の管理をまかされたのだろうと、ハインリヒは思っていた。
 しばらく待っていると、玄関ドアのロックが外れる音が聞こえ、ドアが開けられた。
「どうした?」
「玄関の前に、置いてあったんだが。どうする?」
 抱えている篭を示すと、彼は暫くそれを観察していてから首を縦に振った。
「上へ連れていってやってくれ。警察には連絡しておく。」
「わかった。朝早くすまなかった。」
 とりあえず、皆で保護。という決定が下った事を理解して、ハインリヒは篭を抱えて階段をあがった。
 篭の中の赤ん坊は、ぴくりとも動かずに眠り込んでいる。目が覚めて、自分の保護者がいない事に気付いたら、どんな事になるのだろうと、ハインリヒは少し心配になった。
 この家には、赤ん坊の世話をした事があると思える人間はいないのだ。警察が引き取ってくれればいいが、この家の性質上、そこで預かっていてくれと言われる可能性は低くはない。
「……どんなわけがあったんだろうな。お前の親には。」
 綺麗な産着を着せられて、大切に何枚にも重ねられた柔らかな布に包まれた子どもが、憎らしくて捨てられたのだとは思えない。ならば、いずれ引き取り手が現れる事もあるかもしれないが、どうなる事かとため息がもれた。
 
 
----------- 
 朝食のためにその部屋へ下りて来たグレートは、端末の前に座って何やら調べているピュンマの姿と、その後ろに立って、赤ん坊を器用に抱いているハインリヒの姿を見つけて問いかけた。
「……お前さんの隠し子かい?」
 その問いかけに、ひくり、と頬を引きつらせたのは、言われたハインリヒではなく、その後ろに続いて入って来たジェットだった。
「アル!何時の間にそんな!!」
 一瞬の後、叫んだジェットの額に音を立てて灰皿がぶち当たり、ジェットはその場にしゃがみ込んで痛みを堪えた。
「叫ぶな。これが起きる。」
 怒りの表情を浮かべたハインリヒが押さえた声でそう言い、ジェットは涙目でそれを見上げて頷くと、おとなしく自分の席についた。
「今朝、玄関の前に置いてあった。親が見つかるまで、ここで保護だそうだ。」
 ジェロニモが持って来た今後の予定を示し、ハインリヒはため息をついた。
「ま、ジェットじゃないんだから、ハインリヒのところへ、突然子ども連れた女が押し掛けてくる事はないだろうな。」
 笑ってそう言ったグレートにその場にいた全員が深く頷き、ジェットはいくら何でもそれは酷いだろうと、ぴくりとこめかみを引きつらせたが、もう一度怒られるのは嫌だと、叫ぶ事は必死に堪え、彼等を睨み付けた。
 少なくとも、この家に転がり込んでから、自分はおとなしく暮らしているし、それ以前だって、そんなに素行が悪かったなんてことはないのだ。と主張できればいいのだが、そんな事は胸張って主張する事ではなく、ごくごく当たり前のことだ。言うだけ嘘臭くなる。
「しかし、ここを狙って置いていったのか、偶然ここだったのかで、置き去りの狙いが変わってくるな。」
 グレートはしげしげとハインリヒが抱いている赤ん坊を眺め、それが特に暮らしに困った子供だという様子がない事を確認しつつ呟いた。
 ジェロニモが元警官だったと言うのは近隣には知られているし、グレートが探偵をしていると言うのももちろん知れている。店を持っている張々湖の事などを合わせて考えると、この家は、子どもを一時預かってもらうには、なかなか具合のいい家であろうと思えるのだ。
「確かにね。拾いものの実績もある家だし。」
 一番新しい拾われものであるジョーがそう言い、彼等は思わず頷いた。
「それにしても、よく寝てるわよね。寝かせておいてもいいのかしら?」
 起こしてミルクでも与えるべきなのだろうか。と不思議そうに問いかけるフランソワーズに答えられる人間はそこにはおらず、彼等は首を傾げて顔を見合わせあった。
「とりあえず、起きるまでは寝かしておけばいいんじゃないか?」
「育児書も一緒に取り寄せなくちゃならないな。」
 子どもの世話に必要なものを注文していたピュンマがそう言い、彼等は深く頷いた。
 
 
 
 
 
「なぁ、あれ、ほんとにアルとは関係なし?」
「ねぇよ。」
 朝食が終わり、仕事の打ち合わせに出かけるために部屋へあがったハインリヒの後に続いたジェットは、再度確認するように問いかけ、あまりに険しい否定の言葉に小さく安心の息をついた。
「お前こそ、心当たりはないのか?」
「ないって!」
 ジェットは思いきり否定し、その様子には問いかけたハインリヒの方が驚きの表情を浮かべた。
「……ごめん。俺が、喧嘩売ったな。」
 ハインリヒの表情に、ジェットはためらわず謝罪し、ハインリヒはそれに小さく首を振って返した。
「早く親が迎えに来るといいな。」
「それまでは、大事にしてやらなくちゃな。」
 置き去りにされた子どもに罪はないだろう。
 赤ん坊は、本来幸せになるために産まれてくるのだと言う程に、何の罪も持たずに産まれてくるのだ。ならば、それをできる限り綺麗なままに育ててやるのは、先に産まれて来た人間の役目だろうとハインリヒは思う。
 いずれ自分の意志で行動し、判断を下す迄に、何が正しくて何が正しくはないのかを判断する基準を教えてやるのは、その命を生み出した人間の義務だろう。それがきちんと教え込まれてこそ、綺麗なままで育っていけるのだから。
「でも、あれ、それまでに、起きるのかな?」
 結局、朝食の時間の間も、赤ん坊は起きる気配が見えず、彼等はそれが本当に生きた赤ん坊なのか、真剣に議論までしそうになっていた。
「寝てる間に事が落ち着けば、その方がいいんじゃないのか?」
「……そっか。」
 捨てられたにしろ、誘拐されたにしろ、何も気付かないでいられれば、いらない傷はつかない。誘拐ならばまだしも、親に捨てられたのだとしたら、それはどれほどの心の傷になるだろう。赤ん坊の記憶がどれ程の精巧さで保管されるのかはわからないが、知らない人間に囲まれる不安は、赤ん坊の方が大きいのではないかと、ハインリヒは思う。
 子供の頃、母に連れられて行った母の実家で、知らない人間に囲まれていなくてはならなかった不安は、今でも覚えている程だ。母親がいない赤ん坊の不安は、それの比ではないだろう。ならば、起きない方がいいのではないかと思っていた。
「猫の子供拾うのとは違うもんな。」
 ジェットは小さくため息をついてそう呟いた。



Next



拾い子と言うか、捨て子と言うのか。とにかく、彼はやって来ました。
導入部も導入部過ぎて、どんな話になるのやら。という感じですが、なんとかなると思います。
今回、ジェットの活躍はあるのかなぁ……


TOPへ