選択



 無職の人間として、赤ん坊の世話を頼まれたジョーは、何かわからないか調べ物をすると言って部屋へ戻ったフランソワーズの部屋を訪れた。
「フランソワーズ。」
 ドアをノックし、声をかけると、中から入室を許可する声が返り、ジョーはその部屋へ足を踏み入れた。
「何か、わかった?」
 赤ん坊を抱いたままのジョーに、フランソワーズは振り返って笑みを浮かべた。
「なんだか、不思議な感じがするわ。」
「…そう?」
「ハインリヒが抱いてた時は、そうは思わなかったんだけれど。」
 フランソワーズは笑い、ジョーはその近くへ寄り、手元を覗き込んだ。
「フランソワーズ、それって…」
 端末の画面に並んでいるのは、住民登録の一覧のようで、写真と姓名の他に、所在地や出身地など、様々な情報が上がっていた。
「髪の色だけでチェックをかけるのは、さすがに厳しいのよね。」
 フランソワーズはそう言い、ジョーには認識できない程の早さで画面を切り替えていく。
「……それって、違法じゃないの?」
 不安になって問い掛けたジョーを振り返って、フランソワーズは笑みを浮かべた。
「そうだよね。そんな事…」
 疑ったりして、申し訳なかったと思ったジョーは、続いたフランソワーズの言葉に、目を見開いた。
「もちろん、違法よ。」
「え?」
 悪気のない笑みを浮かべたフランソワーズの言葉を、聞き間違いだったのではないかと思い、ジョーは彼女の顔を見返した。
「普通の人ならね。私は、この辺りなら大丈夫。」
 クスリ、と笑ってそう言ったフランソワーズに、ジョーはホッと息をついた。
「びっくりしたじゃないか。」
「ちょっと、からかってみただけよ。」
 そう言って、フランソワーズはジョーに向き直り、真直ぐにジョーを見据えた。
「もし、ジョーが何か特別な情報が欲しいって言うのなら、私に言ってね。調べてあげられる事と、できない事はあるけれど、迂闊に手を出してはいけない事だから。」
 言葉は柔らかかったが、その声は強く、ジョーは自分とさして変わらないだろう少女の言葉とは思えず、その強さに押されるように頷いていた。
「これは、違法なのよ。私は、色々あって許される可能性は高いけれど、それは、私が信用されているからと言うわけではないの。」
「フランソワーズ?」
「あなたは自分がどこの誰なのか、私達に話していないけれど、私達は、あなたに関して、幾つかの情報を持っているわ。」
「………どういうこと?」
「この家に住んでいる人はね、半分は、わけがあってここに住んでいるの。だから、何も調べずに、あなたをここへ置くわけにはいかないの。その、私達が知っているあなたに関する情報が、あなたの知っている事なのかどうか、私達は知らない。」
 苦笑を浮かべてフランソワーズは言い、ジョーに椅子を勧めた。
 それに従ってフランソワーズの脇に腰を下ろしたジョーは、画面に表示された情報を見て、彼女に目を向けた。
「私ね、小さな頃から、情報端末を使える家にいたの。ハインリヒなんかは、ここへ来るまでは、殆ど触った事もなかって言っていたから、珍しい事だったのかもしれない。そんな風に慣れていたから、余計に興味を持っていたのね。」
 画面に表示されているのは、フランソワーズの登録情報だ。そこには、『転居不可』の文字が赤い強調色で表示されている。
 普通、このコロニーの住人たちは、コロニーの中ならば、どこへでも移住する事ができる。エリアを跨ぐ事も当然可能だ。ただ、それぞれのエリア毎に使われる言葉も持っている文化も違う事から、あまり遠くのエリアへ移住する住人は少ない。
 だからこそ、このアパートに、バラバラのエリアからの出身者が生活している事を、ジョーは不思議に思ってはいたのだ。その上、ここから転居してはいけないと言うのは、更に不思議な事だった。
「家にいながら、コロニー内の情報を得られる事が楽しくて、色々なところに出入りしてたの。最初は、別に普通に公開されている情報を集めていただけだったんだけれど、段々、入っちゃいけないところにある情報に触れてみたくなったのね。別に、それを使って何をしようと思ってたわけじゃなかったの。でも、その隠されているものに触れるまでの過程が楽しかったのね。」
 フランソワーズはキーボードを叩き、画面を切り替えてパスワードを要求する画面で手を止めた。
「15歳の時にね、不思議なメールが来たのよ。『あなたに売って頂きたい情報があります。』って。何の事か、さっぱりわからなかったわ。だって、自分が調べた事が、売れるなんて事は知らなかったし、それを欲しがっている人がいるって事も知らなかったのよ。その後にも、学校からの帰り道に、声を掛けられた事もあって、恐くて両親に相談したのね。それでやっと、私、自分が犯罪を犯してるって事に気付いたのよ。その頃には、家にも脅すような電話も掛かっていたりして、私、父と二人で警察へ行ったの。そこで自分がしていた事も話して、今置かれている立場も話したわ。警察は、両親を疑っていた事があったみたい。結局、私が罪を犯していた事は事実だけれど、それが直接的な被害を引き起こした事はないという事で、警察の保護下に置かれる事になって、ここへ来る事になったの。」
 フランソワーズはそう言って、キーボードを叩き、画面は元あった彼女の情報へと切り替わった。
「ここで生活する事。求められた時に情報を集めて提出する事。その時に限って、限られた範囲の情報を探る事は許される事。そんな程度の要求はもちろんあったけれど、ここで生活していれば、家の外へ出なくても生きていけるし、安全だって事は、よくわかったから、拒否なんてする気はなかったのよ。」
 自分と、それほど変わらない年齢の少女が、大人びた表情を浮かべるのを見て、ジョーは何を言っていいのかわからず、黙って頷いた。
「私は、してはいけない事をした。罪悪感がなかったのは、それが犯罪と知らなかったからだけれど、それを知らなかった事が、私の罪だったと思うの。知らないじゃ済まない事って、意外に多いのよ。だから、ジョーは、これが半ば、犯罪だって事を知っておいてね。」
 それまでの重い空気を払うようにフランソワーズは笑って、ジョーの手から眠り続ける赤ん坊を抱き上げた。
「ここに住んでいたら、一生、赤ちゃんなんて抱けないと思ってたわ。」
 楽しそうに赤ん坊の頬を指で突き、フランソワーズは笑う。
「どうして?ここにいるのは、君以外は皆、男じゃないか。」
 流石にグレートは歳が離れ過ぎているかもしれないが、ジェットは歳も近い。ハインリヒだって、無茶な程歳が離れているわけじゃないし、ピュンマやジェロニモならば、もう少し歳も近いはずだ。好みはあるにしても、全く可能性がないと言うわけではないとジョーは思う。
 少なくとも、フランソワーズは可愛らしい女性だとジョーは思っている。他の住人たちだって、そう思っていると思っていたのだが、そうではないのだろうか。
「……そうだけど……」
 言い淀んで、フランソワーズはため息をついた。
「誰も、私の好みじゃなかったのよね。」
 その言葉は、彼女を好ましく思っていたジョーにとって、なんとも残酷な響きを持っていたが、ジョーはそれを表に出さない感情制御ができた自分を、心の中で誉め讃えた。フランソワーズの言葉が、過去形である事に気付かずに。
 
 
 
 
 いつもならば、必ず彼を迎えに行く人物が出かけている為、ジョーは空いている車を運転して、ハインリヒを迎えに出た。
 ハインリヒという人も、ジョーにとっては不思議な人だった。『発破師』という職業人をジョーは身近に知らなかったし、彼があまりあれこれと話をしない事もまた、ジョーにとって近付き難い人間として認識させる理由でもあったのだ。
 ただ、先日少しだけ話をする機会があったり、彼の仕事に触れる事もあった為、聞いてみたい事などもできていた。そして、フランソワーズの話を聞いてからは更に、彼がここにいる理由も聞いてみたい事になっていた。
「ハインリヒ!」
 工事現場の影になった場所で、辺りを見回していた彼を見つけ、ジョーが手を振って到着を知らせると、彼は急ぎ足で車へ近付き、助手席に乗り込んだ。
「ジェットじゃなかったのか。」
 少し驚いたような表情で言ったハインリヒに、ジョーは苦笑を浮かべた。
 ジェットが彼にべったりなのはよくわかっていたが、彼が実はそれをあまり疎ましく思っていないのだとは知らなかった。
「フランソワーズに言われて、買い物に出てたんだ。」
「そうか……寄ってもらいたいところがあるんだが、いいか?」
 暫く迷ってからハインリヒはそう言い、ジョーは軽く頷いて行き先を問い掛けた。
「Nエリア警察本部ビル。」
「……この間の仕事の関係?」
「ああ。」
 彼はあっさりと頷き、ジョーはいい機会だと、思いきって問い掛けた。
「ハインリヒは、どうしてあんな仕事を?」
 ただの民間人が、爆弾解体の作業を手伝うなんて、いくら彼が発破師で火薬の扱いに長けていると言っても、おかしな話だと、ジョーは思っていた。ただ、ハインリヒに話しかけ辛く、聞くに聞けないでいたのだ。
「ん?」
「……だって、普通は、ああいう仕事は一般の人に頼んだりしないだろう?」
「ああ……」
 ジョーの質問する意図が理解出来たのか、ハインリヒは軽く頷いてから答えを返した。
「暫く前まで、テロリストの爆弾屋だったから。」
「えっ?」
 思わず隣へ顔を向けたジョーに、ハインリヒは冷静に前を向けとフロントガラスを指で示す。
 ジョーは、あまりにあっさり言われたその言葉が嘘なのだろうかと思いつつ、顔を前に向けて警察本部ビルへの道筋を頭の中に引き出した。
「テロリストって……脅されてたとか?」
「ああ。でも、結局のところ、自分が何をしてるかわかってなかっただけなんだ。……身内一人死なせて、やっと、自分が人殺しの片棒担いでるんだって事に気付いたっていう、馬鹿な話だ。」
 苦い響きの言葉に、ジョーは小さく頷いて、あの家には様々な理由を持っている人たちが住んでいるのだと、その時やっと、理解した。



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赤ん坊、まだ目覚めず。考える少年。
 フランソワーズの過去、告白。彼女が家を出ない理由。ハインリヒが公共交通機関を使わない理由。結局彼等はまだ、狙われている可能性があるわけですよ。ハインリヒなんて裏切り者だしなぁ……
 自覚のない犯罪者は、自覚のある犯罪者よりも、ある意味で質が悪いと私は思うが、本当にうっかり犯した罪を、同じように罰していいものかどうか。というのは、難しい事だよね。
 学校の窓ガラスを割ろうと思って割ったのと、うっかりボールを当てて割ったのでは同じに扱っちゃいけないんだけれども、そこに割れるかもしれないものがある事に注意を払わなかった事は、責められてもいい事だろうと思う。
 世の中色々難しい事は多い。


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