「懐に飛び込んでみるって、逃げてきた意味は?」
ピュンマの問い掛けに、くるりと三つの頭が振り返った。
「一時撤退って言えよ。」
「距離を取ったと思えば、無意味じゃないだろう?」
「仕返しするって言ったでしょう?」
揃って、反論を許さない目をしている事を見て取って、ピュンマは小さく頷いて項垂れ、それを見ていたジョーに優しく背中を叩かれて、涙が滲みそうになるのを必死で堪えた。
「その内見つかるかもしれないし、見つからなくても、逃げ続けるって言うのも嫌な感じじゃない。」
「けりが付きそうなら、つけておいた方がこの先楽でいいよな。」
「向こうはこっちを探しているんだし、話は楽だぜ。」
すっかりやる気の3人に、話を持ちかけた赤ん坊に見える17歳の少年は、少々戸惑い気味に彼等を見返した。
「とりあえず、グレートに見つかったと連絡をとってもらうとしても、相手がどんなだかよくわからないんじゃ、けりの付け方もなぁ……」
警察に捕まえてもらおうと言っても、脅迫はあったにしても、研究目的だけとなれば、すぐに釈放されてしまうかもしれない。その後、研究を狙わないようにする何かが欲しい。
「研究の資料諸共、瓦礫の下に…ってのは?」
あっさりと、とんでもない事を言いのけたジョーに、全員の視線が集まった。
「え……だって、あのビルで引き渡しじゃないのかい?」
「………作業中の解体現場には、例え持ち主でも勝手には入れないもんだぞ?」
今は、穿孔作業も終わって、ダイナマイトを設置している状態だ。導火線は繋がった状態にない為、爆発の危険はないものの、一般人が入っていいような状況ではないし、もし万が一と言う事がないわけでもない。
「そうなの?」
「まぁ……現場監督が受け入れちまえば、ないわけでもねぇが…」
そんな場所に入りたがる人間もいないだろうと、ハインリヒは思っていたが、死体を隠すなんて話は、小説の中などではちらちら見る事はある。
「でも、それは、ちょっといい考えかもしれない。」
「へ?」
イワンの言葉を聞いて、今度は彼に視線が集まった。
「僕には、こんな技もあるんだ。」
赤ん坊の指がゆらゆらと揺れるのに合わせて、テーブルの上の本がふわりと持ち上がった。
「え……」
ジョーが呆然の表情で声をもらし、彼等はその本の行方を目で追った。
「テレキネシス。ってやつ?」
「本当にあるのね……」
疑いもせずにあっさりとした反応を見せたのは、ジェットとフランソワーズで、ピュンマはきっと疑っているだろうと思ってハインリヒに目をやった。
「ん?」
その視線に気付いて、ハインリヒはピュンマを不思議そうに見返し、ピュンマは彼がそれを疑っている様子の無い事に驚いた。
「ハインリヒ、あれ、信じてるの?」
「あれは俺がさっき上から持ってきた本だからな。」
仕掛けを作る間なんてなかったし、こんな時に嘘つく馬鹿はここには来ないだろうし。と、ハインリヒは深く考えると酷い事をさらりと言った。
「それを、彼等は知っているのか?」
「知らないと思うよ。…って言うか、彼等は研究の本当の価値とかもわかってないんだと思う。ただ、売れば金になると思ってるだけじゃないかな。」
「それなら、有り難いな。」
ハインリヒはそう言い、ジョーが首を傾げてその意図を目線で問い掛けた。
「研究資料が本当にいるってなら、そう簡単には諦めないだろうけど、とりあえず目に付いたものに手を伸ばしただけだってなら、手の届かないところに消えちまえば、それ以上必死に追い掛ける確率は減るだろう。」
「ああ……ディスクが瓦礫の下に埋まって壊れちゃえば、回収しても直すのに手間がかかるから、諦めるかも、って事だね。」
「だけど、イワンが生きてるのがわかれば、イワンを狙うんじゃないの? 研究結果でもあるんだし。」
研究の内容を知っているのなら、その当人からそれを引き出せばいいだけの話だ。
「自分の研究内容ならまだしも、父親の研究資料を、細かい数字まで覚え込んでる子供は多分いないんじゃないかい? そうなれば、闇に消えたと思って諦めるかもしれない。イワンの体を調べるってこともあるかもしれないけど、そこまでしても、結果で金は手に入らないだろう?」
ピュンマがそう答えを出し、ジョーは頷いた。
こういう時、ピュンマの出してくる答えは、かなりの説得力を持ってジョーの耳に聞こえるのだが、同じ事をジェットが言っても、たぶんここまで信じないよな、と、ジョーはぼんやり思った。
「でもまぁ……瓦礫の下って言うのは、危ないよねぇ…」
「そこに隠した。と言えばいいだろう? 何も、我々まで付き合ってやる必要はない。」
それまで黙ってことの成りゆきを見ていたグレートがそう言い、彼等はそこで初めてそれに気付いたように、ぽん、と手を打った。
「そりゃ、そうだ。」
「でも、万が一、探し当てられたら?」
偽物を仕込んでおいては、その後また狙われる事は間違いない。ならば、本物を仕込んでおかなくてはならない事になる。と言っても、奪われては困るだろうと言う物だけに、滅多な事もできない。
「そこで、イワンの力が役に立つんじゃないのかね?」
当然、隠してくるにしても、それをそのまま置いてくるわけではないから、仕掛けをして、できる限り、時間を稼ぐ。もし万が一、相手側が逃げ遅れたとしたら、イワンの力で、人だけは助ける。
「ハインリヒ、時限式の吃驚箱くらい作れるだろう?」
「ああ。」
時限装置や起爆装置は作り慣れているが、あまりいい気分ではない。それなのに、『吃驚箱』だと言われてしまうと、その嫌な気分が薄れてしまい、ハインリヒは苦笑して頷いた。
「後は、ジョーに変装でもしてもらって、イワンになりすましてもらえばいいな。」
「それがいいわね。ジェットじゃちょっと、特徴的すぎるもの。」
フランソワーズは笑いながらそう言い、ジェットは軽く舌打ちをしながらも、楽しそうにジョーを眺めた。
「僕が?」
「そうよ。17歳の男の子って設定なんだもの。ハインリヒや私が行くわけにいかないでしょう?」
フランソワーズのその言葉を聞いて、ジョーはぐっと拳を握って頷いた。
「君になんて、行かせるわけないよ。フランソワーズ。」
ジョーのその言葉を聞いて、フランソワーズは微かに頬を染めて嬉しそうに笑った。それを見たジョーもちょっと赤くなりながら笑みを返し、その初々しいやり取りに、周りの人々は、小さく息を付いて視線を反らした。
「じゃ、まぁ、そう言う事で……」
後はまた今度。と手を振って、彼等は自室へ引っ込んでいった。
「僕は、小さな頃に、教会に捨てられてね。君を見て、ちょっと、自分を重ねてたところがあるんだ。」
約束の前日、イワンに化ける為に、髪を染めながら、ジョーはイワンにそう告白した。
「親に?」
「その辺はわからないんだ。神父様が気付いた時は、僕だけが置き去りにされていたって。……僕は、最近まで、それを恨んでたんだ。僕を勝手に産んでおいて、勝手に捨てるなんて。って。それで、色々悪い事とかして、結局それからも逃げてここに辿り着いたんだ。」
ここへ来て初めて、家族と言うものが、血のつながりだけでできるものではないと、わかったような気がした。
ここにいる人達は皆、それぞれに色々な過去を持っていて、人間なんて信じなくなったっておかしくないような経験をしていたりもするのに、ここで、温かい家を作っている。
ここに住んでいる者がお互いを、本当に大切にしているのがわかるのだ。
最初は戸惑った。ジョーの事情を聞く事もなく、彼等はあっさりと自分を受け入れてくれたから、上っ面の付き合いを続けているのかとも思った。でも、そうじゃないと知って、ここに愛着を持ち始めた自分に気付いた。
ここで、自分も暮らしていいだろうかと、ここの家族に入れてもらえるだろうかと、今は本気で思っている。
「君に、迎えが来たら、自分も救われるような気がしてた。」
「……今でも、迎えが欲しいと思うのかい?」
両親が、自分を探し出して、自分達の元へ帰って来いと言ってくれたら、それはきっと、嬉しい事だろうと思う。でも、今更、両親の元へ戻ったとして、自分は両親を信じられるだろうか、と、不安に思う。
ここの人達のように、お互いを信頼してこそ、本当に穏やかな関係が築けるのだろうと思う。ここに来たから、もしかしたら、それも可能かもしれないとも思う。
だけれどやっぱり、今、ここに両親が現れたとしても、自分はその手を取らないだろうと思う。
「迎えは欲しいと思うけど、それはきっと、ここからの迎えなんだ。」
ドアを開けると、背の高い元警察官の管理人のジェロニモがいて、階段を登ると足音を聞いて顔を見せてくれるフランソワーズがいて、居間を自室のように使って寛いでいるジェットがいて、キッチンを覗けば美味しそうな食事を用意してくれる温かい張々湖がいて、毎日歩き回って帰ってくるのに、美味しい紅茶を用意してくれるグレートがいて、いつも難しい本を抱えて帰ってきては、色々な事を教えてくれるピュンマがいて、あまり笑わないけれど、何か壊れたと言えば、大事にそれを直してくれるハインリヒがいる。そんなこの家からの迎えでなければ、自分はきっともう、満足しないんだと思う。
「ここの家族になりたいんだ。」
「僕もだよ。」
イワンは笑い、ジョーはその返事を聞いて、にこりと笑って、その体を抱き上げた。
9人揃って、救済の家、終了です。
揃って暮らす事で、救われる事とか、辛くなる事とかあるんでしょうが、ここにいたいと思う場所で暮らせる事は、幸せな事なんじゃないかなぁと、思います。
自分の家族は誰かって、普通は選べないけど、こういう家族もいいでしょう。きっと。(2003.10.28)