「起きた!?」
驚いて声をあげたジェットは、慌てた足取りでソファまで掛け寄った。
「うわ……ホント……」
赤ん坊は、フランソワーズの腕の中でほ乳瓶をくわえていた。
「なんで起きたんだ?」
「普通に…」
どう説明していいのかわからない、といった表情でジョーが答え、ジェットは首を傾げた。
「普通に、って……」
「よく寝た。って。起きたんだよこれがさ……」
ピュンマはそう呟き、ハインリヒはその横でため息をついた。
「……よく寝た、って…言ったの?」
ジェットはハインリヒに問い掛け、ハインリヒは納得いかない表情で頷いた。
「赤ん坊が?」
「赤ん坊じゃないよ。」
ふいに返った、聞き覚えのない声に驚いて、ジェットは声のした方向である、ソファを振り返った。
「………ウソ……」
ほ乳瓶を外された赤ん坊が、じっとジェットを見返していた。
「これで全員なの?」
「そうよ。」
「……僕は、イワン。こう見えても、17才さ。」
どう見ても、赤ん坊が喋っている事に違和感がある。それでも、声は赤ん坊の口の動きに合わせて聞こえる。そうなれば、もう、疑う事はできなかった。
「…………じゃぁ……探し人は……」
まさか、ハインリヒと交わした笑い話が、本当だったなんてと、ジェットは笑い出したくなるのを堪えた。とても、その場はそんな雰囲気ではなかったから。
「詳しい話をさせてもらってもいいかな。」
フランソワーズの膝の上の赤ん坊に見える17歳の少年は、そう言って、ふう、と息をついた。
僕が産まれたのは、今から17年前。父親はいるけれど、母親はいない。
僕は所謂、クローンなのだ。
と言っても、父親のクローンではなく、別の誰かのクローンだそうだ。それが誰なのか、生憎僕は知らない。父親は、それを僕には教えてくれなかった。
そもそも父は、その僕のオリジナルである人物の父親とかかわりがあったそうだ。それだけ聞くと、僕はそのオリジナルの身替わりに作られたと思うかも知れないけれど、そういうわけでもなく、僕は、僕のオリジナルの遊び相手として作られたらしい。
さっぱり、要領を得ない話で、僕もこれを話すのはとても躊躇われるのだけれど、今となっては、僕が聞かされた話だけが頼りなのだから仕方がない。
というのも、その依頼主は既に死に、僕のオリジナルももうこの世にはいない。僕の父も先日亡くなり、この話を知っているのは、僕一人なのだ。
では、僕が何故ここにいるかと言えば、それは、僕がここへ逃げてきたからだ。
僕は捨てられたのではなく、僕の意志でここに来た。父が死んで、僕の存在が知れた事で、周りが騒がしくなったから。
僕は、見ての通り、この姿だけれど、17年前に父の子供として戸籍を取得している。それでも、この姿だから、家の外に出た事はなかった。
先日、父が死んで、父の研究を知っていたどこかの組織の人間が、その研究内容を譲ってほしいと、僕の家を訪れた。
僕と父しかいないと言っても、僕の世話をする為の家政婦がいたし、実は、僕の身替わりもいたから、彼等はそれを話していったのだけれど、僕は父の研究を差し出す気はなかった。
断ると、彼等は金を出すとか、なんとか言って、挙げ句、命がどうこうと言い出した。
僕の為に、家政婦たちを危険に晒すわけにもいかなかった。僕は、僕の身替わりをしていてくれた少年に頼んで、僕をここへ連れてきてもらったんだ。
ここの噂は、聞いてた。なんだか、変わった人達が集まっているんだって。それだったら、僕だって、入れてもらえるんじゃないかと思ったのさ。
「………ふぅん………」
「そうか……」
ジェットとジョーは小さく呟き、他の皆は、言葉もなくじっと赤ん坊を眺めていた。
「言い方が悪いが、結局のところ、君はクローニングが失敗して、その姿だという事か?」
ハインリヒが真直ぐにそう問い掛け、ピュンマがぎょっとしたようにハインリヒを振り返った。
幾らなんでも、自分に全く責任のないところで行なわれた事態を、どうする事もできない人間に向かって、しかも、そのせいで幾らか被害を被っているであろう人間に対して、『失敗作』とはあんまりな言い分ではないだろうか。
「ハインリヒ、言い過ぎだよ…」
「でも、事実だよ。僕は、失敗したのかなんなのか、体は成長しないし、眠りにつくと、2週間は起きない。父はそれを随分悔いていたから、僕はあまりその事で気を使われるのは好きじゃないんだ。」
当人からあっさり容認されてしまい、ピュンマはため息をついてハインリヒを見やった。
「別に俺は、失敗作なんだな、なんて言ってないじゃないか。」
「……ハインリヒ……」
ピュンマは盛大なため息をつき、ハインリヒは不思議そうな表情でピュンマを眺めた。
「クローニングが失敗したって言うなら、それは作業をした人間の責任で、イワンにはなんの責任もないわけだし、もし、それが狙って作られた事だって言うのなら、その研究の内容だって、ちょっと扱いに困る事になるだろう。」
クローンに関する研究は、未だに色々と問題を抱えていて、動物での実験が成功してから随分経つが、人間のクローンは倫理面から実験を止められている。
ただ、一つの個体から一つの個体を作る事ですら止められていると言うのに、その個体に別の特徴を持たせる事ができると言うのならば、研究は数段階先に行っているという事になる。
「一生赤ん坊のままだって事が、役に立つかどうかはわからないが、ある一定の状態で成長が止められるとなれば、使い道だって出てくるかも知れないじゃないか。」
ハインリヒは言い、ピュンマはハインリヒがイワンの姿に関して、何の違和感も感じていないのだろうかと、不思議になった。
「……そうかもしれないけど……」
「命まで取ろうかって人間が追い掛けているんだろう。呑気にしてるのは、まずいんじゃないか?」
ハインリヒは言い、彼等は顔を見合わせて、深く頷いた。
赤ん坊、起きるなり喋る。
なんか、先が何処に向かっているのか、わからなくなってきました。
でも、後一つ二つで終わるかな…と。
イワン、こちらでは17歳のクローン人間。新たな、『家』の住人です。(2003.9.22)