「夢の時間は、終わりだ。」
振り返った彼の顔が、驚愕の表情を浮かべた。そしてそれは、泣く寸前の歪んだものに変わっていった。
「……悪夢だった?」
ズシリと重い反動が腕に伝わり、自分と同じ顔が吹き飛ぶのを見た。ゆっくりと体が地面に倒れ込み、ドクドクと循環液が溢れては、地面に染み込んでいった。
「………」
ゆっくりとその体に歩み寄って、それを砕くように弾を打ち込む。驚く程簡単に崩れ去っていく体には、人らしいものは欠片もなかった。唯一の生体部分である脳は、最初に一撃で吹き飛び、既に見る影もない。
銃弾の補充をし、更に細かく体を砕き、それが原形を留めなくなってやっと、その場に膝をついて、地面を掘り始めた。
固い土もものともしない金属の指先で、土を掻き、砕けた金属片をそこへ埋める。
もし、これが見つかったとしても、きっと誰もそれがなんであったかは気付かないだろう。それが、人の形をしていただなんて、きっと気付かないだろう。
「……ノイ、いい夢だったよ。」
誰も足を運ばないであろうこの場所には、嘗て自分が砕いた人形がいた。多分、それを作ったのも、彼を作ったのも、同じ人間であったろうと思う。でも、彼は、あの人形とは違った。
「本当だよ。」
でも、最初は、悪夢だとしか思えなかったけれど。
「お帰り。」
ぼんやりと階段を上がってきた先に、見慣れた姿を見つけて、少し驚いた。
「……ジェット?」
あの時、彼はそう呼び掛けた事に怒って、襲い掛かってきた。後から、恨み言を言われた。よりにもよって、あれと間違えるなんてと。
彼は、ジェットが大嫌いだった。仲間の中でも、一番嫌っていた。自分が、彼を傍に置くから。
「死人みたいな顔してるよ。」
ジェットはそう言って、早く家へ入れろと急かすようにドアを指差した。
「いつ来たんだ?」
「ちょっと前。」
ポケットに突っ込まれた手が、それは嘘だと思う程度に、震えていた。ここは陽が当たらないから、きっと寒かったに違いない。
「すまなかったな。」
彼は、どうして気付くのか知らないが、俺が危ない時には、こうして姿を見せる。今日も、多分、何か知っていて来たのだろうと思う。
「勝手に来ただけだし。」
そう言って、彼は俺の顔を覗き込むように眺める。
「おでこに土がついてる。」
そう言って彼は、ジャケットのそで口で俺の額を拭った。地面に額を押し付けていた時に着いたのかもしれない。
「車で帰って来てよかったよ。」
そう言って玄関を開けると、彼は後に着いて中へ入ってくる。
「まだ、こっちは寒いよね。」
「随分、温かくなって来たと思うが…」
そう言うのならば、暖房を効かせてやらねばなるまいと、エアコンをつけると、彼は自分が買って寄越したソファに座り、俺を手招く。
「温かくなるまで、ここにいて。」
言われた通りに、ソファに背中合わせで膝を抱えるように座って、何を言うでもなく黙り込む。
彼も、こうしてぴったりくっついている事が多かった。このソファは、彼の嫌いなものだったから、それは、ベッドの上である事が多くて、二人でゴロゴロと転がって過ごす事も多かった。
時々、ぽつぽつと言葉を交わすだけで、でも、そこにいるだけでよかったのだ。
最初は、悪夢だと思った。自分とそっくり同じものがいて、しかも、自分のクローンだと言うのだから、尚更だった。
気持ち悪くて、誰がそんな物を作ったのかと怒りを感じると同時に、すぐにでも壊してしまおうと思っていた。
でも、彼と過ごすうちに、彼が、自分とは違うものだと気付いた。同じ遺伝子情報を持っていたとしても、彼と自分は違うもので、そして、彼は、自分よりもいいものではないかと思うようになった。
子供のような彼は、自分とは違う環境で育ってきて、自分とは違うもので、次第に、愛しいもののような気がしてきた。
昔、まだ、普通の人間だった頃、彼女も自分も、自分が一番疎ましくて、自分の遺伝子が後世に伝わっていく事など、なんとおぞましい事かと思っていた。だから、結婚して家庭を持つ事には、ためらいがあった。あの時代、結婚をすれば、子供を作るのが当然のつとめで、ならば、自分達は、一生このままでいた方がいいだろうと、彼女と話し合ったのだ。
でも、彼といるうちに、それは間違いだったのではないかと思うようになった。自分の血を引いていたとしても、それは別の命で、別の人格を持っているに違いなく、それは、自分達がきちんとその命に愛情を注いでやれば、悪いものにはならなかったのではないだろうか。
自分の血を引く子供だと思えば、戸惑う事もあったかもしれないが、彼女の子供だと思えば、きちんと愛してやれたのではないだろうか。それとも、自分達が怖れたように、親のそんな気持ちを敏感に察して、自分達のように、自分を疎ましく思うようになってしまっただろうか。
結局、自分達は、誰かときちんと向き合う事もできない程の、憶病者であったという事だったのだと思った。
そして、自分は、彼と話し合う事すらせず、彼を殺す事で解決を図った卑怯者だという事。
だって、彼が、ジェットを本当に傷付けたりするのは、絶対に嫌だったのだ。
ノイはよく、自分とジェットを比べさせるような事をしたけれど、いつだって、自分の中で、ジェットよりも優先されるものなんてなかった。もうずっと、自分の中で彼が一番大切だから。
だから、優先されないノイを殺した。あんなに、自分を必要としてくれていたのに、それでも、彼では駄目だったのだ。
だってあれは、自分とは違う生き物だったけれど、でも、自分と同じ部分も持っていたから。
背中越しに、彼がため息を着いたのに気付き、小さくため息が漏れた。
彼が、何をしてきたのかというのは、大体、想像がつく。
俺だって、彼がこの家に自分以外の誰かを迎えていた事は知っている。近所の人が、何気なく漏らした事をきちんと聞いていれば、それがどんな者だったかだってわかる。
だけど、別に、それを責めたてる気なんてない。彼には、それがどういう事だか、ちゃんとわかっていたはずだし、本当に必要だと思えば、自分にきちんと話してくれるだろうと思っていた。
だから、黙って待っていたのに、あの赤ん坊が、余計な事をした。まだ、本当の危険は近付いていなかったに違いないのだ。なのに、余計な事をするから、彼はまた、必要もない傷を作る。
もし、それの存在に気付くのが、戦闘の相手としてだったら、迷う事なんてない。敵は倒すものだと、彼は思っているから、自分に敵対すれば、それまでどんなに親しくしていたとしても、迷わなかっただろうし、後腐れもなかっただろう。
でも、まだ起こっていない事に対して、先手を打ってしまったのならば、彼はきっと自分を責める。自分の行動が、どんなに酷いものであったか、どんなに自分が悪いのかを、自分に突き付ける。
彼が、自分の事を嫌っているのは、よく知っている。嫌っていると言うより、憎んでいるのに近い程だ。『皆、自分が悪いの』なんていう、悲劇のヒロインぶった感情でなく、彼は本気で、自分が一番悪いものだと思っているから、どんどん、自分に対する評価が下がる。
こんな時に一人にしておいて、暗い事ばかり考えさせたら、どんな事になるか、考えるだけで恐ろしい。近所の人の何気ない一言で、うっかり自分がいなくなってしまってもいいなんて考えられたら困るのだ。
だって、彼はきっと、『あんたは、もう必要ない』なんて言われたら、安心して死んでしまうに違いないのだ。絶望して死ぬのとは違う。もう、自分は死んでもいいんだと、安心してしまうに違いないのだ。
それは、俺が困る。俺は、彼と一緒にいたいのだ。だから、彼がそんな早まった事を考えないように、俺はここにいなくちゃいけないのだ。
「……ねぇ、俺、腹減った。」
「……何か食べに行くか?」
彼は、俺の声にきちんと反応してくれる。そこに座っていてくれるのだって、俺が、そこにいてほしいと言ったからだし、彼は、俺が彼を必要だと言っている事をきちんとわかってくれているはずだ。
「あんたの作ったのがいい。」
「何がいい?」
「簡単なのでいいよ。」
そう言うと、彼はそこから立ち上がって、キッチンへ歩いていった。
「コーヒーも飲みたい。」
背中にそう言うと、彼はひらひらと手を振って了解を示す。彼は、俺が、コーヒーもろくに煎れられないと思っている。料理なんて、もってのほかだと。俺は、ここでそんな事をした事がない。だけど、俺だって一人で暮らしているのだから、サンドイッチくらい作れるし、コーヒーだって作れる。
でも、今は、俺が、彼がいないと生きていけないのだという事を知らしめなくてはいけない時だ。
きっと彼は、そんな俺の考えだってわかっていてくれる。そして、そうやって、俺が彼が必要なんだと訴えている事を知って、俺の傍にいてくれるのだ。
だから俺は、ここでは好きなだけわがままを言って、彼がいないといられないのだと示すのだ。
ここにいた、俺ではない誰かの事を、彼が暫く忘れていられるように。
俺を殺したら、アルトは、俺の為に、泣くよね。
それだけはちょっと、嫌なんだけどな…
結局、24オチになる、黒44小説、『夢幻』でした。
最初は、ノイを殺すハインリヒをジェットが見ていて、それが本当にハインリヒなのかをジェットが疑い、ハインリヒは自分が疑われている事に気付いて、それでも気付かない振りをしているよ。という、オチの予定でした。(気付かない振りは得意だってのがここに掛かってくるのですね)
段々、そこまで暗くしなくてもいいじゃん。と言う事で、こんな感じに終わったのですが、如何でしたでしょうか。
本当は、泣きながらジェットに縋るハインリヒとかも考えてたんですけど、ちょっと、自分の中で、『そりゃ、有り得ねぇ!』と叫ぶ気持ちがあったので、やめました。
決まっていたのは、「純粋な偽004」「偽者を殺すハインリヒ」という2点でした。
作中でもさらっと書きましたが、ノイとアルトは英語で言う、NewとOldです。偽004は、ハインリヒより良い物を作ろうとした科学者が作ったので、「新しい」という名前で、先にある物よりも素晴らしいもの。という意味合いを込めたわけですね。彼にとっては、それは自分の自信作ですから、「偽者」なんて、決して呼ばせなかろうと思ったのですね。ハインリヒを「アルト」と定義したのは、それを見下す意味もあるというわけです。白と黒っつーのも考えたんですけど、ドイツでその色にどんな意味が当てられているのかわからないので、やめました。でも、やるとしたら、白がノイで、黒がハインリヒだったのは間違いなく、最初にノイが白いコートを着ていたのも、その辺の意図があったからでした。
色々試してみて、私としては、楽しいお話でした。本当は、ノイを最後の場所まで連れていくシーンも書く気だったのですが、色々あって、挫折しました。(2003.2.10)