夢幻



 その知らせが来るのを、どこかで期待していたと思う。永遠に来ない事を願っていたけれど。
「………わかりました。」
『儂らも、イワンが何を知っておるのかわからないんじゃ。だが、君でなくてはならんと言うのでな。』
「ええ。わかっています。」
 彼が無駄な事をしないという事は、仲間の誰もがよくわかっている。
 彼は、無駄な事をしないし、余計な事をしない。たとえそれが、人の一生を変えるような事でも、これまであった全ての事を消してしまうような事であったとしても、彼はそれが必要だと思えば、それを躊躇わずに行なう事ができる。
 多分、そういうところが、彼が赤ん坊であるという事だと思う。
 何十年と生きてきていると言っても、彼はあまりにも外の世界の事を知らない。ほんの赤ん坊の頃にサイボーグにされ、延々彼は外界と隔絶した世界で生きてきた。その中での処世術を身につけていたとしても、その外の世界での生き方を彼は知らない。
 だから、驚く程残酷になれる。
 人の命の価値が、驚く程安い場所で生きてきたから。人の過去が、取るに足らないものである世界で生きてきたから。
 外へ出てからも、誰も彼を大人として扱わない。彼がただの赤ん坊ではない事は知っているけれど、でもやはり、彼は赤ん坊だ。あの姿を見て、どうしてそれを、自分達と同じものとして扱えるだろう。
 だから彼は、ずっと赤ん坊のままだ。何をしても、本気で彼を咎める者なんていない。
 彼に会ってからずっと、彼に隠し事などした事がない。進んで曝け出す程でもなかったけれど、彼が自分の中を覗くのを拒んだ事もない。だけど、その方法を知らないわけじゃないし、彼にこちらから入り込む事ができる事も知っている。
 自分からやろうとしなかったのは、その必要がなかっただけ。でも、必要なら、一蓮托生で死んでやろうと思ってる。巻き添えで死ぬ事は無理かもしれないけれど、半分くらい、頭の中を壊してやる事はできると思う。
 彼と俺の間には、まだ、壁がないから。
 
 
 
 
 
『別に、君を疑っているわけじゃないけど、君じゃないよね?』
「ああ。」
 ドルフィン号に彼だけを連れて行き、そこで見せられた映像に、一瞬、目の前が暗くなったような気がした。
 軍事工場の炎上事故の映像の片隅に、サイボーグらしき人影が幾つか映っていた。そして、その一団を指揮しているらしき姿が、見覚えのある姿をしていた。
 昔、あの基地の中で、最初に着せられていた黒い服を着た、自分そっくりのサイボーグ。
『以前にも、君に似せたロボットが作られてるって、君が教えてくれたよね。』
「ああ。」
『あれにも、心当たりがあるね?』
「………以前に頼んだ物はできているのか?」
 知らないわけがない。サイボーグの指揮を、ロボットに任せるわけがない。ならばあれは、サイボーグだろう。今更、自分にそっくり似せたサイボーグを作る人間が、それ程いるとは思わない。
 ならばあれは、彼に違いない。
『できてるよ。』
「渡せ。」
 いつか、気付く日が来ると思っていた。それまでは、知らない振りをしていようと思っていたのだ。
 昔から、気付かない振りをするのは得意だった。目の前で起きた事でないのなら、聞かない振り、見ない振りで、知らないと言って過ごしてきた。
 どこかで誰かが泣いていても、聞かない振りでそれを見過ごしてきた。そうでないと、周り全てを疑って掛からなくてはならない場所で生きていたから。
 だから、彼の事だって、気付かない振りをしようと決めていたのだ。
 組織の中にいる彼が、ただ日々をぼんやり暮らしているだけの筈がないのも知っていた。彼が持って来るものを見ていれば、何らかの理由を持って、世界中を移動している事だってわかっていたのだ。
 でも、彼がそれを隠していたから、知らない振りをする事に決めた。
 少なくとも、自分の前にいる彼は、そんな世界とは関係ない彼だった。
 たとえ、昨日、人を殺してきたのだとしても、そこにいる彼は、楽しそうに笑って、まるで普通の人間のように見えたから、少なくとも、自分にとっては、悪いものではなかったから。
 だけれど、こうして見せられてしまったら、知らない振りはできなかった。知ってしまった事を、知らない振りはできない。自分はそんなに、器用じゃない。きっと彼だって気付く。
『君があれで自殺をするんじゃないかって、博士が心配してたよ。…でも、違うよね?』
「お前は、いつになったら、その馬鹿な心配を捨てるんだ?」
 博士の言葉を借りての問い掛けは、結局彼も、それを心配していると言う事だと知れた。
 どいつもこいつも、人の顔を見れば、『死ぬんじゃないか?』だ。いい加減にその疑問から俺を解放してほしいと思う。本当は、心配しているのではなくて、期待しているのではないかと思う程に、彼等は俺を見てはそう問いかける。
『僕は、心配なんてしてないよ。』
「それじゃ、さっさと送って来ればよかったじゃねぇか。」
 俺が、そんなに簡単に、死ぬと思ってるなら、それは彼等がおめでたいからじゃないだろうか。俺は、俺の命はそんなに大切だとは思わないけれど、でも、だからって、進んでそれを捨てる程に、自分が疎ましいわけでもない。
 とりあえず、この世界には、俺を必死につなぎ止めようとしてる奴がいるから、それがある限り、俺は俺の命が無価値だとは思わない。
 だから、俺が自殺するなんて有り得ない。簡単な話だ。
『じゃ、そこの箱の中、持って行きなよ。』
「手間掛けたな。」
 言われた通りに、脇に置いてあったその箱を開け、中に納められていた物を取る。
「これ持って、飛行機乗れるのか?」
『君が乗れるんだから、乗れるんじゃない?』
「……分解すりゃ、足に放り込めるか……」
 戦闘時にはマイクロミサイルの納められる両足は、現在は空っぽの状況だ。自分の手は金属でできた技手だから、ボディチェックで引っ掛かっても言い訳がつく。少なくとも、自分の右手を見て、更に他の部分を調べようとする係員には、未だに会った事はなかった。
『…僕は、余計な事をしたのかな。』
「………俺にとってはな。」
 世の中にとって、それが余計だったのかどうかはわからないが、でも多分、自分にとっても、完全に余計な事だったとも言えないと思う。
 疑念はまるでなかったわけじゃない。心配だってあった。だから、彼の意識を自分以外に向けたくなかった。自分に向いている限り、彼は驚く程おとなしい子供と一緒だ。時折見せる冷たい表情は、絶対に自分には向かない。
 それを知っていたから、まだ、大丈夫だと思っていた。でも、この先ずっと、それが続くかどうかはわからない事だったから、それだけが不安だった。
 もし、本当に、彼が彼を傷付けたらどうしようかと、自分のせいで、彼が傷付いたらどうしようかと、不安は消えなかった。
『……君は、壁を作るようになったよね。』
「お前が、慎みを持ったんじゃねぇのか?」
 自分は、何も変わっていない。壁を作る意識なんてない。踏み込まれたくないと思う事があったのは、今も以前も変わらない。彼が、それを認識できるようになっただけだ。それを、壁だと思うようになっただけ。
『でも、君は声を出して話すようになったじゃないか。』
「チャンネルは開きっぱなしだぜ?」
 ある時から、彼は自分の中を覗くのを控えるようになった。絶えず繋がっている事が危険だと、彼が認識したからだ。だから本当は、壁を作ったのは彼の方。自分の身を守る方法に気付いただけ。
「お前も、成長してるってことだな。」
 彼は赤ん坊だけれど、赤ん坊なりに、育っているのだな。と、思った。体か育たないから、気付かなかったけれど、育たないのは彼だけではないし、少し、彼に厳しかっただろうか。
『僕らと、一緒にいるのは、苦痛?』
「お前たちより、優先されるものなんて、俺にはないよ。」
 ふいに不安を見せた赤ん坊に笑って答える。それは、偽りなど欠片もない真実。
 あの日から、自分の中にあるものに、順番をつけるようになった。何を優先させるのかを迷っている間がないのを知ったから。
『本当に?』
「疑うなら、覗いてみればいい。」
『いいの?』
「いいさ。」
 そう答え、そこを離れるために、彼を抱き上げる。
『……疑ってなんかないよ。君は、僕に嘘なんか言った事ないじゃないか。』
「そうか?」
 彼がそう言うのなら、それを信じればいい。自分達は、多分、そんな風にしか、生きていけないのではないかと思う。




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エンディングに向けて、お話が動きだしている事はおわかりかと思いますが、あと1話で終わるかな。という感じです。ここまでこれば、どんなエンディングを迎えるかは、簡単に予測できるかと思いますけれど、さて、皆様の期待を裏切れたかどうか。次回をお待ちください。

(2003.2.8)


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