「ねぇ、アルト。」
「ん?」
ベッドの上で寝転んだまま、ぼんやりした声で呼び掛けてきたノイを振り返り、ハインリヒは先を促すようにその様子を眺めた。
「俺たちって、サイボーグだよね。」
「ああ。」
「それって、人とロボットと、どっちに近いんだろう?」
本気の問い掛けだという事がわかる程度に、真剣な響きを持った問い掛けだった。だから、それがとても不思議に思った。彼が、そんな事を考えるとは思っていなかったのだ。彼が、現状に満足していないなんて思っていなかったから。
「どうしたんだ?」
「……俺さ、あいつらのこと、『ただの人間』だって思う事があるんだけど、じゃぁ、俺はちょっと違う人間なのか、ちょっと違うロボットなのか、どっちなのかなぁって、思って。」
勢いをつけて起き上がったノイの元へ戻って、ハインリヒはベッドの端に腰をおろした。
「サイボーグって、どっちだと思う?」
どうして、誰も彼も、そんな事を考えるのだろう。と、問いかけられてハインリヒは思った。
ずっと昔にも、よく似た事を考えさせられた事がある。自分は人間なのか。と。でも、そんな思考は自分から考えた事ではなくて、延々繰り替えされるその刷り込みに対する、抵抗だったのではないだろうかと、思わなくもない。その頃には、自分は一つの答えをきちんと手に入れていたはずだから。
「サイボーグってのは、体の一部を機械化した人間を言うんだとさ。」
「……だったら、ちょっと違う人間。だよね?」
「でも、俺たちの場合は、ロボットに少し人間の部分が入り込んでるのと殆ど変わらない体だな。」
「………じゃぁ、ちょっと違うロボット?」
ノイは眉間にしわを寄せて唸りつつ問い掛けた。それは、自分も嵌まり込んだ泥沼と同じだった。
別にどちらでもいいんだと言いながら、どちらなのかと問われれば、答えはなかなか難しい位置にある。自分でなく、別の誰かだったなら、答えなど簡単に見つかったのだろうけれど。
「だから、俺たちはサイボーグだって思っておけばいいんだよ。お前だって、自分で『自分はサイボーグだ』って言ったじゃねぇか。」
二度目に会った時、ノイはハインリヒの問い掛けにそう答えた。ロボットである自分を否定したのだ。ならば、それでいいじゃないかと思う。人間であると主張もしなかったけれど、でも、それが一番わかりやすい主張だ。
「アルトも、そう思ってる?」
問い掛けに笑みを浮かべ、ハインリヒはその頭を撫でてやるとそこを離れた。
「アルト?」
慌てたように後ろをついてくるのを確認して、そのままキッチンへ足を向ける。
「アルトは、自分が人間だと思ってる?」
珍しく足音を立てて後をついてきたノイは、ハインリヒが差し出したマグカップを受け取り、じっとその顔を見つめる。
「どう思う?」
質問で返されて、ノイは言葉に詰まった。
普段、彼は普通の人間と変わらない様子で近隣の人々と過ごしている。でも、その手には何時だって手袋がはめられていて、彼がその右手を人目に晒さないようにしているのは、それを嫌っているからだとも思う。
だとしたら、彼は自分は人間だと思いたいのではないかと思う。でも、『思いたい』というのは、『思っていない』のと同じ事だと、ノイは先日、本で読んだ。
ならば、彼は自分は人間ではないと思っているという事。
「……わかんない。」
「ノイは、自分は何だと思う?」
パンとバターの塊を持った彼がテーブルへ足を向けると、ノイはコーヒーのなみなみと注がれたマグカップを持って後に続く。
「俺は……」
さっき、彼は『サイボーグ』なんだと言った。自分も、そう思ってる。少なくともロボットじゃないし、ただの人間でもない。でも、ただの人間じゃないというのは、人間じゃないという意味でもない。
「……アルトは、何なの?」
椅子に座って問いかけると、彼は微かに笑みを浮かべて答えをくれた。
「アルベルト・ハインリヒだよ。」
その答えは、ノイにはよくわからなかった。それは、サイボーグである事を否定したという事なのだろうかと思う。
「……人間だって事?」
「そんなの、どっちだっていいって事さ。」
そう言って、彼はパンを手に取ると、バターをそれにのせて口に運んだ。
「どうして?」
「俺たちが、元から人間だった保証なんて何処にある?記憶があるから。なんて言ったって、それが本物とも限らないし、他人の記憶かもしれないだろう?」
「……そうだけど…」
彼に倣うようにパンを手にとったノイは、その話に首を傾げた。
そんな事を言ったら、さっきの宣言だってどうだかわからない事になってしまう。
「サイボーグだ、被験体だ、完成試作品だ、004だ。って、あの場で呼ばれてたが、それも、名札が付け変わるのと変わらない事で、俺は俺だったんだよ。形が変わろうと、素材が変わろうと、俺は俺だった。」
ノイも、サイボーグ手術を受けた後に、幾つかの改造を重ねている。確かに、その間の意識は途切れているが、その前とはずっと繋がっていると思う事ができる。
「じゃぁ、その俺が、俺は誰かと思った時に思い出した名前があるなら、それが俺なんだよ。何で出来てようと、どんな形をしていても、俺は『アルベルト・ハインリヒ』なんだ。それさえわかってたら、人間だろうとサイボーグだろうと、ロボットだろうと、そんなのはどうだっていい。」
人間だと確認したい人達の中で、自分を人間だと思う為の条件は見つけたけれど、でも、別に、そんなのはどうだってよかったのだ。
本物であれ、偽物であれ、自分の中にある記憶は自分の物と認めたから、後は自分がなんであっても構わなかった。人間でなくてはいけない理由もなかったし。
不本意だった事は、自分が実験動物扱いされている事と、いずれ兵器にされる事くらいだったと思う。サイボーグである事が不本意だった事なんて、あまりなかった。もちろん、時折それが嫌になる事はあったけれど、それを理由に、自分が人間だと思い込もうとする必要性はなかった。
自分の名前と、自分の過去と、それだけあったら、それで充分だったから。
それは、とても幸せだけで満ちあふれていた過去であったとは言えないけれど、幸せがなかった過去ではなかった。それよりも、とても自分に似合った過去だと思ったのだ。だから、信じた。
「じゃぁ、俺は何なのかな……」
「暇なら、考えていればいい。その内、お前にだって何か見つかるだろうよ。」
「だって、俺の記憶、消されちゃってるのに。」
そうノイが反論すると、ハインリヒは驚いたような表情を浮かべて、首を横に振った。
「お前の家の、アドヴェンツ・クランツは何色だった?」
「…?……ライラック。」
「お前の部屋に置いてあったベッドカバーの色は?」
「……………青……」
記憶を辿って答えを返し、それに驚いて目の前で笑う人を見返す。
「記憶の消去なんて、無理な話だと思わないか?ちょっと細工して、思い出さないように仕組んでるだけさ。」
「……それじゃ、俺は、自分がいた場所を思い出す?」
問いかけるノイに頷いて、ハインリヒは苦笑を浮かべた。
自分の存在を確かめたい彼が、いつかそれを思い出したとして、それが素晴らしい思い出であればあっただけ、現在との違いを嘆かずにいられないだろうと、ハインリヒは思う。
彼等もそうだった。幸せだった人程、現在を嘆く度合いが深かった。こんなのは、自分のいる場所ではないと、何度も繰り返すのを聞いてきた。
多分、彼の思い出す過去は幸せなものだろうと思う。自分とはまるで違う表情を浮かべる様子を見ていれば、それも予測がつくと言うものだ。だから、多分、それを思い出させる事は良くない事。
でも、自分がまだ、彼を信じ切っていないのも、ハインリヒは理解している。彼が自分を信じ切っているのは見て取れるのに、自分は彼に心を開き切ってはいない。
きっと、悪人は自分の方だな。と思いつつ、小さく頷きながらマグカップの水面を眺めるノイを眺める。
「行ってみたいな……俺のいた場所に。」
そこで見つける真実がなんであるか、ハインリヒは最悪のパターンを一つ思い浮かべる事ができる。でも、それが事実であるかどうかは、わからない。限り無く、可能性は高いと思うけれど。
そんな事も考え付かないらしいノイを眺めて、小さくため息をついた。
「アルト?」
耳聡くそれを聞き付けて顔をあげたノイに、笑いかけて提案をする。
「とりあえず、今日は近場に散歩でも行って、我慢しておかないか?」
「うん。」
ノイは嬉しそうに笑い、ハインリヒは満足して頷いた。
彼が、自分を見ている間は、彼等は無事だろうと思うから、できるだけ、彼は傍に置いておきたいと思っている事を、気付かれずにいなくてはならないと、彼は自分に言い聞かせた。
違うシリーズの内容を補完するなよ…というような、内容になってます。お話は違うけど、主張してる内容は同じだと思って見て頂けると大変有り難かったり………
ぴゅあ〜なノイさんと、疑り深いアルトさん。終わりに向けて動きだした感じです。多分この人は、それがヒルダの顔をしていたって、信じたりはしないでしょうね。多分、一層強く疑うに違いない。
少年魔法士のカルノに影響を受けた内容になってるのは、後から気付きました…(2003.1.26)