夢幻



 そろそろアドヴェンツのはずだ。と、彼は自分にとって最も重要な人の元へと向かっていた。
「ノイ!」
 ふいに名前を呼ばれて振り返れば、既に馴染みになった果物屋の店主が手を振っていた。
「渡すものがあるんだよ、寄っておいで。」
「何?」
 そう言われれば断るのも勿体無くて、ノイは少し寄り道をする事を自分に許可する。本当は、一目散に目当ての場所へ生きたいのだけれど、今日は手土産もないし、丁度いいかとも思ったのだ。
「ほら。アルベルトと一緒に食べな。」
 どん、と差し出されたのは、真っ赤な林檎と苺の入った箱だった。どれも綺麗に色付いて、ぽんとあげてしまえるようなものではないような気がして、戸惑いつつその様子を窺った。受け取ったら最後、とんでもない金額を請求されたらどうしようかと思う。
「……貰っていいの?」
「クリスマスプレゼントだよ。」
「まだ、ずっと早いけど…」
 彼女の言い分に、ノイは首を傾げつつも、その箱を受け取った。クリスマスは24日。今日は6日だ。どう数えても、早すぎる。まぁ、確かに、自分はそれほど頻繁にはここへ来ないけれど、でも、絶対に来ないとは思わないはずだ。
「何言ってんだい。今日は、聖ニコラウスの日じゃないか。」
「……?」
 首を傾げて彼女を見返すと、彼女は戸惑ったようにノイを見返し、それからポンと、手を叩いた。
「あんたのところは、クリスマスの日にプレゼントを貰う家だったんだね?」
「………うん…」
 本当は、そんな記憶はないのだけれど、そうではないとも言い切れないし、彼女の気持ちを削ぐのも申し訳なくて、ノイはとりあえず頷いた。
「うちじゃ、プレゼントはニコラウスの日にあげる物なのさ。いつも沢山買ってもらってるお礼だよ。持って行きな。」
「ありがと。」
 何だかよくわからないけれど、代金も請求されないのならば、後で彼に聞いてみようと決めて、ノイは礼を言うと店を離れ、目当てのアパートへ足を向けた。
 ここへ来はじめて、既に半年が過ぎ、近隣の人々も少し自分に慣れたようだと、ノイは思った。最初は、あまりにそっくりの自分に、戸惑いを見せていた人もいたけれど、従兄弟だと言えば彼等は素直に信じた。別に、信じてもらえなくてもよかったけれど、自分と彼に何らかのつながりがあるのだと認めてもらえているようで、ノイはそれが少し嬉しかった。
 そして、彼も自分の存在を受け入れてくれた事が、一番嬉しかった。
「ノイさん!」
 別の声に名前を呼ばれてそちらを見たノイは、そこに立つ二人連れに少し戸惑った。
 目当ての彼と隣の家の少年。ああ見えて彼は人付き合いをきちんとしていて、隣家の少年は割合彼に懐いている。自分に声を掛けてくる様子を見ても、彼への信頼が伺えると言うものだ。
「アルト、エーリヒ。どうしたの?二人で。」
「そこで一緒になったんだ。」
 少年はそう答えて、ノイの持っている箱を見て首を傾げた。
「それは?」
「プレゼント。貰ったんだ。」
「すごいね!」
 少年はしげしげとそれを見つめ、それを見ていた彼が声を掛けた。
「今年もちゃんとプレゼント入ってたか?」
 からかうようなその言葉に、少年は勢いをつけて彼を振り返った。
「木の枝なんて届いた事ないよ。俺、ちゃんとしてるし。」
「そうか。」
 そのやり取りにノイは心の中で首を傾げつつ、三人でアパートへ足を向けた。今ここで質問をすると、自分があまりに物を知らないかのように見えると思ったし、なんとなく、水を差すようで躊躇われたのだ。
「アルベルトさんは、木の枝だった事あるの?」
「……一度だけな。」
 苦笑を浮かべて答えた彼に、少年は驚いたように目を見開き、その理由を尋ねた。
「相談しないで、大事な事を決めてしまって、それで、ばあさんも母さんも泣いてね。」
「……お母さんたちを泣かすのって、そんなに悪い事?」
 少年の問い掛けに彼は頷いて、柔らかい声で話し掛ける。自分に説明をする時もそうだけれど、彼は何かを説明する時、本当に真直ぐに答えを返してくれると、ノイは思う。相手が子供だからとか、大人だからとか、そういう事は関係なく、きちんと答えるべき事は答えてくれる。こういう時に、ごまかすことはなかった。
「自分一人で大事な事を決める事も必要な時があるけど、相談しなくちゃいけない大事な事だってあるんだよ。それを見誤るのは、悪い事だな。」
「学校では、自分できちんと決めなさ言って、言われたけど。」
「決定するのは自分だよ。相談しても、自分の考えで決定しなくちゃいけない。」
「……ちょっと、難しい。」
 少年は、そのぼんやりとした言葉を理解しかねたらしく、そう言って具体的な説明を求めた。彼はそれに頷いて、少し思案をしてから口を開いた。
「エーリヒは、どの学校へ進むか、相談しただろう?」
 ドイツでは、小学校を卒業する時点で、自分がどの道を進むか決定する事がまず必要になる。義務教育は小学校の4年間だけで、その後は、大学へ進学する為のギムナジウムや、職業訓練校へ進む道などが存在する。やはり、学歴も重要視される職業もある事から、ギムナジウムへの進学をすすめる親は多い。子供が落第せずに小学校を卒業すれば10歳である事を考えると、そこで突然の決定を迫られる子供に選択権が本当に存在するのかは、微妙なところだろう。
「した。……お母さんは、ギムナジウムに行くのが一番いいって言った。俺は、職人になるって決めてたから、それは無理だって言ったけど。」
「それが、大事だって事。勝手に決めちゃったらさ、お母さんだって吃驚したと思うよ。」
「……そうだね。」
 少年は、何ごとか思い出すようにそう答え、ノイはその様子を見て、人それぞれ、色んな事情があるのだな。とぼんやり思った。悩みなんてなさそうな少年も、少年なりの悩みごとがあって、自分にだって、自分なりの気掛かりというものがある。そして多分、彼にもそれがあるに違いない。
 三人で揃ってアパートの階段を上がり、家の前で手を振って別れると、ノイは持っていた箱を差し出した。
「これ、アルトと二人で食べなさいって。」
「そうか。」
 その箱を受け取ってキッチンのテーブルに置くと、彼は近くの棚から紙袋を手に取った。
「俺が一番かと思ったんだけどな。」
 プレゼントだ。と、赤と緑のリボンの掛かったそれを差し出されて、ノイは驚いて彼の表情を伺った。
「クリスマスプレゼント?」
「今日は、ニコラウスの日だろう?」
 何を驚いているのだろうか、と表情が語っていて、ノイは彼もプレゼントはこの日に貰うものだと思っているのだと知った。
「…さっきもそう言われたけど…それでなんでプレゼントなの?」
 問いかけると、彼は不思議そうな顔をしつつ、答えをくれた。
「サンタクロースは、聖ニコラウスから来てるんだぞ。そのニコラウスの日だから、今日がプレゼントを貰える日だ。」
「………じゃぁ、クリスマスの日にはプレゼントないの?」
「俺は、貰わなかったな。」
「そうだっけ……」
 記憶が抜け落ちている為に、自分がどう育ってきたかわからないのだが、世間の様子を見て、クリスマスプレゼントはクリスマスに貰うものだと思っていた。だから、今日来たのもあまり意味はなかったのだけれど、それならば、なかなかいい日に来たものだと、ノイは思った。
「俺、プレゼントないけど…」
「来る度に何か持ってきてるじゃないか。」
 笑って彼は言い、ノイは渡された紙袋を大事にテーブルへ下ろした。
「アルト、クリスマスマーケットは行った?」
「いや、仕事が忙しかったから、行ってない。」
「じゃぁさ、今日行こう。俺、行ってみたくて来たんだ。」
 そう言うと、彼は少し驚いたような顔をしてから、頷いた。その表情の動きの意味がわからず、ノイは少し戸惑ったが、彼が頷いたからそれでいいかと納得する事にした。
「グリューワイン飲みたいんだ。」
「お前、酒飲めるのか?」
「飲めるよ。…あんまり飲んだ事はないけど。」
「じゃぁ、夜になったら行くか。」
「うん。」
 ノイはにこりと笑って頷き、ふと棚に入れられた箱に気付いた。自分の貰った袋と同じ模様の紙に包まれたそれには、同じようにリボンが掛けられていた。
 さっきのあの表情は、あれの受取人の事に関係があるのか、と、ノイは理解した。多分、自分と同じような事を言って、ここを訪れる約束を取り付けたに違いない。
 何時来ても、自分の前をちらつくあれが、増々邪魔だと感じる。全くもって、鬱陶しい。でもまぁ、今日はこのプレゼントがあるから我慢しようと、ノイは思った。
 少なくとも、自分の方が先手を打てたわけだし、それで満足してやってもいいかと、そんな事を考えた。
「そう言えば、さっきの木の枝って何?」
 ふと思い出して問いかけると、彼は手を伸ばしてニィッと笑うと、ノイの手の甲を指で弾いた。
「?」
「悪い子には、お仕置き。」




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クリスマス編その2。クリスマスプレゼントの事など、など。
グリューワインってのは、スパイスの入った温かいワイン。グリューワインのカップのコレクションしてる人とかもいるそうだ。毎年デザインを変える変えるらしい。最初の一杯の時に、カップ代も一緒に払って、返しに行くとお金返してくれるんだそうだ。じゃぁ、次からカップ持っていけば、中身代だけ払えばいいのか?そこまで準備してくる人はいないって事か?
聖ニコラウス=サンタ・ニコラウス=サンタクロース。という図式でイイのだろうか…
この人が死んだのが12月6日らしい。子供の守護聖人。と書いてあったが、他にも色々守護してる様子。

(2002.12.6)


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