夢幻



 隣から聞こえた音に気付いて、彼は作業の手を止めた。
「客が来たみたいだ。ちょっと見てくる。」
「あ、俺、見てくる。用のある人なら、うちに呼んで来たらいいだろ?」
 テーブルの端に座って勉強をしていた少年が言って、ぽん、と椅子を降りた。
「嫌だって言ったら、部屋で待ってるように言ってくれるか?」
 そう言って、多分そこにいると思われる人物を思い浮かべて、彼はポケットから家の鍵を取り出した。
「わかった。」
 少年は投げて寄越された鍵を受け取って、ぱたぱたと家を出ていった。
「あの赤毛の子なら、うちに来た事もあるんじゃなかった?」
「多分、今日のはそっちじゃないから。」
 彼が前に来てからまだ間がないし、彼の仕事上、今ここへ来ている間はないだろう。ならば、予想がつくのはもう一人の方だ。そして多分、その人物は隣へ顔を出すような事はないはずだ。
「そう。残念だわ。」
 彼女は笑ってそう言って、鋏を差し出してくれた。
「でも、気が早いわね。まだ、11月に入ったばかりよ。」
「とりあえず、まず一つ。だからな。」
 苦笑を浮かべて受け取った鋏でリボンの端を落とす。
「ちょうど、渡す相手も来たし。」
 テーブルの上の大きな蝋燭を手に取って、彼はそれを台座に嵌め込んだ。
「青と金っていうのも、なかなかいい味わいね。」
「これなら、あの紫の蝋燭でもよかったかもしれないな。」
「そうね…薄い色のだったら、綺麗だったかもしれないわ。」
 金色のリボンの掛かった樅の木のリースに、大きな4本の青い蝋燭。少々不格好ではあったけれど、彼等はそれを眺めて満足気に頷いた。
「アルベルトさん、家にいるって、断られちゃった。」
 外から戻って来た少年の言葉に軽く頷いて、彼は苦笑を浮かべた。
「人見知りするんだ。悪かったな。」
「ううん。でも、そっくりだったよ。兄弟?」
「まぁ…そんなところだ。」
 彼を何と紹介していいのかは微妙な問題で、苦笑を浮かべてそう答えると、少年は不思議そうに首を傾げて頷いた。
「じゃぁ、早く戻ってあげた方がいいわね。ちょっと待ってて。」
 テーブルの上を片付け出した彼にそう言い置いて、彼女はキッチンへ足を向けた。
「あ、できたんだ。」
 テーブルへ戻って来た少年は、そこに置かれた品を見て目を輝かせた。
「お母さん、今年のはうちも青いのにしようよ。」
「お父さんが赤いのが好きだもの、きっと不機嫌になるわよ。」
「……俺も好きだけどさぁ……」
 椅子に座って少年は言い、しげしげとそれを眺める。
「うちは毎年、赤い蝋燭と緑のリボンって決まってるんだ。定番だよね。」
「緑の蝋燭と赤いリボンじゃないのか?」
「そこが、うちの父さんのひねくれてる所でさ。そこまで定番だとつまらないらしいんだよね。」
 笑って問い掛けた彼に、少し大人ぶった口調で彼は答えた。
「未だに、アドヴェンツカレンダー買ってくるし……」
 ため息まじりのその言葉に、思わず吹き出してしまうと、少年は真っ赤になって膨れて彼を下から睨み上げてくる。その様子が彼が大人ぶりたい子供だという事を示しているようで、彼は腕を伸ばして少年の頭をぐしゃぐしゃとかき回し謝った。
「悪かった。」
「でも、喜んで開けちゃうのよね。」
 笑いながら戻って来た母親に、更に膨れた少年を眺めて、彼は自分の小さかった頃を思い出した。
 父の買ってくれたそれを、毎日楽しみに眺めていた頃があった。戦争中も、祖母と母が作ってくれたそれを大事に飾って、クリスマスを楽しみにしていたものだ。
「でも、あったら飾るよね?」
「ああ、飾るな。」
 この家の主人である御仁は、頑固職人を絵に描いたような、それはそれは厳しい顔をした人物だ。東ドイツが消えて統一ドイツになった後も、変わらず同じ工場に勤めて時計職人として働いていると言う。
「最後の窓の中に、時計が一つ入ってたら、間違いなく。」
 アドヴェンツカレンダーは、小さな子供の為に用意される代表的なクリスマスの品で、聖誕祭の一月前から飾るものだ。一枚のカレンダーに30程の窓があって、アドヴェンツの間、一日一つずつその窓を開ける。
 最後の一つはクリスマスに開けて、大体そこにはキリストの生誕の絵が描かれているのだけれど、その途中には絵が描いてあったり、小さなお菓子が入っていたりするのだ。
 それを毎日空けながら、ドキドキしてクリスマスを待つ。そんな楽しみの一つだ。
「まだ、歯車が三つ集まっただけだよ……」
 父と同じ仕事につくのだと、少年が宣言したのは3年前の事だ。
 それを、照れくさそうに彼が聞かせてくれたのは、その年のクリスマスマーケットでの事で、嬉しいのだけれど、なかなかそう言ってやれないと言った彼は、普段の厳しい顔をした人物とは別人のようだった。
「知ってたの?」
「何が?」
 彼の父親も、時計職人だったそうだ。そうやって自分の背中を見てそれを追ってくれる誰かがいるのは、どんなに幸せな事だろうと、最近になって思うようになった。
 以前ここにいた頃は、そんな事を考えもしなかった。追い掛けるべき背中を早くに無くしたからとか、そういう事ではなくて、自分の後に続く誰かがいる事を考えるのも嫌だったから。
「……部品が全部集まる頃には、俺、きちんと時計職人になれてるかなぁ…」
 父親の職業に憧れる子供でなかった自分が、少し惜しく思う程に、彼の表情は幸せそうに見えた。
 
 
 
 
 
「ノイ?」
 戻った家の中が暗い事に驚いて声をかけると、奥で物音がした。
「お茶は?お隣でケーキを貰って来たぞ。」
 キッチンのテーブルに貰って来た皿を置いて、紙袋に入れた本日の成果を持って奥へ足を向ける。
「……遅かった……」
 ソファに座って膨れている自分と同じ顔を見つけて、彼はため息をついた。
「悪かったよ。ほら、これやるから、機嫌直せ。」
 差し出された紙袋を受け取って、ノイはそれの中を覗き込んだ。
「……これ、知ってる。………アドヴェンツクランツだ。」
 随分長い間それを眺め続けて、ノイはそれの名前を記憶の底から引きずり出して来た。
「うちのは、ライラックだった。」
 そっとそれを紙袋から取り出して、ノイは顔をあげた。
「アルトが作った?」
「そう。そろそろ、お前が来るかな。と思ってさ。」
 アドヴェンツクランツを手作りしたのは初めての事だ。
 以前は、それを作っている姿を眺めているか、クリスマスマーケットで買ってしまうかのどちらかで、何故、自分が今年それを手作りしようなんて思い立ったのか、自分の行動がよくわからない程だった。
「………ありがと。」
 嬉しそうに笑って、ノイはそれを大事そうに袋に戻して、テーブルの上へ置いた。それを見て、もしかして、こうして笑う顔が見たかったんだろうか、と自分の行動の理由を考えた。
 自分と同じ顔が自分とは違うように笑うのが見たい。というのは、なんともおかしな気分で、自分は自分の顔を眺めて満足するような趣味はなかったはずだが。と、思った。
「アルトのは?」
「もっと近くなったら買うよ。」
 アドヴェンツクランツは、アドヴェンツの間に飾る蝋燭の飾りだ。テーブルの上に置いて、クリスマスの4週間前から週に1本ずつ明かりを増やしていく。
 クリスマスの当日には、4本の蝋燭全部に明かりがついている事になって、アドヴェンツカレンダーのない大人たちに、クリスマスの近付く事を知らせてくれる品だ。
 これがテーブルに上がると、そろそろクリスマスだな。と思い、クリスマスのプレゼントを考えたり、今年のクリスマスマーケットはどうだろうか。なんて事を考える。パン屋にシュトレンが並ぶのもこの頃だ。
 アドヴェンツクランツとシュトレン、グリューワインとクリスマスマーケット。それから、アドヴェンツカレンダー。どれも、特別な4週間を楽しむのに欠けてはならないものだった。
「アルト、早いけど、つけてみよう。」
「……いいのか?」
「いいよ。」
「じゃぁ、お茶の用意をしてからな。」
 いそいそと紙袋からそれを取り出して、ノイはテーブルの上の中心にそれを据えた。
「何年ぶりに見るのかなぁ……アルトはずっと飾ってた?」
「こっちに帰ってからは飾ってたよ。」
 クリスマスマーケットが立つ時期になれば、なんとなく心浮かれてマーケットを巡って、グリューワインなど飲みながらツリーのリースを眺めたりしてしまうもので、そうなれば、自然、アドヴェンツクランツにも手が伸びるものだ。
「……やっぱり、今日はやめてもいい?今度、ちゃんと来るから。その時。」
 マッチを持って来たところでやはり惜しくなったのか、ノイはそう言って、手を止めた。
「じゃぁ、今日は別のをつけよう。この間、一緒に買って来たんだ。」
 アドヴェンツクランツを作る為に蝋燭を買いに行った時、そろそろ家の蝋燭がなくなっている事に気付いて、蜜蝋など買ってみたのは、彼にしては珍しい事だった。
 以前は、あの甘い匂いがどうにも馴染めずにいて、手が伸びなかったのだが、以前にノイがそれを見て不思議そうにしていたのを思い出したら、思わず手に取っていた。
 本当は、ラベンダーの匂いのする蝋燭にしようかと思っていたのだが。
「新しいの出していいの?」
 嬉しそうに棚へ歩いていくノイを眺めて、彼はキッチンのテーブルから皿を持ってソファへ戻った。
「そう言えば、そのソファ新しいよね。買ったの?」
 前にノイが来た時は、それは存在しなくて、その一角には小さなテーブルと固い丸椅子が置かれているだけだった。部屋をよく見回してみれば、その部屋の様子は幾らか変わっていた。
「なんか、人が暮らしてるな。って部屋になって来た。」
 随分くたびれた家だと思っていたけれど、それは、この部屋の中があまりに殺風景だったから余計にそう思っただけではないだろうかと思う程、部屋の雰囲気が変わっている。
「ああ……ちょっと…な。」
 突然届けられたそれを、突き返すにも金がいると言われて、仕方なしに引き取ってしまったのだ。
 置く場所を考えたら部屋の中を色々変えなくてはならなくて、ソファがあるのにテーブルがないのもおかしいし、それがあるならランプも脇に欲しいと、揃え出したらカーテンの色まで変わっていたという状況だ。
 贈られて来たのが、赤い革張りのソファなんかじゃなくてよかったと、ブルーグレーのカーテンを眺めながら思ったものだ。
「………ふぅん……」
 これまでのイイ気分をぶち壊しにされたようなその様子を見て、ノイは小さくそう返してマッチを擦った。
 いっそ、このままソファに押し付けてやろうか。という衝動にも駆られたが、以前に好きではないと言っていた蜜蝋などを買って来てくれた彼を思うと、怒らせるのも偲びない。
「これ、ソファベッドだね。」
 ベッドがないから。という理由で追い出される事もなくなったわけで、贈った人間はなかなか頑張っていると思う。
 でも、ということは、その人物は自分よりも彼には近くないという事だろうかとも思う。
「今日、泊まっていってもいい?」
「構わないが…」
 どうしてそんな事を今更聞くのだろう?と、言わんばかりの不思議そうな表情で返す彼を見て、ノイはにこりと笑った。
「明日、俺も蜜蝋買って帰る。」
「スプリンクラー切っておかないと、部屋中水浸しにされるぞ。」
 あの場所にいた頃、どこからかケーキを奪い取って来た彼が、仲間の誕生日を祝うのだと言って蝋燭に火をつけた事があった。
 祝われるべき子供のおかげで、ケーキはなんとか無事に残ったものの、その部屋に集められていた様々な品は、使えなくなったり取り上げられたりで、散々な目にあったのを覚えている。
 何の希望もないような世界だと言った仲間もいたけれど、少なくとも、そうではないと思っていた人間もいたのも確かだ。
 自分は独りではなかったけれど、彼はどうなのだろうかと、蝋燭の明かりを眺めるノイを見て、ハインリヒはそんな事を考えた。
「俺は、そんなに間抜けじゃないよ。」
 少しずつでも、彼の中に自分の占める領域が増えているのなら、それがゆっくりでもいいかと考えて、ノイは窓辺から消えた鉢植えに少し気分を落ち着けた。




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クリスマスを前に、早々にクリスマスネタ。本を読んだら書きたくなってさ……
アドヴェンツというのは『待誕節』というものらしく、ドイツではクリスマスの4週前の日曜日からその期間に入るそうだ。聖誕祭で生まれてくるキリストを待ってる時期って事と思ってよいのかな。
ツリーを飾るのは12月24日だと書かれていたが、色々とその地方によって飾る玩具などもあるらしい。生憎、ベルリンのクリスマスについては書かれていなかったので、あまり詳しく書けないけれど、クリスマスマーケットはどんな小さな街にもあると書いてあったので、ベルリンにも当然ある事でしょう。 しかし、『アドベント』と聞くと、仮面ライダー思い出してちゃダメですね…

(2002.11.5)


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