雷鳴



 目が覚めた時、最初に飛び込んできたのは白い天井だった。
 正方形の板をはめ込んだような白い天井。
 見覚えのない天井に、アルベルトは不思議そうな顔をして視線を天井からずらしていく。
 白い天井、白い壁、そして白いカーテン。
 まるで病院のような白尽くめの部屋に、アルベルトは上半身をゆっくりと起こす。
 白いパイプベッドに、白のシーツ。
 ベッドには自分の名前が書かれた紙の入ったシートが掛けられている。
 そこまで見て、ここが病院だということが分かる。しかし、何でこんな所にいるのか分からず、アルベルトは小さく首を傾げた。
「俺は……」
 言葉を口にした途端に、昨日のことが蘇ってくる。
 人影に驚いて車をスピンさせて止まらせたことや、あの雨の冷たさが頭の中に浮かんでくる。
「そうだ、俺は!!」
 ベッドから立ち上がろうとして、ズキッと身体全体が痛んだ。激痛とも呼べる衝撃に身体を前へと倒す。
 何度も緩慢な波のように響く痛みに、アルベルトの表情が苦しそうに歪んだ。
 痛みに生理的な涙が頬を伝う。
 サイボーグの身体からも、人間と同じように涙は流れるのだ。
 両手で身体を抱きしめるようにして身体を丸くさせていると、ふわりと風が頬を撫でて流れていった。
「お、起きたのか?」
 頭上より下りてきた声に、アルベルトが閉じていた目をゆっくりと開ける。
 涙の膜の向こうに見慣れた髪の色が映った。
「ゼ……ロ、2?」
 痛みのために掠れた声が飛び出る。
 ズキズキと痛む身体を無理矢理起こし、アルベルトは目の前にいる人物を確かめようとした。
 どうして彼がここにいるのだろうという考えを抱いて。
「大丈夫か、004?」
 身体を起こしたアルベルトが見たのは、やはり002ことジェット・リンクだった。
 ブラック・ゴーストを倒してから、それぞれ自分たちの国に帰っていった。このジェットもアメリカへと帰っていったはずだった。
 その彼がどうしてここにいるのかが分からない。
 アルベルトは呆然とした表情でジェットを見上げる。
「おい、大丈夫か?」
 手のひらを目の前で振りながら、ジェットが心配げに話しかけてくる。
 よく見ると、彼は手の中に紙袋を持っていた。中にはフルーツやパンなどが無造作に詰め込んであるのが見える。
「どうして、ここにいるんだ?」
 幾分潤いを増した声は、それでもやっぱりどこか掠れている。
 まだ、体調の方は万全だとは言えない。
 アルベルトは顔を顰めながら、ゆっくりとベッドヘッドに背を預けて楽な体勢を取る。
「ああ、ちょっとこっちの方まで用事あったから、おまえの所にでも顔出そうと思って来たんだよ。驚かせてやろうと思ってたのに、おまえが事故にあったなんて、こっちが驚かされるはめになってよ。さっきまでギルモア博士もいたんだぜ」
 手近な椅子を引っ張ってきて座ると、ジェットは紙袋を勢いよくベッドの上に置いた。そしておもむろに紙袋に手を突っ込んで、中からリンゴを取り出す。
 表面を袖でゴシゴシと擦ると、そのままかぶりつく。
 豪快な食べっぷりに呆気に取られていたアルベルトは、ジェットの言葉の中に気になる名前を見つけ口を開いた。
「ギルモア博士?」
 日本に居を構えて暮らしているギルモア博士が何故こんな所にいるのだろうか。
 ジェットとギルモア博士が、たまたまドイツに居たとは考えにくい。
 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。ジェットはリンゴを食べていた手を無造作に拭うと、ベッドに肘をついてアルベルトを見上げてニッと笑った。
「俺はたまたまだったんだけど、ギルモア博士にはわざわざこっちまで来てもらったんだよ。俺たちが普通の病院に入ったって、普通の医者に治療なんてできるわけないしな」
 指についていた果汁をぺろりと舐め、ジェットは上半身を起こす。そして身体を伸ばしながら、困惑しているアルベルトをちらりと見た。
 日本からドイツまでは直通の飛行機を使っても半日はかかる。ギルモア博士一人来るのにドルフィン号を使ったとも思えない。
 そんな事がぐるぐると頭の中を駆けめぐり、アルベルトは弱ったように目を伏せる。
 ジェットはしばらくそんなアルベルトを見つめていたが、深くため息を吐くと口を開いた。
「おまえが見つかってから、もう1週間経ってるぜ」
「え?」
「おまえが山で見つかってから、もう1週間経ってる。おまえは見つかってから1週間も眠り続けていたんだよ」
「1週間……?」
 ジェットのセリフにアルベルトの目が大きく見開かれる。
 滅多に変わることのない彼の珍しい驚愕の表情。
 それを見て満足そうな表情をすると、ジェットはベッドの上に置いた紙袋を持ち上げた。そして病室に備品としてあるキャビネットの扉を開けた。
 中からはタオルやパジャマなどが出てくる。
「何だ、それは?」
「あ?ああ、これはおまえの看病セット。003が用意してくれたんだぜ。やーっぱ、こういうときは女の方が気が利いて良いよな」
 キャビネットより取り出した衣類を無造作に床に置いてあったバッグに詰めながらジェットが答える。
 きちんと考えて入れなかったため膨れてしまったバッグのファスナーを力任せで締めて、ジェットは立ち上がると唖然とした表情をしているアルベルトを見た。
「そろそろ行くか……」
「行くって、どこへ」
 アルベルトはさっきから何が起こっているのか、さっぱり理解ができずに混乱しまくっていた。
 自分があれから1週間眠っていたことや、ギルモア博士が来て何をしたのか。それにジェットがここにいる理由が未だに分からない。
 たまたまだと言うが、それだけでは納得できない部分があったのだ。
「ほら、さっさとしろよ」
「ああ、だが……俺はこのままで良いとは思えないのだが」
 アルベルトは自分の姿を見やり、そう呟く。
 ベッドに寝かされていたアルベルトは、入院患者のような服を着せられていた。
 膝下までのローブのような薄手の服。
 このままで外へ行くのは抵抗があった。
「気にするな、どうせここ出たすぐのところで誰かが車で迎えに来てるから」
 病室から一歩出るのを躊躇うアルベルトの手を引いて、ジェットが無言で歩き出す。
 さっきまでは感じられなかった怒りの気配に、アルベルトは小さく息を吐くとジェットに引かれるまま歩いた。
 病院の廊下にある窓からは、外の様子がよく見える。
 アルベルトはジェットが何も話さないため、窓から外を見た。
 あの時の雨が嘘のように、窓の外に見える空は雲一つなく晴れ渡っていた。
 窓から入ってきた柔らかな光が満ちる廊下を、二人は無言のままでを歩く。
 突き当たりの階段を下りる途中、ジェットがアルベルトの手を放して後ろを振り向いた。
「002?」
「おまえ、死にたかったのか?」
「え?」
 唐突に言われた台詞の意味が分からず、アルベルトが首を傾げる。
 死にたいなどと言われても、そんなことを考えたこともない気がする。
「ギルモア博士が言っていた。おまえが目を覚まさないのは、もしかしたら目覚めようとする意志がないからかもって……おまえ、死ぬ気だったのか?」
 いつになく真剣な表情をして訊ねてくるジェットに、アルベルトは目を伏せて考え込む。
 あの時、自分は死にたいと思ったのだろうか。
 確かにサイボーグとして生き返ることになった自分を疎んだことはあるが、今はこの生を全うすることが自分の役目のように思っている。
 これから先、何度も自分の存在意義を考えると思うが、最終的にたどり着く答えはいつも同じように思う。
 自分の仲間。
 人間でも機械でもない、サイボーグである自分たち。
 その仲間を守るために生きると、そうやって決めることができると思う。
「死にたいなんて思ってないさ。たとえ、この身体のほとんどが機械だとしても、俺の身体であることには代わりはない。確かにこの身体であることを恨んだこともある。最愛の女に先に逝かれてしまったことを……どうして、俺も一緒に死なせてくれなかったんだと。だが、綺麗ごとを言うわけじゃないが、こんな身体でも俺には生きる権利があるんだ。……死んでいった人のためにも生きるなんてことは言わない。俺は俺であるために生きるんだ。まだ死ぬ気はないさ」
 そう強く言いきると、アルベルトは弱い笑みを顔に浮かべた。
 それはどこか儚くも見え、ジェットはアルベルトから目をそらすと小さく「そうか」と呟いた。そしてそのまま階段を下り始める。
 アルベルトも後に続いた。
 すぐ下はもう一階なのか、大きなロビーに出る。
「004!!」
 自動ドアをくぐり抜け、ジョーとピュンマが一緒に歩いてくる。
「良かった、目が覚めたんだね」
「ああ、心配かけて悪かったな」
 ホッとしたように声を掛けてくるジョーに、小さく笑うとアルベルトはジョーの肩をポンと叩いた。
「さあ、行くか……」
 ピュンマの言葉に、アルベルトとジェットが頷く。
 病院の外にある車に乗り込み、ギルモア博士たちが待つ場所へと向かう。
 その車の中、アルベルトは考えていた。


 自分は本当は無意識のうちに死を望んだのか。


 それとも、仲間と共に生きたかったのかを。


 雲一つない青い空がどこまでも続いている。
 窓から入ってくる風を受けながら、アルベルトは考えていた。


 いつ出るかも分からないように思える答えを。


 あの雷鳴響いた空は、どこまでも青く澄んでいた。




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silver moonの村瀬尋海さまからの頂き物。
チャットでお話し中に、いただけるとの有り難いお申し出を頂きまして、諸手を挙げて喜びました。
悩むハインリヒって、やっぱりいいですね。としみじみ思うのでした。




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