僕の誇りと君の過去



 港でのやり取りは、当然他の仲間達に告げられる事もなく、サンジはどことなく、表情の固いゾロを眺めながら、普段通りに時間を過ごした。
 思えば、今までにああいう場面に出会った事がない事の方が、珍しい事だったのかもしれない。
 当人を知ってしまえば、ゾロは世間の噂なんてあてにならない、普通の人間だった。ちょっと喧嘩っ早いところはあるが、無闇矢鱈と自分から喧嘩を売りに行く人間でもない。ゾロの立場はいつだって、売られた喧嘩を買う方で、自分から喧嘩を売る相手なんて、サンジくらいだと思う。
「……ある意味、特別扱い?」
 喜んでいいんだか、悲しまなくちゃならないのかわからないが、とりあえず、『特別』という言葉は甘美な響きがあるものだ。それに、自分にだけ喧嘩を売るのは、少しくらい喧嘩をしたところで関係に修正の効かない問題が起きるとは思っていないという事だと思えば、喜ばしい事だ。いくら何でも、同じ船に乗っている人間と、決定的に関係が壊れる事を容認するとは考え難い。ならば、ゾロは随分と自分に好意的だという事ではないだろうか。
「………そんなの考えてねぇだろうけど…」
 ゾロの事が好きなのかもしれないとサンジが自覚したのは、結構前だが、それを告げる事などできずに時間は過ぎている。その間に、ちょっと誤解を生むような事もあり、穏やかな時間を過ごせるようにはなったものの、結局は仲間の中で飛び抜けている部分など殆どない。
「やっぱ、避けてたのかね…」
 あんなに暗い目を向ける人間が、ゾロの過去には関わっていて、多分、先程の話ぶりから見て、ああいう人間はまだ他にも大勢いるのだろう。
 ゾロは剣で戦うが、あれで意外に人を殺していない。サンジやルフィのように、この船の他の人間は打撃系の戦闘方法の為、ゾロが与える怪我の度合いは、他の仲間達の与える怪我よりも深いが、その場で死んだ人間など多分いないはずだ。
 それが、以前から変わらずに続いている事だとしたら、ゾロが捕えてきた賞金首達の仲間達はかなりが生き残っている事になる。しかも、怪我の後遺症などを抱えている可能性も高いとなれば、恨み言の数は全て殺してきた人間よりも格段に多いはずだ。
 自業自得といえばその通りだが、賞金稼ぎは責め立てられる事でもない。賞金首を捕えただけで、『血に飢えた魔獣』はないだろう。そう言われるならば、そうしてゾロを語った人間がいるという事だ。
 ゾロがああいう事態が起きる事を予測していたのは、あの時の会話で知れる。それなのに、それを今まで見せなかったのは、ゾロがそれを心掛けていたという事になる。
 昨日はサンジの手伝いに付き合ったが、思い返すと、ゾロは寄港の当日に誰かと船を降りる事があまりなかったような気がする。大概、眠っている為、誰もそれを起こそうとしなかったせいだが、その夜に船を降りていく事はあったと思う。夜に船を降りていくのを咎め立てするなんてできるわけもなく、ゾロだって男なんだよなぁ、などと思っていたのだが、もしかしたら、理由を読み違えていたのかもしれない。
「……なんだかなぁ…」
 ゾロのこれまでを考えれば、ああいう事だって仕方ないのかもしれない。けれど、どうにもやり切れない気持ちになる。ゾロはそういう気持ちに折り合いがついているのだろうけれど、悔しいのだ。彼等が、ゾロの何を知っているというのかと思う。あんなに言われたって、ゾロは結局、柄に手をかける事だってしなかったのに。
 ため息を一つついて、甲板にいるはずのゾロに酒でも持っていってやるかとサンジが思った時、ドアが音を立てた。
「……おう。」
「なんか出るか?」
「待ってろ。」
 どことなく、様子が暗いと思うのは、自分の気持ちが入っているからだろうかと、苦笑を浮かべつつゾロの前へ酒と肴を用意してやれば、ゾロは嬉しそうにそれへ手を出した。
「……お前さ、ああいうの、今までもあったのか?」
 どうしても黙っていられずに問いかけると、ゾロは不思議そうにサンジを見返してから、頷いた。
「仕方ねぇだろ。」
 苦笑を浮かべてゾロは言い、酒を煽る。
「仕方ねぇって何だよ!」
 何が仕方ないのだ。確かに、ゾロがした事が理由であの男は身を持ち崩したかもしれないが、あんな言われ方をするような理由もないはずだ。
「俺があいつの頭を海軍に売ったのは事実だ。」
 別に、後悔なんざしちゃいねぇがな。と、ゾロは呟き、サンジはため息をついて向いに腰を下ろした。
「だからって、あんなの、単なる言い掛かりじゃねぇか。話し聞いてやる時間だって、勿体ねぇ。」
「確かに、言い掛かりかもしれねぇが、聞いてみなくちゃ、言い掛かりかどうかだってわかんねぇだろ。」
 余程、ゾロの方が自分より落ち着いていると、サンジはため息まじりに首を振る。
「だからって…」
「………俺は、ルフィに会うまで、海賊なんて皆外道だと思ってたんだよ。」
「え?」
 突然話し始めた事に驚いて顔を上げれば、苦笑を浮かべたゾロがいた。どことなく、複雑そうな表情を浮かべているその様子で、ゾロが昼間の事を気にしていないわけではない事をサンジは知る。
「海賊で賞金首なんて、外道中の外道だと思ってた。海軍だって、そいつらが世の中にいねぇ方がいいって判断してるから、賞金掛けてるんだ。そいつら捕まえて何を言われたって、そんなのは構う事ねぇ。って思ってた。」
 思っていた。というのは、今はそうは思っていないという事だ。苦笑を浮かべたゾロは、敵に立ち向かう時の凶悪な程の自信に満ちた表情を浮かべる人間とは思えなかった。いつも何事か悟ったような顔をしているけれど、ゾロだって自分と同じで、何もかもに折り合いがついているわけではないのだと気付かされる。
「でも、ルフィが賞金首になって、もしかしたら、俺の考えは間違ってたんじゃねぇかと思った。」
 ルフィが賞金首になった理由の何処にも、疾しいところなどなかった。
 彼が潰したアーロンには賞金も掛かっていた。たとえば彼に王下七武海の一員の息が掛かっておらず、海軍とつながりがなかったとしたら、あんな事態になったかどうかは定かではないと思う。
「俺は、海軍の提示してる情報だけ信じてきたが、それが歪んでたんじゃ、俺のしてた事が正しいかどうかだって違ってくる。だったら、俺を悪く言う奴らの中にだって、それなりの理由があったんじゃねぇかって思うようになった。」
 だから、話を聞くようにしたのだろう。もしかしたら、自分が間違いを犯したのではないかと言う不安があるから。
「……つっても、聞いてやるだけだけどな。」
 にぃ、と笑って、ゾロは言い切った。それは、いつもの彼の表情で、先程までのしおらしさは影も形もない。
「だけ、って……お前さ…」
 らしいと言えば、らしい。だけれど、さっきまでのあれは何だったのか、と言いたくもなる。
「仕方ねぇだろ? 過去は変えられねぇし、未来は変えたくねぇ。」
 過ぎた事は取り返しがつかない。だから、人間は後悔をしながら生きていかなくてはいけないのだ。
「未来?」
「大剣豪だ。」
「決定事項かよ!」
 自信満々で言い切られて、思わず突っ込みを入れてしまうのは仕方のない事だ。こういうところ、船長そっくりでかなわないとサンジは思う。自分にはない潔さと想いの強さだ。
「当然だ。」
 死ぬまで諦めねぇから。とゾロは言う。
 死んでも悔いがない道で、死ぬまで諦めずに夢に向かっていれば、確かにそう言い切るだけの気持ちがあるだろうが、それは、サンジには強すぎる意志で、憧れる強さでもある。自分の夢よりも、優先させたい物を選んでいたから、ゾロに会えたとも言えるが、だからこそ、彼等の強さに怯みそうになる事もある。
「……後悔してるわけじゃねぇって事?」
「後悔してたって、行くしかねぇだろ。俺はここって決めてんだから。」
 ゾロは言って笑い、サンジはその笑いにつられて苦笑を浮かべる。
「お前は、なんかもう……参るよ……」
 その意志の強さでは勝てそうにない。そう思っても悔しくならないのが悲しい程に、彼等はどこか次元が違う。それを、またしても見せつけられて、どうしていいやらわからない。
「なんだよ、それ。」
「……もう……負けてもいいよ…」
 テーブルにぱたりと伏せて、サンジは深いため息を漏らす。
 好きだと自覚があるから、ゾロの言い分を聞いて更に好きだと思うのかもしれないが、これなんだと思ってしまうからいけない。
 この潔さと、迷いのない言葉を真直ぐ口にできる強さと、目標にだけ突き進む盲目さ加減が、かなわないと思い、好ましいと思うロロノア・ゾロの姿だ。
「未来ってのはな、未だ来ていない、って意味なんだ。」
「何?」
 ふいに飛んだ話題に顔を上げると、ゾロが少し穏やかな笑みを浮かべてサンジを見ていた。
「未来は、何れ来る世界だ。俺は、そこに欲しいものが決まってる。だから、後ろ振り返っても、引き返したりはしねぇ。お前が、心配する事なんかねぇよ。」
「………お前の心配なんかしねぇよ。それこそ、するだけ無駄じゃねぇか。」
 自分がどんなに心配をしたところで、ゾロは自分の思うままに行動して、たとえ失敗したところで、それはそれとして受け入れるに決まっているのだとサンジは知っている。心配したところで、その歩みは止まらないし、行動が変わるわけではない。それは、これまでの経験でよく知っている事だ。
「そうかもな。」
 ゾロは苦笑を浮かべて立ち上がった。
「ごちそうさん。」
 すっかり片付いた皿を眺め、キッチンを出ていこうとする背中に声をかける。
「心配はしねぇけど、不安にはなるから、無茶だけはしてくれるなよな。」
「………覚えとく。」
 ちらりと振り返ってゾロはそう答えて、キッチンを後にした。
「…聞く気ねぇじゃん…」
 次にもし、大きな怪我でもしたら、泣いてやろうか。
 そんな事を考えながら、当然のように残された数枚の皿をシンクへ運んで、サンジは小さく笑みを浮かべた。

 
 
Back


過去を振り返ってみる必要性と、未来を目指す必要性。誰も彼もが潔く生きられるわけでもなければ、間違いのない過去なんてものも有り得ない事かと。目指す「夢」と「夢」物語は別の物。目指す夢は何れ来る未来だ。例えば死ぬまでに得られない「夢」であったとしても、何れ来ると信じていないならば、それは絶対に来ない未来であろうと私は思う。

(2004.4.8)



夢追いの海TOPへ