想い



 俺は、こいつらとは違うのだ。
 ふいに実感したその事に、歳三はその場に立ちすくんだ。
 自分は百姓で、彼等は武士。本来ならば、こうして親し気に言葉を交わし、名を呼び捨てる事など許されない立場。仮令彼等が脱藩浪人だとしても、帯刀を許された彼等と、そうでない自分はまるで違う存在なのだ。
 そして、自分が何より愛しく思い、自分を好いてくれている総司も、今でなければ、気安く言葉を交わす事すらできるはずのない存在なのだ。
 自分は、何と場違いなところへ入り込んでいるのだろう。そう思ってしまえば、そこにいる事すらいたたまれない。
「歳さん、どうしたの?」
 そこにいる歳三に気付いた総司が不思議そうに問いかけるのを聞き、歳三は慌てたように首を振った。
「ちょっと、用を思い出した。」
「え?」
「またな。」
 引き止められないようにと慌ててその場を離れ、屋敷を出る。
 武士になりたい。そう願う自分だから、彼等と共にいる事で、それを紛らわせようとしたのだろうか。そう思うと、なにか胸がもやもやとする。
 武士の彼等は、武士になりたいなどとは言わない。生まれた時から、彼等が武士だからだ。道場主の近藤は生まれは百姓だが、幼い頃から道を定めて今では武士の身分だ。武士になりたいと言っておきながら、何も成していない自分とは違う。
 自分は、本来あの場所にはいるべきではない存在なのだ。そう考え、歳三の脚は自然に遅くなっていった。
 総司と枕を交わすようになり、度々誘いを掛けてきた歳三だが、本来ならば、それすらも許されない事。男同士である事は問題ではない。百姓と武士である事が問題なのだ。
 慰みに総司が歳三を求めるのであれば、それには問題はないだろう。勿論、誉められた事ではない。百姓などに手を出すなどは、酔狂な事だ。それを置いて、百姓である歳三が総司を誘い、無理に求めるなど、許されるわけもない。
 歳三が思いを告げた時、総司は戸惑った様子も見せたが、それを喜んで受け入れた。そしてそれをいい事に、歳三は総司の傍を譲ろうとはしなかった。そうでもせねば、自分が総司のために何の役にも立たないと知っていたから。
 けれど、本当に総司を思うのならば、自分は身を退かねばならなかったのだろう。武士の家に生まれたとはいえ、父を早々に失った総司が、武士としての教えをどれだけ受けられたものかわからない。
 歳三にはそれを教える事はできないが、それを伝えられる人間の傍へ置いてやらねばならなかったには違いないのだ。
「………違うんだ…」
 自分の居場所があそこにあればいいと思う。けれど、それは自分の都合の良い思い込みかもしれないと、歳三は思わずにはいられなかった。




「最近は、江戸には行かないのか?」
 義兄の家を訪れ、道場で稽古をしていると、不思議そうに問い掛けられて、歳三は苦笑して頷いた。
「行商の仕事もあるしさ。」
 本当は、行くのが怖い。自分などいなくても何も変わらないあの道場で、自分の知らない誰かが増えて、そこで足場を大きくしていく事。そしていつか、自分の入る間などなくなってしまうのではないかと思うと、それが酷く恐ろしかった。
「なんだ? いつもの歳らしくねぇな。」
 笑う義兄は歳三が武士を夢見ている事を知っていた。そしてそれを、応援してくれている人だ。だから、歳三が江戸の試衛館に出入りする事を咎めた事もなく、何彼と用を言い付けては、歳三が江戸に出掛けていくのを後押ししてくれているところもあった。
「……ちょっとな。」
 笑って返せば、義兄は少し驚いた顔をし、それから、歳三の肩を叩いて離れていった。
 本当ならば、ここで稽古をするのが正しいのだと思う。近在の百姓達と共にあるのが、本来の歳三の身分には相応しい。それを、認めたくなかっただけだ。
 自分は百姓で、総司は武士。それが愛を囁きあうなど、間違っているに決まっている。自分が総司の傍にいるのは好ましくない。
 こうして離れていれば、総司はきっと剣の稽古で自分との関係など忘れてしまうに違いない。いや、忘れた方が総司の為なのだ。そうに違いないと、歳三は思った。




「歳さん!」
 今日は出稽古の日だと聞いて、早々に日野を出てきた歳三は、後ろから呼び掛ける声に足を止めた。
 本当は、聞かなかった振りでやり過ごしてしまった方が良かったのかもしれない。けれど、その声を振り払うのは、歳三にとっては難しい事だった。
「総司。」
 日野に着いてから、慌てて追ってきたのだろう。総司は息を乱して歳三の前までやってきた。
「今日は、会えると思ったのに。」
「これから、甲州へ行商に行くんだ。」
 答えれば、総司は戸惑うように歳三を見る。
「……歳さん、俺、何かした?」
 腕を掴まれ、そう問い掛けられて、歳三は首を横に振る。
「まさか。」
 一月会っていないだけなのに、こうして触れる総司の手が懐かしく、その声が体中に染込むように思えた。そうして、自分がどんなに総司を愛しく思っているか、それを知るような気がした。
「じゃぁ、どうして江戸に来てくれないの?」
 縋るように問われ、歳三は苦笑を浮かべた。
 会えない事を不服に思ったとしても、試衛館の内弟子として度々自由に出掛ける事もできない総司だ。歳三の訪れをただ待っているしかない事も仕方あるまい。けれど、それで叱責を受ける事を構わない程、自分の事を思っているわけでもないのかとも思う。
「行商もしなくちゃならねぇし。試衛館に入り浸ってばかりもいられねぇよ。」
 稽古を受ける為の金を得ようと思えば、彦五郎から言い付けられる仕事をこなしたり、家の仕事を手伝って、自由を許されるように働かねばならない。
 武士の家に生まれたとは言え、試衛館に預けられて育った総司には、働いて金を得、それで生活をするという事がわかっている。歳三がそう理由を付ければ、それを否定する事はできないはずだった。
「俺を、避けているんでしょう?」
 それでも納得がいかないのだろう。なんとかして引き止めようとする様子は、それだけで歳三には喜ばしい。だから、そうだと肯定する事もできず、問い掛けに首を横に振るしかなかった。
 それでも、ここで面と向かって、お前に飽きたのだと言えれば、話は簡単に終るのだろうに、そこまでを言ってやる事もできず、遠回しな素振りだけ見せる己に呆れも浮かんだ。
「そんなわけないだろう?」
 避けているのは、総司だけじゃない。試衛館にいる、武士である彼等だ。不意に異なる人間に見えてしまった人達の事。
「………本当?」
「なんで俺がお前を避けるんだ?」
 こんなに愛しいのに。どうしてお前を避けなくちゃいけないんだろう。どうして俺は百姓の子なんだろう。どうしてこんな事に気付いてしまったんだろう。
「じゃぁ、行商が終ったら、試衛館に来て。」
「ああ。」
 土産持って行くよ。と答えれば、総司は嬉しそうに笑った。お前が誘うのだもの、俺がそれに応えるのは当たり前の事だ。それならば、百姓の俺だって許されるだろう。
「じゃぁな。」
 怪我なんてするなよ。と言い置いて歩き出せば、総司は大きく手を振った。
 俺の何より愛しい総司。でもいつか、総司は俺の傍から離れて行く。こんな世の中だ、武士の働きどころはきっと増える。そうなれば、俺など置いて行かねばなるまい。
 総司には、特別な剣の腕前があると歳三は思っている。そんな彼の行く先に、自分の存在は邪魔にしかならぬ事もわかるのだ。だから、総司を武士の中へ返してやらねばと思う。百姓に剣を教えるのは仕事としても、それと深く交わってはいけない。それを教えてやらねばと思った。




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