想い



身分なんてものを、そこまで深く考えなくてはいけないものか、などと考えた事はない。
 仮令、禄を得ていなくても、武士は武士。身を律して生きておらねばならぬと、姉から言い聞かされて育った総司だ。何れはどこかの藩へ出仕して、などとまでは考えた事はないが、武士として生きる為にはその道を探す外にはない。
 こうして試衛館で塾頭を務める日々を大切に思う総司は、この時世、容易くその手段は見つからないと、姉には告げている。守らねばならない家もなく、自分が生きていく事と剣の事だけ考えていればいいこの生活は、何の不満もない。
 それでも、たった一人、歳三だけは自分の傍にいてほしい。もしできる事なら、歳三を養っていきたいなんて事も考えたりもする。そういう間だと思っていたのだ。
 歳三の家は総司の家など比べられない程に裕福だ。色々と思うところがあってか、実家にはあまり居着いていないようだが、変わりに居着いている姉の嫁ぎ先は更に上を行く。総司がそれ以上のものを歳三に分けられる事などないだろうとは思うが、心構えとしては、そう思っているのだ。
 勿論、話はそんなに簡単ではなくて、塾頭になった総司が何れ試衛館を継ぐ身だと考えられているのならば、歳三との関係は知られれば咎められるだろう。そうならば、歳三の考えるように、この関係は今の内に断ってしまった方がいいのかもしれない。
 それでも、一人で結論を出してほしくない。善かれと思ってしてくれているのはわかるけれど、何が一番いい事なのかなんて、二人で向き合って話さない限り、わかるはずもない。
 例えばここで歳三の意見に従って二人の間を元に戻すとしても、歳三が剣を持って武士への道を探すならば、天然理心流をやめるわけもない。そうなれば、試衛館に来なかったとしても、佐藤道場への出稽古の際には会う事になる。その時に、自分がこれまで通りに対応できる自信は総司にはない。歳三だって、何のこだわりもなくいられるはずはないと思う。互いが嫌いあっての事ならばまだしも、そうではないのだ。短い間で想いが断てるとは思えない。ならば、今より良くなる事なんてないと思うのだ。
 歳三は、そうは思わないのだろうか。そう考えてため息が出た。きっとあの人は、そんなすぐ先の事だって考えてはいないのだろう。
 ただふと浮かんだ事に、それしかないと思い込んでいるだけ。そういう盲目なところは以前からずっとある。だから、少し話し合えばわかる事だとは思うのだけれど、思い込んだ歳三は話し合う隙さえ見せない。
 もう、こんな馬鹿みたいな事は最後にする為にも、ちゃんとわかってもらおうと、総司は心に決めた。




 自分が総司に好かれていないと感じた事は、今までに一度だってない。総司が好きだと言ってきた事はないけれど、そんな事もわからない程馬鹿でもない。それがどれ程のものかを計りかねているところはあるが、手慰みに良いようにされているなんて事を考えた事はないし、どちらかと言えば自分の方がそう扱っているのではないかと心配になる程だ。
 もう少し、自分が上等な人間だったら、仮令百姓でも気構えは違ったかもしれない。何をするにでも、周りを納得させられるような人間だったらよかったけれど、今の自分はと言えば、諦め半分で許されているだけのような状態だ。
 最近では、総司の傍にいられるように、と思って努めてはきたけれど、これまでの行いの悪さでは到底足りない程度だ。何をしても続きはしないと見られているのも身に染みてわかっている。
 そんな人間が、総司の隣を占めているなんて許されるわけもない。知られて責められるのが自分だけならばよいが、俺ごときに惑わされるとはなどと総司が責められてはことだ。
 俺は、総司には一筋だって傷を付けたくはない。何の後ろ暗いところもなく、人に悪し様に言われる事もない。そういうようにしておきたいのだ。
 それなのに。
「歳さんは、どうして一人で先走るの?」
 目の前の青年は、怒った顔をして歳三を見据えていた。
「伊庭に入れ揚げてるなんて嘘まで流そうとして。俺がそんなのに騙されるとでも思ってたの?」
 酷いよ。と言うその様子は、嘘を流そうとした事より、自分が見くびられていた事に怒っているようで、歳三はそんなものの考え方をするようになっていたなんてと、その事に驚かされる。
「先走るって、何を…」
 それでも言い負かされるのも悔しくて、そう切り返そうと口を開いた歳三は、総司に一睨みされて口を噤んだ。
「どうせ、歳さんが俺の先行きに邪魔なんだとか、そういう馬鹿な事を考え付いたんでしょう。」
「馬鹿な事ってなんだよ。」
「馬鹿だよ!」
 珍しく大きな声を上げた総司に、歳三はびくりと身を竦めた。
 総司は昔から、歳三に怒った事などあまりなかった。勿論、歳三があまりに酷い事をすれば、当然総司は怒ったけれど、こんな風に、自分の感情を表す時に叫ぶなんて事はなかったように思う。
 周りとの関係にいらぬ波風が立たぬように、注意をはらって育ってきた子供だった。大人の中で育った子供でも、やりたい放題に育った歳三とは逆に、自分の意志を押さえなくてはならなかった総司だ。
 それが、自分の意志を通すために、留守を任された道場を空けて、今こうして歳三の前に座っている。それを喜んではいけないはずなのに、嬉しいと思うのをどうしようもない。
「俺は確かに武士の子かもしれないよ。道場の塾頭になって、もしかして先生の後を継げるかもしれないって考えた事もあるよ。でも、だからって、俺は歳さんを遠くにやる気なんて少しもないんだ。」
 初めて会った時から好きだったんだから。と言う総司に、歳三はぽかんとその顔を見返した。
「やっと、俺が一番近くにいられるようになったのに、なんで俺が歳さんを離すのさ。」
 必死な顔をした青年にも見えるけれど、だだをこねる子供のようにも見えて、歳三はそんな総司の様子になんと言葉を返していいのかわからなくなった。
 先程、自分を主張する総司など初めて見たかもしれないと思ったけれど、考えてみれば、怒る事はなかったにせよ、なにかにつけて自分の傍を占めておこうとする姿は、よく知ったものだった。
 それ以上に、歳三が総司を傍に置きたがったから、これまであまり深く考えなかったけれど、子供なりに必死だったのだろうか。
「歳さんが嫌だと言ったって、俺は聞かないからね。」
「聞かないって…」
「歳さんは、もう俺が掴んだの。他の誰かが手を伸ばしたって、俺が追い払うから駄目。」
 歳さんが俺が好きだって言ったんだもの。そう言って、総司は歳三の両の手を捕まえる。
「総司。」
「俺から離れたかったら、ちゃんと俺にそう言わなくちゃ駄目だよ。歳さんが本当に、俺が嫌になって、俺から離れたいんだってわからないと、俺は聞かないからね。」
 握られた手が持ち上げられ、何をする気かと戸惑う内に、後ろへ押され、歳三は手を着く事もできぬままに後ろへ倒れ、頭をぶつける寸前で、膝立ちになった総司は手を引いて歳三を支えた。
「黙っていなくなれば、俺が諦めるなんて思ったら、大間違いだよ。」
 歳三の手を握ったまま、総司は歳三の顔の横に手をついて、上から見下ろしながらにこりと笑った。
 これは、こんな昼日中に見る顔ではないのじゃなかろうか、と思った歳三は、思わず顔を背けてしまった。ずっと見ていたら、自分がなにかとんでもない事を口走るのではないかと思ったのだ。それでも、じっと見られているのがわかって、顔が赤くなってくるのが自分でもわかる。
「ほら、歳さんだって、俺の事が好きだもの。だから駄目だよ。勝手に一人で先走ったりしちゃ。」
 大好きだよ。そう言って手を握る指に力がこもり、歳三は総司へ視線を戻す。
「一緒に帰るね。」
 拒否する事など許さないと語るその目を、歳三はただ見上げる。
「忘れちゃ駄目だよ。歳さんは、俺が掴んでるんだからね。」
 こくりと頷いて、歳三は自分はこれが欲しくて、いらぬ事を考えたのかもしれないと思った。
 自分が一番総司の傍にいて、しっかり捕まえられているのだと知りたかったのかもしれない。
 一番でなくては嫌だなんて、小娘のような事を考えたらしい自分が恥ずかしく、それでも自分の手を握っているその指の感触が嬉しくて、歳三は自分を見下ろす総司に笑いかけた。







「で、そのにやけ面かい。」
 呆れた顔で返されても、歳三は上機嫌で茶屋の団子を口に運んでいた。
 日野から総司と共に帰った歳三は、迷惑をかけたと伊庭の元を訪れていた。
「随分と可愛がってもらったんだろうよ…」
 にやけ面などと評しはしたけれども、役者のようだとも言われる歳三である。終止にこやかにしているという事で、歩く人の幾人かは歳三を眺めていくが、事の次第を説明されていた伊庭にしてみれば、嫌みの一つも言いたくなるというものである。
 振り回されたと言っても、結局元の鞘に戻って、幾らかはしおらしい様子でも見られたであろうと予想される総司はまだしも、殆どのろけのような報告を聞かされるだけでは、割に合わないにも程がある。
「悪いと思ってるなら、これっきりにしておくれよ。」
 茶屋の団子じゃ、納得行かない気もあるけれど、土産に買っていってやろう、なんて上機嫌な姿を見せられれば、先日の思いつめたような顔よりはずっといいと思えるものだ。
「それじゃ、総さんによろしく言っておくれ。」
 二人揃って来るかと思えば、それは流石に遠慮したらしい人を思い浮かべて、今度様子を見に行こうと伊庭は思う。
 歳三は何やら華やかな様子に拍車がかかったけれど、彼の人はどう変わったものか。それを確かめる日が楽しみだった。




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随分お待たせいたしまして、やっと完結いたしました。
沖土と言い張るには、少々あまい出来になってしまいましたが、私の中ではかなり沖土です。
沖土を語る上で、身分差というのは外せないポイントだと思うのですが、土方をどれ位卑屈にするかが難しいところです。あんまりうじうじしているのはイメージではないし、そんなもの俺がぶちこわしてやる!と言い切るような人は、武士になりたいとか言わないと思うのでね…
次はもう少し甘い沖土にしたいです。

(2008.1.8)




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