君の隣はだれのもの



四カ月前の夏休み、互いの好意を確認しあった彼らは、その後何の変化もないまま、冬休みを迎えることになった。
というのも、理一には校外に出る為には許可が必要であり、たとえそれが認められても、制服を着て出かけなくてはならないという規則がある。
学校周辺の人々はその制服でそこの生徒かはわかるだろうから、私服の侘助と共にいると、人目を引く可能性がある。
その上、一年生の間は外泊もできない。上田の実家に帰るよりも近くはあるが、ゆっくりすることもできないのでは、わざわざ会いに行こうという気にはなれなかったせいだった。
しかし冬休みは別である。大晦日や三が日は親戚が集まるが、他はどんな邪魔者もいない。
今一つ二人の関係性を把握し切れていない侘助は、何とか歩み寄りを探らなくてはと、帰省の便を揃えようと理一に連絡を取り、東京駅での待ち合わせをとりつけた。
夜行バスでは話をする間もない。昼間の電車にしようと提案する侘助に、理一は反論をしなかった。だから理一もそれを望んでいるのだと侘助は信じた。
東京駅で帰省土産や車内で食べる弁当や飲み物を選ぶのも、二人ならば楽しいものだと侘助は思う。気分はデートだ。
あれが美味しそうだとか、おばあちゃんの好みはこっちだろうけど、叔父さんたちはこっちだろうとか。正直に言えば、理一の声が聞こえるだけで侘助のテンションはだだ上がりだ。
「侘助はアルバイトとかしてるの?」
学校に通うことが仕事でもある理一は、毎月給料を貰っている。
私物を購入することに制限のある彼は、貰った給料の半分は貯金をするようになるものだと言っていたから、こういう時にしか貯めた金を使う機会がないらしい。
勿論、学内で私物を持てないだけで、帰った実家で服を買ったり漫画やゲームを買うことまで制限されているわけではないから、夏に随分使ってしまったというパターンもあるらしいと、以前に教えてくれたけれど。
「家庭教師を週一でやってる」
その言葉に理一は驚きに目を見開いて言葉を失い、その理一の驚きを見て、侘助はため息をついた。
「客商売よりいいかと思ったんだよ」
コンビニの店員とか、本屋のアルバイトとか、色々考えはしたけれど、自分には向かないだろうと侘助は思ったのだ。
理一と違って侘助は他人に笑いかけるのは苦手だ。はきはきと対応するなんて、多分逆立ちしたってむりだろうと自覚がある。
だから、一番よくある家庭教師というものに手を出してみたのだ。
一年生ではあるが、現役東大生である。腐っても鯛の言葉があるように、この業界ではなかなか大きなセールスポイントらしい。
報酬もなかなかいい額で、生徒やその親との相性はあるが、成績が上がれば契約期間が延びたり、ほかの生徒を紹介されたりもあるらしい。
そう聞かされれば、とりあえずはそこから始めてみようと思って当然だと侘助は思う。
何より家庭教師は一対一だ。相手が一人で週に1回2時間程度ならば、自分だって何とかできるだろうと思ったのもある。
「上手くやれてるのか?」
「今のところはな。元々頭の良い奴だから、成績上がるのにも限界があるけど」
生徒の方もあまりコミュニケーションは得意ではないようだが、質問は自分からするし、教えた事への反応も良い。
互いに会話が苦手だからか、無理に話をしようと努力してから回る必要もない。
母親の用意してくれるお茶など飲みながら、大学ってどんなところなの、という当たり障りのない、それでいて気になる話を振ってくる生徒に、自分の知る限りの話をしてやる程度で済んでいる。
「でも、やる気のない奴に教えるよりはずっといいみたいだな」
先輩や同期の話の中には、正直頭を下げて辞めさせて貰おうかと思った、なんて話も出てきて、侘助は自分の運の良さに安心したものだ。
「そうだね」
理一は誰かにものを教えることはないが、教官や先輩から、お前たちは飲み込みがいいから助かるなんて事を言われることもある。
教える方には教える方の苦労というものがあるのだろう。
「遊ぶ金は、流石に自分でどうにかしないといけないからな」
学費と家賃とで、家にはかなりの負担を与えているはずだ。
勿論家賃だけではなく、光熱費や食費も仕送りとして送られてくるのだが、あの家の収入など祖父母の年金以外に何があるのかと考えると、流石に貰ったものを全部使ってしまうというのもどうなのだろうと思ってしまう。
「うちって、誰の金で食ってるんだろうな?」
祖父が土地を売って金を作ったというのは有名な話だが、その前の紡績工場なんてとうにないわけで、その割にはあの家は維持されているし、侘助はこうして大学にも通っている。
これまで疑問に感じたこともなかったが、考えると不思議な話だ。
「株とか持ってるんじゃないかな? いくらなんでも年金ってそんなに貰えないだろ?」
あの家の住人で、働いて賃金を得ていると思わしき人間は既にいない。
祖父が数年前までは勤めに出ていたように思うが、最近は体調を崩して仕事には出ていない。
母は父が死んだ後も働きには出なかったから、理一は自分たちは祖父に養われているものと思っていた。
「株か。そういうのもありだよな」
本当に儲かるものなのかどうかは知らないが、収入になるものであるようなイメージが侘助にも理一にもあった。
「おじいちゃんがお金貯めてるってないような気がするし」
退職金というのは案外まとまった額が貰えるもののようだが、一度きりのことだから、思い切って使ってしまえばなくなってしまう。
あまり派手な事をした記憶はないが、二人分の学費に使われればなくなってしまいそうな気もする。
「そうだよな。ばあちゃんだって、今じゃ特別に働いてる感じないし」
叔父たちが気を使ってくれているのだろうか。そう考えるものの、あちらはあちらで養う人間がいるのだ。そういう話はなさそうだと思う。
「理一は金送ってるのか?」
「おじいちゃんに貯めておけって言われた」
家に金を送ろうと思うのだけれど、と祖父に相談した時、お前が働いて得た金ならば、お前の好きに使えばいいとは思うが、まとまった金が必要になる時もあるかもしれないだろうと、祖父は言ったのだ。
「じじいの言うとおりじゃないのか?」
理一の金は理一が使うのが一番いいと侘助は思う。
それに、これで理一が家に仕送りをしているなんて事になっていたら、侘助が理一に養われている可能性が出るということではないか。それは大いに困る。
侘助は理一に負けたくはない。けれど現状、金の問題で侘助に勝ち目はない。
仕送りを断るのがせいぜいだが、それでは絶対に自分がどうにもならなくなると予想がつくから、そういう勝負はしたくないのだ。
「お金は使うためにあるんだと思うけど」
納得行かないような顔をした理一はそう言って、小さく息をついた。
「とりあえず貯めておいて、どうにもならないように見えたら、渡せばいいんじゃねぇの?」
それがずっと後ならば、侘助だって職を得て金を持っているかもしれない。
それならば、理一と共にあの家の役にも立てる。侘助のあの家での立場も強化されるというものだ。
侘助も金が全てだとは思わない。けれど、目に見えてわかるのは金だ。
自給自足で生きていけるのならば話は別だが、電気やガスを使って生活している家では、そんなものは幻想だ。
生きていくには金がいる。金がなければこれまで通りの生活はできない。だからどうしたって金の有無は重要に見えるのだ。
「そう思うことにしてるけどね」
買い込んだ物を持って乗り込んだ電車は、人の数は疎らで、お喋りを咎められる様子がないのは幸いだと侘助は思う。
流石に、疲れきったサラリーマンが隣にいたら、口を噤むべきだというのが彼らの常識だ。侘助でさえそうなのだから、理一はもっと気にするだろう。
「理一の金で生活するなんて、理香はきっと嫌がるって」
彼らの一つ年上の姉である理香は、地元の大学に通っている。
堅実な彼女は、卒業後は市の職員になることを目指しているらしく、その話を聞いた時には、二人して大きく頷いたものだ。
そんな彼女は彼らにとって越えられない壁であり、彼女は彼らの下につくことを何より嫌っている。
「そうかも」
「理香のためにも、いざって時まで待つべきだと思うね」
そう論点を変えてやれば、姉思いの理一は納得いったように頷いて、それもあったね、と笑う。
「姉ちゃんもその内に働くようになるんだよね」
短大卒で就職となれば、来年には理香が職を得ることになる。
理一同様、祖父母は理香に生活費を出させないかもしれないが、理香の性格からすれば、実家にいない理一が金を出さないのと、そこで生活している自分が金を出さないのとは違う話だと言うだろう。
実際そう言われれば家族が断る理由など無いように思う。それでも祖父母が拒否したとしたら、少なくとも支出は減るからと、理香が引く可能性もあるだろう。
「俺なんて、下手したら、誰が大学に行かせてやったと思ってるのよ、とか言われるかもしれないんだぜ?」
なんて恐ろしい。侘助がため息をつくのをみて、理一はくすりと笑う。
侘助はどうやら理一からの援助などは考えてもいないようだが、理一は侘助のためなら、使わない金を差し出すことなど構わないと思っている。
理一は、侘助が大学に行きたいと思っているから、自分は金の掛からないところへ、と考えたわけではない。
自衛隊である程度の地位に就きたかったから、防大を受験したのだ。
自衛隊というのはある意味寛大な職場だと理一は思う。
大学卒業資格を取れる教育機関を持ち、そこで教育を受けている間も、その後、自衛官になってからも、生活を保証し金をくれる。
それに付随する様々な苦労や重責は例えようもない事ではあるが、それに見合うものを差し出してくれるなんて、流石、母体が国家なだけはある。と思ったものだ。
だから、理一は自分の生活のために必要だと思う金を、必死に貯めておかなくてはならないという意識が低い。
勿論、ある日突然体調を崩し、この生活がなくなる可能性はないとは言えないから、本当は自分の未来のためには必要なことなのかもしれないが、現実的に考えられる状況ではないのが事実だ。
それよりも、侘助の大学生活が、実家からの金銭援助を受けられないために頓挫するという事の方が、理一にとっては避けるべき事に思うのだ。
理一は侘助が好きだ。侘助が自分の好きな物を語る姿が好きだった。
普段は俯いていることの多い侘助が、顔を上げて目を輝かせて語ることを聞くのが、理一は好きだった。
生憎、話の全てがわかるということはなかったが、それでも侘助は理一がそれを聞いてくれることを喜んでいるようだった。
自分が必死に語っていることに不意に気づいて、途端に口ごもって俯く姿もおかしくて、きっと自分もこんな風に電波がどうのラジオがどうのと語っていたのだろうなと、そんな侘助を好ましく思っていた。
その侘助のしたかった事が、大学生活の先にあるのなら、理一はなんとしてもその先に侘助を行かせたい。
家族や親戚への遠慮で、侘助の未来が閉ざされるようなことをさせたくない。その手助けができるのならば、理一はそれを惜しむ気など全くなかった。
理一は笑っている侘助と共にいたい。したいこともできず、俯いて暗い顔をしている侘助と共にいたいのではない。
だからこれは、侘助の意志とは別のところにある自分の願望だと理一はわかっている。
負けず嫌いの侘助が、理一からの金銭援助を何より嫌がるだろうともわかっている。
それでももし、侘助がそれを願うのならば、理一は絶対に拒否したりなどしないし、侘助が気にしないやり方を提示できると思っている。
「姉ちゃんなら、ここぞという場面で持ち出してきそうだよね」
「雪の中に買い物行かせたりとかな」
それがここぞかと思うなかれ、だ。雪の降る中、あの家の敷地から出るだけでもどれだけ辛いことか。
その上大きな荷物を持って、延々続く緩やかな上り坂を必死に歩くことの辛さといったらない。
「そんなの言われたら、逆らえないよな」
「俺は絶対、お前も道連れにするからな」
「なんで俺まで」
笑う理一に侘助も笑って返し、ほっと息をつく。
理一が自分を好きだと言ってくれたのは事実として、それが家族愛の域を出るのか否か、この四ヶ月、侘助はずっと考えてきた。
どうやらそれは、かすかにその域を出る可能性がある、というレベルだとこれまでの会話で侘助は理解した。
自分の感情や欲求に関して、侘助は多く望むべきではないと思っている。それはあの家の中だけでなく、世間的にも問題視されやすいことだ。
まして理一の目指す世界の中で、それはきっと忌むべき事として認定されているに違いない。
侘助は理一と共に生きたいと願ってはいるが、理一の望むものを諦めさせる気は塵ほどもない。
侘助の好きな理一は、見えないものを拾い上げることに目を輝かせ、拾い上げたそれを宝物のように仕舞い込んでいる人間だ。
理一は限りなく遠くまでを目指し、聞こえる限りの全てのことを聞こうとするけれど、目的はその行為にあって、拾い上げた情報の中にはない。
だから、理一にとってその内容がどんなものであっても構わないのだと知った時、侘助はどれほど驚いたことだろう。
侘助が初めて見た鉱石ラジオは、理一が祖父から教えられた特別なものだった。
それを侘助に披露して、その使い方を説明してくれた時の理一の表情は、侘助の中に今でもはっきりと刻み込まれている。
あんなに嬉しそうに、あんなに楽しそうに、何かを伝えようとする人を、侘助は多分初めて見たのだ。
世の中には、楽しいことが沢山あって、自分にもきっとそんなものがあるはずだと、侘助は楽しそうに笑う理一を見て感じた。
その理一は今もきっと目を輝かせて勉強に励んでいることだろう。
どんな苦労も、その先にある目標に続いているのなら、理一はなんの苦痛も感じることなく、それを乗り越えてしまえるのだ。
「俺とお前は、一蓮托生の関係なんだから」
そう言ってやれば、理一は驚いたように瞬いて、それから嬉しそうに笑ってみせた。

 
 


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