待人



 申し訳ないと思いつつも呼び出した弟に後を任せ、自宅へ戻る途中の車の中から、見慣れた奇妙な頭を見つけ、当然そこにいるだろうと思われる人間の姿がなかった事を訝しく思った。
 友情だ何だと主張し、群れる彼等の姿は、既に見慣れたものだ。しかも、どれもが悪目立ちするような容姿を備えているから、目を引く事この上ないのも確かだ。私服姿で群れているのを見かけた時など、到底、連れ立って歩いている者とは思えない程、それぞれ掛け離れた姿だった。群れているからどこかに通っている者たちよりも、それは好ましいものだとは思ったが、それでああまで傍にいられるというのは意外でもあった。
 しかも、弱いものが群れているだけならば、歯牙にも掛けないものを、その群れには群れる必要もないとしか思えないものがいる。とても、群れているような人間には見えないものも。
 今日は、その群れの中で取り分け目立つものがいなかった。俺から見れば、取るに足らないものにしか思えないが、俺が忌々しくも、唯一認めないでもない男にとっては、その人物は随分と重要らしい。だからこそ、それがそこにいない事が意外だった。初めて奴を見た時に、とても群れるような人間ではないと思っていたが、やはり、群れるのに飽きでもしたのだろうか。
 否、それはなかろう。あれは、群れに馴染んでしまったものだ。己の弱さも考えず、群れを守ろうと足掻くものだ。ならば、何か別に理由をもって群れを離れているに違いない。
 そんな事をつらつらと考え、自分が気にも掛けていないはずの人間を実は気に掛けているのだと気付き、小さく舌打ちをする。それもこれも、それが面倒な存在であるからだ。
 城之内克也。
 取るに足らぬ存在が、驚くような事をしてのける事もある。だから、邪魔だと思い、思うから、気に掛かる。早々に記憶の底に沈めてしまいたい人間の方が、得てして沈んでいかないものなのだと、俺は経験上よく知っていた。
 
 
 
 疲れた頭で帰りついた家に、思い掛けない人間がいるのを見て、自分は幻覚でも見ているのではないかと思った。帰宅の際は勿論、今日一日延々問題になっていた人間であっただけに、それは尚更だった。
 それでも、相手も驚いたようにこちらを見返している事や、その隣のメイドが小さく悲鳴をあげたのを聞いて、それが幻ではないと理解した。
「何故、貴様がここにいる。」
 不快感を隠しもせずにそう言葉を投げ付ければ、それはむっとしたように口を引き結び、それから小さく息をつくと、答えを寄越した。
「メイドさんが帰ってきたって言うから、モクバが帰ってきたと思ったんだよ。」
 その返答は、想像もしていないものだった。弟のモクバが、これまでにこの男の話を口にした事は、殆どない。もちろん、縁の浅い人間ではないから、時折、遊戯や城之内の名前がモクバの口から出る事はある。俺とは違い、モクバはかなり奴らに好意的になっているらしく、それほど批難がましい事も言わないようになった。
 だが、だからと言って、まるでモクバをここで迎えるのが当然だとでも言いたげな態度で、城之内がいる事は考えられない事だった。これが、モクバや使用人たちの中で当然の事になっていると言うのならば、彼等は俺に完璧にその事実を隠していたと言う事だからだ。
 使用人が、主人に隠し事をする。これは、到底考えられない事だ。少なくとも、俺はそんな人間をこの家に雇っている気はなかった。ならば、これは彼等が自発的にした事ではなく、別からの指示があったと言う事になる。
 この家で命令を口にできるのは、俺以外にはモクバだけだ。だが、そのモクバが隠し事をする事など、これまで殆どなかった。それなのに、そのモクバが、この家で隠し事をしていたという事は、何よりも驚くべき事だった。
 考えてみれば、確かに、執事が最近はモクバの友達が訪れているような事を口にした事はあった。だが、モクバの友達と言って、城之内が浮かぶ事などあるわけもない。小学生のモクバならば、小学生が友達であるのが普通だろう。暫く前は、あまり良くない人間関係を作っていたようではあったが、最近は、友達も変わって良い方へ向いているようだと、SPが報告をした事もある。その良い方向が、これだと言うのなら、それには納得したくはない。
 別段、城之内で悪いとは言わない。だが、もっと他にも人間はいるのだとも思う。言っては悪いが、城之内は貧乏人の元不良だ。つきあって良い影響があるのかどうかは、甚だ疑問に思うところだ。
「モクバに会いに来たのか?」
「そう。お招きされたのに、社長さんに呼び出されたから、待ちぼうけ。」
 軽い口調でそう返され、休みの予定になっていたモクバを呼び出した事を思い出し、更にその弟に仕事を任せてきた事を思い出すと、罪悪感を感じずにはいられなかった。元より、申し訳ないと思って帰ってきているのだから、それを煽るような言い方をされれば、自然、それも募る。
 だが、それもこれも、突き詰めれば、この男のせいだと、思い直す。やはり、悪いのは自分ではない。
 確かに、呼び出しを掛けた時の電話で、モクバは客が来る予定になっているのだと言っていたのを、覚えている。それでもモクバは折れてくれた。その上、後は任せてほしいと言って、送り出してくれたのだ。
「モクバは?」
 お前になんて、用はないんだ。とでも言いたげに問いかけられ、まるで責め立てられているかのように感じるのは、多分、俺の被害妄想であろう。言った当人は、事実確認をしているだけに違いない。少なくとも、俺の知っているこの男は、そんな芸当のできる人間ではない。
「まだ戻らん。」
 それでも、モクバが呼び出された理由を告げるわけにもいかない為、それだけ答えた。
 今日の呼び出し理由でもある、現在計画中のイベントに関しては、まだ詰めるべき点が多々あり、無関係な人間にもらすわけにはいかない事なのだ。
 アミューズメント産業とは、人を集めていくらの世界だ。特に、海馬コーポレーションの現在の売りであるデュエルシステムは、カードゲームを開発するインダストリアル・イリュージョン社との提携があってのこと。未だ、バーチャルシステムに新規参入してくる企業はないが、別の形でのカードゲームの展開を打ち出す者がないとも限らない。それが、この提携を壊すような事になっては、社の命運に陰りが出かねない。
 それ故に、今は、大形のバーチャルシステムを必要としない方法を開発する事に、海馬コーポレーションは力を注いでいる。それが、最近、製品化の目処が立ち、宣伝の方法が検討されていた。
 ゲームに関わらず、物を大々的に売り出すには、大きなイベントを開くのが最も手っ取り早い方法だ。丁度、別の問題も含むきっかけも与えられ、イベントの開催は決定した。だが、たとえ大きなイベントを開いたとしても、それが成功しなくては意味がない。成功させる為には準備は重要であり、参加者の選択は更に重要だった。
 M&Wの大会がテレビ放送をされる現在、客の目も肥えてきている。下手な人間の決闘などでは興味を引く事はできない。更に、今回のもう一つの狙いをクリアする為にも、それなりのレベルのカードを持った人間をそろえなくてはならない。
 そこから、今回の参加者のレベルを制限する事は簡単に決定した。そして、過去の大会やイベントでの成績、所持するカードのレベルの統計を取り、全国の決闘者にレベルをつける作業が始まった。
 イベントの成績は、大体に於いて、所持カードのレベルと連動する。上位成績を残す者は、それなりにレアなカードを所持していることが多い。ゲームの系統として、それは当然出てくる事だ。レベルの振り分けはほぼ問題なく進んでいった。
 だが、そうとも限らない者も存在する。レアカードを持っていながら、何故か成績の奮わない者。成績は上位だが、レアカードは持たない者。だがこれは、成績に従って振り分ければいいだけの事だ。担当者も迷う事なく結果を重視して設定をした。レアカードさえ持っていれば勝てるというものではない証明だ。それについては、俺も興味深く資料を見た。だが、どうにも答えの出ない人間が一人いたらしい。
 それが、今ここにいる、城之内克也だ。
 所持しているレアカードに文句はない。大会成績も申し分のない肩書きが一つある。
 だが、素人なのだ。それは、記録を見ていればわかる事であり、俺も嫌という程わかっている事だ。実際、当人に向かって、最弱の決闘者、などと呼んだ事もある程だ。
 しかし、通常の規定に当てはめれば、城之内の成績は、高レベルを与えても問題はない。だが、大会参加の実績もなく、所謂、ぽっと出の新人が、ビギナーズラックであれよあれよと言う間に階段を駆け上がってしまっただけと言えなくはない。運も実力の内とは言うが、それでも、そんな人間を、大切な新商品発表の場に出していいものか。
 これは、社運を賭ける人間を選んでいるようなものなのだ。誰もが、そこで二の足を踏んだようだ。ここでゴーサインを出し、結果、それが裏目に出たとしたら、社の未来も危ないかもしれないが、それより何より、自分の未来が危ない。そんな保身に走ったらしい人間は、社の最高決定権所持者に全てを委ねる事に決めたらしい。
 そんな事を思い出しつつ、文句の一つも言うかと思ってちらりと見やった判断未確定の人間は、何ごとか考えていたようだが、軽く息を吐くと、小さく頷いた。
「そっか。……じゃ、俺、帰るから。モクバにはそう言っといてくれな。」
 文句の一言も言わないどころか、殊勝にもそんな事を言ったその姿を見て、驚かずにはいられなかった。
 これまで見てきた城之内と言えば、虚勢を張る犬のように誰彼構わず喧嘩を売っているようなイメージだった。人の顔色を伺って迎合する犬ではないが、賢い犬とは言えない。そんな目で見ていたのだが、それを覆すように、静かな様子は、初めて見るものだった。
「待っていられないのか?」
 背中を向けるのを見て、思わず引き止める言葉を掛けると、心底驚いたような顔がこちらへ向き直った。
 振り返ったその表情を見て、俺が自分の言葉に驚いた事も仕方ないと思った。静かな城之内も驚かずにいられないものだが、それにこんな事を言う自分は、もっとどうかしているとしか思えなかった。
「……そうじゃねぇけど…」
 何やら気に掛かる事でもあるのか、今一つ端切れの悪い返答が返り、その様子にも驚いた。こういう時は、あつかましく居座る型の人間かと思っていた。
「ならば、待っていればいい。」
 跡は任せてきたが、それ程大きな仕事を置いてきたわけではない。ここにいる男の判断確定と、他の決闘者のランクの最終判断を任せてきただけだ。モクバならば、素早くやってのけるはずだ。
「それほどは掛からないはずだ。」
 僅かではあったが、客を置いてきた事を気にかける振りを見せたモクバが、必死に仕事を終わらせて帰ってきた時にその客がいないのでは不憫だ。それで、モクバが文句を言う事など絶対にないだろうが、落胆しないわけもない。
「いいのかよ。」
 随分迷ってから、城之内はこちらを伺うように問いかけてきた。互いに、印象が良くないのは城之内にもわかっているらしい。こちらの真意を探ろうとしているようで、そういう点に於いては、この男はそれほど馬鹿でもないな、と思う。まぁ、群れを守る番犬としては、警戒心は捨てきれないものなのかもしれない。
「俺が追い返したなどと言われるのは不本意だ。」
 答えると、メイドが城之内に荷物を差し出すのが目に入った。あまり気に掛けていなかったが、わざわざ荷物を取りに行っていたらしい。こんな男を客扱いして世話を焼く必要もないと思えども、こんな人間でも主人の客となれば、きちんと扱うように教育が行き届いているのは由とすべきか。
 しかし、城之内が帰ると宣言してから今まで、それほど時間が開いていない。モクバの部屋にいたのならば、メイドがみっともなく走って戻ったのだとしても、間に合うとは思えない時間だ。
「モクバの部屋にいたんじゃないのか?」
 主人の留守の間に家に上がり込んでいる客である。ならば、そこで待っていたのではないかと思っていたが、違ったらしい。この時間内で歩いて行き来するには、一番表の応接室が妥当だろうか。
「主がいない部屋に、勝手に入れるわけないだろ。」
 怒ったように言い返され、更に驚かされた。マナーと呼ばれるものとは掛け離れた人間かと思っていたが、そういった気遣いはできるらしい。招かれているから家には入るが、招かれていないから部屋までは入らない。線引きの仕方は悪くない。招かれた家だからと、家中うろつく人間がいないわけでもないことを考えると、その辺りは好感が持てるところだ。
「……あの…」
 横からメイドが城之内に声をかけ、どうするのかと目線で問いかけているのが目に入る。普段、屋敷の中にいる使用人の動向など、あまり気にも掛けないが、こうして目の前にいれば当然気に掛かるものだ。
「ありがと。でも、待っててもいいって。」
 城之内が荷物を受け取りつつそう答えた途端、メイドが驚愕の表情を浮かべ、こちらを見た。そして、途端に表情を取り繕って頭を下げる。
 別段、その程度の行動でクビにするなどという気にもならないが、さすがにそれは、俺でもどう反応するべきかと戸惑うというものだ。ここで叱責などするのは、あまりに狭量すぎるが、気にするななどと言うのは腹立たしい。
 一つ息をつき、城之内の脇を通り抜ける。
「着いて来い。」
 このまま応接室に戻って待っていろと言うのも、引き止めた者としては、どうかとおもう。あの部屋は、割合どうでもいい客を通す場所だから、それほどいい部屋でもない。モクバが帰ってきたら、きっといい気分がしないに違いない。
 モクバは俺とは違って優しい質だから、それを良くは思わないだろう。それに、優しいとは言ってもモクバはこの家の主人で、使用人の使い方は俺よりも穏やかではあるが、方向性は俺と変わらない。多分、執事かメイドの誰かが文句を言われるだろう。それに、俺が顔を合わせていたと知れば、多分、俺にも何か言ってくるに違いない。ならば、それは回避したい。
 モクバの部屋には意地でも入らないだろうし、他の部屋に通しても、あまり意味がない。ならば、俺の部屋まで連れていくのが妥当だろう。俺が入れと言えば入るのだろうし、俺の部屋にいるのならば、茶の一つも運ばせておけばモクバも異存はあるまい。



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