後ろを慌てたように追い掛けてきた足音は、幾らか畏縮しているようにも聞こえたが、『やっぱり帰る』などと言う事はなかった。
「入れ。」
部屋のドアを潜りつつそう言えば、黙って足音は着いてきた。そして、足を止めてきょろきょろと辺りを伺っているのを視界の端に入れつつ、窓に近い場所にある机へと足を向ける。
「ここ、お前の部屋?」
暫く部屋を眺めていた城之内はそう問いかけ、それからどうすればいいのかとでも言いたげにこちらを見てくる。いつもならば、うるさく喚く様子はやはり見受けられず、なんとも不思議な気分になった。
「そこにでも座っていろ。」
ソファを示してそう言えば、城之内は戸惑いを見せつつもおとなしくソファに腰をおろした。どことなく落ち着かない様子が見えるのは、こちらの意図を探っているのかもしれない。
窓を背に置かれた机の上に置かれた、今回の企画の報告書を目の端に止めつつ椅子に腰をおろし、居心地悪そうにソファに座っている城之内を見据えれば、それに気付いた城之内がこちらを睨み返してくる
「……なんだよ。」
口を引き結んで、負けないとの意志を見せるその表情は、よく見るものだった。
考えてみれば、俺にこんな顔をして向かってくる人間はそれほど多くはない。決闘の最中ならば負ける気でかかってくる人間はいないのだから、目に入るものだが、そこから離れてしまえば、会社の中でもこの屋敷の中でも、更には学校の中でもその他の場所でも、俺を『海馬瀬人』と知っている者ならば向けてくる事など殆どないものだ。
それを、城之内は最初からきっちり向けてきている。それを見て、喧嘩を売らずにはいられない馬鹿なのだと思っていたのだが、もしかしたら、単なる負けず嫌いかもしれない。
「……いつから、来ているんだ?」
見据えた用件が必要だというのならば、要望には従ってやるべきだろう。とりあえず、モクバの代わりに相手をしてやったという状況も必要だ。
「……一月ぐらい前かな……」
よくも、そこまで俺に隠し通せたものだと半ば感心する。その一月の間、俺がこの家に帰ってこない日もあったが、何かと心配するモクバの為にも、できる帰るようにしていた。食事を共にする事は殆どなかったが、モクバが眠る前には帰って来ている。だが、帰って来たところで、執事やメイドが慌てた素振りを見せた事もなかった。
そこでふと、城之内だけが来ている事に疑問を感じた。普通に考えれば、あの群れが全体でやって来てもおかしくはないはずだ。
「貴様だけが来ているのか?」
「最初は、遊戯と一緒だったけど、あとは、俺だけ。」
答えは用意でもされていたかのようにすぐに返って来た。それを聞き、モクバが何故ここへ城之内を呼んだのか、ぼんやりと理解はできた。
「ただ遊びに来ていると言うわけじゃないだろうな?」
確認ついでに問い掛ければ、城之内は何ごとかを考えているように押し黙った。その表情を伺っていれば、なんとなく、俺によくない事でも考えているのではないかと思う程、目つきが悪くなっていく。
「新しいゲームのモニターしてる。」
随分待たせてから、何かにハッと気付いたように城之内は答えを返し、俺はそれが予想と違っていない事に頷いた。大方、遊戯を本命にして誘うつもりが、あっさりこなされてしまって役に立たず、世間並みの城之内の方に頼んだに違いない。
新作ゲームのモニターに人を雇う事は珍しい事ではなく、デバッグの外注先に頼む事もあれば、新規に人を雇う事もある。その際、モニターが楽にこなせたからと、難易度を上げる事もあるのだが、そのモニターがゲームに勘のある人間だった場合、結局一般のユーザーには難易度が高すぎるという結果が出る事もある。
そう考えれば、モクバの判断は正しい。正規のルートで人を雇う程にはまだ出来上がっていないゲームを、モクバが担当している事を思い出す。
「報酬は受け取っているのか?」
あまり聞き取り易くはない声で某かを説明していた城之内に確認すれば、不思議そうな表情を浮かべた。
正規のルートで人を雇うまでではなかったとしても、一応、それを参考に開発を進める以上、それなりの報酬を求めても咎められる事はないという事を、この男は知らないのかもしれない。
「飯食わせてもらってるくらいかな…」
まるでそれが素晴らしい報酬であるかのように、返された言葉には驚いた。
食事の時間までこの家にいるのだという事にも驚いたが、借金を抱えているらしい人間が、食事一つで喜んでいていいものだろうか。
「それだけなのか?」
他にも何かあるはずだと思い、重ねて問いかければ、城之内は暫く何かを考えるように黙り込み、それを見て、幾らか安心した。
決闘者レベルを設定する際に、幾らかの身辺調査も重ねて行なっている。企画の目的である3つの内、レアカードハンターの組織壊滅を狙う為には、参加者の身辺も調べておく必要があったからだ。
そこで初めて、城之内の現状が知れたのだが、驚く事に、それは平穏なものではなかった。両親の離婚。妹の病気。父親のギャンブル好きと借金、それからいくらかの暴力。当人が明るい顔をして学校に通い、友情だ何だと言って笑っている為、よもやそんな人間とは思っていなかったが、人はそれぞれ事情があるものらしいと、幾らか驚いた。
父親の借金の額はそれ程多くもないらしいが、どうやら良くない場所からの借金らしく、城之内の現状では完済などいつになるか知れないようなものだった。それでも、生活費も学費も本人が働いて作っているらしく、それだけでなく、働かない父親に変わって借金まで払っていると言うのだから驚く。
俺ならば、そんな人間は切り捨ててしまうだけだ。何故、自分を虐げる人間の為に働かねばならないと言うのか。その点については、城之内の感覚は俺にはまるで理解が及ばない。
「発売前のゲームで遊ばせてもらってんだし、それで充分じゃねぇの?」
あっけらかんと答える様子を見ると、本当に、自分のしている事で報酬が手に入る事を知らないらしい。多分、モクバも城之内の現状などを知らず、その説明もしていないのだろうが、これは些か問題ではないだろうか。
「………貴様がそれでいいのなら構わんが……」
ここでモクバの相手をしているよりも、バイトにでも行っていた方が金になるに違いない。それをわざわざモクバの為に割いていると言うのならば、兄である俺が何かして返すべきなのかも知れないが、俺からそう言って城之内がそれを受け入れるのかどうか。
視線を反らして思案をしていると、明らかに安心したようにほっと息を着いたのが気配で知れた。どうやら、俺がいない方が楽になれるらしいと思った時、机の上の電話に内線ランプが着き、数回点滅して消えた。
モクバが帰って来ると言う知らせだ。迎えついでに、少々話をしておいた方がいいだろうと思い、立ち上がると、こちらの動きに気付いたらしい城之内が緊張の様子を見せた。どうやら、随分自分は嫌われているらしいと、思わず苦笑がもれる。好かれようとも思わないが、今更殺してやろうなんて思うでもなく、そこまで警戒される謂れもないのだが。と、思う。
「モクバが帰るまで、ここにいろ。」
「……お前は?」
ソファの横を通り抜けてそう言えば、困ったように問いかけられ、そちらを振り返る。
「客が来る予定がある。」
モクバが帰ってくるなどと言えば、先程のように玄関へ迎えに出るに違いない。そうなると、モクバと話をする時間が取れなくなる。当人の目の前で、報酬云々という話をすれば、むきになって拒否するに違いない。ならば、嘘を着いてでもここに置いておいた方がいいはずだ。
「俺が、部屋の中掻き回すとか思わねぇの?」
ドアを開けて出ていこうとすれば、まるで引き止めるかのように更に質問が向けられる。
主のいない部屋に入れないなどと言った人間が、勝手に部屋の中を荒し回るとは思えない。まぁ、奴は俺を嫌っているのだろうから、嫌がらせついでに何かしでかさないとは言い切れないが、多分、それはないだろうと、何故か思った。
「好きにしろ。」
それでも一応そう返しておく。多分、そう言っておけば、信用されていないのだと思って、むきになって、ソファーから立ち上がる事もしないに違いない。
足早に廊下を歩き、玄関まで辿り着くと、丁度モクバが執事に何か伝えられているところだった。
「兄サマ……あの…」
隠し事をしていた事を謝ろうとするモクバに首を振り、気にする事はないと示せば、ほっとしたように笑ってモクバは足早に階段を上がって来た。
「リストはどうした?」
「あ…うん。チェックは終わったよ。問題ないと思う。」
「城之内はどうした。」
「……俺としては、5をつけてもいいと思うんだけど、でも、あれって、アンティ・ルール付きだよね。ってことは、うっかり負けちゃったら、レッドアイズは奪われちゃうって事でしょう?そしたら、きっと、もう取り戻せないと思うんだ。それは、可哀想だなぁと思ってさ……」
どうやら、モクバは社の未来も自分の未来も放っておいて、城之内の未来を心配したらしい。確かに、買い取るような金は城之内にあるはずもなく、新たに一枚を手に入れる事は無理だろう。決闘者としての腕も、安定しているわけではないし、負けがないとは言い切れないならば、それは友人としては当然の心配なのかも知れない。
「遊戯辺りが、代わりに取りかえしてくれるかもしれんぞ。あれは、随分過保護そうだからな。」
王国での決闘のデータも今回の判断の元で、全ての決闘は保管されており、それをモクバと共に確認したのは、数日前の事だ。シミュレータ内のやり取りは勿論、周囲の反応なども記録されている為、城之内の決闘に遊戯のアドバイスがあった事は確認した。
その遊戯のアドバイスと言うのも、なかなか曲者だった。あの大会内の決闘者に、仲間の応援があったものなどいない。そう考えると、城之内は精神的な支えがあるだけ、かなり有利だったに違いない。だが、実際、それが事細かな指示であったわけではないのだ。モクバなどは、城之内に好意的であるところもあってか、そこを指摘して、城之内を割と高く評価していた。
「でも、今回も一緒に行動するとは限らないよ。知らないところで奪われちゃったら、遊戯だって取り返せないと思うんだ。」
「それで、どうしたんだ?」
遊戯が挑んで負けるという事は、モクバも考えてはいないらしいが、城之内が負ける可能性が高いと考えているところは、当人が聞いたら、どんな顔をするかと想像すると、どこか楽しかった。吠えるか萎むか、俺が言えば前者だろうが、モクバが言えば後者だろう。
「レベル4にしようかなと思って。」
「どうせなら、2にしておけ。」
実は、レベル1という決闘者はいない。それは、やる気を削ぐ判断で、それを示された事でやめてしまわれると、売り上げにも響いてくるとして、決定した事だ。
「兄サマ、それじゃぁ、可哀想だよ…」
今回の企画では、新型のデュエルシステムを手に入れる為に、自分のレベルを知らされる事になる。実質最低ランクのレベル2では、大会2位の実績も持っている城之内は、ショックを受けるに違いない。
「半端に4などというレベルにしては、あれは強引に割り込んで来かねん。」
突然M&Wを始めた人間ではあるが、だからこそ、夢中になっている様子も見える。招待状もなく王国に乗り込んで大会2位などせしめた人間だ。今回も、人のシステムを奪ってでも参加しかねない。それでは、モクバの好意も無駄になると言うものだ。
「……そうだね。城之内、強引だからなぁ…」
楽しそうに笑うモクバを見て、少々複雑な気分を味わいつつ、その心配されている人間の事を再度持ちかける。
「城之内に、新製品のモニターをさせているらしいな?」
「あ……聞いちゃった…?」
まずい、と顔を歪めたモクバを見て、軽く頷く。
「お前の仕事だから、俺が口出しをする理由もないが、仕事をさせるのならば、正当な報酬は払ってやれ。」
そう言うと、モクバは勢いを付けて驚愕の表情を浮かべて俺を振仰いだ。どうやら今日は、誰かを驚かせる一日になっているらしい。ここまでくると、もう、あまり気にならなくなって来た。
「……怒ってないの?」
隠し事をしていた事で怒られると思っていたのだろう、不安そうなモクバに頷いて、その頭を撫でてやれば、ほっとしたように笑う。
「俺も、今日、資料を見て吃驚したんだ。…どれくらい、払うべきかな?」
「普通どの程度の額を受け取るかを説明して、その半分程度払ってやればいいのではないか?」
「半分?」
「多分、あれは、遊んでいるだけだと主張するぞ。」
先程のやり取りを考えれば、充分に報酬は受け取っていると言うに違いない。それでも、やはり取り上げたかもしれない分の報酬は金として払ってやるべきだろう。
「そうだね。そうする。」
モクバも多分、それを気に掛けていたのだろう。素直に頷き、先に立って歩いていこうとして、俺が足を止めた事に首を傾げた。
「どうしたの?兄サマ。」
「俺は、客に会っている事になっているのだ。城之内は俺の部屋にいる。」
そろって戻れば、またうるさい事になるだろう。そう言えば、モクバ何ごとか思案してから頷き、駆け足で廊下を進んでいった。その後ろ姿を見ながら、随分懐いているのだと知り、苦笑がもれる。もとから、モクバは人を信じ易いところがあった。それでも、隠し事をしてまでこの家に招いていると言うのならば、何か、城之内からしか得られないものがあるのかもしれない。本来ならば、自分が与えてやれねばならない事なのかもしれないが、モクバは聡い子供で、自分が負担になってはいけないと、俺にはあまりわがままを言わない。
「……負け犬でも、役に立つ事はあるという事だな…」
あれの方がいいのかと思えば複雑だが、モクバが楽しそうなのは良い事だと思う。自分にできないのならば、できる人間を置いてやりたいとも思う。その為に、金がいるのならば、幾らでも払ってやって構わない。
多分あれは、金などなくても呼ばれれば来るのだろうが…