1249

 穏やかな天気だった。歴史の道標は今その激動の体を癒し身を休めているかの様である。
 この晴天は、もう1ヶ月ぐらいは続いているだろう。
 なのに……。
「どうした?ケルヴィン。浮かないな」
 背中からギュスターヴの声が聞こえた。
「ギュス…」
 ケルヴィンは晴れ渡った空とは全くの対照的な曇天の顔をあげた。
 その顔にギュスターヴは思わず苦笑する。
「ははは、何だ。お前がそんな沈んだ姿を見せるなんて珍しいな。悩み事か?」
「………」
誰にでも分かる沈んだ顔でケルヴィンはゆっくり頷いた。
「お前に話すのも癪だが、関係があるしな」
「?」
ケルヴィンは深くゆるりとした溜息をつきながら話を始めた。
「カンタール候が最近一人の女性と離縁した。その話は知っているな」
「当たり前だ。マリーのことだな。もともと政略結婚であったし、二人の間に愛情は無かったみたいだしな。この微妙な時期にカンタールが何を考えてそうしたかは分からんが」
ギュスターヴはいまいち真意を掴めないまま頷く。
 ケルヴィンは話を続けた。
「そう、彼女なんだがこっちに帰ってきて何だか沈みがちだったから話し掛けたんだ」「ほう」
「そしたらさ、何て言われたと思う?」 ふと、ギュスターヴは暫く前に初めてマリーに会ったときを思い出した。そういえばケルヴィンはマリーにすっかり目を奪われていたようだ。
「離縁したばかりの女性にいきなり結婚を申し込むなんて、どういう神経しているのかって言われたよ」
さすがのギュスターヴもこの発言は目を剥いた。世の中は驚きで満ちている。
「ケルヴィン……。お前幾ら何でもそんな事言ってしまったのか!?本当何考えているんだ……」
「いや、違うんだ」
ケルヴィンは体をゆっくり沈ませながら呟くように話を続ける。
「そんな事を言うつもりは無かった。ただ、少しでも元気になってもらおうと、気の利いた一言でも言えれば良かったんだ」
お前に気の利いた言葉なんて言える訳無かろう。と、ギュスターヴは思ったが口には出さない。
「何て言うのか彼女を目の前にした瞬間、こう…視界がばっと白くなって、ほら、こう……」
何か無茶苦茶な発言を繰り返すケルヴィンをギュスターヴは目を細めて見る。
 前から面白い奴とは思っていたがこれ程とはな。
 ケルヴィンはなおも続ける。
「だから彼女があまりにもソフィー様に似てるものだからほっておけないのだ。わかるだろう?」
 ギュスターヴは、ふとその言葉の何処かに微かな棘を感じだが、それはあまりにも小さすぎて彼の胸には届かなかった。
「ともかく、私は今何だかよくわからない感覚に陥ってるのだ。お前ならこれがどういう事かかるか?」
もうかなり支離滅裂な事をまくし立てるケルヴィンに、ギュスターヴはこう言うしか無かった。
「もしかしたら、今が一番平和な時なのかも知れないな」
「はあ?」
ケルヴィンはギュスターヴが何を言ってるか全く理解できずに肩をすくめる。
 今まで陰謀と戦乱の最中に身を置いてきた二人にとって、このような会話はまさに平和の証しであろうが、実はそう話したギュスターヴ本人でさえ、それを自覚的に話している訳では無かった。ただそう感じたから口に出しただけなのである。
 二人ともいわば、台風の目の中にある束の間の平和にあまりにも慣れなさすぎたのだ。
「まあ、ゆっくり考えるんだな。それにしても、お前のそんな慌てふためいた姿、戦いや交渉の時にも見られなかったぞ」
そう言うと、ギュスターヴはケルヴィンを残してさっさと行ってしまった。
「お、おい。あ……。行っちまった」
一人残されたケルヴィンはもう何度目かも分からない溜息をつく。
「ふう……。全くだ。今私は生涯最高に慌ててるのかもしれない。ギュスターヴと共に初めて戦った時より、もしかしたらソフィー様が死んだ時より」
ケルヴィンは自分の中にこのような感情が存在する事を知らずに今まで生きてきた。だが、この自分が自分で無くなるような奇妙な感覚が、今は不思議と心地良い。
「行くか」
ケルヴィンはそう呟くと、ゆっくりその場を後にした。
 
 
 
 もう何度目のプロポーズだろうか。
 マリーはケルヴィンの申し出を断った。
 ケルヴィンはがっくりと肩を落とし、うなだれている。ケルヴィンはマリーに尋ねる。
「どうして私では駄目なんだ。そんなに私を嫌っているのですか?」
マリーはその言葉にゆっくり首を振った。
「そうではありません。好きだとか嫌いだとか、そう言う事ですら無いのです」
ケルヴィンは思わず聞き返す。
「どういう事です?それは一体どう受け止めれば言いのですか?」
マリーは哀しげに呟いた。
「あなたは私を見ていません。あなたは私の中の別の人を見てるだけなのでしょう」
「……え……?」
絶句するケルヴィンにマリーはなおも続けた。
「色々な所から噂話は伝わってきます。あなたが好きだった、好きな人のことを」
ケルヴィンはじっと聞いている。
「あなたは母上が好きだったのでしょう。そして、私は母上に似ているという話を聞きます」
マリーは目を伏せがちにしながら続ける。
「あなたは結局はカンタール候と同じです。私では無く、私の後ろにある別の何かを見ているのです」
ケルヴィンは激しく衝撃を受けた。違うと声を大にして言いたいが、どこかで否定できない処があるのは確かだった。ギュスターヴの感じた棘は今刺さったのだ。
「すまない。ちょっと待ってくれないか……」
そう言うとケルヴィンはふらふらとマリーの元から去って行った。
 マリーはその姿を見送り、自分の部屋に戻ろうとした時、別の人影を見つけた。
「兄様」
マリーはその人影の名を呼んだ。そう、ギュスターヴである。
 ギュスターヴはすまなそうに声をかけた。
「聞くつもりはなかったんだ。たまたま通りかかったら何か変な所に出くわしてしまって……」
ギュスターヴはそういえばと言わんばかりにマリーに尋ねた。
「ところでマリー。本当にケルヴィンとは付き合わないのか?あいつはお前に対してすごく真剣だぞ。少なくとも母上の面影については、単なるきっかけにすぎない。あいつはお前のことを真っ直ぐにみているはずだ」
マリーは顔を曇らせる。
「それは……それはわかっているのです。ただ」
「ただ?」
「あの人が本当に見ている人は母上とはまた別にいるのです」
「ケルヴィンにか!?」
ギュスターヴは意外な言葉に動揺する。たが次のマリーの言葉にギュスターヴは更に激しく動揺する。
「兄様。あなたの事です」
ギュスターヴは視界が白くフェードアウトしていくのをはっきりと感じた。
 このまま倒れこみたい誘惑に駆られながらも、ギュスターヴはマリーに尋ねる。
「マ、マリー。お前何を言ってるかわかってるのか?よりによって私とケルヴィンだと?冗談も程々にしろよ……」
マリーは毅然と言い放った。
「冗談ではないのです。あの人と話しているとわかるのです。あの人は私を見てくれている。ただ、それ以上に私を通した別の人を見ているのです」
「だからと行って私と言う事はなかろう」
ギュスターヴはとっさに否定する。
 マリーは言い放つ。
「本当はわかっているのです。彼が私に純粋に思ってくれている事を。しかし、それよりも兄様を思う心の方が純粋なのです。それが男と女という関係で無いが故に。お願いします。今は、時間を。整理する時間を下さい」
マリーはそう言うや否や、ギュスターヴの前から去って行ってしまった。
 残されたギュスターヴは何とか努めて冷静に考える。
 マリーは生まれた時から彼女本人を見られる事が無かった。それは王家に生まれた者にとっては宿命的なものだが、マリーは女性であるがゆえに、よりいっそう、「道具」として際立った。そして今彼女を真っ直ぐに見てくれる人が現れた。のにも関わらず、彼女は不安だった。
「そんな感じか?」
ギュスターヴは誰に話すでもなく口に出す。それは自分自身にも当てはまる所が多分にある。確かにケルヴィンはギュスターヴにとってマリーと同じ意味を持つ存在なのかもしれない。
 だからこそギュスターヴには理解できる。マリーが何を不安に思っているかを。彼女は期待できる存在が怖いのだ。彼を否定する理由は何でも良かったのだろう。もし、裏切られたらと思うのが嫌なだけに違いない。
 ギュスターヴはふと、マリーの言ってることは間違いでは無かろうかと考えた。ケルヴィンが私を好きなのでは無く、私がケルヴィンを好きなのではないかと。なぜなら、考えることが兄妹して余りにも同じなのだ。
 だからだそだ。
 ギュスターヴは考える。ケルヴィンにはマリーの孤独を救って欲しいし、マリーにはケルヴィンの想いに応えて欲しい。
「お互いがんばれよ」
ギュスターヴはそう言い残し、誰もいない空間を去った。
 そして。
 彼らの運命は後に歴史に記されている通りである。
 
              −終−
                         


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