その場所

 暗闇だった。
 何も見えない。聞こえない。
 孤独な闇だった。
 
 
 人は死ねばどこに行くのか。
 遥か昔からの疑問に男は挑戦したかった。
 今まで幾人もの人達がその疑問に立ち向かい、それぞれの答えを見つけ、広めていった。それらの答えは本当だったのだろうか。古今東西集めればそれこそ星の数程のある答えのどれかは正解なのだろうか。
 その男は答えを知りたかった。そして、その答えを知る術は一つしかない。
 だから男は死んでみた。
 
 
 何も無い。
 誰もいない。
 完全な一人。
 
 
 ここはどこなのか。
 男は考えた。
 少なくとも死後の世界はあった。それだけはわかる。
 しかし、男の知りたかった事はそんな事では無い。
 その場所なのだ。それを確かめる。それができねば男は死んだ意味が無い。
 周りから見れば男は単なる自殺なのだが、男は勿論、そんな事は微塵も考えていなかった。
 純粋な好奇心は時として人を狂気に誘うのだ。
 この男が正気であるとは誰も思うまい。
 男は自分が正気であることを疑わないが、正気と狂気の境界線など所詮、他人の出す線引きでしかない。
 
 
 自分はどこにいるのか。
 確かめたい。
 だがどう確かめるのか。
 
 
 男は自らの体を動かしてみるが、動いたという実感は無かった。というより、体があるのかどうかがわからない。
 自分の手は存在するのか。男は手を握り締めてみる。
 無い。
 手が無い。というよりは体の感覚が無い。
 男はあらん限りの声で叫んでみた。
 無い。
 声が出ない。むしろ、口や咽喉の存在を感じない。
 耳を澄ませる。
 無い。
 ここに存在し始めててから、確かに微弱な音一つとして聞いていない。
 目をこらしてみる。
 無論、何も見えなかった。
 男はここにきて自分の五感が完全に寸断されていることを自覚した。
 その瞬間。
 男は強烈な恐怖を感じた。
 
 
 これが死か。
 全ての闇。全ての沈黙。全ての「無」。
 完全な世界。
 
 
 男は強烈に足掻いてみた。
 この場所は死の世界なのか、そうでないのか。それすら男は怪しく感じてきたのだ。
 例えば。
 ここは病院のベッドの上では無いのだろうか。死に損なった自分が感覚だけを失って生き長らえているのではないだろうか。
 例えば。
 自分は間も無く死のうとしていて、死ぬ寸前に見る走馬灯の様な幻ではないのだろうか。
 それでは死んでも死にきれないではないか。
 男は激しく矛盾した思考にのたうつ。
 もし、まだ生きているのならほっておいてもその内死ぬだろう。
 だが、それで死んだ時、男は再び「ここ」にいないという保証などないのだ。
 
 
 どこでもいい。
 ここじゃない場所へ。
 なんでもいい。「ある」場所へ。
 
 
 男は暫く足掻き続けていたが、そのうち心が落ち着いていくのを感じた。
 いや。
 落ち着くというのは、正確な言葉ではない。正しく言うのなら、考える力が失せてきたのだ。
 男は最早残された感覚は、消えてしまう事に対する恐怖だけになってしまった。
 自分という存在が完璧に無くなってしまう。
 
 
 こわい。
 こわい。
 こわい。
 
 
 そのまま男は消えていった。
 どこに消えていったのか。
 その場所は。
 死んで見ればきっとわかることだろう。
 
 
 
                         −完− 

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