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バリでAMANに泊まる(番外編) |
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贅沢しすぎてばちがあたった。
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ガルーダインドネシア 40時間ディレイ |
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![]() デンパサール空港で2時間待たされた頃のガルーダ機。 第4エンジンから煙は見えないが・・・ |
帰りのフライトは、夜11時発のガルーダGA880便である。余裕をみて、19時くらいにアマンキラを出発し、21時前には空港に着いた。ボーディングが若干おくれていたが、よくあることなので気にしなかった。 1時間遅れくらいでボーディング開始したが、いつまでたってもドアが開いたままだ。何かおかしい。 機長から最初のアナウンスがあった。「機体整備が遅れている。この関係で機内の空調が効かなくなっているので、一旦、降機してほしい」。機長アナウンスを聞くまでもなく、機内が異常に暑く、乗客が騒ぎ始めていたところだった。 機から降りて待つこと約1時間、再度ボーディングが始まった。今度もなかなかドアが閉められない。 またしても機長のアナウンス。「第4エンジンから煙が出ているのが見えるが、飛行には問題ないので離陸する」。これには乗客一同騒然となり、この時点で10人近くが機を降りた。この10人のバゲージを下ろすためにさらに1時間出発が遅れた。 残りの乗客とクルーと荷物を載せてGA880便は、1時間程でジャカルタに着いた。ここでは給油のため1時間機内で待つのだが、またしてもドアが閉められない。更に1時間たった後、機長のアナウンスがあった。「やっぱり、この機体で飛ぶのは無理だ。乗客は全員機を降りてほしい」。これには、乗客一同、がっくり。 |
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![]() 乗客が泊められたホテルのロビーには、こんな張り紙が |
しょうがないので、飛行機を降り、パスポートをインドネシアの係官に預け、ガルーダの職員の誘導に従って、ホテルに移送される、と思ったら、空港のロビーで、何の説明もなく、ひたすら待たされる。どうも、バゲージをどうするかで乗客ともめているようだ。結局、常備薬などに限り、バゲージから取り出しても良いということになったのだが、自分のバゲージは自分で探しに行け、ということになり、空港のチェックインカウンターから、ベルトコンベアの上を歩いて、バゲージコンテナのところまで行った。 別に必要な荷物はなかったのだが、せっかくなので、カウンターの裏側を見てみたかっただけです。 とにかく、午前3時頃にはジャカルタ市内のホテルにバスで向かったのだが、ホテルに着いても、ガルーダの職員はいないは、ホテルに話は通ってないはで、大混乱だった。ついに、インドネシア駐在の商社マンなど、インドネシア語の堪能な方々を中心に乗客代表チームが結成され、ガルーダ、ホテル、との交渉・連絡が始まった。もちろん私は何の役にも立たないので、部屋で寝ていただけだが・・・左の写真はその成果です。 ジャカルタで泊まったホテル:SAHID JAYA HOTEL |
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![]() 即席のジャカルタ観光。 |
翌日の午後、ガルーダが用意してくれたバスで、ジャカルタ市内観光に行った。フライトが大幅ディレイしているとは思えない、のどかな午後だった。ホテルに戻って、夕食を取り(もちろんただ)、夜8時頃、迎えのバスに乗って空港に向かう。
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空港のイミグレで。日本人300人分のパスポートをインドネシアの係官2人で配ろうというのは無謀だ。これがなかなか返ってこない。 |
この頃は乗客には妙な連帯感と気力が充実していた。パスポートコントロールの係官に詰め寄る人たち。この後、このブースを占拠し、自分たちでパスポートを整理、配布するという挙に・・・ |
ジャカルタの空港で、ボーディング直前の場所で、クルーと地上職員を拉致し、詰め寄る乗客たち。本当に暴動一歩手前の状況だった。強いぞ、日本人。 |
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