実践訓練に駆り出されるのは、久しくなかったことだったが、再改造後の調整の為に必要だったということだったのだろう。研究棟から出るのも、随分久しぶりの事だった。
「おまえさんが死神かい。」
声がかかったのは、対象物が近付くのをぼんやり待っている時だった。高速の移動手段を持っている002と違い、自分の足だけが頼りの俺は、先制攻撃を仕掛けようにも、確認できる迄はぼんやり待っているしかない。わざわざ自分から突っ込んでいく程、勤勉でもなかったというのが正しいかもしれない。
振り返ってそこにいたのが、007だった。この時既に、完成試作品だったのは、新型の中では彼だけだったという話だ。
「吾輩は007、お初にお目にかかる。」
番号を名乗るのも意味がないと思ったわけじゃないだろうが、これに返した言葉はなかったと思う。それでも彼は気にもしない様子で言葉を続けていた。
「組織のボスに逆らうとお前さんが殺しに来るとか、気に入らない人間は迷わず撃ち殺すとか、科学者を一人殺してるだとかいう噂を聞いたぞ。」
「……それで?」
思い出すと、酷い言われようだが、この時はあまり気にならなかったと思う。少なくとも一つは事実だったわけだし、研究員達が口を噤んで顔を強張らせるのはその噂のせいかと思ったのではなかっただろうか。
「死神ってのは、人の魂を取りに来るから怖がられる。人間、普通は死にたくないからな。」
何の話が始まったのかと思った。初の実戦で怖じ気付いているのかと思ったのは確かだ。彼は、俺の耳に戦車のキャタピラの音が聞こえはじめても、話すのを止めなかった。彼の耳は俺の耳とは違うから、彼には聞こえていなかったのだろうが、それでも、こんな場所で何を話しているのかとは思わなかった。俺だって、最初にそこへ出された時は、何が始まるのかと不安だったはずだ。あまりに遠くて、もうあまり現実感がないけれど。
「でも、死神は無秩序に手当り次第に命を奪うわけじゃない。」
『戦車殲滅の後、南西へ移動。』
指示が入り、戦車が射程圏内へ入るまで僅かの距離になったところで、俺は高台へ移動しようと彼に背中を向け走り出した。条件反射のようなものだ。指示に逆らう気なんて起きないし、開戦の合図に心が沸き立つ。死神だろうとなんだろうと構わない。そこに叩き潰すものがあって、俺にはそれができる。それで十分だった。
「君は、誰にとっての死神だ。」
数百メートル離れていようと話し声くらいならば聞き取れる俺の耳は、彼の声も聞き逃したりはしなかった。ただ、俺は、それに返す答えを持っていなかった。その言葉があまりに強いものだったから。
それが、007との最初の会話だ。実は、未だにこの時の彼の問いかけの意図を、俺は知らない。彼が一人で考えだしたことだとは思わないが、彼の言葉でなかったら、あんなにきちんと聞いたかどうかはわからない。
その後も、007が俺の前で突然語り出すことは度々起こることになった。
「サイボーグとは、サイバネティック・オーガニズムの略語だと言われています。これは、体の一部を、人工物で補うことです。金属のような無機物であったり、有機物であったりしますが、その違いはあまり気にすることはないでしょう。わかりやすく例をあげるならば、義手や義足はそれに値します。人工心肺などに代表される人工の臓器などは、その最たるものではないでしょうか。それは、今の時代ではそれ程、珍しい話ではありません。また、サイボーグの条件として、脳は元の持ち主の物と言われています。そこまで機械化してしまえば、それはロボットと変わらないのですから、それはある意味当然の事でしょう。ただし、その脳にも手を加えねばならない理由も出てくることはあるでしょうし、まるで手が加わっていない。という意味ではないようです。」
彼は、そこで一端言葉を止め、まるで数人の聴衆がいて、それから喝采を浴びているかのように、方々へ頭を下げて更に語り出した。それを見ながら、俺はぼんやりと自分の体の事を考えていたと思う。
「さて、人の心はどこにあると思いますか?心を形に表せと言われれば、きっと皆さんは心臓の形だと言われている、あの形を描くことでしょう。では、人の心は心臓に宿っているのでしょうか?いいえ、そうではありません。人の感情の発露は、脳によって行われることなのです。怒りも憎しみも、悲しみも喜びも、愛さえも人の脳が作り出すのです。脳は、体の動きを制御するだけではありません。心の動きも制御するのです。人が人としてあるために必要なものは全て、脳に集約されていると言ってもいいでしょう。」
そう語り、彼は真直ぐに俺を見た。そこで、俺は彼の言葉を正しく認識しようと思ったはずだ。
「では、体のほぼ全てが機械であるとしても、その脳が人の物であるのならば、それは人であるという証明ではないでしょうか。」
「007、点検の時間だ。」
研究員の声を聞き、彼は大仰にため息をついて首を振り、俺ではない誰かに向かって頭を下げていた。
「本日はここまでといたしましょう。またの機会が訪れることを願っております。」
最後に彼は俺に向かって頭を下げ、イライラとその口上を聞いていた研究員の後についてそこを離れていった。
あの時の彼が、必死に語る姿を見て思っていたのは、彼も自分を保つために、あんなことをしなくてはいけないのだろうということで、彼の本当の狙いなどあの時の俺は考えもしなかった。だけれど、彼の語る言葉は確実に、俺の中へ積み重ねられ、俺はぼんやりとそれについて考えるようになっていた。
俺は、誰にとっての死神なのか。俺は機械なのか、人間なのか。
答えは簡単には見つからず、考える度に俺は混乱したが、放棄していた『考える』という行為が戻り始めたのは、確かにそれが切っ掛けだった。
簡単には見つからない答えを必死で探すこと。それは、人形にはできないことだったから。
初めてここで目を開けた時、嫌で嫌で仕方なかった声があった。
でも、それがないと、どこかに欠けたものがあると感じる。
それでも、なくても少しも困りはしないのだ。
長い時間を眠った次の朝、しょぼくれた子供が泣き言をもらした。
自分も悲しくて、誰かのことも悲しくて、珍しく泣き言を言った。
聞いてやれる自分を、少しだけ嬉しく思った。
少し長く眠った後で、驚く程難しい質問を寄越された。
難しくて難しくて、限界を迎えようとする思考能力は、必死にそれを押し上げた。
考えて考えて、ほんの少し、光が見えた。
夢の中でもその声を聞いて、ふと思い出したことがある。
自分を表わす名前と大切なもの。
刷り込まれた偽物の情報であるかもしれない。
それでも、それは確かに、思い出したことだった。
「私のこの手は、時には人を傷つける武器となります。ですが、私のこの手は本来何の為に付けられているものでしょうか。神は、何の為に私にこの腕をお授けになったのでしょうか。私のこの腕は、愛しいものを守るものであり、それを抱き締めるためにあるのです。たとえそれが、一時武器となり得たとしても、私のこの腕は、けして武器ではないのです。」
俺のこの手は、人を傷つけ物を破壊するためにある武器だ。それでは、たとえこの手が誰かを助けたとしても、俺は武器でしかないということか。
「神は人に火を授けました。人は後の世になり、その火を使い、互いを傷つけるようになりましたが、人はその火の近くで手を取り合って安らぐこともありました。『火』は『火』以外の何ものでもありません。それでも、それを使う『人』によって、『武器』に姿を変えることもできれば、『安らぎ』を与えることもできるのです。」
この腕は、武器以外の何ものでもないけれど、俺は、それの持つ意味を変える事ができる。
「私のこの腕を武器に変えるのも、守るものとするのも、私です。」
それは、持ち主だけが決めることのできる使い方。ならば、この腕を何にするのかは、これの引き金を引ける俺の意志によること。
「君は、誰にとっての死神だ?」
その答えが見つかったのは、それよりもずっと後の事だった。
007登場。こういう話は、ジェットやイワンに持ちかけられてもまともには取り合わないだろうから、007が語るのです。この辺の行動理由は007のお話で説明。一人称で進む小説は、他人の気持ちを語れないので辛い。しかも、ハインリヒさん思考限界が低いので、他人の気持ちなど思いやれません。
サイボーグに関する説明は、「サイボーグ」で検索かけて上がってきた情報を拾い、私なりに考えてたものなので、厳密には違っているかもしれないです。その辺詳しい方は目をつぶって下さい。だって、ところによると、眼鏡やコンタクトもサイボーグ化だって言ってたりするし、それはさすがに違うんじゃないか。って人もいるしさ。