彼がやって来たのは、ハインリヒが日本へやって来てから一週間後の事だった。どこか少し疲れたような様子を見て、彼等は彼の進む道も色々と険しいのだろうと想像し、ここで過ごす時間が、彼にとって良いものであればいいと考えた。
「調子が悪いって聞いていたから、心配していたけれど、大丈夫そうだね。」
居間のソファに寝転んでいたハインリヒは、頭の上から掛かった声に目を開けて、口の端をあげて笑った。
「確かに、俺よりも、お前の方が具合が悪そうで、誰も俺を心配しちゃくれないよ。」
体を起こして占領していたソファを半分解放すると、ピュンマは苦笑を浮かべて首を振り、向いのソファに腰を下ろした。
「病人は、寝てていいよ。」
「病人ってわけでもねぇさ。」
体を起こしていれば、眠気が襲って来ても、何とか起きている努力ができるが、横になっていると、眠ってもいいとでも判断するのか、際限なく眠り込んでしまいそうになる。流石に、人と対面している時にそれでは問題があるだろう。
「何か、悩みごとでもあるのか?」
彼との付き合いも随分長くなるが、考えてみると、ハインリヒは彼と笑い話をした記憶はあまりなく、更に言えば、彼から話をしに来た場合は、自分の行って来た事に関する内容を相談される事が多かった。
ハインリヒにとってそれは、どこまで自分が役に立てているのかわからない分野の話ではあったが、自分の思う事をそのまま話して来ていた。そして今日も、多分その話なのだろうと思い、向いに座ったピュンマに、話を振った。
「………僕は、最近、独立戦争がいい事だったのかどうか、わからなくなってきた。……理由は何であれ、武器を持って戦うのは、間違いだったんじゃないかと、最近は特に思うんだ。」
以前にも彼は、同じような事を話した事があった。それは確か、サイボーグになってしまった自分が、それに加担していいものであろうか、というような内容だったと、ハインリヒは記憶している。
ムアンバに、ブラックゴーストが介入した事から、ピュンマは特にそれについて悩んだのだろう。人と人との争いならば、土俵は同じだが、サイボーグである彼がそれと同じ土俵に上がっては、ブラックゴーストに依る介入と変わらないのではないかと。
彼が本気になれば、只人である人間との戦闘など、さして苦労なく終わってしまう。味方に被害は少なくなる事は間違いない。でも、それは正しい行いであろうかと。
それを思うからこそ、彼はその後、国へ帰っても、軍事力をもって行われる活動には加わる事をしていないと言う。サイボーグになったからこそ、わかってくる事もあったと、彼は語った事があった。
そんな中で、過去を振り帰って考える時間ができてきたのだろう。『では、独立戦争は正しい行いであったか?』と自身に問い掛けて、明確な答えを見つける事ができなくなってしまったに違いない。ハインリヒは向いに座るピュンマの苦しそうな表情を見てそう思った。
「……正直に言えば、戦争なんてどれも間違いだと、俺は思う。理由がなんであれ、それで傷付く人間が出ることは同じだからな。」
思うところをハインリヒが真直ぐに答えると、ピュンマは黙って頷いた。
「だからって、それで事態の打開を図ろうとした事が間違いだとも、言い切れないと思う。」
黙って、もしくは、武力に頼らず事を起こす事は可能かもしれない。でも、それが直ちに成就するとも限らず、周囲に対する影響力も違ってくるだろう。武力をもって行動した時に起こる反応は、賛成であれ反対であれ、大きくなる事は間違いがない。
「………僕らは、自分達の自由の為に、それを奪おうとする者に戦いを挑んだ。……でも、挑まれた方から見れば、僕らは彼等を攻撃して、住処を奪う者と変わらないんじゃないだろうか?」
正義は一つではない。という言葉に代表されるように、物事の側面は沢山あり、それをどこから見るかに依って、相対する者への主張は変わってくるものだ。相手からの視線を考えてしまえば、自分の出した答えなど、簡単に覆ってしまう事は当然だ。
「……俺がガキの頃、ドイツは、侵略戦争を始めたが、俺にとってみれば、赤軍やイギリス軍の方が、侵略者だった。」
他国に武力をもって侵入する者は、侵略者だ。例え、先に行動を起こしたのがドイツだとしても、ハインリヒにとっては、ベルリンに空爆を仕掛けたイギリス軍は侵略者だとしか思えなかったし、その地を征服した赤軍も侵略者だった。
「だから俺は、家族や自分の街を守るために戦う事は、間違いじゃないと思ってたよ。」
そう教えられたのも確かだ。でも、自分で決めて、自分で望んだのだ。家族や、ベルリンの街や、ドイツを守る為に戦うのだと。子供が武器を持たなくてはならないような、勝ち目のない戦いではあったけれど、それは間違いではないと信じていた。
「…今でも、そう思うかい?」
「………戦争は間違いだと思ってるけどな。」
それは間違いだったと、戦争が終わってから言われた。君がすべきだったのは、母の手を取って、安全な場所へ逃げる事だったのだと。
でも、そんな事は誰も教えてはくれなかった。たとえ子供でも、国の為に戦うべきだと言われて育ってきた。義務を放り出して逃げるなんて事は、考えもしなかった。そういう時だったから。
「どんなに否定されたって、自分の決意が間違いだなんて、簡単には認められねぇよ。」
あの戦争は間違いで、あの戦争に参加した自分も間違いだと言われても、それを信じていた自分を否定されても、自分で自分を否定する事はできなかった。
今でも、誰かの為に戦う事は、間違いではないと思っている。誰かを守る為に誰かを殺す事が正しいのだとは思わないけれど、結局それは、同じ事なのだろうとも思う。
「……そうだよな………僕は、あれが正しいと思って行動してたんだ。」
そこでどれほどの人が傷付いたのか、死んでいったのか、それを考えてしまうと、どうにも自分の選んだ道が崩れていきそうになるけれど、あの時、自分の中にはそれしかないと信じる意志があったのだ。今になって、その時の行動を否定する事は、それに巻き込まれた人を否定する事にもなりかねない。
「…僕は、自分の言う言葉が偽善なんじゃないかと思ってたんだ。…今更、戦争は悪だ、武器を持つ事は間違いだなんて言ったって、お前は散々そうしてきだじゃないかってさ。」
ピュンマの言葉に、ハインリヒは苦笑を浮かべて頷いた。
今更、誰も殺した事がないような顔でよく言うものだと、自分を嘲った事だってある。その手は既に、血塗れではないかと。
「苦しかったんだ。嘘をついているようで。」
嘘なんてついてない。ただ、それまでの生き方と違っていただけの事。それでも、苦しかったのだ。
「誰に責められたわけでもないのに。」
自分が自分を責めるだけ。自分の過去の行動が、間違いであったかと思うから。不安に駆られて、自分を責めてしまうだけだ。
「……戦いの中から連れてこられた僕と、平和の中で暮らしてた彼等は、違うんだと思っていたから、他の誰にも言えなかったんだ。」
生きてきた場所が違うから、それぞれの抱える悩みや苦しみを、全てわかりあえるわけではない。自分の苦しみがわかってもらえないと嘆く事は間違いだけれど、それが悲しくもあり、そして、わかってやれない事も悲しい事になってしまう。だから、それぞれが、苦しい事を話そうとしなかったのも事実だ。その中で、こうして彼と語り合える事は、良い事なのではないだろうかと、ハインリヒは思った。
「君とも立場は違うのにね。」
「役に立てるなら、それでいいさ。」
苦しそうに見えていた人が、まだ少し辛そうではあるけれど、笑うようになるのなら、それはとても嬉しい事だ。
ふいにハインリヒの頭が揺れて、ふらりと横へ倒れたのを見て、ピュンマは驚くと共に、寝息を立て始めた彼に苦笑を浮かべた。
ここへ来てから、皆にそれとなく彼の様子を聞いても、特にどこが悪いとも思えないという返事が返ると共に、最近よく居間のソファで眠っている。という答えも返ってきた。以前は、あまり人前で眠ったりする事のない人だったから、こんな風に目の前で眠る姿を見ると、何と無しに、微笑ましく感じてしまう。
静かにソファを立ち上がると、ピュンマは居間を出ていった。