「汚ねぇ…」
自動走行レーンから外れる事なく辿り着いたそのビルの最上階が、目指すルフィの家だった。
ビルの最上階の住人は、基本的にビルの持ち主だ。と言う事は、このビルはシャンクスの持ち物だと言う事かと、意外に控えめな大きさのそのビルを、サンジは不思議な気持ちで見上げたのだが、その家の中は、更にとんでもない状況になっていた。
「………相変わらずだな、シャンクス。」
玄関のシューズボックスの扉は開いたまま、居間の床には空のまま口を開けたスーツケースが放り出され、その周りには、服やら小物やら、持っていくかどうかを迷ったらしい品々が散乱したままだった。
「この間は、ベンが来なかったんだ。」
「行っただろ?」
出発の朝、ゾロは車を持ち帰る為に、空港まで同行した。ゾロは家まで上がらなかったが、ベックマンは荷物持ちの為に家までシャンクスとルフィを迎えに上がっていたはずだ。
「いつもなら、夜から来るのに、この間は朝来ただろ?」
散らかった床を手早く片付けていくのはゾロで、ルフィはそれをソファの上に膝を抱えて座りながら眺めている。
空港でも思ったが、この二人の関係とか、ゾロとその叔父の、ルフィとシャンクスとの関係はどんななのだと、サンジは散らかったキッチンを片付けながら考えた。
「あ、悪いな。」
サンジがキッチンを片付けている事に気付いたゾロがそう言うのを聞いて、更にサンジは首を捻った。
こういう時は、ルフィが『有難う』と言うものではないだろう。どうしてゾロが、手間を掛けさせていると謝罪するのだろう。
「気にするな。」
料理人だから、というわけでもないと思うのだが、キッチンが散らかっているのが、どうにも落ち着かなかったから、思わず手が出ただけの事だ。それに、どうせここはこれから4日間、サンジが仕切る場所になるのだろうから、自分のやりやすいように片付けておくのがいいのも間違いない。
ついでに、冷蔵庫の中でも確認しようと扉を開けたサンジは、そのまま大きく項垂れた。
「………お前ら、何食って生きてんだ?」
冷蔵庫の中には、酒以外に調味料が数種類入っている他、食材と言えば、酒のつまみにしかならないものしかなかった。
「冷凍庫の中に、なんか入ってるだろ? 温めて食べるやつ。」
ゾロが顔を上げて答えを返し、ここは誰の家だと、ソファで首を傾げているルフィを見て、サンジは思った。
言われるままに、冷凍庫のドアを開け、そこに幾つか入れられた食料に、サンジは小さくため息を付いた。
これは、わざわざサンジが呼びつけられて、食事の用意をさせられていた意味もわかろうというものだ。こんな工場生産の、栄養バランスだけは完璧に整った、特別美味しくもまずくもない食事を毎日食べているなんて、サンジには考えられなかった。
「買い物に行くぞ。」
少なくとも、自分がここにいる4日間、これを食べさせる事だけはするものかと、サンジは決意を固める。
料理人がここにいて、こんなものに旨いと言われたら、こちらの立つ瀬がないし、こんなものが旨い物だと思われるのは、料理人のプライドに関わる。そんな事を聞けば、それを開発した人々は怒るだろうが、サンジにはとても受け入れ難い事だ。
「じゃ、ゾロは、留守番と掃除な。」
ソファから、ぽん、と飛び下りたルフィがそう言い、散乱していた物を放り込んだスーツケースを隣の部屋へ運んでいたゾロは、振り返って素直に頷いた。
「シャンクスのカード、忘れずに持って行けよ。」
「おう。」
ルフィはぐっと握って答え、ゾロはそのまま隣の部屋へ姿を消した。
「…………」
本当に、こいつらはどういう関係なんだと、サンジは小さくため息を付いた。
これではまるで、小間使いと主人の関係ではないだろうか…
「行くぞ、サンジ。」
肉、肉〜と、軽快に声を上げながらルフィは玄関へ足を向け、サンジはもう一つため息を付いて、隣の部屋へ向かったゾロの後を追い掛ける。
「キッチンの掃除、帰ったらやるから、あのまま置いとけよ。」
「ん〜」
了解を示すようにゾロは背中を向けたまま、右手をひらひらと振り、サンジは玄関で騒ぐルフィを追い掛けようとし、あ、と小さく声を上げたゾロを、くるりと振り返った。
「何?」
「…気をつけてな。」
ゾロの言葉を聞いて、サンジは、ルフィがあれでも社長子息なのだという事に、今更ながらに気付いた。
もしかしたら、あんなルフィでも、営利誘拐の目標になるのかもしれない。ならば、サンジがわざわざここまで着いてきた事の意味も、わかるような気もした。
「あ……ああ。」
カクカクと頷いて、サンジは玄関で待つルフィの元へ足を向けた。
「遅いぞ、サンジ。」
「悪かったよ。」
玄関で靴を脱がされるこの家のシステムが、サンジには今一つ慣れなかったが、室内履きを脱いで、靴に足を通していると、準備万端のルフィが、家の奥へ声を掛けた。
「誰か来ても、玄関開けちゃダメだからな!」
あれは、小さな子供か、と思うような注意に、部屋の奥からゾロは「おう」と答えを返し、サンジは苦笑を浮かべた。
ルフィは、さっき、サンジがゾロから言われた事なんて知らないだろうけれど、二人が二人とも、相手を心配しているのを見れば、二人が先程考えたような、小間使いとその主人、なんてぎこちない間柄ではないのは、簡単にわかる事だった。
「じゃ、行くぞ。」
ルフィはサンジが靴を履いたのを確認すると、そう言って、玄関ドアを元気よく開け放った。
「お前、なんでゾロに留守番させたの?」
あれもこれも、とカートに食材を放り込もうとするルフィとの攻防を繰り広げつつ、サンジはその量にもう一人、荷物持ちがいれば楽だったのにと思ってそう問い掛けた。
「ゾロは、一人にすると危ねぇからだ。」
ルフィは、きっぱりとそう言い切り、サンジは空港でも同じ事を言っていたな、と思い出して首を傾げる。
ゾロは闘技士で、姿を見ただけで職業がわかるなんて事はないが、それなりに鍛えられた体をしているのは見て取れる。闘技士だとわからなくても、何らかのスポーツをやっているだろうと思うだろうし、もしかしたら、闘技に興味のある人間だったなら、あの緑色の髪で、すぐにそれがゾロだとはわかるだろう。
そんな人間が、一人でいる事でどんな危険があると言うのかと、サンジはルフィにそう問い掛けた。
「闘技士は、闘技士以外と喧嘩しちゃいけねぇんだ。だから、一人でいると危ねぇのに、ゾロは方向音痴だからな、気付くと、はぐれちまうんだ。」
それは、ゾロだけのせいじゃないだろう、とサンジは思ったが、その前の部分には、どうにも納得できなかった。
サンジの祖父は元闘技士だ。だが、サンジは祖父が闘技士の頃から、よく蹴飛ばされていたし、今では更に遠慮なくきつい蹴りを喰らうようになっている。闘技士がそれ以外と喧嘩をしてはいけないなんて、初耳だ。
「闘技士に、喧嘩売るやつがいるのかよ。」
「闘技士だって思わないで、喧嘩売る奴はいるだろ。でも、ゾロはそれに反撃できないんだぞ。」
確かに、それはかなり分が悪い。相手は、反撃されなければ、それをいい事に、更に攻撃を重ねるだろう。逃げられればいいが、囲まれてはそういうわけにもいかない。
「監視カメラと警備員がいる空港とかはいいけど、その辺の裏道とか、誰も助けてくれねぇからな。」
はぐれたら、俺が助けてやれねぇ。と、自分もふらふらとどこへ行くかわからないと言われているルフィは言い、サンジは苦笑を浮かべてそれに頷いた。
「でもなんで、そんな決まりがあるんだ?」
闘技士のような職業の人間が、そこらの通行人を殴ってはいけない、なんていうのは、どちらかと言えばモラルの問題で、明文化されて規制されるような事ではないような気がする。それに、売られた喧嘩すら買ってはいけないなんて、それで怪我でもしたら、闘技士生命に関わる事ではないか。
「知らねぇけど、身内と喧嘩はしてもいいんだって言ってたぞ。」
ルフィはあっさりそう答え、サンジはその答えで、自分が祖父に蹴飛ばされていた理由を理解した。確かに、あれは指導のようなものだから、喧嘩でもないし、問題はない事かもしれないけれど。
帰ったら、ゾロにその辺の話でも聞いてみようと結論付けたサンジは、カートの中に放り込まれている大量の肉に、大きくため息をついた。
帰り着いた家は、すっかり綺麗に片付けられ、家事なんてしそうには思えないゾロが、意外にマメなのだと知らされて、サンジはゾロの人間像をまた少し書き換える事になった。
「お帰り。」
綺麗になった居間のソファで、ゾロはコーヒーを飲んで雑誌をぱらぱらとめくっていた。
「俺も、コーヒーくれ。」
自分で動かずに主張するルフィにゾロは軽く頷き、サンジに向けて問いかける。
「お前は?」
置いておけばいいと言ったキッチンも、あらかた綺麗に片付けられて、カウンターの端に置かれたコーヒーメーカーには、コーヒーが沸かされていた。
「後から貰う。」
とりあえず、片づけをせねば、と、サンジは買い込んだ食料を冷蔵庫へと片付けはじめる。
「誰も来なかったか?」
「来てない。」
ルフィの為にマグカップにコーヒーを注いでやりながら、ゾロはその問い掛けに苦笑を浮かべてそう答えた。
「ああ、でも、ナミから電話があったぞ。また、後から連絡するって。」
「土産があるって、メール打ったんだ。」
ゾロの手からカップを受け取って、ルフィはサンジの様子をカウンターの向こう側から覗き込んできた。
「なんだよ。」
「一人増えても、飯足りるか?」
どちらかというと、俺の取り分は減ったりしないか? という意味に聞こえるような問い掛けだったが、サンジは軽く頷いてやった。
『ナミ』という名前の男と言うのも、少し考え難いし、多分、相手は女性であろう。わざわざルフィが土産を買ってくると言うのならば、多分、特別な相手ではないかと思う。まさか、ルフィにそんな相手がいるだなんて考えもしなかったが、一体どんな少女かと、興味が湧いた。
「彼女か?」
「んん。」
こっくりと、深く重く頷いたルフィに、サンジは照れたりしないものなのだなと、少々驚いた。
「どんな子?」
「やらねぇぞ。」
更に返された言葉に、サンジは驚いてルフィの表情を伺い、それがかなり真剣味を帯びている事に、苦笑で返した。
「人のものには、手なんて出さねぇよ。」
ゾロと二人で仲良く話をしている姿を見ていた時は、まだまだ、女には興味などないんだろうな、と考えていたのに、ここにいるルフィは、かなり意外なものだった。これは、ちょっと考えを変えなくてはとサンジは考え、ルフィの隣からソファへ移動してしまったゾロへ視線を移動させた。
ゾロにも、そういう特別な相手がいるのだろうか。
そう考えて、少し落胆した自分に、サンジは手に持っていた卵を取り落としそうになり、慌ててそれを受け止めた。
「……?」
今の動揺は何だったろう。そう思って首を振ったサンジは、ルフィが不思議そうな顔をして自分を見ているのに気付き、ぎこちなく笑いかけて、ルフィがゾロを振り返って首を傾げるのを黙って眺めていた。
闘技士の決まり事一つ。空港でのルフィの言葉の補足です。
ルナミ、です。ルゾロ期待していらっしゃる方がいたらごめんなさい。です。
『小間使い』って言葉、『使用人』にすると、ちょっと違う感じで、使い難かったので使ったのですが、今時、小間使いって使わないでしょうか?
ぎこちなく、ゾロに気持ちを向けるサンジに、自分の限界を感じます。(2003.12.12)